朝靄の決戦(改稿予定)
翌朝未明、村人達は濃い霧のなか目を覚ました。
いつもより大分早い目覚めである。ローガやルーウェンも、重い瞼を擦りながら行動を開始した。
敵はいつ訪れるか分からない。前日にできることは済ませた上で、立ち込める雲霧が朱色に染まる頃には迎撃の準備を整えた。
寺院では非戦闘員が集まり、ルーウェンも他の村民達とここに籠っている。
奇襲地点では皆銃の動作を確かめ、塹壕と両脇の建物に身を潜めているところだ。
ローガも塹壕の中で村人達と待機し、ラジャータは二階の窓で村人たちと待機している。
コの字の包囲網の中央には、物資に見せかけた囮の木箱を積んであり、保安官が一人誘導役として側に立っていた。
あとは敵が訪れるのを待つだけだ。
皆緊張感に圧され、まだ涼しいというのに汗が噴き出すのを感じている。
濃い霧は視界を遮り、村の周囲は見渡せない。特に塹壕や建物の中に籠っている戦士たちは、壁に阻まれて余計に周囲を確認できないので、耳を澄まして周囲の音に神経を集中させるしかなかった。
村人達は恐怖と緊張から誰も言葉を発することはなく、朝靄の中に鳥の声だけがこだまする。
だがラジャータただ一人は、他の者達には見えないものを見ることができた。彼女は村へと近づく何者かの気配を感じ取ったのだ。
「来たぞ、皆集中しろ」
建物の窓際で、周囲の村人達に警告をするラジャータ。更に一階へと降りてから、塹壕のローガにも状況を伝えに向かった。
「おい、ローガ。奴ら来やがったぞ」
ローガは塹壕の蓋を少しだけ持ち上げて答える。
「分かった」
それだけ言ってローガは塹壕の中に戻り、ラジャータは次に保安官の元と向かった。
「奴らもう来るぞ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、気配がしている。村を取り囲むように迫ってきているな。本隊の到着も近いようだ」
「わ、分かりました。手筈通りに、どうにか上手くやってみせますよ」
「ああ、頼んだぞ」
ラジャータは持ち場へと戻っていき、村の道には保安官一人が残された。
まだ敵の姿は見えない。だが彼らは着実に近づいている。ローガも塹壕の壁に耳を当て、地面を伝う音から車輪が土を踏む音を聞き取っていた。
そして保安官が息を呑み、村の外へと続く道の先を見つめていると、段々と黒い影の一団が現れはじめた。
最初ただのもやとして映ったその影は、次第にその姿をはっきりと晒しだし、とうとう牛車と十人程の敵が保安官の前に対峙する。
まだ距離は十メートルほど離れている。敵はその半数がフタデサの軍服を着こんでおり、もう半分は毛皮や革の衣服をまとい、露出させた腕や腹、顔などには朱色のボディペイントを施していた。
特徴的な見た目の彼らがこの森の先住民である。先住民の戦士の中には女の姿もあった。
「お、お待ちしておりました! こちらに食料があります! ど、どうぞ持って行ってください!」
保安官は丸腰で両手を上げ、敵意の無いことを示してから背後の木箱を示して見せる。
そんな保安官を見て、敵の一人が語りかけた。
「やけに素直だな。何があった?」
「何があったって……もうわしらには戦う術なんてないんですよ……もう抵抗せずに食い物全部渡して、見逃してもらうしかないんですよ……」
保安官は怖がっているように見せかけ、ゆっくりと後ろの塹壕へと下がっていく。
敵の戦士達は、数人が牛舎から離れて周囲の建物へと押し入っていった。
そして先程の敵戦士は苛立ったように保安官へ言い返す。
「違う。俺が気に食わないのはお前のその話し方だ。お前いったいどういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も、殺されちゃあ適わないんですから、当然でしょう……」
戦士が歩み寄るなか、保安官は誤魔化すように苦笑いしてみせた。
「お前達はそういう礼儀を知った奴では無かったはずだがな。頭の皮に賞金を賭ける連中がやけにうやうやしいではないか」
「いやはや、きっと何かの誤解でしょう……我々だってそう社交に疎い訳じゃないですからねぇ」
保安官の態度に男は更に苛立ち、保安官の目の前まで近づくと乱暴にその胸倉を掴み上げる。
「貴様どういうつもりだ! 今更命乞いでもする気か白々しい!」
「お、お待ちを!」
男は、弱々しくあえて抵抗を見せない保安官を突き飛ばし、彼はそのまま尻もちをつく。
その状況は、後ろの塹壕に潜む村人たちにも音だけで大体把握できていた。思わず村人の一人が飛び出しそうになる。
「野郎よくも……! ぶっ殺してやる!」
だが咄嗟にそれをローガが止める。
「よせ! 早まるな! 合図を待つんだ!」
飛び出そうとした男は踏みとどまり、苦い顔をローガに向けた。
地上では、保安官が尻を地面についたまま、尚も塹壕の方へと後ずさっているところだ。
その時、民家へと押し入っていた戦士の一人が早足に飛び出してきた。
「おい! どうもおかしいぞ! どの家ももぬけの空だ!」
それを聞いて保安官を問い詰めていた男はハッとする。
「まさか罠か?!」
とうとう野盗達に気づかれてしまった。
だが時間稼ぎとしては充分だ。既に野盗達はこちらの罠に飛び込んでいる。
塹壕まで後ずさった保安官はドンドンとその蓋を叩いて掛け声を叫んだ。
「
それに答えるように、塹壕の蓋が勢いよく開けられ、ローガ達が飛び出した。
「ラハーキャロー!!」
入れ替わるように保安官が塹壕の中へ飛び込み、ローガ達の銃口は野盗達に向けられる。更に左右の建物からも「ラハーキャロー」の掛け声が上がり、銃口が突き出された。
そしてけたたましい銃声が鳴り響き、村人達の一斉射撃が野盗達に浴びせられたのだ。
野盗達は、隠れる場所もないままコの字の十字砲火を受け、一気に大混乱に陥った。
慌てふためく野盗達に対してなおも銃撃は浴びせられ、幾重にも銃声が鳴り響き、朝靄の中に硝煙が立ち込めていく。
野盗達は意表を突かれながらに応戦すべく撃ち返しだが、塹壕と家屋で身を隠した村人たちの守りは固く、ほぼ一方的に野盗達が撃ち殺されていく。無防備に身を晒す野盗達は、その胸を、腹を、頭を撃ち抜かれていき、一人、また一人と倒れていった。
そうして野盗達が敗走を始めるまで、さほど時間はかからなかった。
彼らは牛舎を置いて走り出し、慌てて来た道を戻り始める。だがここでもう一つの策が刺さった。
野盗達が戻ろうとした道に、逆茂木を備えた車が現れて退路を塞いだのだ。
これも事前に仕込んだものである。納屋に伏兵と車を忍ばせてあり、タイミングを見計らって路上に押し出したのだ。
おかげで野盗達は引くに引けなくなり、慌てて他の脱出口を探したが、他の通路も逆茂木で塞がれていて逃げ場がない。あっちに行っては引き返し、こっちに行っては引き返しを繰り返すうちに、次々と銃弾に倒れて行った。
「勝った! 勝ったぞ!」
これを見て村人達は勝利に沸き上がる。もはや雌雄は決したとみて、積年の恨みを晴らすべく我先にと塹壕を飛び出したのだ。
「待て! 出るな!」
ローガはそんな彼らを制止しようと声を掛けた。だが勝利を確信した彼らの耳には入らず、その愚行を止めることはできなかった。
同じ様に左右の建物でも村人たちが持ち場を離れ、ラジャータの制止も聞かずに飛び出して行く。
これが軍隊であれば重大な命令違反である。そしてそれがどういう事態を招くのか、ローガとラジャータは理解していた。
復讐心と勝利に酔いしれた彼らは、考えなしに残党を追いかけてどんどんばらばらになり始める。
そうして村人達は、どうにか隙間を見つけて村の外へ出た残党の背を追って、自らも村の外に出て行ったのだ。
そんな彼らを待ち受けていたのは敵の伏兵である。草木に器用に隠れて、見えざる敵の銃撃が村人を襲った。
無防備に飛び出したこともあり、早速数名の村人が撃たれて倒れこむ。それを見てようや愚行に気づいた村人達は、慌てて方向転換して村の中へと戻り始めた。
だが、自らが築き上げた逆茂木に阻まれてまっすぐ戻ることができない。村人達はいたずらにその背中を撃ち抜かれていった。
「撤退だ! 戻れ戻れ!」
ローガは彼らを引き返させようと叫んだ。森の中からは、もはや形勢は逆転したと見て続々と野盗達が飛び出してきている。
ローガは逆茂木を遮蔽物代わりに敵を迎え撃ち、村人達を援護した。それでもローガの目の前で、どんどんと仲間が倒れて行く。
結局多くが殺されてしまったが、生き残りが中へ戻ったのを確認してから自らも撤退を開始した。
しかし反撃を開始した敵は、逆茂木をものともせずククリ刀でその枝を捌きながら、村内への侵入を試みている。それでも多少の時間は稼げていたので、ローガはこの隙に囮の木箱に火を放つことにした。これも万が一の為に用意した策である。
木箱の中には生の枝葉と油が詰め込まれており、火をつければたちまち煙が上がるのだ。朝靄と合わせて視界を遮り、その隙に寺院まで後退する手筈である。
ローガがマッチで急いで着火すると、油はすぐに燃え広がり、たちまち煙を発し始め、次第に広がる煙は白い霧に交じって道じゅうに立ち込めた。
「退け! 退け! 寺院まで後退だ!」
ローガは更に声を掛け、村人達を誘導しながら自らも寺院へと向かった。
塀に囲まれた寺院の入り口は一か所で、ここも土嚢を積み上げて敵を迎え撃てるようにしてある。ここがこの村の最終防衛ラインだ。
ローガは煙の中迫りくる敵兵を相手にしながら少しずつ後ずさり、村人達を誘導する。そして大方の村人が寺院に入ったとみて、ローガもこの土嚢の裏へと飛び込んだ。
土嚢の中には一足先にラジャータが到着しており、他の村人達と共に迫りくる野盗に向けて牽制射撃を加えている。
「これで全員か?!」
ラジャータは隣に来たローガに問いかけた。
「分からん! 殺された奴もいるんだ! 全員かどうかなんて分かるか!」
すると、その場にいた村人が何かに気付き報告する。
「見てくれ! まだ生きてやがった!」
ローガが言われて見ていると、負傷した仲間の肩を支えながら村人が煙の中から現れた。
「援護してくれ!」
それを見たローガは、迷いもせず土嚢の陰から飛び出し彼らを迎えに出る。
「大丈夫か?! もうすぐそこだ! がんばれ!」
そう声を掛けて二人の元まで辿り着くと、ローガは負傷者の反対側の肩を支え、二人がかりで寺院の中へと急いた。
だがその時である。
一発の銃声が鳴ったかと思うと、共に負傷者を支えていた村人が崩れ去り、頭部から血を噴き出して地面に倒れ込んだのだ。
「クソッ! 狙撃手だ!」
ラジャータが咄嗟に叫ぶ。どうやら事前情報にあった狙撃手が現れたらしい。
と言ってもその姿が見えるわけではない。報告と違い、銃弾は北側から飛び込んできた。ジャングルの木々に隠れて、一方的に狙撃を仕掛けてきているらしい。
「霧が晴れたんだ! 畜生ふざけんな!」
気が付けば朝靄が薄くなり、村の中を煙幕が覆うだけになっている。どうやらこれにより、端にある寺院の前が射線に入ったようである。
ローガは支えを半分失った負傷者を担ぎながら、大慌てで土嚢の陣地へと向かった。
その途中にも再び狙撃手の銃弾が放たれ、ローガの足元を間一髪でかすめる。それでもローガはお構いなしに走り、土嚢まで近づくと転がり込むようにその陰に隠れた。
ひとまずこれで狙撃手からの射線を切ることができた。
土嚢の陰で息を整えていると、寺院の中からルーウェンや他の女子供が出て来て、負傷した村人を中へと連れ込みはじめる。彼らはバックアップとして戦闘員を援護する立場だ。
「ローガ様! 怪我はないですか?!」
「ありがとう! 俺は大丈夫だ!」
「ラジャータさんも無事ですよね?!」
「心配するな! 問題ない!」
「ルーウェン! 俺達は大丈夫だ! 早くそいつを手当てしてやってくれ!」
「は、はい! 分かりました!」
ルーウェンは他の村人達と協力しながら、大急ぎで寺院の中へと戻っていく。
だが、その時寺院の敷地内から悲鳴が鳴り響いた。
一体何事かとローガが振り返って見てみると、村人の一人が頭を撃ち抜かれて倒れていたのだ。
「射線が中まで通っているんだ! やろう木の上から狙ってやがる!」
ローガはそう報告した。どうやら狙撃手は、高い位置から寺院の塀を超えて敷地内を狙撃できるらしい。
「急いで屋内に隠れろ! 急げ急げ!」
ローガは入り口をラジャータ達に任せ、中の村人達を大急ぎで屋内へと避難させていく。
その間にも狙撃手の凶弾は飛び込んで来て、数人が撃ち抜かれていった。
「くそ……わざわざ元気な男ばっかり狙いやがって! 余計なお世話なんだよ!」
どうやら狙撃手は撃つ相手を選んでいるらしい。非戦闘員は狙わず、まだ戦う能力のある男ばかりを標的にしているようだった。
ひとまず皆を屋内まで非難させたローガは、ラジャータの元まで急いで戻り、隣に屈むなりすぐに彼女に告げた。
「このままじゃ防戦一方だ! ここは任せた! 俺が奴を殺してくる!」
ローガは狙撃手を一人で倒しに行くつもりだ。だが当然野盗に囲まれたこの状況では自殺ものである。思わずラジャータが止めようとする。
「待て! 一人で行くのか?! 無謀だ!」
「死んだら骨は焼いてくれよ!」
だがローガはラジャータの了解も待たずに、さっさと土嚢を飛び越えて走り出してしまった。
「勝手にくたばれバカ! 世話焼かせやがって、お前達援護しろ!」
ラジャータは他の村人に指示を出し、露払いの援護射撃でローガを支援する。
狙撃手は北側の森に潜んでいるようなのだが、当然そこまでまっすぐ走って行けば無為に殺されるだけである。ローガは東側に迂回して森に入り、側面から狙撃手を叩くことにした。
まず、土嚢を飛び出したローガはすぐに近くの建物の壁に張り付く。そこまで道を横断するときには、ラジャータ達の援護射撃のお蔭で敵を釘付けにできていたので、幸い狙われることは無かった。
ローガが建物のドアを蹴破って中に入ると、そこにはすぐ野盗が一人いた。まさか向こうから攻めてくると思っていなかったようで、運よく意表を突くことができた。
ローガは銃床で敵の顎を砕き、もう一発殴りつけて鼻をへし折ってやった。さらに続けざまにナイフを取り出すと、彼の喉仏を正確に切り裂く。
喉を裂かれてはもう助からない。突然の襲撃に、野盗はわけも分からずそのまま倒れ込んだ。
ローガは血の付いた刃をズボンで拭い取ってから、ナイフを銃口に取り付けて銃剣とする。
ローガが発砲しなければ、この混沌とした状況の中気づかれる可能性は低い。そのまま銃剣による近接格闘で建物伝いに煙の中を移動することにしたのだ。
今いる建物は他に人影が無く、ローガは一度外に出てから次の建物に移動することにした。
反対側のドアから外に出て、二件目のドアまで辿り着くと、ローガは躊躇いなくこれを開け放つ。
すると今度は二人の敵兵が目に入った。一方がローガに気付き銃を向けようとするので、彼の顔面に食器を投げつけて怯ませ、反応の遅れたもう一方を銃剣で串刺しにする。
刃は腹筋を貫いて内臓に達し、さらに血のにじむ腹から銃剣を引き抜くと、今度は顎から頭部に向けて銃剣を突き上げた。その刃は顎の骨の隙間から深く突き刺さり、脳髄を切り裂いて致命傷を与える。
ローガは血反吐を吐く頭部から銃剣を引き抜き、次は食器を食らって顔を押さえている男の方へと向かった。
彼は顔面を押さえたままで反撃の余地は無いようだ。ローガは彼の顔面に銃床の角を叩きつけ、よろめいたところにもう一発殴りつけて地面に引き倒した。
「やめっ……よせっ……!」
敵はローガを止めようと声を上げたが、彼が言い終わる前に三発目を振り下ろし、その衝撃で彼の頭蓋骨は砕ける。ローガが肉片のこべり付いた銃床を持ち上げると、男はいよいよ動かなくなってしまった。
ローガは血肉の付着した銃床を死人の衣服で拭い、次へと向かう。そして入ってきたドアとは反対側の戸口から外に出た。
すると中での悶着を聞いていたのか、ドアに出るや否や突然敵兵にククリ刀を振り降りされた。
ローガは咄嗟に銃身でこれを受け止め、相手の腹に蹴りを入れて弾き飛ばす。後ずさったところを間髪入れずに銃床で殴りつけ、更に銃剣で腹部を突き刺した。相手は思わずククリ刀を落とし、激痛から咄嗟に腹に刺さった銃剣を掴んだ。
ローガはそんな相手をそのまま背後の逆茂木まで押し込んで、その身体を串刺しにする。逆茂木の枝は男を突き抜けて飛び出し、そのまま彼は絶命した。
そして、この逆茂木の向こうは村の外側、狙撃手のいる森である。寺院からも充分に離れ、迂回路としては丁度良かった。
ローガは、串刺しにされた男の身体をこれ幸いと利用し、死体を踏みつけて逆茂木を飛び越えると、姿勢を低くして森の中へと入って行った。
森は薄暗く、木々に遮られて村での銃声も幾分か遠のいて聞こえる。ローガはなるべく枝葉を揺さぶらないよう慎重に歩きながら狙撃手の姿を探した。
大体の方角は分かっているが、鬱蒼とした森の中ではその姿を捉えるのは難しい。ローガは敵が再び銃声を鳴らすのを期待したが、一向にその音は鳴らない。
慎重に森の中を進むうち、気が付けばローガは狙撃手が居たであろう寺院の側面にまで来てしまっていた。ローガは戦士の勘で気づく。敵は恐らくこちらに気が付いている。だから銃声を鳴らさないのだ。
その時、ローガの頭上で物音がした。
咄嗟に銃口を上に向けて見てみると、ククリ刀の刃を向けて、樹上から襲い掛からんとする敵の姿があった。
ローガは銃身を盾にしてその刃を受け止めにかかる。火花が散り、刃がローガの髪をかすめたが、どうにか斬撃を貰わずに済んだ。
ローガはそのまま半身を引き、引き倒すように相手をいなす。敵は器用に転がって落下の衝撃を吸収し、そのまま茂みの中へと消えていった。
一瞬しか見えていなかったが、どうやら獣人の女らしい。ライフルを背負っていたので、やはりこの女が件の狙撃手のようである。
敵は退却したわけでは無い。次の一手を加える隙を伺い、どこからか奇襲をかけてくるに違いない。ローガは銃剣を中腰に構え、周囲一面を警戒した。
時折草の擦る音がして、その度咄嗟にそちらに銃を構えるが、敵は現れない。銃声と草木のざわめきの中に、張り詰めた沈黙の間が重なる。
そして、再び草木の揺れる音が背後で鳴った。今度は今までより音が大きい。後ろを取られた。
ローガは急いで振り返り、その凶刃を眼に捉えて間一髪銃身でそれを受け止めた。だが振り返りざまの無理な姿勢であったため、ローガは手に持った銃をそのまま投げ出してしまう。
当然相手もこの隙を逃すはずがない。そのまま蹴りを入れられ、ローガはよろめいて後ずさる。そこへ二度目の斬撃が振り下ろされた。
だがこれも間一髪で翻し、空振りした腕を掴む。だが敵もタダではやられない。肘打ちしてその手を振りほどき、足技でローガを引き倒すと、その上に覆いかぶさって地面に押さえつけた。
仰向けになったローガに、さらに相手のククリ刀が勢いよく振り下ろされる。
ローガは器用に身体をくねらせ、腕で刀を持つ手を逸らしながら、思いっきり頭を横に振った。おかげで刃はどうにか狙いを外し、地面に突き刺さる。
そして目と鼻の先の距離で向かい合ったことで、ローガの目に敵であるはずの女の顔がはっきりと映ることになった。
ローガはその女の顔を見て驚くことになる。
朱色のペイントを頬や額に施し、先住民と同じ露出の多い毛皮の衣服であったが、間違いない。
灰色の髪に、右耳が欠けた狼の獣人、鼻筋の通った美しい顔立ちに、碧い瞳。ローガはこの女を知っていた。
「ククラ……か……?」
それを聞いて、女はハッとして目を見開いた。そして何も言わず手を引き、ローガの上をどいて怯えたように後ずさっていく。
押さえが解けたローガもおもむろに立ち上がり、再度問いただした。
「ククラ……お前なのか?」
女は動揺し、怒鳴りつけるように言い返す。
「何の話だ! お前のことなど知らん!」
だがやはり、その怒声もローガにとっては聞き馴染みのある声だった。
「俺だ……ローガだ……。サングルマーラの戦線にいたろ? 分からないか……?」
「知らない……! 私はお前など知らない!」
「本当に分からないのか? ククラ、お前だよな?」
ローガは恐る恐るその敵兵に近づいていく。
「寄るな! それ以上来たら殺すぞ!」
ククラと思しき女は、刀を突きつけてローガを制止する。そしてそのままじりじりと後ずさって行った。
「な、なあ……違うなら違うと言ってくれ……お前は……」
「黙れ! 私はお前など知らない!」
ローガが言いかけたところで女が怒鳴った。
そして立ち止まって何も言えなくなったローガを前に、女はそのままどんどん後ずさって行く。
「次……次会ったら殺すからな……」
ローガを睨みながらそう呟き、女はそのまま距離を離していく。
そして、段々と茂みの陰に隠れて行き、森の奥にその姿を消したのだった。
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