第2話 ロラン

 俺は絶対にあの竜を許すことができない。俺の愛しいアリシアに死の呪いをかけた、あの化物を。


 だが、数々の高位魔法を行使するところを、鋭い牙、巨大な爪、太い尻尾を間近で見た。一筋縄ではいかない相手だと、痛いほど理解している。

 道理で、竜を殺した者には、【竜伐の英雄ドラゴンスレイヤー】なんて大仰な称号が授けられるって訳だ。ただの魔物殺しとは訳が違う。


 俺は、故郷の近くの村に、その称号を持つ人物が住んでいることを知った。栄光を得たのは遥か昔、今や腰の曲がった老人だったけれど、決して耄碌もうろくしてはいなかった。

 俺はその人の元に通いつめ、竜を殺す方法を聞いた。


 それから、俺だけ冒険者稼業を再開し、あちこちの遺跡に潜り、いにしえの魔法道具を大量に入手した。

 同時に、片目の潰れた青竜の情報を集めた。


「ロラン、いってらっしゃい」


 冒険に出る時はいつも、娘を抱いたアリシアが見送ってくれる。彼女の手にある呪印は、鈍色にびいろに染まっていた。


「また、呪いが進んだな……。でも、あの竜を倒せば、君の呪いも解けるだろう」

「うーん、本当にそうかしら?」


 と、アリシアは他人事のように笑んで首をかしげる。彼女は、すっかり死を受け入れているのだ。


「ねぇロラン。もっと一緒に過ごしたい、って言ったら、困らせてしまうかしら?」

「呪いが解ければ、そうできる」

「……そうね」


 彼女の困ったような笑顔を見ていると、居たたまれなくなる。俺は強引にキスを強請ねだった。


 口づけの合間、ふと視線を落とすと、彼女の呪印がその色をより濃くしていた──。


 やがて、あの竜の居場所が判明した。アヴェル鉱山跡を根城にしているらしい。メスの姿はないそうだ。ちょうどいい。


 俺はそのことをアリシアに告げた。全てを終わらせに行ってくる、と。

 君に、【竜伐の英雄の妻】の名誉を贈る、と。


 アリシアは、「ありがとう」と穏やかに微笑んだ。

 ……百歳で死んだ俺のひいばあさんも、晩年にはそんな顔をしていたっけ。


***


「久しぶりだな」


 俺は単身で青竜の元に向かい、逸る気持ちを必死で抑え、そう声をかけてやった。


 冒険者組合の連中からは、精鋭を連れていけとさんざん言われたが、俺は単独討伐を選んだ。これは俺だけの戦いだ。幸福な未来を勝ち取るための。


「見違えたな、人間よ。随分と己を鍛え、そしておびただしい数の魔法道具で武装しているな」


 丸まって休んでいた竜は、ゆっくりと首をもたげ、その巨体を俺の前にさらした。


 奴の言う通り、この数年間、俺は血のにじむような努力をして、最高位の冒険者になっていた。魔法道具の使い方も死に物狂いで覚えた。


 竜は、喉の奥でぐつぐつと笑う。


「私を殺しても、あの女にかけた呪いは解けぬぞ」


 冷酷な言葉に、俺の心は絶望に支配されかけた。いや、俺の戦意を削ぐための嘘かもしれない、そうに違いない……。


 不覚にも動揺してしまった俺へと、竜は諭すような口ぶりで語りかけてきた。


「お前はあの女の傍に寄り添い、残された時間を共に生きるべきなのだ。今からでも遅くない」

「ああ、そうするさ! 一刻も早くお前を殺してな!」


 そうだ、呪いの解けたアリシアと娘との三人で、末永く幸福に生きてやる!

 決意新たに己を奮い立たせていると、竜はさらに笑う。


「あくまで冥府魔道を歩むか。だがそれこそ、我々・・が知性と感情ある生き物である証拠だ」

「化物風情が、人間と同じ目線で語るな!」

「その化物風情と、長々と会話を続けるお前は何だ?」


 竜は、威嚇するように尻尾を地面に叩きつけた。激しい揺れが起こり、よろけそうになるが、俺は意地で踏みとどまった。


「さぁ、全身全霊で死合しあおう、人間よ。幸い、この地に巣食うは低級の魔物のみ。邪魔は入らぬ」

「貴様……」


 まさかとは思うが、この竜は俺が復讐に来ることを見込んで、この寂れた地に移り住んだのではないだろうか。連れ合いとも別れて……。


 だとしても、手加減する理由にはならない。俺は腰元の魔法道具を掴み、上空へと投げる。月の女神の加護が俺を包んだ。


 同時に、竜が太陽神の真名を口にし、超高位魔法の詠唱を開始する。どうやら一瞬でケリをつけるつもりらしい。

 そうはさせるか、消耗戦だ! 人間の底力を見せてやる!

 

***


 払暁ふつぎょうの空の下、俺は青竜の頭を踏みつけていた。群青の鱗の多くが剥がれ落ち、前腕は焼け焦げ、満身創痍でぐったり地面に伏している。


 俺は回復系の魔法道具を大量に持ち込んだことから、ほとんど無傷だった。それでも疲労感は拭えない。 


「……お前にも、子が生まれたのだな」


 竜がか細い声で話しかけてきた。


「なぜわかる?」


 俺は恐怖におののいた。まさか、今度は娘に呪いをかけるつもりか?


「呪印を通して、あの女の様子が伝わってくるからだ。安心しろ、無関係の幼子をどうこうする気は……毛頭ない」

 

 言葉と共に、竜に残っているわずかな生命力が失われていくのがわかった。


「ただ……我が子を犠牲にして繋いだ血……大切に……しろ」

「言われるまでもない」


 俺は剣を竜の脳天に突き立てた。


***


 竜の首を携えて冒険者組合に戻った俺は、大喝采を浴びた。

 妻のために、単独で竜殺しを成し遂げた俺は、まごうことなき『英雄』だった。

 近々、国王からも褒賞が与えられるそうだ。

 故郷へも吉報は届いていたようで、帰還した俺をみんなが誉めそやしてくれた。


 アリシアは寝台から起き上がれなくなっていた。娘は、アリシアの傍でじっと座っていた。


「おかえりなさい。そしておめでとう、英雄さん。私、とっても幸せよ」


 それからアリシアは、半年だけ生きた。

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