第12話斯く斯く然然なのです(4)Por tal y cual razón】
差し出された携帯電話を見て、ポカンとしている私に前子さんが言った。
「誰かに電話してみて。それで、今、これが夢なのか現実なのか。相手の方に聞いてみましょう。ついでに、猫ちゃんのお世話もお願いしてみたら?」
電話で証明できるなら、こんな簡単なことはない。が、私の夢の中の出来事なのだから、私の胸算用でどうにでもなるのではないだろうか?
ああ、でも前子さんは、これが現実世界だと思っているのだから、相手に聞けばわかると思っている。
電話の相手も私の夢の中の住人という可能性は考えていないのだろうか?
このまま、電話をしなければ前子さんは納得しないだろうし、もし前子さんが考えている通り、これが現実ならPenpenのことが心配だ。
これは電話をしてみるしかなさそうだ。
誰に電話をしよう?
こんな変な状況を面白がってくれて、かつPenpenのお世話を頼めるとしたら、考えるまでもない。“春さん”だ。
春さんは、私の仕事仲間であり、飲み仲間であり、Penちゃんのお世話係りだ。
出会ったのは、十数年前だろうか。当時、勤めていた会社が呆気なく倒産し、行くあてもなかった私は、知り合いの知り合いの、そのまた知り合いのツテを頼って、なんとか面接に漕ぎ着けた。
そこは小さな編集プロダクションで、ニッチなネタばかりを扱うフリーペーパー『どやっ!』を作っていた。『すごいだろう、どうや』という意味を持つ、このフリーペーパーの編集長として取りまとめていたのが春さんだった。
というか、後で知ったことだけれど、社員は春さん1人だけで、あとはフリーのライターさんに外注していた。
だから当然、面接にも春さんは参加した。履歴書を差し出すと、社長さんが見るよりも先に春さんがざっと目を通し、社長さんにはいっと渡す。社長さんは、チラッと見ただけで机の上に置き、ニコニコしながら私の顔を見ている。
「何かハマっているものありますか?」
何の前置きもなく、春さんが話し始めた。社長さんからではなく、しかも経歴でも、仕事歴でもない。全く予想していなかった問いかけに、私の頭がついていかない。黙っていると
「夢中になっているもの、何かありますか?うちは、みんな自分がハマっているものとか、気になっているものを深掘りしていくんですよ。だからそういうものがないと、うちでは難しいかなと」
なるほど、やっと頭が追いついた。
「スペイン。特にSevillaが大好きで、いつかはSvillaに住みたいし、何か仕事をしたいと思っています」
「おお、いいねぇ。Sevillaって、モーツァルトのオペラの、、、ええと、何だっけ?そうそう、セビリアの理髪師の舞台になったところだったよね?」
「たぶん」
「セビリア って言わないんだ」
「スペイン語の発音だとセビージャってなるんです。例えばパエリア。日本だとパエリアって言いますけど、向こうではパエジャという発音になりますね」
「へぇ、スペイン語できるんだ」
「勉強中です」
「面白い」
「?」
「フランスとかイタリアが好きっていう人は多いし、情報も多いな。うん、スペインを深掘りするのも悪くない。いいね」
春さんは、独り言のようにぶつぶつと呟き、1人でうなずいていた。私は、そんな彼の姿を見、次に何を質問されるのか身構えていた。
「OK。じゃ、来週までにどんな特集にするかまとめておいて」
「はい?」
「キミ、えと名前は、koukoさんさ、一応、入社試験だと思って、企画をまとめてくれるかな。テーマはスペインだ。kouちゃんが好きなことを、どんどん掘り下げて欲しいな。ああ、でも一つだけ。うちの雑誌の特色はなんだっけ?」
「え、あ、ニッチなネタを深掘りする」
「そう、その通り!その辺りを忘れずに、企画、よろしく」
「はい。あのぉ、、、」
「ああ、もちろん現地取材は無しだよ。弱小編プロには、そんな予算はないんだ。現地に協力してくれる友人がいると、すっごく良いよね。もちろん、些少だけど謝礼は出せるよ。ね、社長」
春さんの隣で、ニコニコ顔で座っていた社長さんは、慣れたもので、春さんの急な問いかけにも動じず、笑顔のままうなずいた。
「そうそう、うちのような弱小編集プロダクションには、余裕がないのよ。koukoちゃん。金をかけずに、面白い企画、お願いしますよ」
その後、無事(?)に入社試験に合格した私は、それから約10年、春編集の元で、『日本の中のスペインを探せ!』とか『フラメンコの衣装を作ってみよう』とか、『フラメンコを見ながらハレオ(かけ声)をかけている人はどんな人?』とか、とにかく、自分が知りたいことを、ただひたすら企画し、記事にしていった。
春編集長は編集長で、よくわからないグッズを考察したり、パワースポットに籠もったり。
趣味の延長のようなフリーペーパーは、一握りのコアなファンが付いていたけれど、不景気が続き、広告収入の目処が立たなくなり、残念ながら休刊となってしまった。
しかし、その後も、フリーで活動することになった私に何かと仕事を出してくれたり、飲みに行ったりと、春さんとの縁は切れることはなかった。
私は自分のiPhoneのアドレス帳を開き、春さんの番号を検索した。携帯がなかった時代は、頻繁に電話をする相手の番号は記憶していたのに、今は、何一つ覚えていない。iPhoneがなければ、誰にも連絡できないと思うと、なんだか怖い。
「あの、すみません、日本の国番号って何番でしたっけ?」
「81番よ。最初に00を押してから81ね。市外局番の0は必要ないわよ」
「携帯番号の0も必要ないんでしたっけ?」
「携帯も0は除いてね」
「ありがとうございます」
私は言われた通りに番号を押そうと、何気なく画面を見た時、時刻が目に入った。
5:00
えっ?朝の5時!
スペインは?
前子さんの携帯を見れば、時刻は21時だ。
今は冬時間のはずだから、日本との時差は8時間。
つじつまがあっている。
まさか、これって現実なの?
2つの携帯を見比べている私を見て、前子さんが
「どうしたの?」
「あの、冬時間ですよね?日本との時差は8時間で間違いないですよね?」
「そうね、8時間よ。それがどうしたの?」
「つじつまがあっていて」
「つじつま?ああ、夢だと思っているのよね、koukoさんは。私は、この世界が現実だと知っているから、スペインが夜の9時なら、えーと、日本は朝の5時ね」
ああ、やっぱり。夢の中なのに、時間に矛盾がないなんて、なんだか嫌な予感がする。
「そうですね。私のiPhone、5時になってます」
「あら、じゃぁ、誰かに電話するのもあれかしらね?」
「いえ、大丈夫な人がいますから。それに、これが現実なら、Penpenが心配すぎる」
私は、いつものように朝方まで起きているだろう“春さん”の顔を浮かべながら、番号を押した。
コール音が響く。
5回、6回・・・・コール音を数えながら春さんが出るのを待つ。
普段なら10回目ぐらいで出るのに、今回に限って出る気配がない。もしかしたら寝ているのかもしれない。
いったん切ろうか、どうしようか迷っているうちに、コール音は20回を数えている。さすがに、朝方にこれ以上鳴らすのは非常識だろう。
仕方なく電話を切ろうとしたその瞬間、
「もしもし」
少しかすれた、聴き慣れた春さんの声が耳の奥に響いた。
「どうした?」
いつもの春さんの声を聞いて、それまで張り詰めていた気持ちが一気に崩壊した。
「春さん、、、う、ええ〜ん」
「えっ?何、何、どうした?」
急に泣き出した私に驚いた春さんが慌てふためいている。携帯の向こう側で、どうしよう、どうしようと子犬のように同じ場所をぐるぐる回っている様子が想像できる。そんな春さんを想像するうちに、私の感情が次第に落ち着き始めた。
前子さんは、急に泣き出した私を心配そうに見ている。
「まさか、、Pen姫、死んじゃったのか?」
「え?何いってるのよ、春さん。縁起でもない」
「いや、だってこんな早朝に泣きながら電話してくるから、てっきり、そうだと思って・・・で、何でkouちゃん泣いてるわけ?」
「今から私の家に行ってくれる?」
「今からって、俺、これから寝ようとしてるところだけど」
「お願い、春さんにしか頼める人いないんだもん」
「kouちゃん、どこにいるんだよ」
「Sevilla」
「あ?Sevillaって、セビリアのこと?スペインの?」
「そう」
「行くって言ってたっけ?ていうか、俺、Pen姫のお世話、頼まれてないよな?」
「うん」
「まるっきり理解できないんだけど」
「わかってる。でも、話すと長くなりそうだから。とにかくPenpenの様子を見に行って欲しいの。これが現実なら、昨日の朝からPenpen何も食べてないの。お水もなくなってるかもしれない。春さん、お願い」
「これが現実ならか。わかったよ。この借りは高くつくぞ。とにかくPen姫のお世話をして来いってことだな。鍵はいつものことろ?」
「うん。ありがとう。でね、お世話が終わったら、うちの家電から、今、表示されている、この携帯の番号に電話くれる?そしたら理由を話すから。えっと、スペインだから、国際電話だからね」
「わかってるよ、とにかく、様子を見てくるから」
そういうと春さんは電話を切った。
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