やがて死に至る幸福~竜伐の英雄と、彼の妻の物語~

root-M

第1話 アリシア

 紳士淑女の皆様、ごきげんよう、こんにちは、こんにちは!


 早速ではございますが……皆様は、【竜伐の英雄ドラゴンスレイヤー・ロラン】の名を聞いたことがあるでしょうか?


 そう、前人未到の、『単独での竜殺し』を成しえた偉大な冒険者の名であります。

 これからわたくしが語るのは、竜伐の英雄・ロランと、彼の妻・アリシアの、美しくも悲しい物語でございます。

 これは決して創作ではありません。なにせ、わたくしが当の本人たちから、実際に聞いたお話なのですから。


 始まりは、ロランが竜殺しを遂げる四年前。アリシアの身に起こった不幸が全ての始まり。

 当時、ロランとアリシアは中堅の冒険者でした。マレル山の山頂に巣食うサイクロプス退治の任を受け、険しい山道をのぼり、開けた場所にでた瞬間──。

 突如現れたグリフィンにより、アリシアは上空へと連れ去られてしまったのです。


 女の体に食い込む、無慈悲な鉤爪かぎづめ

 山々にこだまする、男の絶叫……。

 


***


 

 グリフィンに空高くさらわれた私は、痛みと恐怖に喘ぎながらも覚悟を決めました。

 このまま内臓をえぐり続けられるくらいなら、落下して死んだ方がずっとマシだと。


 だから、グリフィンに向かって滅多矢鱈めったやたらに魔法を放ちました。

 といっても、集中力を欠いた状態では、ほとんどの術が不発に終わっていたはずです。それでもグリフィンはパニックになり、私の抵抗力を奪おうと、よりいっそう空高く舞い上がりました。


 ですがその時、一つの魔法が奴のくちばしを焦がしたようです。ギャッという悲鳴とともに、私は蒼天に放り出されました。

 死を強烈に実感しながら、ロランのことを思って泣きました。せいを放棄してごめんなさい、どうか幸せになって、と……。


 落下の途中、何度か強風に煽られたのを感じましたが、いつの間にか気を失っていました。

 しかし、私はそのまま『死』に迎え入れられることはありませんでした。

 意識が戻った時、全身が痛かった。たくさん出血していることもわかりました。

 でも、生きていた。助かった。

 なぜだかわからないけれど、死は回避された。それだけ理解して、再び気絶しました。


 再び目を覚ました時、私の眼前に信じがたい光景が広がっていました。

 二頭の青い竜が、私とロランを見下ろしていたのです。ロランは私の傍らで、竜に対して何かを必死に訴えていました。


 ロランと私は、双子石の指輪を身に着けていますから、離れ離れになっても互いの位置がわかります。あとは転移石を使用すれば、すぐさま合流できるというわけです。


「女が目覚めた」


 片方の竜が喋りました。湖の底のように澄んだ声。金色の瞳には確かな知性が宿っており、魔物と対峙した時のような緊張感は一切覚えませんでした。


「アリシア!」


 ロランは悲痛な形相で私を抱き締めました。私の体は、もうどこも痛くありませんでした。


「どうか頼む、彼女を許してやってくれ!」


 ロランは竜たちにそう言いました。状況のつかめない私は、首をかしげるのみです。


「女、お前は自分が何をしたか理解していまい」

「女、お前は我々の子を殺したのだ」


 交互に紡がれた竜の言葉に、私は凍り付きました。


 竜は静かな声で、全てを教えてくれました。

 グリフィンから解放された私は、風に流され、千年樹と呼ばれる巨木の上に落下したそうです。しかし、実際に私を受け止めてくれたのは、生い茂る葉ではなく、竜の巣。


 もっと言えば、孵化したばかりの竜のひなの、柔らかな体。それがクッションとなり、私を守ったというのです。


 複雑な色をたたえたロランの視線を追うと、少し離れたところに青白い仔竜が横たわっていました。私よりもやや小さなその仔はぴくりともせず、口から赤い舌をだらりとこぼしていました。


 遺体を目の当たりにした瞬間、稲妻のように記憶が蘇りました。確かに、背中に何か柔らかいものが当たった……。その際に仔竜が発した短い悲鳴も、間違いなく耳に残っている……。


 私は青ざめ、震えました。私は、この世に生を受けたばかりの、無垢なる生物を殺してしまったのです。

 にもかかわらず、竜の夫婦は冷静でした。激高している様子は微塵もありませんでした。


「お前は、我が子の命を奪って生き永らえた。そんなお前を殺してしまったら、我が子の死が無駄になる」


 そう言ったのは、母竜でした(雰囲気で女性だとわかりました)。その言葉を聞いた瞬間、私は彼女の前にひれ伏していました。竜という生物に、人間を超越した理性と高潔さを感じ取ったからです。まるで、大いなる神々の前にいるような気分でした。


 同時に私は直感しました。私の体にあった傷──グリフィンに付けられたものも、衝突時にできたものも、竜の術によって癒されたのだと。彼女の慈悲に、私はますます畏敬の念を抱きました。


 私は、そんな偉大な生き物の子供を殺めてしまった。魔物の子を殺したのとは訳が違う。私は裁かれねばなりません。

 どうか私を罰してください。そう言おうとしましたが、咳き込んでしまいました。


「お前の存在そのものが、我が子がこの世に生を受けた証となる。お前が体の下敷きにした子のことを、ゆめゆめ忘れるな」


 そう言って、母竜は飛び去って行きました。その背中はとても寂しげで、追いすがって許しを乞いたいと思うほどでした。


「私は妻ほど冷静になれぬ。失われた命の対価を求める」


 ぼそりと呟いたのは、残された父竜。


「やめろ!」


 叫んだのはロラン。私と竜の間に立ち、剣を抜きました。しかし彼の白刃は、竜の巨体の前では棒切れ同然に思えました。

 竜も、牙を剥きました。けれどそれは攻撃態勢に入ったのではなく……笑ったのだと、わかりました。


「良い度胸だ、人間よ。野蛮な殺し合いこそ、男の本分よな」


 明らかにロランを煽っていました。けれど、竜からは闘志を感じられません。


「だが今は、うしなった子を想って静かに過ごしたい」


 竜の視線が、私をまっすぐ捉えます。


「さりとて、子殺しの女を逃すわけにはいかん」

「は、はい、どうか、罰を与えてください」


 私はロランを押しのけるように、竜の前に躍り出ました。


「アリシア!」

「ロラン、私はグリフィンに攫われた時に死んだのよ。最後にこうしてあなたと言葉を交わせただけ、幸福だと思わなくては」


 まごうことなき本音でした。いくら竜の仔とはいえ、故意ではないとはいえ、私にとって、嬰児えいじ殺しの罪はあまりに重すぎたのです。


「女よ、我々を異種族と侮らず、正当な罰を受けようとするお前の心意気に敬意を表する」


 竜の物言いは温厚そのものでした。しかしそれは決して許しの言葉ではありませんでした。


「大地の神よ、日輪の神よ。我が身の一部を捧げる代わりに、呪詛を口にすることをお許しください」


 と、竜は自らの右目に爪を突き立てました。飛び散った血は、南国の海のように美しい青色でした。


 ──呪われてあれ、人間よ。

 朝も夕も、寝ても覚めても、

 いずこの地に在っても、呪われてあれ。

 呪われてあれ。汝、許されざる者なり──


 耳に直接吹き込まれるような呪いの言葉が終わると、私の右手の甲に複雑な紋様が浮かび上がりました。

 私も魔法使いですから、そのしるしの意味をすぐに理解できました。それはまさしく、『死』を示していました。


「呪いは時間をかけてゆっくりと進行する。その呪印じゅいんすべてが漆黒に染まった時、お前は死ぬ。残された時間を、殺した子を思いながら生きよ」

「うわああああああっ!!」


 ロランが絶叫しました。顔いっぱいに憤怒をたたえて、竜に襲い掛かります。


「去れ、人間の夫婦よ。今は、服喪ふくもの時だ」


 竜の言葉とともに、私たちは眩い光に包まれ、気付いた時にはマレル山のふもとにいました。ロランは私を抱き締めて静かに泣いていました。


 私たちは冒険者を辞め、故郷に帰りました。小さな家を買って、そこで残りの生を静かに過ごすことにしたのです。


 翌年、子を授かりました。

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