第4話 場所と時を飛び越えて

 あれから、百代は小学校と牛乳当番を同時に卒業し、千里と同じ中学校に入学して卒業し、高校入学後すぐに貴羽子のカラオケ・ボックスでアルバイトを始めた。卒業後も働き続けていたが、貴羽子が年を取って故郷に帰りたいというので、職業技術校に1年通って簿記やPCの資格を取った。

 事務員として働き始めていつの間にか後輩も出来、気付いたら40代後半になっていた。その間、ランダムとは全く縁が無くなっていた。あんなに好きだったのに。今では、ニュースで海辺に巨大なランダムが出現したと知らされても、懐かしいなとしか思えなくなっていた。

 だから、ある晩夕飯を食べようとしたら鳴った電話に驚いてしまった。

 「ランダムを見に行かないか?」

かけてきたのは乾誠太(いぬい せいた)。新刊専門の書評家で、百代とはこれまで何度か一緒に展覧会を見て来た。アニメのキャラクターや変わった工芸品が多く、みな新しい本を紹介する文を書く際の参考にしているようだった。イベント好きの百代は、誘ってくれるお礼にと、会場への道案内や資料にする写真を撮る時の荷物持ちを買って出てきた。時には、ちょっとしたうんちくも披露しながら。

 「ランダムですかぁ…」

 「気が進まない?」

 「いえ、昔好きでした。でも、ずっと離れてしまっていて。お役に立てるかどうか」

 「い〜や、今回は詳しい人が一緒だから大丈夫」

乾は、受話器の向こうでハハハと笑った。

 「えっ、誰か一緒なんですか?」

 「うん、男性2名。2人共既婚」

 「あ、ではお断りします。既婚の男性となんて」

百代は独身だった。どちらか、或いは双方の奥さんから邪推されるかも知れないことは避けたい。

 「おいおい、俺も一緒だぜ。3人共仕事なんだし」

 今回のランダムの写真集の書評は、ライバル会社との競争らしい。そこで、社内の3人の候補の内誰が書けばライバル社に勝てるか見極める為に、実際に一緒にランダムを見に行くことになったらしい。乾が百代に頼みたいのは、3人で熱くなりすぎて他の人に迷惑をかけないように見張ることと、3人の様子を客観的に見ることだった。誰が書けば一番良い文になるかを見極めるには第三者の目が欲しいと言われれば、そうですよねと言う他ない。待ち合わせの日時と場所、書評家仲間の特徴を聞き、電話を切った。


 約束の7月4日は、朝小雨が降っていた。久し振りに降りた港に近い駅には、まだ乾の姿は無かった。居るのは黒縁の眼鏡をかけた痩せた男性で、気難しい顔をして時々こちらをチラチラ見ている。乾の話では、今回は自分と同期にとっては師匠に当たる人と一緒だということだった。彼なのだろうか?知人の上司に当たる人にはこちらから挨拶すべきなのか?迷っていると、聞き慣れた声がした。

 「いやぁ、ごめんごめん。遅くなって」

乾だ。恰幅の良い男性と一緒だ。黒眼鏡の人がスッと壁際に寄り、皆そちらに集まった。自己紹介が始まる。乾が口を開いた

 「おはようございます。お疲れ様です。今回の第三者の目になって頂く方です」

 「初めまして。乾さんの知り合いで、島百代と言います。島が百代続くという縁起の良い名ですので、今回ライバル社に差をつけられるかと思います。皆さん、頑張って下さい!」

 と言うと、あっという間に黒眼鏡の人の形相が崩れた。彼は意外な程高い声でこう言った。

「これは心強い!初めまして。私は乾君に書評を教えた雉子波真太郎(きじなみ まさたろう)と言います。乾君は今回自身のライバルになる程成長してくれた。嬉しい悲鳴ですよ。でも、ランダムは譲れませんが」と名刺を渡した。一礼をしながら受け取る。雉子波さん、初めて聞く名字だ。乾が、ランダムに詳しい人がいると言ったのは師匠のことだろう。

「初めまして。赤鬼申之助(あかぎ しんのすけ)と申します。乾君とは同期です」

 今日2枚目の名刺を一礼して受け取って驚いた。こちらも珍しい名字だ。

「じゃあ、とりあえず駅を出ましょう」

雉子波の号令で4人は街に出た。雨は止んでいた。

 

 歩きながら、百代はおずおずと尋ねた。

「あの…。私達は、いずれ鬼ヶ島に向かうのでしょうか?」

「んあ?」

乾が素っ頓狂な声を上げた。一番冷静でいて欲しい人が一番先に変な事を言い出したので、顔を青くしている。

「お仕事前に済みません。名刺を頂いたら、余りにも揃っていたので」

「あー。今までもそういう話をしたことありますね。僕らは、犬・申・雉だねと。私は太郎でもありますし」

「そうそう、俺が赤鬼でもあるし」

「私がモモですし、島ですし」

「これで、全部揃ったな」

乾も気を取り直している。百代も皆と打ち解けた。

「はい、私達は無敵です」

 現在の鬼ヶ島、つまり戦場はランダム展示会場だ。

 

 受付には割りと人が並んでいた。雉子波が全員にチケットを配った。百代は、お礼を言って入場料を返した。

「上乗せ出来なくて済みません」

「その分働いて頂きますから」

目が、キラリと光る。百代は背をピンと伸ばした。

 ランダムの歴史等を説明してある建物に入る前にカッパが配られた。百代が緊張しているように見えたのか、赤鬼が

「俺の渾名はカッパだ」

と、髪が薄くなった頭頂部を指さして和ませてくれた。百代は、平常心でいようと思った。


 工場と銘打たれた説明が書いてある館には、ランダムを創り上げた会社の紹介や企画した人の思いが事細かに書いてあった。ある会社の説明パネルを読んでいると、雉子波に耳打ちされた。ここに友達が勤めている、と。凄いですねと小声で返した。

 今回のランダムには、動くという特徴があった。その仕組みを説明しているパネルの横に、実際に動かしてみよう!と書かれた機械がある。乾がその前の椅子にスッと座った。ところが、機械は動かし方は中々難しいらしく、乾は顔を歪めている。

「どうした、アニメ専門学校出身」

雉子波が発破をかける。乾の表情がフッと和らいだ瞬間、やっと顔が30度右に傾いた。

「この野郎、ぶりっ子しやがって!」

赤鬼が背中を小突いたが、嬉しそうだった。


 昼食は2階の喫茶室で摂った。料理を待ちながら、百代は近所のお姉さんにランダムの絵を描いててもらったことを話した。乾が飯綱のお姉さんの母校の後輩と分かり、皆で驚いた。隣の席の人が飲んでいた「宇宙ソーダ」が美味しそうだった。ただ、月に見立てたレモン・シャーベットが浮いているだけのソーダ水だが、上手なネーミングだ。


 いよいよ、4人はランダムの前に立った。もうそれだけで、百代は圧倒されてしまった。只々、見つめてしまう。楽しかった思い出が蘇る。アニメは勿論、運動会も文化祭も。いけない、と思い他の3人に視線を移す。でも、3人共百代と一緒だった。只管、ランダムを見詰めている。そうさせてしまう力が、この巨大ロボットには有った。放送が流れた。

 「お待たせしました。後5分後に動きます」

雉子波はハッとしてカメラを取り出し、あちこちに素早く動いてランダムに向かって何度もシャッターを切り出した。乾と赤鬼も弾かれた様に、同じ事を始めた。だが、落ち着いてみると3人共姿勢が違う。こういう部分に生れ付きの性格やその人が今まで過ごして来た環境の違いが出るんだなと、百代は興味深く見ていた。そして、一枚だけランダムを正面から撮った。


 音楽が鳴り、照明が瞬き、ランダムが動き始めた。

 「おーっ」

と声が上がる。子供が興奮して手を叩き始めた。大好きな主題歌に大喜びして踊り出す見知らぬ兄弟。可愛いな、来て良かったなと百代は思った。

 3人の書評家達は、相変わらず素早く動き回った。腕を上げ首を足を曲げるランダムに負けじと、一番綺麗に見えるポーズを探す。人の邪魔にならずサッと写真を撮る姿は、見ていて清々しくなる位だ。仕事にかける情熱だろう。格好良いな。

 

 それから4人は、エレベーターでランダムの真横から胴体を見られる場所に行ったり、お土産店を覗いたりした。赤鬼が自動販売機で珈琲を買ったら、ネリの声で「ようこそ!」と聞こえて来たので、皆で驚いた。


 最後に、未来のランダムに期待することを紙に書いて貼るコーナーに行った。皆は何を書くのかな?とワクワクしたが、結局は百代が「ランダム自体の声が出るようになると素敵だと思います」と書いただけだった。

 

 駅まで帰りながら、やっぱりここは雉子波さんに任せようという結論に達した。一番早く写真を撮り始めたことが大きかった。


 3人と別れて電車に揺られながら、百代は結局今も自分はランダムが好きなんだと自覚した。あの世に行く前に人生を振り返るとしたら、48歳の現時点も間違えなく「ランダムが好きだった頃」なのだ。いつか、あの3人とランダムの思い出も聞いてみたいなぁと思った。


 

 

 

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ランダムが好きだった頃 新橋 @nifu-212

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