第316話 軍備の前段階

びりっとした空気が流れるのがわかります。


これは子履が自分の意志で決めたことだと、あたしは信じています。

葛へ侵攻するとき、子履は、この世界であたしと初めて前世の話をしていたときに掲げていた目標――夏帝が崩じるまで絶対に戦争をせずやり過ごす、絶対に戦争を起こさない――が果たせなくなったと言っていました。それに対して、あたしたちは新しい目標を作ってみてはどうかと返しました。

その疑問に答えるように、子履は続けました。


「私の中では、戦争は絶対悪です。暴力は問題を解決するためのすべての選択肢の中で最も残酷で、そして最も簡単なものです。粘り強く話し合うことで解決を図るべきですが、それでも、みずからの身の危機から目をそらしたり、甘んじて受け入れるのはもうやめます。そのようなことをすると、私の理想が実現できなくなります。血を流すことなく、誰もが富め、生をよろこうたえる世界を作るため、私は戦います」

を滅ぼして陛下が新しく帝になることで、その理想を実現するのですね」


簡尤かんゆうがうなずきますが、子履は即座に否定します。


「私は夏の滅亡までは求めません。いまの夏帝をち、新しい夏帝をたて商はその臣下に列します。あくまで悪政を続ける夏帝個人に対する戦争です。今ここで(※黄河こうが)をべる國を変えると、商もいずれ同じように滅ぼされることになるでしょうし、そのあとの歴史も混沌とするでしょうから、あくまで商は夏の臣下に留まることが長期的に見れば大きな利益をもたらしてくれると信じています。暴力を使うのは不本意ですが、なんとしても夏に言うことを聞かせるにはこれしかありません」


簡尤も徐範じょはんも困った顔でお互いを見ます。任仲虺はテーブルに肘をついて明らかに落ち込んでいるようにため息をつきます。‥‥うん、ここ数ヶ月の話の流れから、3人が求めている答えはこれじゃないってのはすぐに理解できました。


「‥‥さんはどう思われますか?」


任仲虺があたしに話を振ってきます。え、今?ああ‥‥あたしが平然そうにしていたからですね。


「履様らしくていいと思います」

「そ‥‥そうですか。とにかく、夏と戦争をするところまではわたくしたちの考えと一致していますし、それは徹底的に協力します。そのあとのことはまた話し合いましょう」


なにやら意味ありげな言葉です。‥‥あたしも、子履の考えが最適解でないことは分かっています。でも任仲虺たちはきっと、夏帝に勝ったあとのことをむやみに相談して子履の気が変わることを気にしているかもしれません。葛と戦争するまでをひどく渋っていた経緯を考えると、下手に出るとまたすぐ方針を変えてしまいそうな気がします。

あたしも内心では子履の考えがどこかずれていると思ってますが、おそらく任仲虺と同じ理由で、勇気がないです。戦争をするところまでは最適解、そのあとは‥‥何も言えないです。


ま、まあ、少なくとも戦争が始まるまではこの件はうやむやにしましょう。あたしはそう、任仲虺と目で会話します。


「‥‥今の商には、まだ夏と戦う力はありません。ですので、そのために皆さんの力を借りたいです」

「当然です。わたくしと陛下にとって夏帝は共通の敵です」


任仲虺はすかさず返事しました。簡尤も「これ以外に選択肢はないと思ってました」と言いましたし、徐範も頷きます。

ひととおり合意がとれたところで、あたしは手を挙げてみます。


「履様の魔法で葛と商の気温を操作してきたばかりですし、軍備や兵站の検討は次の収穫まで気長に待ちましょう。次に人材ですが、現在の商には内政に長けた人は多くても、優れた武官はそんなに多くはありません。岐倜きてきは葛の攻略戦のときに出征しましたが実際の戦闘はほぼないに等しく、真人の推薦があったとはいえ実力は未知数です。せつから来た武官も同様です。対して夏は普段から戎狄じゅうてきと戦っているだけあって、戦闘経験の豊富な者が多くいます。実力差は明らかです」


戦争に乗り気で情報を集めていたわけではなく、事務仕事をしているうちに自然に周りから集まった情報を並べてみます。と、子履が割り込んできます。


林衍りんえんにも、賊と戦った経験はあると思いますが‥‥?」

「賊の手勢はそんなに多くありません。それを遥かに上回った数の兵士で討伐しているのですから、その経験がそのまま戦争で活かせるかというと疑問です」

「なるほど‥」

「それで、今の商が考えなければいけないのは、実績のある武官を集めることです」


子履は頭を抱え込みますが‥任仲虺がすぐに付け加えます。


「人材集めは一朝一夕にはいきません。一年、二年くらいは気長に待ちましょう。大切なのは、夏には逆らわないという姿勢を夏に示すことと、いざという時には血を流す戦いも辞さないという考えを諸侯に示すことです。これを同時にやらなければいけません」


◆ ◆ ◆


翌日、あたしはふと兵舎に立ち寄ってみます。役人に無理を言って物陰から訓練の様子を覗きます。林衍、岐倜と一緒に劉歌りゅうかが懸命に兵士たちを鍛えている様子でした。あたしのような素人から見れば兵士は十分に鍛えられているように見えるのですが、夏と戦うのにきっと今のままでは力不足でしょうね。

あ、物陰から覗いてるのは変なことをやりたいからではないですよ。ただ、身長は同じくらいで年齢はあたしより上らしい劉歌が、あたしに会うたびに最敬礼をするのがどうにも慣れなかったのです。友達にできないかなと思っていたのにな。


そうやって兵舎をあとにして‥あたしは兵士の訓練の様子を思い出します。兵士たちの顔には気合が入っていましたし、武器を激しく動かしていました。生き生きとしていましたね、まるで実戦みたいに‥‥。

実戦で思い出します。葛の國で子履と一緒に見た、あの夢。帝国軍と呼ばれる兵士たちが、見覚えのない村を破壊し尽くす夢。あれは一体何なのか及隶きゅうたいに聞こうとしましたがすっかり忘れてました。


「どうした?」


骸骨もないきれいな道を歩いているあたしの横に、ぬっと広萌こうぼう真人があらわれます。うわっ!?あたしは思わず距離を取りますが、広萌真人は落ち着いたように寄ってきません。


「ど、どうしてここにおられるのですか?」

「古い知り合いに会ってきたところだ」

「古い知り合い‥‥ですか?」

「うむ。500年以上前に知り合った、わしの一番大切な人だ」


500年以上前‥‥時期としては黄帝こうていがあらわれたあたりでしょうか。さすがに今は生きてないでしょうし、墓参りに行ったんですよね。一瞬びっくりしましたが、ただの墓参りに決まってますよね。なんだ。


「真人は500年以上生きておられるのですか?」

「まあ、そのようなものだ。お前こそ、なにか悩んでいそうな顔をしていた」

「そう見えますか?」


あたしは平然を装いますが‥そうですね、500年以上前のことを知っている広萌真人なら何か知ってるかもしれません。


「実は葛で変な夢を見ました‥‥」

「ほう」


あたしは広萌真人に、あの夢のことを一通り話します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 月・金 21:00 予定は変更される可能性があります

百合夏商革命~召使いですがほんの冗談のせいでお姫様と結婚することになりました。えっあたし女だけど? KMY @kmycode

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ