第315話 重い決断

そんな嬀穣きじょうと少女たちの様子を茂みに隠れて眺めていた及隶きゅうたいは舌打ちします。


「‥読まれたか」


索冥さくめいも「なんということだ」と歯ぎしりします。


「今からでも取り戻すか?」

「‥‥いや。嬀穣の後ろには広萌真人がいる。下手に手を出すのは得策ではない。どうしたものか‥‥」


◆ ◆ ◆


さて、あたしは今、料理人たちに盛り付けの指導をしています。

8人の少女のうち5人を厨房で雇うというところで話がまとまりかけていましたが、そのあとで8人全員を同じ職につけるという話になりましたから、厨房の増員は無しになってしまいました。寂しいです。でもって今は、食材をおいしそうに上品に盛り付けるための考え方を、料理人たちに延々と教え込んでいます。


この世界の料理人たちは、ただ料理を皿に乗せればいい、味さえよければいいって考えの人が多く、かざつな盛り付けになることも珍しくありませんでした。でもそのような盛り付けは、あたしの得意なフレンチのコース料理には合いません。今日、あたしは準備側ではなく食べる方ですので、料理人たちにはこの盛り付けをしっかり覚えてもらいます。まあ、この世界でコース料理なんて経験してる人はほとんどいないでしょうから多少失敗したところで失敗に気づく人すらいないと思いますが、それはそれ、品質を求めるのはプロの仕事なので厳しくやらせてもらいます。


「料理長、陛下たちがいらっしゃいました」

「はーい。それではみなさん、さっき教えた通り肉汁で皿が汚れないようにしてくださいね。それでは」


フレンチのコース料理の作り方なんてこの商の國で知ってるのはあたしくらいですから、これまではお客に出すときにあたしが調理する側に回らなければいけなかったせいでお客と会話する暇がありませんでした。普通の料理ならいっぺんに全部出すこともできますが、コース料理は順番に出てきますからどうしても裏側の指導で忙しくなります。前回そう任仲虺に指摘されてから、頑張りました。料理人たちには盛り付け方と、コース料理の中で比較的簡単な料理もついでに一から作れるようにしてもらいます。ソースの作り方、ソースにいれるものの比率なども教えます。材料の分量の量り方は‥‥うーん、慣れが必要ですね。


おっと、子履たちを待たせてはいけません。あたしは厨房から出て着換えて向かいます。

食堂の中央にある大きく白い長方形のテーブルは、すでに子履、任仲虺、そして徐範じょはん簡尤かんゆうによって囲まれていました。


「遅れました、失礼しました」

「いえいえ、おかまいなく。コース料理の話は聞いておりましたが、どのようなものか楽しみにしてます」


簡尤もこう優しく言ってくれました。早速始めましょうか。あたしがそこにいる使用人にサインを出して少しすると、次々と料理が運ばれてきます。

任仲虺はすでに経験がありますが、徐範と簡尤はコース料理は初めてです。


「これは‥初めて食べます。肉がよくちぎれますし、ソースとの相性もいい」

「ソテーという料理です」

「そてー?聞き慣れませんな」

「はい、ええと‥‥創作料理?と言うにはおこがましいんですけど」


前世の料理をここに持ち込むと、こういうときに困ります。うーん、この料理を思いつくまでのいきさつもきちんと創作しておく必要がありますね。今後の課題です。


「これは久しぶりに食べる味です」

「履様も気に入っていただけたようで嬉しいです」

「相変わらず盛り付け方が独特ですね、趣を感じます」

「仲虺さま、ありがとうございます」


この世界の人にとっては初めて食べる料理ですから、自然と会話も弾みます。


「‥‥夷狄いてき(※異民族)の料理にしては上品すぎますね、おっと、失礼、申し訳ありません」


徐範が夷狄という言葉を持ち出してきてしまうくらいには、この九州は他の文明との交流がほとんどありません。というか、九州を取り囲む異民族意外との交流が全くありません。その異民族も放浪生活が主で、食事などの文明が発達していないらしいのです。必然的に、判明している文明の中であたしたちのいるこの九州が一番発展しているという結論になってしまい、それは自分以外の文明を見下すことにもつながります。そういう固定観念をどうこうするというのは、あたしたちにとってはあまりにスケールの大きい話ではありますが。


この九州以外の文明が異民族くらいしか思いつかないのも仕方ないと思います。日本‥‥も、今はまだ縄文時代でしたね。改めて、あたしの今住んでいるここでは立派な建物が並んで文字も勉学も支配体制もきちんとできあがっているのに、他のところではいまだ狩猟生活が中心というのがなかなか実感がわかないところです。あたしはよくわかりませんが、今は九州と触れ合っている異民族のほうが、倭よりもよっぽと発達しているのかもしれません。ほんと、どうして前世の日本は中国よりも早く近代化してしまったんでしょうね。


さて、みんな料理を食べ終えました。おっと、徐範と簡尤がなにか話しています。


「たいへん美味しいです。士大夫同士の付き合いでもこの上品な盛り付けは好まれるでしょうが、食べ残さないのが前提というのがまだ理解が追いつきませんな」

「そうですね、少量のデザートが乗った皿をこれが最後ですと言われて出されると、早く帰ってくださいと言われた気持ちですね。デザートの後に、食べ足りない人向けに普通の大皿を出したほうがいいですね。見栄えは悪いかもしれませんが‥」


はい、耳が痛いです。でも異文化の需要に必要な過程の一つかもしれませんね。日本も今までそうやって中国の料理を好みにアレンジしてきましたし。

簡尤がまた尋ねてきました。


「伊様はこの料理を普及させたいと考えていますか?」

「はい、食べたい人がいればやぶさかではありません」

「ではわたしたちの目線でアレンジを考えてよろしいですか」

「はい、もちろんです」

「家で色々試したいのですが、コース料理を作れる料理人を貸し出してもらえますか?」

「えっと‥今はあたしくらいしか作れる人がいなくて、他の人は料理の保温や盛り付けがメインです。あたしが直接行きましょうか?」

「いやいや、それには及びません。料理人が育ったらぜひ」

「はい、頑張って育てますね」


そんな会話をします。


さて、こうして徐範と簡尤を呼び出したのは、実はコース料理を食べさせるためではありません。食事を下げ、ついでに使用人たちも下げたところで、子履が改めて背筋を伸ばします。


「‥さて、本題に入りましょうか」


子履がこれから話すことを、あたしたちはなんとなく想像ついていました。そうでなければ子履がこうしてわざわざみんなを集めることはないですよね。

簡尤たちもそれは分かっているようで、何も言葉を発さず子履をじっと見ています。


「集まっていただき、ありがとうございます。この商の國の行く先を相談したいのです」


そこまで言ってから、子履はつばを飲み込みました。


「私は葛の國を見て、思うところがあります。葛の道では餓えた人の死体が横たわり、食料や美女はことごとく狩られ、畑は荒れ、民は家にこもり残り少ない命を数えていました。しかし私は、の惨状は葛と比べ物にならないことを知っています。贅沢な生活の裏で民は苦しんでいます。私は夏の民を憂い、夏の家臣と裏で繋がりを作ろうとしましたが、いまそれはもろくも崩れ去りました。私は商伯ですが、同じ人間としてそれらを見殺しにすることはできません。皆が私を求めるなら、私は立ちます。皆が戦争をしないよりもしたほうがかえって犠牲が減ると考えるなら、私は戦います。皆が私に力をくれるなら、私は振るいます。この九州が、あの子供もあの女性たちも、死を待つことなく生を楽しめるような地であることを、私は望みます」


これまで頑なに戦争を認めたくなかった子履にとって、間違いなく重い決断でしょう。でも葛を見て、家臣の言うことを聞いて、実際に戦いを起こして、子履は吹っ切れたかもしれません。

あたしは子履がどんな選択をしようと、死ぬまで従います。それが子履の信念であると信じています。


「商は、夏帝をちます」

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