第115話 子会と風呂に入りました

斟鄩しんしん学園の寮に備え付けの風呂などはありません。そもそもこの世界に入浴という習慣はありません。斟鄩学園にいるあいだ、あたし、及隶きゅうたいそして子履しりは人目を盗んでほぼ毎日体を洗ってきていました。そのような努力をしなければいけないのも、学園にいる時だけです。

わーい。風呂です。風呂。えへへ。しょうのあたしたちの生活している屋敷には、このように風呂が備え付けられており、室内で前世と似た感覚で入ることができます。石鹸やシャンプーはないので代替品として米やあわの研ぎ汁を使うことになりますけど。


あたしと及隶は商の屋敷に戻ってから毎日この浴室に厄介になってますが、今日だけはどうにも様子が違います。


あたしが服を脱いでいると、ふと更衣室のドアがわずかに開いていることに気づきます。きちんと閉められてなかったのかな。あたしは前面を服で隠しつつドアを閉めに行きます。すると‥‥隙間から人の目がこちらを覗いていました。


子会しかい様?」

「‥‥風呂に入る方法、教えてもらえますか?」


と、子会が更衣室に入ってきます。片手に例によって目玉の飛び出て口が縫われている気味悪いぬいぐるみ、もう片手に五寸くらいの釘のようなものを持っています。いやいや風呂に入るときに持っていくものじゃないですから。

でも‥‥そうですね。この風呂を使っているのは、あたしたちの他には子履と子主癸ししゅきくらいしかいません。子亘しせんは入ったことがあるはずですが、子会が入ったという話は聞いたことがありません。でもほら、商の街にも銭湯ができているくらいですから、子会も王族として風呂を知っておいたほうがいいかもしれません。


「はい、いいですよ、どうぞ」

「ありがとうございます。後でこのデビット君をプレゼントしますね」

「結構です。あと、それは風呂に持ち込まないでください」

「それがルールなのですか?」

「濡れたり錆びたりしますから」


子会は「わかりました」と言ってうなずきます。素直でかわいいです。


「ところでお姉様はなぜ裸なのですか?」

「風呂は裸になって入るものだからです。それと『お姉様』とは?」


この世界でそんな呼び方聞いたことないぞ。せいせい姉上か‥‥あたし、子会と年齢一緒なんですけど。もちろん誕生日は違うかもしれませんが、この世界で誕生日を意識する機会はほぼ皆無なはずですし、自分のそれを知らない人がほとんどなはずです。


「私とこのドールを引き離そうとする人を『お姉様』と呼んで、次のドールの名前にして手厚く世話します」

「うん、やめてくださいね、怖いから」


なんだかんだで子会はぬいぐるみと釘を持って入浴することになりました。いや怖いよ。こんな脅し方初めて聞いたよ。

子会の服を脱がして、一緒に風呂に入れます。


「お姉様、なぜ体を清めるのにそのようなぬめぬめした汁をかけるのですか?余計汚くならないですか?」

「うん、これを使ったほうが効率的に汚れを落とせるからです。あと『お姉様』って呼ぶのやめてくださいね。怖いから」


あたしはタオルで子会の体をこすります。いきなり強くこするとびっくりしますから、今回はやさしくこするだけで済ませます。前世ほど効率良くはいきませんが、子会の腕がすべすべになったように見えます。


たいも、隶も!」

「はいはい」


あたしは及隶の体も同じようにこすります。及隶は「ん、ん、ぷはー」と気持ちよさそうにしています。かわいいです。あたしの自慢の後輩です。


「お姉様、その平民も風呂に入れるのですか?」

「はい。様から許可ももらっています」

「それなら、母上にお願いして官職をもらったほうが早くありませんか?将来中常侍ちゅうじょうじ(※王の身の回りを世話する官職)になるのであれば、今のうちからそれなりの身分がありませんと。姉上にも私から話しましょうか」

「いいえ結構です」


あたしが貴族として扱われるだけでも非常事態なのに、及隶まで貴族にされたらたまりませんよ。いやほんと。面倒でも今の身分のままが、婚約解消されたあともやりやすいんです。

ちなみに子会はぬいぐるみと釘を握っているので、手を洗うときは片手ずつでした。


湯船に入ります。子履はともかく子主癸は体が大きいのでそのぶん少しだけ広げられたらしく、及隶を膝の上に置いてしゃがむあたしのほかに、あたしの向かいに尻を地面につけて座る子会が入っても、ぎゅうぎゅう詰めにならない程度には大きくなっていました。


「なるほど、湯の中に入るだけで不思議と気持ちが落ち着きます。これが銭湯ができる理由ですね」

「気に入っていただけましたか」

「はい、お姉様。姉上も毎日このように入浴を楽しまれていたのですね」


子会にとって初めての入浴ですが気に入ってもらえてよかったです。子会の体臭が減ると屋敷の中が少しだけ平和になるのでいいです。特に食事の時間とか。

問題は貴族だけでなく使用人たちにどうやって入浴してもらうかなんですよね。子主癸がお隠れになって(※生存中の王が将来崩御することをさす婉曲的な表現)子履が即位したら、使用人用の風呂も作ってもらいましょうか。それで屋敷の中はかなり過ごしやすくなるはずです。いや、風呂を作っても毎日入ってもらわないと意味がないので習慣づけるべきですね。

などと及隶の頭を撫でながら考えていると、子会がおもむろにぬいぐるみと釘を取り出します。


「デビット君も気持ちいいでちゅか?」


あ、また始まる。


「えっと子会様、ここじゃなくて自分の部屋でできないでしょうか?」

「デビット君が気持ちいいと言っているので、マッサージするなら今しかないです」


と子会は言って、「ふん!」とぬいぐるみを釘で壁に打ち付けます。いやまって、今「ふん」って言いましたか?マッサージでこんなに力入れなくてもいいですよね?そうですよね?

と思ったら子会は今度は釘を激しく抜き差しして、ぬいぐるみに次々と穴を開けます。もちろんぬいぐるみもびしょびしょなので綿は飛び散りません。そのかわりに、穴がより鮮明に、凄惨に輝きます。


「デビットきゅん、きもちいいでちゅね?ママがもっときもちよくちてあげまちゅ!おらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおら!!!!!!はぁんデビットきゅん?きもちいいでちゅ?」


次々と皮が剥がれていって、飛び散って、綿だけになりますが、それでも子会は容赦なく釘を激しく差したり抜いたりします。あたしは必死で及隶の目を隠します。一方の及隶は何が起きているのか理解できないらしく、呆然と石のように固まっていました。


「あ、赤い聖水を忘れました」

「続きは部屋でやりましょう、ね?」


あたしがそうやって子会をなだめますが‥‥子会は「そうだ」と釘を自分の腕に向けます。


「私の血を代わりに‥‥」

「いやそれ普通に怖いし危ないから!」


子会の腕をつかんで無理やり引き離します。が、子会の力も強いです。あたしは料理人として力仕事たくさんしてきたので分かるんですが、子会は貴族なのになんでそんなに強いんですか。


「放してください、お姉様!」

「ダメです、絶対ダメですから!」


あたしは子会を傷つけないよう、必死で腕から釘を引き剥がしていました。



★今後の更新について重要なお知らせを近況ノートに書きました。

https://kakuyomu.jp/users/kmycode/news/16817330648401983264

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