バンドマン
マドカ
バンドマン
立ち去る彼の後ろ姿が、とても寂しそうで何か声をかけなきゃと思ったけれどやっぱりやめた。
その代わりに灰皿で消しきれていない彼のタバコの残骸をギュギュッと押し付けて消した。
オレンジ色が黒く消し炭になり、あぁこれで終わったのかと感じた。
夢を見る暇もなく、学校を出ていつも働いていた自分にとっては
バンドマンと呼ばれる彼との出会いは運命的であったし、付き合う事も彼のステージを客席で見る時も、一緒に暮らすことも何もかもが非日常で新鮮といえば新鮮だった。
付き合っている人が、音楽という途方もつかない世界で「絶対に売れてやる」「食っていく」と、無邪気に笑う顔を見て
明確に何か一つの物事に取り組んでこなかった自分にとっては
カッコイイと思っていた。
ただ、イメージを気にする彼にとっては付き合っているとかそういった類の話はごく限られた友人数名にしか話すことを許されなかった。
周りの友達はTwitterやInstagramに
デートで行った場所や恋人のことを普通に書いているのに。
何度か彼に言ったこともあるけれど
「ファンが居なくなる」「言う意味がわからん」「バンドマンの彼女ってそんなもんよ?」と、今考えると訳のわからない理屈で禁じられていた。
週に二回スタジオで練習がある時は
必ず帰りの時間が遅くなるし
今から帰るとLINEが来て料理を作っても2時間遅れることはしょっちゅうだった。
「打ち合わせしてたー」「今度やる曲の話煮詰めてたら時間忘れてた」
というのが常だったし、
この人浮気しているのかと何度も疑っていた。
けれど携帯をいつこっそりと見ても何の履歴も出てこないし、メンバーも同じ時間までスタジオに居た証拠もしっかりとあった。
とにかく彼にとってバンドにかける情熱は凄かったし、深夜突然思い立ったようにパソコンに向かって作業する時は舌打ちしながらタバコを吸っていた。
ある日、「そんなにバンドって楽しい?私よりも?」と尋ねてみると
「バンドが一番、お前が二番」と悪びれもせずに彼は言い放った。
「もしバンドで成功しなかったらどうするの?」と聞くと
「そんなこと考えてないし、成功するに決まってるやろ、舐めんなボケ」とよく怒られた。
「私と居て楽しい?」
「楽しいに決まってるじゃん」といつも笑顔で言う彼は
ライブがあった日の打ち上げでベロベロに帰ってきて
「今日のライブめちゃめちゃ盛り上がってさぁ」と話す時の方が数十倍楽しそうだった。
テレビに「売れている」バンドが出た時は私は歌詞や曲、カラフルな照明や演出に目がいくのだけれど
彼は真剣な目で見て、「しょーもない曲やな」とか「ハイハイ、共感系のやつね、つまんな」とケチを付けるのがいつもだった。
その癖に音楽番組は欠かさずに見ていたのがとても不思議で仕方なかった。
そんなに文句言うなら見なきゃいいのに。
たまにデートして会話している時に
「あっ」と言って携帯にメモをする謎の時間が出来たら
私は彼の目の前でニュースサイトや明日の天気を見る。
「ごめんごめん」と確実に思ってもいないだろうという謝罪の言葉を何度聞いただろうか。
「この曲どう思う?」と聞かれて率直に感想を言うと
「ええー、そこじゃないんよなぁ」「ほら、ここの転調した後のとことか、あえてシンコペ使うとことかさー。わからんもんかね」「やっぱいーや」
と勝手に聞いてきて勝手に終わらされることも多々あった。
1年が経ち、2年が経った頃、私は正直疲れていた。
平日に休めるとこじゃないと、ライブが出来ないと彼が定職に就くことは無かったし
たまにバイトしてお金が貯まって、私に何かしてくれるかと思ったら
「よし、ツアー費用溜まったぁ!」と彼は県外へライブしに行く。
バンドマンと付き合った経験が無い私にとってはこれがバンドマンの彼女として普通なのかもしれないと感じ始めていた頃、
会社の上司とディナーに行く機会があった。
断ろうかと思ったけれど、彼がその日スタジオに行くことはわかっていたし、まぁいいかと思って上司と約束をした。
そこは彼とよく行く、1品380円とかの安居酒屋などではなく
お城のような外観で、メニューに金額すら書いていない所だった。
「財布の中に9千円しか入っていないからコンビニのATMでお金を降ろしてきます」と伝えると
「え?奢りだから大丈夫だよ、それより今日はありがとう、ほらこれも美味しいよ」と上司は言った。
上司は彼と全く違うタイプの人間だった。
スーツを着てネクタイもして、誰よりも早く出社して常にニコニコしていて
皆から好かれていた。
セットしている髪型は韓国ドラマの俳優のようで
ブリーチし過ぎて髪がよく千切れる彼とつい比較してしまう。
私の中で普通だと思っていたことはひょっとしたら普通じゃないのかもしれないと感じ始めてから、
彼と過ごす時間よりもいつしか上司と過ごしている時間の方が楽しくなってきていた。
この人といるのはとても楽で、色んな話が出来て何よりも私を女の子として扱ってくれるのがとても嬉しかった。
少しずつ、彼に嘘をついて上司と会うことが多くなった。
私、こういう音楽好きなんですとCMソングでよく流れる曲を聞かせてみると
「えー!知らなかった、良い曲だね!」と素直に聞く。
待ち合わせの時間に遅れることも無かったし、タバコも吸わず、ガバガバと酒を飲むこともなく、紅茶が好きな人。
乱暴な言葉を使わずに、一緒に居る時に笑ったり泣いたり驚いたりするこの人を
いつの間にか好きになっていた。
「こないだの先週水曜日俺がスタジオ行ってた時何してた?」
と唐突に彼に聞かれた。
「仕事だけど」と嘘をついた。
「へー、何か最近残業多いね、その割にメイクよれてないけどそれなんで?会社で直してんの?」
「そうだよ」と息を吐くように自然に嘘が出た。
「ふーん」
彼はタバコを吸いながら、こっちを見ている。
その顔はパソコンで作業している時のように真剣で尚且つ不機嫌そうだった。
「お前が男と手繋いで歩いてんの見たけど?水曜日の夜の九時。」
「メンバーが風邪引いてスタジオ休みになったからさー、家帰る途中で見たわ」
「お前の仕事って男と手繋いでニコニコして歩くことなんか?」
全身の血の気が引く思いだった。
彼に見られていたとはとても思っていなかった。
彼は真顔で、睨みとも怒りとも適合しないよう表情で私が答えるのを待っていた。
言葉に詰まっていると
「、、まぁそういうことか。 お前なら嘘つかずに答えてくれるって思ってたけど。 嘘つくってそういうことやんな? 」
「認めて謝ってくれたら、俺も今まで悪いとこあっただろうし許すつもりやったんやけど」
と間隙を入れずに彼が話す。
私は謝ろうということより、
それよりも怒りが湧いてきた。
今まで一生懸命、耐えて、支えてきて、彼のことで我慢してきたことが何百回あっただろう。
感情的になりながら事の顛末と今までの不満全てを彼に話した。
彼は目を瞑って聞いていた。
「別れよ。 お前とずっと付き合ってたのは、好きやったし人を騙したり嘘ついたり絶対にせんかったから。」
「テレビに出てる俺見せたかったし、売れてお前に贅沢もさせてあげたかったわ、すまん。」
「家にある荷物、今持てる分はある程度持って後日まとめて取りに来るから。」
そう言って彼は友人に電話して、その日の宿を友人に泊まらせてもらうようだった。
ごめんね、と絞り出すように私が言うと
「いーよ、こういうの慣れてる」
と言って彼は家から出ていった。
後日、彼が荷物を受け取りに来て最後に手料理を食べさせてほしいと言ってきた。
彼は鶏ももの照り焼きと大根サラダがとても好きだった。
そう言えば彼に初めて作った料理もこれだったなと完成してから思った。
彼は「美味い美味い」とかき込むように食べて、
タバコに火を点けて
「んじゃね、お互い頑張ろね」とタバコを吸い終わった。
家から出ていく彼、立ち去る彼の後ろ姿は寂しそうだった。
陽に照らされて、枝毛だらけの金髪、毛玉のついたパーカーに色落ちしすぎているジーパン。
コンバースの茶色いスニーカー。
もっと小綺麗な格好で最後来たらいいのに、と
常に我が道を行く彼によく付き合ってきたもんだと私は思う。
3年が経ち、深夜のテレビ番組で
90秒ほど彼のバンドのPVが流れていた。
妊娠中の私は、彼がやっとテレビに出れるようになったんだと思って
久しぶりにLINEで
「テレビ見たよ!おめでとう!!」とLINEをしてみた。
彼のLINEは何日経っても既読にならなかった。
調べたらブロックされていた。
よくこんな男と付き合っていたと思い、私もそっとLINEをブロックして
連絡先も全て消した。
※実体験3割で、あとは友人に聞いた話とか色々と複合させて膨らませてみて書いてみました。
あるあるもちょこちょこと散りばめてみました。
こういう男と付き合ったら不幸になりますの典型的な例のような、小説。
バンドマンは真面目な人多いけどという補足はしときます。
バンドマン マドカ @madoka_vo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます