三人と一人

八白 嘘

三人と一人

 兄はオカルト好きである。

 僕や友人たちの首根っこを引っ掴んでは、毎夜近所の心霊スポットを徘徊するような、歩く傍迷惑とでも言うべき人間だ。

 おかげで、かつては臆病だった僕の心臓にも、すっかり毛が生え揃ってしまった。

 その点だけは感謝すべきかもしれない。


 ある日の深夜のことだ。


 切実な理由でティッシュに手を伸ばそうとした瞬間、僕の部屋の扉が激しく開かれた。

「の、ノノッ──」

 ノックくらいしろよ!

 そう叫ぶ暇もなく、僕は自室から引きずり出された。

 思わず怒鳴りかけたが、兄の顔を見て、そんな気も失せた。

「──…………」

 がちがち、がちがちと、兄の歯の根が音を立てる。

 吐息が荒い。

 まさか、怯えているのか?

 兄の恐怖する顔など久し振りだった。

 子供のころ、客間に飾ってあった壺を割ったとき以来のことではないだろうか。

 父の拳骨が兄の頭に振り下ろされる瞬間、たしかにこんな顔をしていたと思う。

 ズボンを穿き直し、僕は尋ねた。

「兄貴、どうかしたのか?」

「……来てくれ」

 なにを尋ねても、そうとしか答えない。

 腕を掴まれたまま兄の部屋の前へと辿り着く。

「──……俺、もう、オカルトやめる」

「はあ?」

 あれだけ人を巻き込んでおいて?

「本当、どうしたんだよ」

 兄は、呟くような声で、ぽつりぽつりと言った。

「……心霊スポットで撮影したビデオを確認してたんだ」

「はは、そこに幽霊でも映ってたって?」

 それくらい、今更だ。

 黒髪で白装束のスタンダードな幽霊こそ見たことはないが、ところどころに顔らしきものが写り込んだ写真なら無数に持っている。

 光の加減と言われてしまえばそれまでだが、本物の心霊写真だって幾らかは混じっているかもしれない。

「笑い事じゃねえよおッ!」

 兄が叫んだ。

「見てみろ! 笑うんなら、お前も見てみろよ!」

 僕は完全に気圧されていた。

 ぐいぐいと背中を押されるまま、兄の部屋へと押し込められる。

 慌てて振り返ると、扉が音を立てて閉じられた。

「おい、クソ兄貴ッ!」

 慌ててドアノブを引っ掴むが、動かない。

 外から押さえているらしい。

「……マジかよ」

 そっと手を下ろす。

 オカルトマニアの兄がおかしくなるくらい恐ろしい動画を、僕に見ろって?

「ま、いいけど……」

 前述のとおり、僕の心臓には毛が生えている。

 さっさと見て、さっさと戻ろう。

 兄のノートPCへ向き直ると、いかにも個人撮影といった手ブレの激しい動画が再生されたままになっていた。

 床に落ちていたヘッドホンを装着し、座布団の上であぐらをかく。

 映っていたのは、三人の若い男性だった。

 大学生の兄と同じくらいの年頃に見えた。

 撮影者を入れて四人が、深い森のなか、道無き道を分け入っている。

〈てッ! うわ、皮むけた〉

〈どんくせー〉

〈……なあ、マジ帰ろうぜ。ここやべえよ〉

 三十点、と僕は評した。

 どんなに雰囲気のある心霊スポットであれ、これほど騒がしくしては恐ろしさも失せてしまう。

 誰かに見せることを前提とした映像作品とするならば、駄作だ。

 ホームビデオとしても、二度三度と見たくなるような映像ではない。

《──◯◯、慰霊碑まで、半分ほど歩いたころと思います》

 くぐもった声が唐突に響いた。

 兄の声だ。

 どうやら、撮影者は兄のようだった。

《◯◯慰霊碑は、近辺では有名な心霊スポット、です。慰霊碑の背後から写真を撮ると、必ず、心霊写真になると、言われています》

〈シャレなんねーよー!〉

〈こんなトコ歩いてる時点で今更じゃん?〉

〈絆創膏持ってねえー?〉

 兄は記録映像のようにしたいらしいが、さすがに騒々しすぎる。

 テレビで放送されるような合成バリバリの心霊映像のほうが、いくらかましではなかろうか。

 五分ほど退屈な映像を眺め、大あくびをかましたところで、扉がノックされた。

「……どうだ?」

 兄がそっと室内を覗き込む。

 僕は、ヘッドホンを外し、答えた。

「どうだもクソも、なにが怖いのかわからん。素人が集まって騒いでるだけの動画だろ。兄貴は兄貴で心霊スポットの由来を説明してるだけだし、そういうのがやりたいんなら、ある程度はツレに話を通しておかないと──」

「違うッ! そいつら、違うんだよ!」

「だから、なにが」

「俺は──俺は、一人で行ったんだ!」

「……はあ?」

 なにをわけのわからないことを。

 そう思った瞬間、ヘッドホンから漏れていた騒がしい声がぴたりと止んだ。

 振り返る。

 動画が停止していた。

 そして、


 画面のなかの三人が、生気のない瞳で、ディスプレイ越しに僕を見つめていた。

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