最後に乳を揉ませろ

 俺達はとうとう街の中へと潜入することに成功した。

 第二塹壕戦から先に主だった防衛陣地は無く、塹壕が掘られてはいたもののあまり兵を配置していなかったようで、ほとんど会敵せずに縦深することができた。

 これが今回の戦術の優れた点なのだろう。少量の戦力で一点集中した攻撃をすれば強固な前線が突破でき、一度懐に飛び込んでしまえば抵抗は少ない。さらに速度があれば相手の対応も間に合わなくなる。奇襲攻撃は大成功だったんだ。


 俺達の立つこの街では、二週間に渡る砲撃のせいかところどころ建物が崩壊して瓦礫の山になっていた。さらに道端には家財道具や牛車なんかが打ち捨てられ、主人を牛なった牛や鶏などの家畜の死骸にハエが集るという有様だ。 

 恐らく、慌てて逃げだした市民達に置いて行かれたものなのだろう。どこもかしこも強盗に入られたみたいな散らかりようのまま放置されていた。

 だが人影がないこともない。この期に及んでまだ街に居座る民間人がいるようで、俺達の姿を見て慌てて屋内に逃げ込む者や、怯えてへたり込んでる女子供もいた。


 一応、俺達には彼らを殺す手立てがある。でも今回はあえて見逃すことにした。目下我々に与えられた目標は重要拠点の発見と破壊であり、その為に戦力を温存しておく必要があるからだ。

 ここからは各部隊ごとの裁量による単独行動になる。その為味方部隊との共闘を前提にはできないし、孤立した場合の長期戦も視野に入れなければならない。一発の銃弾でも惜しい状況なのだ。


 そうして俺達は大通りを北進していたが、暫くして敵の即席防衛陣地に突き当たった。俺達の行く手を遮るように、道の端から端まで土嚢を積み上げてあり、そこに機関銃を設置してあるのだ。

 そして俺達がその存在に気が付いた時には、向こうもこちらに気が付いたようで、すぐに機銃掃射が浴びせられた。

 騒がしい銃声の後、皆の足元やすぐ脇を銃弾が掠め、蹴り上げられた砂利が突き刺さる。俺達は慌てて左右の建物の陰に身を隠した。


「ちくしょう! あれじゃ突破できないぞ! 迂回するか?!」


 プラカシュが大声で叫んだ。俺達は互いに道の反対側にいるので、大声を出さざるを得なかった。


「いや! できればここを突破したい!」


 俺と同じ側にいるカプタナが返事をする。

 確かに突破はしたいが、こうして建物に隠れている今も敵の機銃弾が壁を抉り、小気味よい音を立てながらレンガの破片をまき散らしている状況だ。かなり危険がある。

 カプタナがさらに続けた。


「あれだけの防衛線を用意しているなら、その奥に重要拠点がある可能性が高い! 危険を承知でも攻めるべきだ!」

「いいぞ、やるならやるぜ、俺は構わん」


 俺はやる気だ。こっちが不利なのは分かっちゃいるが、ここを突破できるなら一気に勝利に近づける。やる価値はあるはずだ。


「私はどちらでもいいぞ、あんたが決めてくれ」


 同じくこちら側にいるククラも問題ないらしい。後は向こうの連中だ。カプタナが再び声をかける。


「どうする?! やるか?!」

「俺達は構わんぞ! いつでもやれる!」


 向こう側のマヘンドラが回答した。向こう側には新兵達もいるが、皆問題ないらしい。


「よし、いいだろう! ここを突破する! だが正面は無理だ! どこか裏道を通って側面か背後から叩く!」

「ならあそこがいい! あの路地から奥へ進めそうだ!」


 カプタナの決断に対し、プラカシュが提案をした。正面の通りから一本隣に、細い裏道があったのだ。確かにここからなら回り込めそうである。だがそこへ行くには大通りを少し前進しなければならず、機銃掃射に晒されることは間違いないだろう。だがカプタナには策があるようで、すぐにそれを伝えた。


「分かった! あの道を進もう! 牽制して機銃の弾を吐き出させろ! 弾切れを起こしたら煙幕を起こして一気に渡るぞ!」

「「了解!」」


 俺達は皆了解し、方針が固まった。俺はすぐに物陰から顔を出して短機関銃の銃口を機銃に向ける。だがこれは挑発である。俺は単発で数発撃ち込み、すぐに物陰に戻った。

 すると狙い通り、敵の機銃が銃弾をばらまいてきた。バシバシッと遮蔽物の壁面を削り、煙が上がる。

 今度は向こう側でプラカシュが銃撃を加えた。銃弾の曳光はそちらへ向き、更に銃弾をばらまいた。

 そして今度は再び俺が銃撃を加え、こちらに銃弾が飛んでくる……。

 この連携を数度繰り返すうち、いよいよ顔を出しても反撃が無くなった。奴が弾切れを起こしたんだ。


「今だ! 行くぞ!」


 カプタナの号令を聞いて、発煙手榴弾を用意していたククラとマヘンドラがそれを道路上に投げ込む。

 カラカラと地面を転がる音が鳴り、数秒の間を開けた後、一気に灰色の煙が立ち込めた。これでこちらからも、向こうからもお互いの姿が見えなくなった。


「行け! 行け! 行け!」


 再びカプタナが声を掛け、俺達は全速力で目的の裏道へと駆け始める。

 だがそれでも敵の射撃は俺達の方へと飛び込んできた。しかも、敵は機関銃一台だけではない。小銃を持った通常歩兵の射撃も俺達を襲った。

 そして運悪く、当てずっぽうの射撃は最後尾を走っていたユバナの肩をかすめてしまうこととなる。


「あああっ!!」


 まだ声変わりもしていないであろう、情けない悲鳴が聞こえ。ユバナは短機関銃を放りだして地面に倒れ込んだ。


「クソ! ユバナの奴がやられた!」


 ユバナの前を走っていたプラカシュが叫ぶ。


「あの野郎世話焼かせやがって!」


 俺も思わず愚痴を吐いた。俺達は皆既に安全な場所まで辿り着けていたのに、これでは誰かが戻らなければならない。ひと思いに死んでいてくれれば話が早いのに、中途半端に生きていては余計に世話が焼けるんだ。それに肩を撃たれただけならまだ走れるはずじゃないか。でも何かを訴えるような顔してへたり込んでいるところを見るに、あいつはビビッて腰が抜けてるんだ。

 俺はどうしたものかと考えていたのだが、そうしているとプラカシュが俺に短機関銃を押し付けてきた。


「持ってろ! 俺が行く!」


 あいつ一人で助けに行くつもりらしい。プラカシュは返事も聞かずに走り出した。

 もう煙幕は晴れ始めている。もしかしたらうっすら影くらいは見られているかもしれない。しかも、プラカシュが走り出してすぐに機関銃がまた火を噴き始めた。再装填が済んだらしい。もし見られていたらあっという間にハチの巣だ。


「お前らプラカシュを援護しろ!」


 この様子にカプタナがすぐに指示を出した。俺達は物陰から顔を出し、先ほどと同じように援護射撃を加える。

 そして、そうこうしているうちにプラカシュも無事ユバナの元まで辿り着いたようだ。


「ほら! 立て! 立て!」


 プラカシュがユバナに肩を貸すと、彼はふらふらと立ち上がった。しかしこうしている間にも、敵の機銃弾が彼等の周囲を掠めており、いつ撃ち抜かれても仕方のない状況だ。

 プラカシュはさらにユバナの放り投げた短機関銃を拾い上げ、二人とも大急ぎでこちらに駆け寄る。


「プラカシュ! 急げ!」


 俺は声を掛けながら、敵に制圧射撃を加え続ける。しかしまずい、煙幕が晴れかけている。俺の目から機関銃手の影が見え始めていた。それはつまり、敵からも二人の姿が見えているということである。


「急げ! 走れ走れ!」


 俺は射撃を続けながら叫んだが、プラカシュはユバナの肩を支えながら走る状態だ。ユバナ本人もまだ腰が抜けて自力で走れない。安全なところまで辿り着くには時間がかかった。

 そして、あと一歩というところでプラカシュの脇腹を機銃弾が襲った。肉を抉る音が鳴り、俺がその音に振り返って見れば、既に数発の銃弾がプラカシュの腹部に命中していた。

 プラカシュは血の噴き出す身体で、慣性のままユバナを突き飛ばし、その場に倒れ込んだ。


「プラカシュ!!」


 俺は思わず飛び出そうとした。だが待ってましたとばかりに敵の射撃に晒され、すぐに身体を引っ込める。無策に彼を助け出すのは危険だ。

 プラカシュは今、地面に倒れ込み苦渋に満ちた表情で必死に立ち上がろうとしている。一方のユバナは無事安全な場所まで逃げ込めていた。助けを要するのはプラカシュ一人だが、もう発煙手榴弾も無い。どうにか手を考えなくては。

 俺は必死に頭を回転させたが、空回りする歯車みたいに何も考えられない。状況を把握するだけで、それ以上の事は靄が掛かったみたいに何も思いつかなかった。


「プラカシュ!! 耐えろ!! 今助けるからな!」


 とりあえず、今はそうして声を掛けるだけで精いっぱいだ。こうしてまだ頭の中をこねくり回している間にも、状況はどんどんと動いていく。

 プラカシュはユバナの短機関銃をどうにか持ち上げ、敵の機銃にありったけの銃弾を浴びせにかかった。俺の居場所からは敵がどうなったか分からないが、仰向けで寝転がるプラカシュの身体には、反撃として更に銃弾が叩き込まれた。

 高速の鉄塊が彼の身体を貫く度、肉がはじけ、血が踊る。後には巻き上げられた土煙が、風に流される静寂が残った。


「やめろぉ!! ふざけんなクソ野郎!!」


 止めてくれるわけなんかないのに、俺は大声で怒鳴りつけた。


「ローガ! 俺達も手伝う! 援護射撃をするから急いで連れ戻せ!」


 カプタナが言った。ククラとマヘンドラも援護してくれるらしい。もう一か八か飛び出すしかないらしい。


「分かった! 頼む!」

「三、二、一で行くぞ! いいか?」

「いつでもいいぞ! 任せろ!」

「よし、三、二、一!」


 俺は秒読みに合わせて飛び出した。カプタナ、ククラ、マヘンドラの三人も揃って遮蔽物を飛び出し、敵の防衛線に向けて制圧射撃を加える。

 俺は片手で形だけの威嚇射撃をしながら、プラカシュの元まで辿り着き、すれすれを銃弾がかすめるなかプラカシュの襟を掴んで大慌てで引きずって行った。


「いいぞ! 戻れ! 戻れ!」


 俺は遮蔽物まで無事に戻ることができ、それに合わせて援護射撃をしていた三人も顔を引っ込める。


「プラカシュ! 生きてるか!」


 俺は大声で呼びかけたが、プラカシュはゲホゲホと苦しそうに血反吐を吐くばかりで返事をしない。


「ご、ごめんなさい……僕なんかのせいで……」


 ユバナは青ざめた顔で謝罪した。そうだ、こいつのせいでプラカシュは撃たれたんだ。俺はこいつを一発ぶん殴ってやりたくなった。


「クソッ!!」


 でも俺は地面を一発殴るだけに留めておいた。あいつを殴り飛ばしても、何の解決にもなりやしない。


「プラカシュ! どこを撃たれた! 死ぬなよ!」


 俺はプラカシュを仰向けに姿勢を整えてやった。カプタナとマヘンドラが見張りにつく中、ククラもやって来て二人でプラカシュの状態を診察する。だがパッと見だけでも状況は最悪だ。血はそれほど多く出ていないようだが、銃創は見える範囲で十数ヶ所ある。射入口と射出口に分けたとしても、五~六発の銃弾が突き刺さった計算だ。被弾箇所も悪い。手足の銃創はまだマシだが、脇腹や胸部にも銃弾を受けてる。どう考えても生き残れる傷じゃない。


「ちくしょう……いてぇ……くそいてぇよ……」


 プラカシュは血だらけの歯を思いっきり食いしばりながらそう言った。ククラがそれを見て声を掛ける。


「ふざけんな! なに諦めてやがる! お前はこんなところで死ぬ奴じゃないだろ!」


 ククラはもうプラカシュが諦めていると分かっていた。その理由は俺にも分かる。プラカシュの奴にまだ生きる気力があって、戦う意思があるなら、痛みなんて感じないんだ。脳みその麻薬が痛みなんて忘れさせてくれるんだ。でもプラカシュは酷く痛がっている。これはいよいよダメな証拠だ。プラカシュはもう戦意を喪失し、自分でも死ぬと分かっているんだ。


「助けてやるからな! すぐに自陣へ帰ろう!」


 ククラが声をかける横で、俺はとりあえず気休めのモルヒネを膝に打っておく。俺も何か声をかけてやりたかったが、どう声を掛けたものかと迷っていた。「死ぬな、頑張れ」とケツを叩くべきなのか「よくやった、ゆっくり休め」と労うべきなのか、彼にとってどちらがいいのか分からなかったんだ。


「俺はもうダメだ……なあガラタ……後生だ、乳揉ませろよ……」


 プラカシュは咳なんだが笑いなんだか分からない声でニヤけ、そう語る。


「もう喋るな! こんな時まで何言ってやがるんだ! このスケベオヤジめ!」


 ククラは怒鳴りつけたが、表情は怒りのそれじゃない。


「……へへへ、そんなに褒めるなよ」


 プラカシュはいつものように、下品に笑ってみせた。それと同時に、体中からどっと血が溢れてくる。さっきまで滲む程度だったというのに、布で原酒を濾す時みたいに溢れてきやがった。

 どうやら身体まで諦めちまったらしい。それまで出血が少なかったのに、戦闘が終わってから血が出るってのはよくある事だ。プラカシュの身体が、もうお手上げだと言っているんだ。


「戻ったら乳くらいいくらでも揉ませてやる! だから死ぬな!」


 それでもククラは声をかけた、だがその言葉はもうプラカシュの耳には届いていないようだ。その時にはもう、彼の身体は息遣いを止めて静かになっていたのである。


「……行くぞ」


 カプタナが、低く、落ち着いた声で言った。


「ああ、分かった……あんたはよくやったよ、ゆっくり休め」

「達者でな……必要なものだけもらっていく」


 俺とククラはすぐに冷静になり、仕事に戻りはじめる。

 いちいち感傷に浸っている余裕はないから、頭の中で引き出しの中身をすぐに入れ替えるんだ。

 いや、違うな、引き出しごと入れ替えたんだ。

 カプタナだって薄情で冷血なわけじゃない。これが彼の仕事ってだけなんだ。


「もういいぞ、出発できる」


 ククラが皆に告げた。俺も黙ってうなづく。俺達はプラカシュの死体をそのままに、先を急ぐことにした。

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