罪悪感

 俺達は防衛陣地を迂回する為、大通りから一歩外れた裏道へと進んでいく。だが案の定と言うべきか、ここにも敵の守りが行き届いていた。

 厄介な機関銃こそ無かったものの、やはりこの道でも土嚢を積み上げた防衛線を敷いており、正面の突破は難しい状態だった。おかげで俺達は再び停滞を余儀なくされてしまう。

 だがカプタナに何か策があるらしく俺を呼びつけた。


「ローガ! ついてこい! 建物の中を進む! 敵の背後を叩くぞ!」


 裏道の左右には三階建ての共同住宅が続いている。この建物伝いに進んで土嚢の後ろをとろうという算段のようだ。


「分かった! 任せろ!」


 俺は二つ返事で了解し、俺とカプタナの二人で先行して進路を開くことになった。


「上手くやれよ!」

「死んでも助けないからな!」


 マヘンドラとククラが見送りの言葉をかけてくれる。俺は軽く手を振って背中越しに答え、近くのドアから二人で建物内に侵入を始めた。

 勢いよく中へ突入すると、そこは思いの他静かだった。当然外で銃声が鳴っているので、無音というわけではないのだが、自分の足音がはっきりと聞こえるくらいには静かだ。

 それはつまり、敵がいれば自分の居場所を知らせる事を意味する。カプタナを先頭に、俺は足音に気を使いながら入り口すぐの階段を上がって行った。

 だが、木製の階段はどんなに気を付けていたって進むたびに軋む音が鳴ってしまう。ギギッと音が響く度に、敵に聞かれたのではと背筋が凍る思いだった。

 それでもどうにか、俺達は無事に最上階の三階まで上りきることできた。


 ここからは敵の防衛線の裏手に向けて、共同住宅の廊下を進まねばならない。だがその廊下を見てみると味方の砲撃にやられて盛大に崩れてしまっているようだった。

 これを乗り越えて進むのは流石に危険だ。俺達は瓦礫の山の前まで進み、居室の中を経由して向こう側へと進むことにした。


 居室のドアの前に立った俺達は、互いに顔を向かい合わせてからカプタナの手でゆっくりとドアを開けていく。俺は銃をしっかりと握り、その先に狙いをつけておいた。


 ギギギ……と音を立てながらゆっくりと開くドア。徐々に露わになる室内に、人影は見当たらない。

 そしてとうとうドアが開ききっても、攻撃に晒されることは無かった。俺達はカプタナを先頭に室内へと侵入する。

 中に入って隅々見渡して見たが、やはり敵の姿はない。この部屋はクリアだ。俺達はそのまま次の部屋へと向かう。


 今度はドアのない入り口だ。カプタナは銃を構えながら、そっとその部屋を覗き込む。部屋の端から端へ、慎重に狙点を動かし、敵影が無いことを確認した。

 カプタナの後ろに立つ俺からは様子がよく分からなかったが、彼が部屋の中へと足を踏み入れていくところを見るに、恐らく敵は居ないのだろう。


「よし……いいぞ……」


 カプタナが小声で報告した。彼は既にその全身を部屋の中に入れている。

 だが、その時だった。

 空気を震わす大きな銃声が鳴り、薄暗い室内が一瞬明るくなった。そして、それと同時にカプタナの身体がいきなり左へ吹き飛んだのだ。


「カプタナ!」


 俺は慌てて叫び、咄嗟にドアの手前の壁に隠れた。

 まずいぞ……。一瞬しか見えなかったが、あいつは銃撃をもろに食らっていた。身体を吹き飛ばすほどの衝撃からして、恐らく散弾銃だろう。あれじゃ即死か良くても致命傷だ。助かる見込みがあったとして刻一刻を争う。それから銃弾は部屋の右から飛んできた。その情報から敵のおおよその位置も把握できる……。とにかく相手を倒してすぐにカプタナを手当てしなければ……。


 俺は一瞬のうちに可能な限り状況を整理し、次にとるべき行動を確かめた。

 そして俺は覚悟を決めて振り返り、ドアの向こうへと足を踏み入れる。俺は短機関銃をまっすぐ構え、体幹と銃口を同期させながら、ぐるりと部屋の中を索敵した。

 俺はこの時、また時間の流れが遅くなっていた。おまけに視界の端から端まで部屋全体がはっきりと見えている。


 まずは一番左のカプタナだ。彼は壁際に横たわり、既に大きな血だまりができていた。それでもまだ息はあるようで、口がパクパクと動いているのが確認できる。良かった、まだ生きていてくれたんだ。

 それから、カプタナの奥には砲撃で崩れた跡があり、廊下からも見えていた瓦礫の向こう側が確認できる。見たところ反対側まで渡れそうだ。

それからその右手を見てみると、家族で使うのであろう大きめのテーブルと食器、壁に掛かった掛け軸タンカや置物なんかが置いてあるのが分かる。

 そしてその更に右側、窓際の方に目をやると。本棚を倒おして盾にしながら、こちらへ銃を向ける敵の姿があった。


 俺はそいつに向けて、やたらと重たい身体を思いっきり振って銃口を向けていく。

 敵の得物はやはり散弾銃だ。水平に銃身が二本あるタイプで、さっき一発撃ったからあと一発しか弾は無いはずだ。俺はその一発でも撃たせてやるものかと奮い立ち、短機関銃の照準を敵に合わせた。

 既に奴も俺めがけて銃口を向けている。でもこっちの方が早い。俺は引き金を思いっきり引き絞り、すぐにパスパスと情けない銃声とガチャガチャと撃鉄の前後する音が聞こえてきた。その衝撃が俺の手から全身に伝わり、空薬莢が飛び出して眩い発火炎が視界を覆う。


 だがこの時の俺は運が悪かった。撃鉄の作動音は、三発目で突然に止まってしまったのだ。

 作動不良だ。慌てて排莢口に目をやると、空薬莢が引っかかっているのが見てとれた。このままじゃまずい。

 しかしそう思った時には、既に敵の散弾銃の右の銃口が光り、瞬く間に発火炎が目の前に広がった。


 敵に撃たせてしまったのだ。俺は死を覚悟した。

 だが、今度の俺は運が良かったらしい。俺の放った三発の銃弾が確かに敵を捉え、被弾の衝撃で向こうも狙いが逸れていたのだ。放たれた散弾銃のペレットは、俺の真横をかすめ、背後の壁を抉る音だけが聞こえた。


 俺はともかく生き延びた。このチャンスを無駄にはできない。攻撃は一旦諦め、大急ぎで元いた手前の部屋に戻った。

 敵は銃弾を二発消化している。つまり再装填の時間が必要なはずだ。だからその前に作動不良を直して、再度攻撃をしてやればいい。

 この頃には時間の流れも元に戻っていたので、俺は大急ぎで排莢口に詰まった薬莢を取り出そうと試みた。


 だがどうしたものか、これがなかなかどうして上手くいかない。引っかかった空薬莢を掴もうにも、手が震えているし力加減も滅茶苦茶になっている。おかげで何度試しても取り出せないのだ。

 これじゃ敵に先を越される。時間をかければその分カプタナの生存率も下がる。俺を急かすこの状況が、余計に俺の手元を狂わせた。


「くそっ!!!」


 俺はもう何もかも我慢ならなくなり、どうにでもなれと思って短機関銃をドアの向こうにぶん投げてやった。

 壊れたとは言え唯一の武器を投げ捨てるなんて正気じゃない。でももう俺にはそんなこと知ったことじゃなかった。

 敵さんも突然の叫び声と奇行にビビったらしい。咄嗟にドアめがけて散弾をぶち込んで来やがった。

 壁紙が飛び散り、衝撃が壁越しにも伝わってくる。普通だったらこれでこっちまで尻込みするところだが、今回ばっかりはもうどうでも良かった。


 もはや脳みそが仕事を放棄して不貞寝したようなもんだ。俺の身体は自分の制御を離れ、勝手に動き始めていた。俺の身体はククリナイフを取り出し、自分でも訳の分からない奇声を上げると、一目散に敵に突進しだしたのだ。

 そこからはもう、俺の記憶装置さえ不貞寝を決め込んだらしい。記憶からすっぽり抜け落ちて、自分が何をやったのかさっぱり覚えちゃいないんだ。

 とにかく。気がつくと俺は無傷で、目の前にはナイフでめった刺しにされた男と、同じようにめった刺しにされた女の死体が転がっていた。


 その時、俺は自分がこの二人を殺したんだとすぐ気づけなかった。いや、たぶん認めたくなかっただけなのかも知れない。

 殺された二人は、両方とも軍服を着ていなかった。つまり民間人だったんだ。突然敵国の兵士が現れて、慌てて身を守ろうとしただけなんだろう。それに、男の散弾銃以外武器が見当たらない。つまり女の方が攻撃を仕掛けて来たかどうかさえ分からなかった。もしかしたら俺は、非戦闘員を殺しただけじゃなく、無抵抗の相手を殺したかも知れない。


 おまけに惨たらしい殺し様も最悪だ。これは確実に息の根を止める為の傷じゃない。抵抗して何度も殺し損じた傷でもない。仰向けになったところへ、何度も何度もナイフを振り下ろした時の傷だ。

 どう考えてもこんなことする必要なかった。ただ怒りか恐怖に任せて、俺は二人を殺したんだ。それどころか、あまつさえそれを覚えていないんだ。


 たぶんこの二人は夫婦だ。それから、血だらけの俺を睨むあの子供が娘なんだろう。

 実は、隅にうずくまって隠れていたようで気が付かなかったのだが、その場にはまだほんの五~六歳程度の女の子がいたのだ。彼女は埃を被って煤だらけで、服は雑巾みたいにボロボロだ。頬には涙が煤を洗い流してできた線がくっきりとできていて、まるで何かのボディペイントみたいに見えていた。でも涙は流していない。彼女の表情は悲しみと恐怖の表情じゃなかった。これは憎しみと怒りだ。


 ただ茫然と俺を睨みつけるだけだってのに、俺は今にも殺されそうな気がして背筋が凍るのを感じた。

 今まで生き延びた俺なら、きっとどんな強力な敵だって相手にできる。


 ああ、自信があるさ。

 でもこの子には勝てない。戦う前に殺される。

 当然この子が銃を撃つわけでも、殴りかかってくるわけでも無い。

 でもこの子にはそんな武器必要ないんだ。


 俺は恐怖で足がすくみそうだった。なんでこんなガキが怖いのか分からないが、もう恐ろしくてたまらない。

 何故かは知らないが、この子はそこにいるだけで最も強力な抑止力になるんだ。


 ダメだ……。こんなところに長くは居られない。今にも吐きそうだ。

 俺は酷く気分が悪くなったので、何もかも見なかったことにして、カプタナの元へ戻ることにした。


「カプタナ! 大丈夫か! まだ生きてるよな!」


 彼の元に駆け寄ると、カプタナはうつ伏せでだらんと倒れ込み、既に大量の出血による血の池ができていた。これはほとんど致死量だろう。それでもまだ息はあるようで、息を吐く度鼻と胸からびちゃびちゃと血をはねる音が聞こえていた。


「よかった! まだ生きてるんだな! 大丈夫だぞ! 死ぬなよ!」


 俺は大喜びで声をかけた。彼が生きているというだけで、なんだか救われた気がしたんだ。

 だが銃創がひどく、手当は意味をなさなそうだった。単に動かすだけでも傷に響くし、仰向けに直したら自分の血で窒息する危険もある。


「今助けてやるからな! 死ぬなよ!」


 こりゃあもう助かる見込みはない。俺にできるのは声をかける事だけだった。俺は手当てをせず彼の顔を覗き込み、声をかける事に専念することにした。

 すると、カプタナが最後の力を振り絞って何かを呟いた。


「…………」


 だが、結局彼が何を言ったのかは聞き取れなかった。声量が小さく殆どうんうんと唸っているようにしか聞こえなかったし、うつ伏せで地面に向かってしゃべっているので、びちゃびちゃと血をはねる音が混じってまともに聞ける状態じゃなかった。

 結局カプタナは、伝わらない遺言を残して満足したのか、そのまま息絶えた。


 これ以上ここにいても無駄である。俺はその場を立ち上がると、作動不良を起こした自分の銃の代わりにカプタナの銃を拝借し、弾薬やその他装備なども貰えるだけもらっていくことにした。それから彼が背負う伝書鳩も回収する。

 そうして俺は一通りの準備を整え、崩落した建物の向こう側へと急いだ。それほど長い時間が経ったわけではなかったが、他の仲間たちが心配だ。あいつらが殺されてしまわないうちに、すぐ敵の防衛線を叩いてやらねばならい。


 俺は駆け足に廊下を進み、時々窓から路地の様子を眺めて防衛線の様子を伺った。どうやら敵方の損害はほとんどないようだ。俺達の方は遠くてよく見えない。頼む、生きていてくれよ。

 そして、敵が積み上げた土嚢の後ろ側まで辿り着くことのできた俺は。そこで窓を開けて真下を確認し、ありったけの手榴弾を投げ込みにかかった。


「クソぉ! くたばれ! フタデサのクズ共め! 何が獣人だ! ふざけやがって!」


 上から落とすのだがら、軽く投げてやればそれでいい。なのに俺は無茶苦茶に全力で投げつけてやった。


「死ね! 死ねよ! 全員死んじまえよ! 全部殺してやる!!」


 持っている手榴弾を全部投げ込んだって仕方がない。でも俺は、最初の手榴弾が炸裂しても、お構いなしに次を投げ込んでいった。


「俺が何したって言うんだ! なんでこんな事しなきゃいけねぇんだ! 俺を責めたいならさっさと殺せよ!」


 眼下の裏路地は、爆発で立ち昇った煙でよく見えず、もうわけがわからない。俺はそれでも手を止めることはしなかった。手榴弾を全部投げ切ると、俺は短機関銃に持ち替えてあてずっぽうに乱射をし始める。


「まだ足りねぇのか?! これで満足だろ! 俺はもう沢山だ! 俺はもう充分満足したんだ!」


 俺は弾倉を撃ち切り、最後にそれも投げつけてやった。

 流石に防衛線は壊滅だろう。取りこぼしが居たってあいつらが片付けてくれる。

 俺は溜め込んでいた何かを全部ぶちまけ、すっかり気が抜けたみたいになった。

 そしてへろへろと崩れるようにその場に座り込む。


 ああ、最高だ。


 俺は息を切らしながら、手足をだらんと投げ出した。最高に気分が悪かったが、でも悪い気分じゃない。すっきりしている。俺はもう満足だ。充分やった。

 でも残念だな。みんなまだ満足していないらしい。だから俺もまだやらなきゃいけないらしいんだ。

 でも大丈夫。すっかり気が抜けたおかげで、そこにまた別の何かを入れられる。


 俺は呼吸を整えてから立ち上がり、新しい弾倉を取り付けると、共同住宅の階段を降りて行った。


「ローガ! 大丈夫か!」


 建物を出て真っ先に声をかけて来たのはククラだ。既に敵は壊滅しており、仲間たちが前進して俺を出迎えてくれていた。


「カプタナはどうした?!」


 マヘンドラがそう問いかける。


「あいつは死んだ」

「そうか……」


 マヘンドラの返事はそれだけだった。ククラは何も言わない。


「大丈夫だ。あいつも充分満足したさ」


 俺がそう返事をする。「何を?」と聞かれても答えようが無かったが、たぶんみんな言葉にできないながらも納得してくれたんじゃないだろうか。俺はそのまま更に続けた。


「行こう、そこから大通りに出られる。表の防衛線を叩くぞ」


 そうして俺達は裏路地を抜け、狙い通り大通りの防衛線裏手へと向かった。

当然のことだが俺達のドンパチが聞かれていたようで、既に敵はこちらに気が付いている。それでも据え置きの機関銃を背後に向ける事はできないし、普通歩兵の装備は単発式の小銃だ。連射の利く短機関銃を全員が装備する俺達の方が、正面切っての戦闘では圧倒的に有利だった。

 俺達は躊躇いも無く大通りへ飛び出し、瞬く間に銃撃を浴びせていく。守備につく兵士達は次々に倒れていった。


「防衛線をとったぞ!」

「機銃を破壊しろ!」


 ククラが敵の機銃に手榴弾を投げ込んで破壊する。俺は土嚢の裏から、最初に自分達が来た道の先を見てみた。

その先は静かなものだ。至る所に散らばる弾痕と、プラカシュの血痕が見て取れるばかりである。俺は味方の他部隊が侵攻していることを期待していたのだが、どうやらその姿はない。

 隣で同じように見ていたマヘンドラが俺に話しかけてきた。


「どうする? このまま進むか?」

「進むしかないだろう? 引くったってなんの成果も無しじゃ仕方ないからな。ここまで来たのが全部無駄になるだろ」


 俺がそう答えたあと、今度はククラも発言する。


「だがもう正面切っての戦闘は無理だぞ。数も減らされてるし、弾薬も少ない」


 俺達はどうしたものかと考えを巡らせた。もう体力だって残っていないんだ。どっちにしたって休息をとらなければまともに戦えない。敵の武器を鹵獲するにしたって、単発式の銃じゃ人数差で敗れる。隠密行動のゲリラ戦に持ち込んでも、土地勘がなければ不利だ。どう転んでも全滅する予感しかしない。だがこの戦場は俺達に考える時間を与えるほどやさしくは無かった。


「おい! 敵だ!」


 ククラが叫んで指さした。街のさらに奥から、増援の敵兵がちらほらと向かって来ていたのだ。


「ちくしょう退くしかない!」


 俺はそう判断したが、今度はマヘンドラも報告する。


「後ろからも来てるぞ!」


 そう言われて振り返って見てみると、俺達が来た塹壕の方角からも敵が向かって来ていた。


「クソッ! 挟み撃ちだ! このままじゃやられちまうぞ!」


 俺はとりあえず目に付く相手に銃弾を浴びせながら叫んだ。他の皆も同じように応戦する。


「この数は捌けねぇ! やられるのは時間の問題だぞ!」


 マヘンドラが叫んだ。前からも後ろからも、既にそれぞれ十人前後の敵兵が向かって来ている。この人数差ではとても勝つ見込みは無かった。


「味方の援護は来ないのかよ!」


 ククラもそう叫んだ。背後からも攻められている以上、それは望み薄だろう。こりゃあもう八方塞がりだ。俺はそう思ったのだが、ここでユバナが何かに気が付いて報告し始めた。


「あの! そこにドアがあります! 建物伝いに脱出しましょう!」


 彼が指さしたのは、俺達がさっき通った裏路地とは反対側にある建物だ。砲撃で崩れかけていたが、ドアから中に入れそうだった。


「いいぞ! よく見つけた!」


 俺は彼を誉めてやった。戦闘が始まってから大した活躍もなく、こいつら新兵のことを忘れかけていたところだが、たまにはやるじゃないか。


「よし行くぞ! 急げ急げ急げ!」


 マヘンドラがブンブン手を振って、ドアに向かうよう指示する。俺達は威嚇射撃をしながら大慌てでドアへと入って行った。

 先頭のククラが中を確認し、その後ろに俺と新兵が続く。しんがりのマヘンドラは、全員が建物に入ったのを確認してドアの鍵を閉めた。

 だがまだ油断はできない。ククラは立ち止まらず反対側の勝手口まで向かい、外の様子を確かめてからすぐ勝手口の外へと飛び出した。俺達も後に続き、同じように建物から飛び出す。


 するとそこは、ちょっとした中庭のようだった。四角い共同住宅の壁に囲まれていて、その中央に白い石造りの仏塔がある。

 そして俺達が中庭へ出た頃には、既に左右から敵が侵入してきているところだった。恐らくさっきの防衛線で俺達を包囲するために動いていたのだろう。

 敵兵はこちらに気が付くと、すぐに銃弾を浴びせにかかってきた。俺達は間一髪で手ごろな遮蔽に隠れ、反撃をしにかかった。

 幸い最初の一団はさっさと蹴散らせたのだが、それでも後から後から敵が湧いてくる。この場所に長居しては危険だ。すぐに移動する必要があった。


「私が先行する! ついてこい!」


 先陣を切ったのはククラだ。彼女は真っ先に遮蔽を飛び出して走り出し、仏塔を挟んだ反対側の建物へ向と向かったのだ。

 だがこれは一か八かだ。進行方向からは敵が来ていないようだが、中庭を突っ切れば無防備な状態で左右から狙われる。かなり危険を伴った。


「急げ急げ!」

「ちくしょうこんなの二度とごめんだ!」


 俺とマヘンドラも、悪態をつきながら大急ぎでククラの後を追う。新兵の二人も無我夢中で続いた。

 しかし、そうして俺達が皆走りだしたその時だった。

 甲高い金属音が鳴り響き、先頭を走るククラの頭がカクッと傾いたかと思うと。彼女のヘルメットが宙を舞ったのだ。

 どうやら敵の凶弾が彼女の頭部を捉えたらしい。ライフルの銃弾は彼女のヘルメットを弾き飛ばし、その中からは血しぶきと、彼女の灰色の髪、そして狼の耳が露わになる。

 そしてククラは、そのままふらりと倒れこみ、その場で動かなくなってしまった。


「ガラタが撃たれた!」


 先頭なんだからそんなのみんな分かってる。それでも俺はそう報告をした。


「構うな! 先に行け! 俺が見る!」


 ククラに追いついた俺は仲間を先に行かせ、急いで彼女を仏塔の陰まで引きずった。これで片一方の射撃は遮れる。後はもう反対側の敵だ。俺は彼女を守るようにそいつらへ威嚇射撃を加えた。そうやってしばらく敵が顔を出さなくなるだけでも少しは安心できる。

 そうして俺が応戦している間、一方の仲間達は目的の建物へと逃げ込むことができたようだ。これで考える事が一つ減ってくれる。

 俺はなおも敵に応戦しながら、ちらっとククラに目をやってみた。彼女は頭から血を流しびくともしない。この様子じゃ即死した可能性が高いだろう。だがまだそうと決まったわけじゃない。俺はわずかな望みにかけた。


「ローガ! 援護するぞ! 姫様を連れてこい!」


 ドアの中からマヘンドラが指示した。新兵の二人もビビった顔でこっちを見ている。彼らが威嚇射撃で左右の敵兵を釘付けにするから、その間にククラを連れて逃げ込めということらしい。


「ローガ! 早くしろ! 急げ!」


 マヘンドラ達はこっちの準備も構わずドアから射撃を始めた。俺はタイミングを見計らうなんてこともせず、ククラの襟を掴んで皆の待つ建物まで大急ぎで引きずって行った。


「いいぞ! いいぞ入れ!」


 俺は間一髪でククラを引きずり込み、そのまま尻餅をつく。マヘンドラはそれに合わせてドアを閉め、また鍵をかけておいた。


「ローガ! お前よくやったぞ、ガラタの姫さんは生きてんのか?!」

「……分からん! 即死した可能性もある!」


 俺は答えながら、狼の耳が露わになった彼女の頭部を確認し始めた。


「そ、その耳……まさか……」


 するとナーバが青ざめてそう呟いた。そうだ、彼女が獣人であることがバレてしまったのだ。でもそんなことの前に、今は彼女が生きるか死ぬかなんだ。獣人かどうかなんて今はどうでもいい。


「うるせぇ黙ってろ!!」


 俺は思わず怒鳴り、ナーバを制止した。しかしそうしている間にもククラの状況がある程度把握できた。


「銃弾は頭をかすめただけだ! 頭蓋骨で跳弾してる! 耳が欠けてるが致命傷じゃない! 死んでないぞ! 失神してるだけだ!」

「よし、なら連れていくぞ! 聞きてぇことは山ほどあるが話はあとだ!」


 マヘンドラは物分かりが良くて助かる。ナーバの奴は「で、でも……」と納得がいかなそうだったし、ユバナは何も口出しできずに呆然としていたが、俺はそんなのお構いなしにククラを担ぎ上げる。


「先導してくれ! とにかく逃げるぞ!」


 俺はマヘンドラに指示する。彼は了解し、今度はマヘンドラを先頭に建物の正面から外に出た。

 そこはまた別の通りで左右が開けている。だが幸い敵の姿はない。背後からは敵がドアを蹴破ろうとする音がドンドンと鳴っていた。


「走るぞ! バレねぇうちにどこかに逃げ込む!」


 マヘンドラがそう宣言し、しばらく移動してから手ごろな建物を見つけると、俺達はすぐにそのドアへと駆けこんだ。

 そこは四つ角にある建物だった。窓から視界が広くとれそうな立地で、ここなら街を行き来する敵の様子がよく分かりそうだ。

 俺達は幸い敵に見つからずに逃げ込めたようなので、すぐにドアの鍵を閉め、最上階の三階まで駆け上がる。その後手ごろな部屋を見つけて、息も絶え絶えにその中へと逃げ込んだ。

 俺はククラを下ろし、自らも床に崩れ落ちる。


「どうやら追っ手は来てないようだ。敵さん当てずっぽうな方を探してやがる」


 窓から道の様子を見下ろすマヘンドラが報告した。ひとまず安全らしい。これでやっと一息つける。

 俺はぜえぜえと息を切らし、どっと疲れが全身にのしかかるのを感じた。もう一歩も動ける気がしない。

 ひとまずククラを手当てしてからここで休憩だ。俺はそう算段をつけたのだが、残念なことに、どうやらまだ厄介な問題が残っているらしい。


「ローガさん……離れてください……」


 ナーバが重苦しく言い放った。彼はククラに向けて、短機関銃の銃口を向けていたのだ。

 おいおいよしてくれよ……もう沢山だ、冗談はやめてくれ……。

 俺はもう疲れ切って全部放り出したくなったが、どうやらあいつは冗談でやってるわけじゃないらしい。言い方に何か差し迫ったものがある。あいつは本気だ。

 俺は仕方なく、再び重い腰を上げるのだった。

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