花の王子と雪の姫

花の王子と雪の姫(1)

十 四年前。スニファ王国王城。


「父上」


玉座に鎮座する国王の前に膝をついたのは、この国の第一王子であるシリウスだ。頭を垂れた彼は、この時齢十一歳だった。国王の言葉を待たずして顔を上げた彼の、少し癖がある柔らかい亜麻色の髪が風に揺れる。その前髪から覗く麗麗たる碧色の瞳には、すでに聡明さと威厳が宿っていた。


「お願いがございます」



「号外だよ、号外! シリウス王子が婚約を発表された!」


「なんだって⁉ お相手は誰だい⁉」


「ベリエア王国の第三王女ライア様だ‼」


「こりゃあめでたい! 宴だ~~~‼」


「ベガ様のお誕生から一年。こうもめでたいことが続くなんて、きっとこの国は神に愛されているのだ!」


街中の魔法使いたちがその吉報に歌い、魔法で花火や花をいたるところにまき散らし、箒や絨毯で空をぐるぐると周り、店で酒を飲んで喜びを分かち合った。


青空には誰かの魔法によって作られた、七色の花びらの大きな虹が、王都の端と端を繋ぐようにしてかけられていた。その周りを皆が楽し気に飛んだり、花の橋の上で手を取りあって舞曲ルツを踊ったりしている。


街全体を極彩色の花々が包み込む。その光景はまさに、花の王国と呼ばれるに相応しい姿だった。


「シリウス王子、おめでとうー!!」

「おめでとうございます!!」


王城に向かってたくさんの祝福の言葉が投げられた。



シリウスはこの歳になるまで婚約者がいなかった。それはこの世界では珍しいことで、大体の王族や貴族は生まれた時から許嫁がいたり、そうでなくとも十歳を迎えるまでには婚約者を強制的に作らされる。シリウスにも無論、縁談はいくつもあったが、国王のレグルスはシリウスの意思を尊重するために、彼に判断を委ねていたのだ。


そんなシリウスが、自ら婚姻をしたいと望んだのは、雪国であるベリレア王国の第三王女ライアだった。


ベリレア王国は小さな国であり一年中霏々として雪が散乱する厳しい環境ということもあり、各国との交流をとても大切にしていた。戦争でも始まれば、過酷な環境に加え、雪国に住む精霊が少ないことから、強い魔力を持つ魔法使いがいないこの国は一瞬にして敗者となるからだ。


そんなベリレア王国が開いた社交界に呼ばれた際に、シリウスは彼女と出会った。


この日は珍しく、雪が降っていなかった。


シャンデリアの灯りや装飾が輝き、宝石をまき散らした瀟洒なドレスを纏う婦人で溢れる会場で一通りの挨拶を済ませた後、少し外の空気を吸おうとシリウスは一人で庭園を訪れる。


(先ほど挨拶したものは皆、僕の結婚相手を進めてきたが……はっきり言ってうんざりだ。みんなが見ているのは僕じゃない。僕の名前と権力と、未来の地位だ)


スニファ王国は、小さな国々が30か国ほど集まる名もなき一帯の中で、かなり大きな力を持っている国だった。誰もがスニファ王国に憧れ、怯え、媚びてくる。武力行使や侵略を行えば、スニファ王国はあっと言う間に多くの国々を支配できるだろう。しかしそうしないのは、国王が争いや権力に興味がなかったからだ。


しかし令嬢や姫たちは、次期国王であるシリウスの横を狙いに来る。強大な力をどの国も欲していたのだ。自分に近づいてくる姫君たちは皆、自分ではなく、国の力が欲しいのだとシリウスも理解していた。


小さくため息をつき、一歩庭園へと踏み出す。


雪原が月光を弾いて、きらきらと輝く。氷でできた透き通る女神の彫像や花々、精緻な薔薇のアーチたちは、芸術品のようで、とても神秘的な光景だった。


(これが、ベリレア王国の夏……)


吐いた息が白く染まる。シリウスの住むスニファ王国でも雪は降るが、一年中雪に覆われることはない、どちらかと言えば緑豊かな場所のため、色彩のない景色をシリウスは見たことがなかった。


すぐ戻ろうと思っていたにも関わらず、美麗な光景に目が釘付けになってしまい、その場から動けなくなってしまう。


すると、どこからか歌声が聞こえてきた。澄んだその声は耳に心地よく、ずっと聞いていたくなるものだ。


どこから聞こえてきたのかと辺りを見渡すと、氷の花畑の中に、景色に溶け込むようにして一人の少女が座っていた。


真白の世界に佇む彼女の姿に、シリウスは息を呑む。


美しい純白のレースが何層にも重なったシンプルなドレスを纏い、ゆるくウェーブのかかった雪白せきはくの髪色をした少女は、あどけない笑顔を浮かべて、透き通る氷の花を摘みながら花冠を作っていた。


白銀の世界でただ、菜の花色の瞳だけが彼女を彩っている。


その姿は一瞬でシリウスを魅了した。


「……誰?」


シリウスの存在に気が付いた少女は、はたと歌うのをやめた。


時間が止まったみたいに、二人の視線が交わる。


「……」


「……」


「どなたですか?」


「あ、」


「もしかして迷子……?」


立ちあがった彼女はゆっくりとシリウスに近づく。カツカツと、ヒールの音が静かな庭園に響いた。


「初めまして、私はベリレア王国第三王女のライアと申します」


ドレスの裾を広げて挨拶するライアは、棒立ちしたままのシリウスを見上げた。


シリウスはその可憐な眼差しから、目が離せなかった。


「どうされましたか?」


その声でやっと我に返る。しかしいつもの調子を崩してしまったシリウスは、咄嗟に言葉が出てこなかった。


そんなライア姫は、シリウスのことをスニファ王国の王子とは知らず、迷い込んだ貴族の子だと思い込んだのか、安心させるかのように優しく微笑み、手に持っていた花冠を、背伸びをしてシリウスの頭に乗せた。


「ふふ、とても似合っているわ」


「っ」


「差し上げます。貴族といえど、屋敷をうろついてはお父様に怒られてしまうわ。今日の夜のことは、私たちだけの秘密ね」


九歳の少女は、いたずらに微笑む。


シリウスは驚くと同時に、心が軽くなるような気がした。自分を王子と思わないで接してくれる者がいる。それはこんなにも嬉しいことなのかと感じていた。


「あの」


シリウスは会場へと案内しようと背を向けたライアのか細い手を掴む。その手はひどく冷たかった。


「もう少しだけここにいては駄目だろうか? 君と」


心の奥底から湧き上がる感情を、シリウスは知らなかった。今すぐその瞳に自分だけを映してほしくて、透き通るように美しい声に自分の名を呼んでほしくて、彼女を作る全てを、自分のものにしてしまいたい、誰にも渡したくない、そんな身を焼く気持ちがシリウスの中で駆け巡る。


初めての恋は、一目惚れだった。


「ええ、喜んで」


無邪気な子供の笑みを浮かべたライアは、シリウスの手を握り返すと氷の花畑へと誘導した。いたいけない二人の少年少女は、月の下で友達のように話をし遊んだ。


やがて、そんな無邪気な時間にも終わりが来る。


「シリウス様!」


「ら、ライア……!?」


シリウスの護衛である騎士のアークトゥルスが慌てた様子でシリウスに駆け寄る。シリウスが会場を抜け出してから10分以上経っても見つからないため、密かに捜索が始まっていたのだ。ベリレア王国とスニファ王国の国王たちも一緒だった。


「シリウス王子、うちの娘が大変な失礼をいたしました……!」


ベリレア王国の国王は足を空にしてライアの元へ駆け寄ると、彼女の返事を待つ前に頭を無理やり下げさせる。


『シリウス王子』という名前を聞いて、ライアは青ざめた。自分が話していた相手が、まさかスニファ王国の王子だとは思わなかったのだ。ましてや貴族と間違えるだなんて、処罰を食らってもおかしくない失態だ。


「も、申し訳ありません……!」


先ほどまでの無邪気さは消え、一国の姫として謝罪の言葉を口にする。国王とライアは全身に冷汗をかき膝頭ががくがくと震えていた。


「いや、私も名を名乗らなかった。申し訳ない。顔を上げてくれ」


おずおずとライアが顔をあげる。その瞳に映ったのは、花のように優しい微笑みを浮かべるシリウスだった。彼の頭上では、ライアがあげた氷の花冠がきらきらと輝いている。


「私の名は、シリウス・スニファ。スニファ王国の第一王子だ」


王子然と胸に手を当て、挨拶をするシリウス。


「……は、はい。存じ上げております。先ほどは失礼な態度をしてしまい、誠に申し訳ございません」


「気にしていない」


それに……とシリウスは花冠に手を当てて言葉を続ける。


「素敵なプレゼントを、ありがとう」


その笑みに、ライアは微かに頬を染めた。


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