花の王子と雪の姫(3)

穏やかな口調で言ったつもりだったが、ライアはその言葉にひどく怯えていた。それはシリウスが怖かったからではない。彼女は父を恐れていた。


ライアの父である国王の本性を知っている者は少ない。彼は己より強いものに媚を売り、弱者には手をあげる。そして政治も絶対君主制の独裁政治を行う王だった。


そんな王は、自分の娘とシリウスとの婚約を大いに喜んだ。ベリレア王国にとって、スニファ王国と血縁関係になれることは、大きな力を得たも同然だからだ。


シリウスに見捨てられ自分との婚約を破棄したいと言われてしまえば、ライアは国には二度と戻れないだろう。ライアはとにかく、シリウスに嫌われないようにしないとと必死だった。


怒られるかもしれない、婚約を破棄されるかもしれない、そんなことになったら国に戻れないどころか、父に殺されるかもしれない。そんな考えが脳内を駆け巡る中、侍女たちが部屋を出ていくと、シリウスは「ライア姫」と彼女の名前を呼んだ。


その声にライアは思わず肩を竦める。


「……」


その姿を見て、シリウスは少しだけ悲し気に微笑んだ。


「怖がらせてすまない。私は……僕は、君と二人きりで二人だけの話がしたかったんだ」


「……」


「君の本当の姿を見せて、ライア」


「……」


「僕は君が好きで君との婚約を望んだ。あの日、僕たちが初めて会った日に、僕は君に一目惚れをしたんだ。君が楽し気に笑う無邪気な微笑みが僕は大好きだ。お姫様としてつつましくある君も素敵だけど、僕は少女のような君も好きだよ」


シリウスはライアの隣に腰かけ、微かに震えていた彼女の手を優しく握りしめた。小さくて力を籠めればすぐに折れてしまいそうなか細い手だとシリウスは思いながら、小さく呪文を唱える。


すると、二人の手が淡い黄色の光を帯びた。


「わ……」


何も喋らなかったライアの口から小さく声が漏れる。


その視線の先にあったのは、手の中に握られている小さな一輪のピンクの花だった。


「花は好き?」


シリウスの言葉にライアは一瞬大きな笑顔を浮かべようとしたが、我に返ったかのように小さく可憐な笑みを浮かべた。


「大好きです」


その様子を少し残念に思いつつシリウスは話を続ける。


「それならよかった。じゃあ中庭に散歩に行こう。それから街にも。ここはスニファ王国、通称花の王国と呼ばれる国だ。きっとライアも気に入ってくれる!」


そう言ってシリウスはライアの腕を引いて、窓を開けた。


柔らかな風が2人の頬を撫で、甘く苦い花々の香りと、若葉の爽やかな香りが彼らの鼻腔をくすぐる。青い空には雲一つなく、赤い翼と黒く丸い嘴を持った小柄の鳥や長い尾が七色に光り輝く大柄の鳥など、魔法生物たちが悠々と翼を羽ばたかせていた。


「さあ、行こう」


「え? ここから、ですか?」


「玄関から行く必要はない。だって僕たちは魔法使いだ。好きな時に空が飛べて、好きな時に魔法を使える。今は僕たちしかいないのに、お行儀よく玄関から出て街を歩く必要はないだろう」


「……」


「大丈夫、僕の手をしっかり握ってて」


ライアはシリウスの手を強く握りしめた。小さな城と世界で育った彼女は、魔法を使うことをあまりしてこなかった。そのことをシリウスも知っていたので、彼女を安心させるためにそう言ったのだ。


「行くよ」


その言葉と同時に、シリウスとライアは窓から飛び降りた。


「きゃっ!?」


シリウスの部屋は城の中でもビル20階ほどの上階にあり、魔法が使えない人間がそこから飛び降りれば地面にたたきつけられて一瞬でぺしゃんこになるだろう。普段魔法を使わず、あまり得意としないライアはどうすればいいか分からず、強く瞼を閉じてシリウスの手を握ることしかできなかった。


しかし、一向に体が落ちていく感覚がしない。


「手を広げて、目を開けてごらん、ライア」


その言葉に恐る恐るライアは瞼を開けた。二人は両手を大きく広げて、風に乗って空を飛んでいる。そしてライアは眼下に広がる景色に感嘆の息を漏らした。


「わあ……っ」


色とりどりの花々が広がっているスニファ城の庭園は、宝石箱を除いているかのような美しさで、ライアはその瞳をキラキラと輝かせる。それはライアが生まれた初めて見る、自然の花々に色彩がついている世界だった。


「綺麗……」


「気に入ってもらえたなら良かった。さあ行こう、空の散歩へ」


シリウスはそう言ってライアの手を優しく引くと、重力を感じさせない身軽さでライアをお姫様抱っこした。するとどこからか一本の絢爛な装飾が施された箒がシリウスの背後から飛んでくる。そしてタイミングよくシリウスはその箒に腰かけ、ライアを自分の前に優しく座らせると、抱きしめるようにしてライアを後ろから包み込み、箒の柄を握りしめた。


「行くよ」


そう言ってシリウスが箒でスニファ城を旋回する。ライアは声にこそ出さなかったが気持ちはとても高揚していた。ベリレア王国で見られる景色はどこも白い世界だけ。こんなにも色がついた世界は美しいのかと声を出すのが惜しいくらい、今自分の瞳に映る景色を堪能したかったのだ。


しばらくスニファ城周辺の景色を楽しんだ後、中庭に箒を着陸させようとしてシリウスが高度を下げると、箒が風に大きく揺れた。


「わっ!?」


(まずい、もう魔力がもたない……)


シリウスはここまでたくさんの魔力を使っていた。ライアほどではないが、シリウスも元々の魔力はそこまで強くない。自分一人空を飛ぶのが子供のシリウスにはやっとだったが、今日はライアのためにいいところを見せようとして少し頑張りすぎたのが仇となった。


何とか呪文を唱えて体制を整えようと呪文を唱えるが、箒は言うことをきかない。


落下するスピードは徐々に速くなっていく。ライアはシリウスにも何か考えがあるのかと思い何も言わないでいたが、徐々におかしい時が付いて後ろを振り返り「大丈夫ですか?」とシリウスに聞いた。


格好悪い所を見せたくなくてシリウスは「大丈夫。僕から絶対に離れないで」と言ったものの、この先どうするかは決まっていなかった。



誰にも言わず窓から抜け出したことをシリウスは後悔していた。玄関口から出ていればこんなことにならずに済んだだろう。もしくは誰かに一言でも言っておけば、助けてくれたかもしれない。


だけど、シリウス達が空を散歩していると知っている者は誰もいない。


(このままじゃ地面に落下する……! ライアだけでも助けなければ……! だけど、僕の力ではもう……!)


シリウスがそう思った時、どこからともなく魔法の呪文を唱える声が聞こえた。

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『幻国の菓子使い』書き下ろし番外編――「月が見ていた」 文月あかり/メディアワークス文庫 @mwbunko

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