朝焼けの塹壕線
新兵が来てからの二週間は、基本的にいつもと変わらない日常だった。
例の新型砲による攻撃が昼夜問わず続き、地を鳴らす発射音と炸裂音が四六時中響き続け、敵からの砲撃も相変わらず俺達の周囲の地形を変え続けていた。
俺達はそんな中、地べたに寝転がって睡眠をとり、命からがら食料を手に入れては悪臭の中それを頬張るという。いつも通りのありふれた日常を過ごしていた。
だが普段と少し違うことも幾らかあった。一つは新型の短機関銃だ。俺達一人一人にこいつが配られ、交代で使い方の訓練を受けてきたのだ。単に動作のさせ方だけではなく、長銃身のライフルとは違う接近戦での運用方法だとか。敵の抵抗点を回避し、弱点ついて敵陣に縦深する戦術についてなんかも学んだ。
それからもう一つ普段と違うことがある。それはナーバとユバナという新兵が居ることと、ククラが随分と彼らの面倒を見てやってるということだ。
ククラは元々かなり不愛想な奴だったが、今のこれが本来の彼女の性格だったんだろう。今まではそれをずっと見せないようにしていたんだ。
ククラは新兵達にこの戦場で生き抜くための知恵をあれこれ教えてやっていた。食料もこまめに分けてやっていたし、事あるごとに何か困ったことがないか、心配ごとがないかと気にかけてやってもいた。
新兵二人の方も、かなりククラに懐いている。それはまあ当然の事だろう。俺達他の古参達が邪険にしていて、他に面倒を見てもらえる相手が居ないのだから仕方ない。
とはいえ、俺達が新兵を気に食わないのは間違いないものの、実のところ追い出すほど嫌っていたわけでもない。むしろ、哀れな子供として気になっても居たんだ。でも、俺達にはどう彼らに接してやればいいのか分からなかった。だから仕方なくククラに任せていたようなところがある。
そういう意味では俺達もククラに助けられた身だった。
そうやって俺達が何気ない日常を過ごしているうち、とうとう攻撃の当日を迎える事になった。
予定通りに二週間街への砲撃が行われ、昨日の深夜から敵前線への砲撃に切り替わったのだ。
着弾時の炸裂音の違いで、前線への砲撃に切り替わったのはすぐに分かる。おかげで俺達は夜のうちからある程度心構えができていた。
そして俺達は日が昇る少し前、まだ真っ暗闇の中起床し、ランプの灯りを頼りに諸々の準備に取り掛かった。
そして東の空が明るみ出した頃、俺達は銃や替えの弾倉、最低限の食料や装備品を背負い、砲弾降りやまぬ塹壕線へと這い出したのだ。
その頃には既に、周囲の掩壕からも突撃隊に選ばれた者達が這い上がっている。朝焼けに染まる塹壕線にはナヤームの兵士達が溢れていた。
「いよいよだな」
肌寒い塹壕の中で、カプタナが俺に声を掛けた。
「ああ、まだ眠くてしょうがない」
俺はあくびをしながら答える。いつもの事だが、騒音と寒さのおかげであまり寝られていないんだ。
今度はマヘンドラが声を掛けてきた。
「お前さんもとうとう後輩を持つようになったんだ。いいところ見せろよ?」
「あんたこそ、頼むぜ”先輩”」
俺達は会話を交わしながらも各々準備を進めている。
俺は銃の動作を確かめ、装備品の点検をしていた。
新型短機関銃、替えの弾倉四個、スコップ、ナイフ、包帯……。
どうやら一通り問題ないようだ。俺はもう一度あくびをしながら新兵達の装備も確かめる事にした。
「どうだ? 一通りの装備は持ったか」
二人の新兵は、自分の装備をあれこれ見回すのを止め、一旦俺の方を向く。
「は、はい! 問題ありません!」
彼らの返事は少し震えているようだった。おまけに、最初ここへ来た時より頬がこけているし、目の下にくまもできている。彼らもあまり眠れていないのだろう。
「替えの靴下は持ってるか?」
「い、いえ……それは持ってません」
「着替えは必要ないと思って……」
「靴下だけは用意しとけ、泥濘で濡らしたままにすると足が腐るぞ」
「は、はい! 分かりました!」
二人はハッとしたようで、慌てて掩壕に戻って行った。
「なあ、あいつら使いものになると思うか?」
入れ替わるように、今度はククラが俺に声を掛けてくる。
「どうだろうな、かなりビビッてるみたいだ。今回の戦闘じゃ足手まといだろう」
「やはりそうか、引き金を引ければ御の字ってところかな」
「最初はあれだけイキってたのにな。所詮ガキはガキだ」
「まあそりゃそうだよ」
「せめて死なないようにはしてやらないと」
そうして俺がククラと暫く話しているうち、新兵二人が駆け足で戻って来た。
「ローガさん! 靴下を用意しておきました!」
「よーしいいぞ、あとは問題ないだろう」
二人の新兵を見て、ククラも声を掛ける。
「お前たち、心配するな。先陣は私達がきる。お前達は私達の支援をしてくれればそれでいい。生き延びろよ」
「は、はい。分かりました!」
「はい、あの……」
ユバナの方はおどおどしながらも返事をしたのだが、ナーバの方は何やらもじもじとして何か言いたげな様子である。
「なんだ、どうしたんだ?」
ククラがそう問いかけたが、彼は「いえ、その……」と何かまだ言いづらそうにしていた。
どうやらいつもの優等生ぶった発言という感じではないようだ。そもそも最近は、諦めたのかそういう文句をあまり言わなくなっていた。いったい何なのだろう。
「あ、あの!」
そして彼は何か覚悟を決めたようで、急に大きな声になった。
「お願いします! 無事生き延びたら、おっぱい揉ませてください!」
おいおいおい、いきなり何を言い出すんだこのガキは。となりのユバナもみるみる顔が青ざめはじめている。俺は咄嗟にククラの顔を見た。丸くなったとは言え流石のあいつも怒るに違いない。
「ハハハハハ!!」
だが思いもよらず、ククラは大笑いして見せた。いったいどうしちまったんだ? ククラは更に続ける。
「いいぜ、生きて帰って来たんなら胸くらい揉ませてやるよ。で? 誰が吹き込んだんだ?」
ククラはオヤジ達の方を振り返り、ニヤリとして見せた。でも明らかに目が笑っていない。
「いやー俺達は何のことやら……?」
オヤジ達は下品にニヤけながら、皆顔を逸らしている。シラを切ろうと発言をしたのはプラカシュの奴だ。たぶん犯人はあいつだろう。
ククラはずかずかと彼の元まで歩み寄った。
「なあ? そんなに私の胸が気になるってんなら、自分で言えばいいだろう?」
ククラは身を乗り出し、目を逸らすプラカシュの顔を覗き込んだ。
「いやぁ……ははは。最近の若いのは盛りがついてていいもんだ……」
「見苦しいなぁプラカシュ、盛りがついてるのはお前だろう?」
ククラは戦士にしては大きい胸を張りながら更に詰め寄る。
「ははは。んじゃあ、俺も戦闘が終わったら乳を揉ませてもらおうかな……」
「ああ、いいぜ。その前にてめぇのイチモツを潰してやるけどな」
おー怖い怖い。やっぱりククラの奴怒ってやがる。下手なことを言わなくて良かった。
ナーバも恐ろしくなったようで、直立不動の姿勢を取って見せた。
「ガ、ガラタさん! 申し訳ありません! つい下品な発言をしてしまいました! どうか、その、イチモツだけは……」
「大丈夫だ、安心しろよ。変な事吹き込んだあいつが悪いんだ」
「じ、じゃあ……」
ナーバは期待の眼差しをククラに向ける。隣のユバナもだ。これを見てククラは今更頬を赤らめた。
「えっ、あ、いや、そうだな……揉ませてやるって言っちまったもんな……分かったよ。その代わり……ちゃんと五体満足で生き延びろよ」
「「ありがとうございます!」」
新兵二人は飛び切り真っ直ぐな眼差しで感謝を述べた。
っていうか、ちゃっかりユバナの奴もおこぼれにあずかっていやがる。この様子をみて、他のオヤジ達も手を上げた。
「じゃあ! 俺も生き延びたらおっぱい揉んでいいのか?!」
「玉ひとつくらいなら潰されたっていいぜ!」
「俄然やる気がでてきたってもんだ!」
だがククラは真っ赤になって彼らを怒鳴りつけた。
「誰がてめぇらなんかに触らせるか!! 勝手にくたばってろクソオヤジ!!」
そりゃあそうか、流石のククラも下品なオヤジに胸を触らせる気はないらしい。相手を子供だと思ってのことのようだ。
こうして俺達はやいのやいのと言いあっていたのだが、暫くして将校が現れることとなる。
「総員戦闘準備!」
将校は俺達の前を歩いて行き、険しい顔で何度も大声を上げた。
もう歓談は終わりである。いよいよ突撃の時間だ。
俺達は意識を入れ替え、もう一度装備品の点検をしてから一列に塹壕の壁に並んだ。気が付けば味方の砲撃も止まり、地平線には太陽の姿も覗いている。
そうしているうちに、プラカシュが俺に話しかけてきた。
「どうだ? いい気晴らしになったろう? あのガキどももちったぁ緊張がほぐれたんじゃないか」
「ったく、冷や汗かかされたよ」
俺は溜息をつきながら新兵二人の様子を見てみた。恐怖と不安でひきつった表情をしていることにかわりなかったが、多少なり気が楽になってはいそうだ。どうやらプラカシュはここまで見越してあの茶番を演じていたつもりらしい。
バカげたやり方だが、少しでも仲間の生存率が上がったのであればありがたい。俺は一応新兵二人の調子を聞いてみることにした。
「お前達、どうだ? 上手くやれそうか?」
「は、はい……。足手まといにならないように、頑張ります」
先にユバナが答えた。次にナーバも答える。
「大丈夫です。必ず、穢れた獣人共を根絶やしにしてやります。祖国の為ですから、死ぬのなんて怖くありません。任せてください」
「そうか、分かった。頑張れよ」
まったく、怖くないだなんてどの口が言ってるんだか。ぶるぶる震えているじゃないか。
しかし、このナーバにククラの素性が割れてしまうと厄介そうだ。忌み嫌っている獣人の胸を揉めると喜んでいたなんて知ったら、どうなる事やら。とは言え、今はそんなこと気にしている場合でもない。
そろそろ周りの雰囲気も物々しくなってきた。忙しなく動き回る兵士は居なくなり、みな塹壕の壁でその瞬間を虎視眈々と待ち構えている。流石の俺も、緊張に鼓動が逸るのを感じ取っていた。
だがそんな時である。俺はふとあるものが目に留まった。身の丈程の塹壕のへりに、一匹のバッタが歩いているのだ。
俺は何となくそいつが気になって、思わず手に取ってみることにした。
「なあ、見てみろよ。黄色いバッタだ」
「急にどうしたんだ? バッタなんて珍しくもないだろう?」
隣に立つククラが反応を示してくれた。
「いやな、バッタは普通緑だろう? ほら見てくれ、黄色いバッタなんて初めて見た」
「確かに黄色いな。で? それがどうしたってんだ?」
「いやぁ、なんとなく気になって」
すると今度はプラカシュが興味を示してくる。
「なんだ? 俺にも見せてくれよ」
という訳で、俺は振り返り彼にもバッタを見せてやった。
「確かに黄色いな。たまたまだろう? こいつは食えんのかな、大量にいりゃあ腹を満たせそうだ」
「大量にかぁ? うぇえ、気持ち悪い……」
ククラがあからさまに嫌そうな顔している。俺だってできればこんなもの食いたくない。
「そうか? うちの地元じゃたまに食っていたぞ?」
「冗談よしてくれよ、虫なんか食いたくねぇ」
俺はそう言ってぽいと空にバッタを投げ捨てた。
「こんなところに迷い込むなんて、お前も災難な奴だな。砲撃で吹き飛ばされないうちにどこかへ行っちまいな」
バッタはその羽をはばたかせ、気が付けば東の空へと飛び去って行く。そして入れ替わるように、将校の怒鳴り声が響いた。
「総員突撃用意!!」
いよいよだ。その言葉を境に、一気に塹壕は静まり返る。
もうこういうのは何度目かも分からない。それでも心は静まらなかった。これから俺は人間を殺しに行くんだ。
でもその不安以上に、戦略目標を手に入れてやるのだという高揚感も感じていた。
今から始まる戦いの中で、俺は生命を感じていられる。俺がここにいる意義を実感できる。俺は戦うためにここにいるんだ。
気づけば、俺の唇は口角を上げ、今にも笑い出しそうになっていた。
そうしてしばらくして、いつものようにホイッスルの音が鳴り響いた。
「ビィィィィイイイッ!!!」
俺はその音を合図に、雄たけびを上げて塹壕を飛び出した。まるで、主人に「よし」と言われた犬みたいにだ。
俺は全速力で走った。朝日に照らされる中間地帯を踏みしめて、敵陣へと近づいていく。
俺が目指すのは、その先にそびえるサングルマーラの街だ。
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