第13話【そんな、まさか De ningún modo】
「大丈夫?」
前子さんが心配そうに私の顔を見つめている。話しながら泣き出したのだから当然だろう。
私は大丈夫だと答える代わりに、借りた携帯を差し出しながら、
「知り合いに自宅に行ってもらうようにお願いしました。家に着いたら、自宅の電話から前子さんの携帯に電話をくれるように頼んだんですけど、良かったですか?」
「もちろん。それで、koukoさんはまだ、これがあなたの見ている夢の中だと思っている?」
前子さんの言葉に、私は一瞬答えに詰まる。
自分が夢を見ていると認識している明晰夢ということもあるけれど、私は、はっきりと夢だと認識しているわけじゃない。ただ、あり得ない状況に夢なんだろうと思っているだけだ。
「わかりません。信じられない状況だから。だって、私、玄関を出るまでは東京にいたんですよ。それが、一歩外に出たらSevillaにいたなんて。飛行機も乗っていないのに、ありえないじゃないですか」
話している間に、感情が高まり、潜めていた声も大きくなっている。
その時だ。
トントン。トントン。
ドアをノックする音が聞こえ、返事をする前に扉が開き、アントニオさんが顔を覗かせた。
「前子さん」
「何?」
「いや、ちょっと声が聞こえたから」
「聞こえた?じゃなくて聞いてたんじゃないの?」
「違うよ、部屋の前を通ったら、偶然、聞こえちゃったんだよ」
「聞こえるわけないと思うけれど」
「kouko、今、泣きながら話してたよね?」
「・・・」
事情を知らないアントニオさんに、はい、泣いてましたなんて言えるはずもなく、どうしょうと前子さんに目で助けを求めた時、前子さんの携帯電話がブルブルと振動しながら、『春を愛する人は〜』のメロディが流れ始めた。
「ディガメ(もしもし)・・・ちょっと待ってね、koukoさん、お友達よ」
前子さんが差し出す携帯を受け取りながら、私は『春さん、間が悪いよ』と、心中で毒づいた。
**********
アントニオさんが部屋に入ってくる少し前。東京の春さんは、切ったばかりの携帯電話を前に、さて、これは、なんの悪戯か?といつもの椅子に座って考えを巡らせていた。
本当かどうか定かではないがkoukoは今、Sevillaにいるという。そして、朝早くて申し訳ないがPenpenの様子を見に行って欲しいという。
昨日の朝、カリカリを食べただけだと言っていたが、昨日、突然Sevillaに行ったということか?何の準備もなしに?
いやいや、解せないのは、あのkoukoがPenpenのことを、誰にも頼まずにスペインに行くか?まず信じられない。Penpenに対するkoukoの溺愛ぶりは、はたから見てもよくわかるからだ。たった一晩、留守にするだけでもPenpenのお世話を頼むほどなのだから。
では、これは何かの悪戯なのか?俺にドッキリでも仕掛けて、笑い者にしようという魂胆なのか?
「そういえば、あいつ泣いてたな」
先ほどまでのkoukoとの会話を思い出していた春さんは、おもむろにコートとiPhoneをつかむと外に出た。
冬の早朝は、まだ暗闇に包まれている。しかし、夜中のそれとは異なり、キーンとした空気の中に、夜が去ろうとしている気配が感じられる。
何より、深夜と違うのは、街が目覚め始めていることだ。この時間に寝る事が多い春さんにとっては、未知の世界だ。
個人商店の前には、仕入れから戻ってきたトラックが止まり、新聞配達のバイクが春さんを追い越していく。動き始めた世界に急かされて、急ぎ足でkoukoの家に向かう。隣駅だが、電車を使うより歩きの方が断然早い。
息を切らしてkoukoの家に到着したのが朝の6時少し前。koukoからの電話を受けてすぐに出たから、10分ほどで着いたことになる。
春さんは、いつもの場所に隠してあるスペアキーを取り出すと、そーっと玄関を開けた。
部屋の中はシーンとしている。koukoが潜んでいる様子は感じられない。
電気をつけると、Penpenが顔を出したが、春さんの顔を一瞥すると、慌ててどこかに隠れてしまった。
「どうやらkoukoはいないみたいだな」
春さんはポツリと呟くと、慣れた手つきでPenpenのお水を変え、カリカリを準備する。その後は、トイレをきれいにし猫砂を補充。5分とはかからない作業を終え、いつもなら、Penpenの気分を害さないよう、さっさと家を出るのだが、今日は、koukoに言われた通り、家電から見知らぬ番号に電話をかける。
「国際電話になるのか・・・」
ネットでスペインの国番号を検索し、番号を押す。ジージーと電子音が聞こえた後、コール音に変わった。
koukoと電話がつながるのを待つ間、何となく、この部屋に入ってきたときに感じた違和感の正体を探るために部屋の様子を観察する。
が、よくわからない。何が自分に違和感を感じさせるのだろう。
モヤモヤとした気分の中、突然、電話がつながった。
「dígame(ディガメ)」
見知らぬ女性の声が電話口から飛び込んできた。
春さんはドキマギしながら
「もしもし、あの、、、」
「ちょっと待ってね。koukoさん、お友達よ」
そんなやりとりが聞こえた後、
「春さん?」
「ああ」
「Penpenは?」
「逃げていく後ろ姿を確認した」
「うん、ありがとう」
「まじで、スペインか?」
「うん」
「いつ?」
「昨日の朝」
「何で?」
「わかんない」
「は?」
「普通に買い物に出かけたはずなのに、玄関出たらSevillaにいたの」
「・・・・」
「もしもし、聞こえてる」
「・・・ああ。それは、お前、飛んだな」
「え?飛んだ?」
「瞬間移動したってことだよ。そうか、わかった。台所だ。お前の家に入ってからずっと、変な違和感があったんだ。そうか台所かぁ」
「台所が何?」
「いつも家を留守にする時、Penpenが何かの拍子にキッチに飛び乗って怪我するかもしれないからって、鍋もヤカンも、食器も、調理器具も、全部、片付けて、何もない状態にするだろ?」
「うん」
「今日来たら、食器はカゴに伏せてあるし、菜箸もお玉も、目の前にひっかけてあった」
「それは、だって、買い物に出かけただけなんだもん」
「OK。最初から話してくれ。何が起こったのか」
「・・・春さん、昔、それ系の特集組んでたことあったよね?」
「覚えてたか。まさか、身近なやつに、そんな事が起こるなんて。いいから、春さんに話してみなよ」
いつになくウキウキとした春さんの調子が気になるけれど、確かに、そういう不思議系のネタをよく記事にしていた彼なら、この状況を解決に導いてくれるかもしれない。
私は、朝から夜(Sevillaのだけど)にかけての経緯を、できるだけ細かく説明した。
春さんは、私が言葉に詰まると「それで?」とうながしてくれる。何とまぁ聞き上手なことかと、こちらが感心するほどだ。
なるほど、この聞き上手が、気難しい人からのインタビューも容易くとってくる秘訣かと、こんな状況下でも感心してしまうのが職業病の悲しさよ。
「というわけでね、今夜は、前子さんのご自宅に泊まらせてもらうの」
「そうか、じゃ、とりあえず、今のところは安全なんだな」
「うん」
「で、koukoは、今でも夢なんだと思ってるってことだな」
「うん」
「だが、俺がいるkoukoの家には、残念ながら寝ているお前は居ないぞ」
「・・・じゃ、本当に私、こっちに瞬間移動しちゃったの?」
「ああ、間違いないな」
「そんなぁ、じゃあ私、どうやって帰ればいいの!?」
「パスポート、送ってやろうか?・・・って、冗談だよ。そんな怒るな。今日は寝ろ。明日、また電話するから。それまでに調べてみるよ、こういう事例がないか。とにかく、休め。いいな」
「わかった。ありがとう」
「あ、で、前子さんだっけ?彼女に代わってくれる?」
「なんで?」
「いいから」
「わかった・・・・あの、前子さん、春さんが話したいことがあるみたいです」
携帯を渡すと、前子さんは驚いたような顔をした後、はいはいと頷き携帯を受け取ると、何やら春さんと話し始めた。
視線に気がついて顔を上げると、アントニオさんが、興奮気味に何かを呟いている。
私と目が合うと、
「
そういうと、私の手を取り踊り始めた。
「
Sevillaを愛しすぎて?-¿Amo demasiado a Sevilla?- さち @coharu_san
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