Strawberry Bloody

「もう一度、私を殺してくれない?」


 止まった世界の中心に、僕と栗栖は存在していた。

 幼いままに蘇った少女の姿が眼前にある。僕は金縛りにでもあったかのように怯えて少女を見つめていた。


「来るな……来ないでくれ」


 後ずさろうとするのに、身体が動かない。しかし世界の静止とは違う。身体は小刻みに震えているのに、冷汗が首筋を舐めるのに。

 逃げることができずにいた。いや、逃げ方が分からなくなった。

 進みたいのは後ろなのに、本能は


「どうして?」


 首を傾げる栗栖。


「僕はもう、こ、殺したくない」


 12月24日が何度も重なる。

 忘れようとすればするほど、瞼から離れない。


「今更? もう何度も殺してるのに?」


 くるりと回りながら、あしらわれたリボンを示した。

 黒いワンピースのスカートがふわりと浮かび、細い足が曝け出される。


「な、に言って……」


 僕が殺したのはあの日の一度だけだ。


「あれ?」


 きょとんとしていた栗栖だったが、気づいたらしい。


「そっか、憶えていないのね?」


 ——運命の流転に。


「好きなんだ、私を殺してる時の貴方が」


 踵を浮かせて背筋を伸ばした少女は、僕の頬に指を乗せる。


「貴方は私を一心に見つめてね、こうめっためたに刺すの。それで、私は空を見上げて思うんだ。好く死ねたって」

「やめてくれ」


 いつの間にか僕の手には、あの日と同じナイフが握られていた。

 苦しい。

 理由は分からない。でもオカシイ。

 僕は——どうして人を殺して、あんなにホッとできたんだ。

 悍ましい。快感さえ覚えてしまった自分が怖い。


「でも貴方はあんまり憶えていないんだよね。寂しいな。最初のことは忘れてないみたいだけど」


 フフフ。

 少女は笑う。


「こんなの……!」


 一抹の理性が僕のナイフを首元に向ける。

 しかし望みは叶わなかった。

 素早く振り払ったのは栗栖。風すらも動かないのに。


「駄目だよ。まだまだ殺してもらわなきゃ」


 文脈に不釣り合いな、優しい微笑み。

 それでもこと切れようと、首筋にナイフを近づける。その度に栗栖の白い腕が邪魔をして、取っ組み合いになった。


 スパッ——。


 クリーム色の髪に長い切れ込みが入ったのも束の間、その下が力を失い地へと舞う。空を流れるシルクロード。まっすぐ落ちるはずの髪は僕の頬を掠めて、


「なんだ……これ」


 ——身体に巻き付いた。

 手に足に、さらには胸に。まるで地縛霊のように執念深く。

 だが真に恐ろしいのはその様相だった。


 先ほどまで柔和な色だったそれは、少しずつ血に染まっていく。

 ピチョリ。

 粘り気を帯びた薄い膜がコンクリートに手を伸ばす。

 透き通ったマゼンタから母なる赤へと、そして徐に淀んでいく。

 動脈を思わせる筋は編み物のごとく互いに絡み合い、僕の腕を縫い付ける。


「そんなに嫌?」


 栗栖は踵を返し、背を向ける。そして振り向き、悲しそうに問いかけた。

 少女の感情に、赤は呼応した。


「もし悪意がなかったら、貴方は私を見失うでしょ?」


 髪の先もまた赤い。


「血汐と言う名の糸が無く、同じ甘みを知らないで、どうして私たちは繋がれるの?」






 ——






 気づけばまた僕は殺していた。

 少女の口角は不自然にも上がっている。

 壊れた人形のようで気味が悪く、思わず目を反らした。

 乾いた喉の中では鉄の味が、口の中ではイチゴの味が蘇る。

 きっと僕は、一心不乱に少女をことだろう。

 だからこんなにも、少女は満足しているのだろう。


 世界は動き出している。

 誰かが僕の顔を見て、怪訝そうにヒソヒソ話していた。

 しかし誰も、血みどろな少女の存在には気づかない。

 頬に張りつく緋色はまだ鮮やかなままだ。

 服を垂れる芳しい雫は、ポタポタと時を刻む。

 信号が慌ただしく点滅した。


 髪だったものがスルリと解ける。

 ほんのり甘い匂いが漂う。

 散らばった剥き出しの飴玉たちが、真っ赤に世界を描いている。


 あと何度繰り返せばいい?

 あと何度、僕は殺せばいい?

 あと何度、少女を殺せばいい?




 世界は悪意に満ちている。

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キャンディ·ブラッディ わた氏 @72Tsuriann

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