花の王子と雪の姫(2)


数日後。


スニファ王国の地位ならば、相手の王家に申したてさえすればすぐに婚約は成立する。誰にも取られたくないと思ったシリウスはすぐさま行動にし、相手との婚姻を見事手にした。


婚約を発表して以来、シリウスは週に1度王宮へライア姫を招待した。婚約をすることは簡単だ。しかし、婚約と言っても一方的なものだったこともあり、彼女の心がこちらに向いてなければシリウスには意味がなかった。


この日もシリウスは自室で彼女と茶会を開いていた。部屋の隅にはスニファ城のメイドやライアの侍女がひかえている。


「ライア姫。こちらをどうぞ。スニファ王国に咲く白い花弁をした月虹花という花の蜜を混ぜた紅茶です。お口に合うと良いのですが」


そう言ってシリウスは魔法を使わずに己の手で淹れた紅茶をライアに差し出す。魔法で淹れても、手で淹れても、味はきっと変わらないし、魔法の方が早く住む。しかし彼女のために少しでも自分の手で何かを尽くしたかった。


 「ありがとうございます、シリウス王子」


そう言って温かな笑みを浮かべた彼女は背筋を伸ばしたまま、まだ小さくも綺麗な指でティーカップを持ち、優雅な動作で口元に運ぶ。


その姿はまさに姫と呼ぶに相応しかったし、彼女は理想のお姫様をそのまま形にしたような女性だった。物静かで常に微笑みを浮かべ、常に周囲に気を配る姿はまさに令嬢の鏡と言える。


そんなライアのことがシリウスはますます好きになった。


だが……。


「どうしたら彼女は笑うんだ、アークトゥルス⁉」


シリウスは自分の護衛を担当している騎士のアークトゥルスの部屋に遊びに行き、扉を閉めた途端彼に問い詰めた。


シリウスは彼女の微笑みが好きだった。だけど彼女が見せる微笑みは、あくまでお姫様としてのもので、あの夜にみた少女のような無邪気な笑顔は、決して見せなかった。


アークトゥルスは突然のことにも関わらず表情を一切変えないで口を開く。その口調は非常に淡々としたものだった。


「さあ」


「僕と一緒にいるのがつまらないのだろうか……」


「そうかもしれないね」


「待て。今のは否定するところではないのか?」


「じゃあ違う」


「じゃあとはなんだ! じゃあとは!」


鼓吹する気のない返事に、シリウスは少し怒る。初めてこの会話を聞いたものは、王子に対してこのような態度をとるアークトゥルスは不敬罪に問われてもおかしくないと思うだろう。しかし、これが騎士アークトゥルスのシリウスに対する通常運転の態度だ。


「というかシリウス。俺、今日、休みなんだけど」


アークトゥルスは腕を組んで扉に背を預け、大きな欠伸をしながら悪びれもなくそう言った。金色の前髪から覗く赤い瞳がジッと、幼いシリウスを見つめる。


「だってお前は、僕の騎士だろ」


「ああ、そうだ。だが騎士は守るためにいるのであって、遊び相手ではない。だから早くご自分のお部屋にお戻りください、シリウス殿下」


徐々に丁寧になっていく口調に、シリウスは眉を寄せる。黒をベースとしたドルマンに、両肩についた銀の鎧、そして背になびく紅蓮のマントと、腰に携えている立派な鞘に納められた剣は、どこからどう見ても立派な騎士の姿だった。


そんな姿を瞳に映しながら、シリウスはムッとした表情で口を開く。


「……アークトゥルスは、僕の友達だ。友達は休日に一緒に遊んでくれる存在なんだろ」


シリウスが言い直すと、精悍な顔立ちをしたアークトゥルスの顔は、熱に溶けていくキャンディのように脂下がっていく。


「へへへ、遊んでほしいなら最初からそう言えよな~」


そう言って両手を広げてシリウスに近づいていくが、シリウスは青ざめた表情で後ずさりをする。


「き、気持ち悪い笑みを浮かべるな! 鳥肌が立ったぞ!」


「そ、それはさすがに傷ついちゃうよ俺……!」


そう言って目と口を大きく見開き、腰を引いて、ショックを受けたフリをする。そして「子供の頃はあんなに高い高いとか肩車とかしてってせがんできたのに……」とわざとらしく人差し指をトントンとぶつけながら、唇を尖らせて拗ねた顔をした。————が。


「……気持ち悪い」


「二度目!!」


二人を知らない者たちが見れば、彼らはまるで兄弟か友人のように見えただろう。現に二人は主人と従者と言う関係でありながら、アークトゥルスはシリウスに対して敬語を使わなかったり、今日のように休みの日はシリウスの遊び相手をしてやることも多い。そしてシリウスもアークトゥルスといる時は王子というよりも年相応の少年の顔をすることが多かった。


たまにアークトゥルスは上司である騎士団長に怒られることもあったが、シリウスが彼の態度を咎めることはなかった。アークトゥルスはこの国で唯一、シリウスと対等に話をしてくれる存在だったからだ。


シリウスはアークトゥルスのツッコミを無視して、温かな日差しが窓から入り込む窓際に置いた、魔法のしゃぼんの中に大切に保管している氷の花冠を眺める。このしゃぼんは、落ちてもたたいても割れないよう、魔力の強いアークトゥルスが魔法で施したものだ。


「ああ、早く会いたい」


「週に一度会ってるじゃないか」


「会っても会い足りないんだ」


子供ながら恥ずかしい台詞を平気で言うあたりは、さすが王子だなとアークトゥルスは感心した。ここで揶揄えば今度こそ拗ねかねないと思い、彼は真面目に返事をすることにする。


「お前の気持ちはよくわかった。で、ライア姫が笑わないのが、お前の一番の悩みだったな」


「そうなんだ。あの夜見た少女の笑みをみたいのに、彼女は令嬢の小さな微笑みしか浮かべない。もちろんそれも美しいが、僕が見たいのは仮面のような笑顔ではない。彼女自身の笑顔が見たいんだ」


眉を下げるシリウスは本当に落ち込んでいる様子だ。


「女性にはまず第一に、気遣いと優しさが大事だ。綿で包み込むような優しさと、花を見つめるような眼差し、そしてすべてを受け入れる男の抱擁力というのが必要になってくる。だが、ライア姫はそんなもの生まれたころから周囲にされていた。そんな日常的なことをお前がやったって、ライア姫の心が動くはずがない。だから、まずはお前がお前をさらけ出すんだ」


「僕をさらけ出す?」


「お前は俺以外の前にいる時は王子然としているだろう。それはライア姫も同じだ。ライア姫があの時のように笑えないのは、お前の地位が邪魔をしている。お前に失礼があれば、自分の国は何をされるか分からないという恐怖が心の底にあるんだ」


「彼女が僕に何かしても、そんなことするはずない」


「お前はそう思っていても、それは相手には分からない。お前はちゃんと自分の気持ちを口にして直接ライア姫に伝えたのか? 伝えてないなら余計に怖がって本当の自分を見せる事なんてしてこないと思うぞ」


シリウスも自分の国が周辺の国々に恐れられていることは分かっていた。だが、多くの女性たちは、その地位を欲し近づいてくる。自分の地位は相手にとって、喜ばれるものでもあるとも思っていたが、ライアは違った。ライアにとってはただの恐怖でしかなかったのだ。


「……」


「気持ちだけは、魔法で相手に伝えられない。心を読むことも。だから俺たちには言葉と文字があるんだ。相手に気持ちを伝えるために」


「……」


「まずはお前がライア姫の前で、お前らしくいるようにするんだ。いいな、シリウス。そしてお前が本当にライア姫のことを好きだと言うことが相手に伝われば、彼女もきっとお前の隣にいることが恐怖ではなく、安らぎに変わっていくと思うぞ」


アークトゥルスの言葉にシリウスは頷いた。


だが、自分をさらけ出すのはシリウスも怖かった。自分はスニファ王国の第一王子であり、国王だけでなく、国民も自分に王子らしくいることを望んでいる。こんな友達のように話せるのはアークトゥルスしかいない。本当の自分を出せば、嫌われてしまうんじゃないかという不安が、彼の心に残った。



次の週になり、またライア姫がスニファ王国にやってきた。


いつものようにシリウスが紅茶を淹れて、彼女に差し出す。シリウスはまだ、王子然とした態度を辞めることができないでいた。


ライアがティーカップを手に持ち口に運ぶ。しかし———。


静かな部屋に、ズッ、という音が響いた。


三女でありまだ幼い彼女は、王族としての作法を全てを完ぺきにこなせるわけではなく、また第一皇妃としての教育が始まったばかりだったため、紅茶と飲むときに音を立ててしまったのだ。


「も、申し訳ございません、殿下……!」


ライアの表情がどんどん青ざめていく。音を立てて飲んではいけないことはライアも分かっていた。しかし緊張のあまり、意識をしすぎて逆に音を立ててしまったのだ。王子の前での無礼に加え、己の失態を晒してしまったことの羞恥さから、彼女の頭は真っ白になっていた。


 慌ててライアの侍女がやってきて、共に頭を下げて謝罪の言葉を口にする。


「誠に申し訳ございませんでした、シリウス殿下。ライアは厳しく躾ておきます故、どうかお許しを……!」


シリウスはその行動の方が悲しくなった。自分の身分のせいで、ライアに気を使わせてしまっている。これではいつまで経っても彼女の本当の姿を見ることができない。


「申し訳ないが、侍女とメイドたちは部屋を出て、ライア姫と二人きりにさせてくれませんか?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る