戦闘準備(改稿中)

 朝食の後、ローガの元はメイ向かい作戦を立てることになった。


 一方のラジャータは村人達にはありったけの武器を集めて来るよう指示を出し、さっそく戦闘訓練を実施すべく準備を進めた。


 ローガが作戦を会議するのは寺院の一室で、いうなればメイの執務室のようなものである。

 ここには村の見取り図もあり、これを机に広げて迎撃作戦の概要をローガとメイの二人で決めつもりだ。


「見ての通り、村の南側以外は森が広がっておりまして、近いところで十メートル、長いところで五十メートルほどは木を切り開いた開けた土地になっています。それから南側は川まで百メートル程畑が続いていて、遮るものはありません。それから村から出る街道は二か所です。一か所は西側のここ、皆さんが来た方角です。この道を通って村の中に入ると、寺院の前で二手に分かれて、南は畑に、北はまた別の村へと続いています」


メイは逐一見取り図を指さしながら、村の概要を説明していった。


「どの方角も開けているのか……村にたどり着くまでの間に遮蔽物はあるのか?」

「ええと……切り株や低い下草程度であればありますね」

「ならほとんど無防備な状態で村に近づかなきゃいけないわけだな」

「そうですね、どの方向も射線を通すことはできます。」

「敵はどこから来る?」

「はい、いつもは西の街道から現れます。ですがそれはあくまで物資を回収の為の本隊で、いつも必ず森の中にも伏兵を忍ばせているんです。以前もそれに対処できずにやられてしまいました」

「なるほどな、敵の規模と装備はどんなものだ?」

「そうですね……何分散開して森の中から襲ってくるもので、全貌は掴めないのですが、本隊は大体十人程です。毎度牛車を一台引いて現れて、それに奪った物を載せていくのです」

「なるほど、今回は敵も後がない。根絶やしにするつもりで来るだろう。となると部隊を二分せず、一気に攻撃を仕掛ける可能性もありそうだか、どう思う?」

「そうですね⋯⋯兵法に詳しくはありませんが、今までと同じとは限らないかもしれませんね」

「そうだな、複数の可能性に対処出来る策を講じる必要がありそうだ。だが全方位に兵を配置すれば一点突破の可能性があるし、持久戦になっても少ない人員と弾薬では維持できない……あえて村に引き込んでから、不意打ちで一気に叩くのがいいかもしれんな。……敵の装備は分かるか?」

「ええと、皆小銃とナイフは持っているようです。彼らは文明的な道具をあまり使いませんが、敗残兵の持ち込んだ銃火器は扱うんです。それと、他に大それた武器は無いんですが、敵には腕の立つ狙撃手も居まして、開けた場所に出ると皆狙い撃ちにされてしまいます」

「狙撃手か……昨日の金髪の女か?」

「いえ、あの少女はいつも前線に出ていたように記憶しています。恐らくはもう一人来ていたという獣人の女でしょう……」

「あいつか」


 ローガは昨日一瞬見た灰色の髪の獣人の女を思い出した。


「ええ、今まで直接見た者はいませんでした。いつも村の中までは攻め込まず、森の木の上から狙撃をするのです。既にかなりの者がやられております」

「確か昨日、霧の出る朝に攻撃を仕掛けてくると言っていたが、その霧で射線は切れないのか?」

「はい、完全ではありませんので霧越しにも村の様子はある程度見えてしまいます。それに日が昇って気温が上がればすぐに霧は晴れてしまうのです。満足に霧がかかっているのは、彼らが訪れたその時だけです」

「なるほど、なら射線を切る策を考える必要もあるな⋯⋯。それから村にはどれだけ武器がある?」

「どうにかかき集めれば二十丁はあるかと、どれも狩りや自衛用のものです。他は農具やナイフくらいしかありません……」

「分かった、充分とは言えないがひとまずはそれでいい。俺とラジャータにも予備の銃があるから、ひとまずそれを貸し出して足しにしよう。それから、家屋の作りについても聞いておきたい。この村の家はみな木造なのか?」

「ええ、この寺院以外はみな木造です」

「ならここを本丸にしよう。敵が火を放たないとも限らん。ここなら石の塀で囲まれてもいるし、敵が爆薬でも持ってこない限り吹き飛ばされる心配はない。火をつけられてもある程度耐えるだろう。負傷者の他にも戦えない子供や老人はここに集めておく。戦闘中の負傷者を運び込むのもここだ」

「分かりました。そのように手配いたします」

「さて、そしたら今度はどう戦闘を運ぶかだが……」


 そうして二人は更に作戦を練っていき、午前の間は作戦立案と実地調査の時間に当てられた。


 一方その頃、ラジャータは昼前までに銃と弾薬をかき集め、戦えそうな者を外周の開けた土地に呼び集めていたところだ。

 三十人程の村人が集まったのだが、五体満足な大人であれば戦える。という判断なので、子供と腰の曲がった老人以外ここに来ることになっていた。


「銃はこれで全部か? 合計で何丁ある?」


 ラジャータは、畑の柵に立てかけた銃を見て村人に質問した。


「ラクシャシー様達に貸し与えて頂いた分も含めてこれで全部です。合計で二十丁ほどですね」


 一人の村人がそう答えた。軍隊と違い寄せ集めの銃なので、種類はまちまちである。ほとんどがライフルだったが、散弾銃や拳銃も含まれていた。


「分かった。ひとまずここにいる全員に一度扱わせよう。一通り見てから腕の立つ者に持たせる。あぶれた奴は予備の人員だ」

「分かりました」

「よし! さっそく射撃訓練をするぞ! 一丁ずつ銃を持って並べ!」


 ラジャータは村人達に銃を持たせて整列させた。外周の森の境目には案山子を数台立ててあり、これを的にするのである。


「全員銃を構えてみろ!」


 掛け声を聞いて、皆思い思いの方法で銃口を案山子に向けて見せる。

 だが、腰だめに保持する者や、肩に銃床を乗せる者など、なかなかにひどい有様だ。


「それで本当に銃を撃てると思ってるのか?! いいか、銃床は押し込むようしっかり右肩に当てろ! 銃身は左手で保持する! だがあまり握りすぎるな! 力むと狙いがぶれる! 軽くそっと添えるように握れ!」


 村人達はそうして叱られ、再び構えを見せては叱られてを繰り返し、暫くやってどうにかそれらしい見た目はなったようだった。


「いいぞ! ではもう一度やる! 構え!!」


 掛け声に合わせて再び村人達は銃を構えた。だが勝手の分からない彼らの動作は実に遅い。ただ銃を構えるだけも、全員が銃口を案山子へ向けるのに五秒ほどかかってしまっていた。


「遅い! お前ら死にたいのか?! そんなんじゃ銃を撃つ前に殺されるぞ! もっと素早く構えるんだ! もう一度やってみろ!」


 どうにもおぼつかない彼らに何度もこれを繰り返させ、一時間ほど費やした挙句にどうにか二秒程で構えられるようにまでには鍛えられた。次はいよいよ射撃である。


「照星と照門が繋ぐ線の先に案山子を捉えろ! 片目は瞑るな! 両目で狙え! 視野が狭まって周りが見えなくなる! これは狩りではない! 標的以外に気を配らなければ命とりになるぞ! よし! 合図を出したら引き金を引け! いいな?!」


 ラジャータは、一列に並んで銃を構える村人達の横で、タイミングを伺った。


「撃てぇ!!」


 立て続けに銃声が鳴り響く。だがこれもまた酷いものだった。

 掛け声は一つだというのに、銃声はばらばらに鳴り響き、安全装置がかかって銃弾が出なかった者さえいる。

 おまけに反動に押されてよろめき後ずさったり、跳ね上がった銃身が隣の者とぶつかったり、発火の衝撃で帽子が飛んだりと散々だ。それどころか、誰一人的に当てられていやしない。


「まともに銃を撃つことすらできないのか?! そのままじゃ無駄死にするだけだぞ!」


 ラジャータは一人一人個別に指導をしてから、もう一度銃を構えさせた。


「よし、撃てぇ!」


 再び銃声が鳴り響く。

 今度はいくらか音がまとまり、見てくれは少しマシになった。だがやはり的には当たらない。


「お前ら何を狙っているんだ! それでも戦う気はあるのか?! このままじゃ全員撃たれて死んでしまうぞ! お前達が死ねば他の村人も死ぬことになるんだ! 分かっているのか?! 命がけで訓練しろ!」


 ラジャータは余計に怒号を飛ばし、更に射撃訓練を続けていった。

 すると暫くして、彼らの元にローガとメイ、ルーウェンの三人がやってくる。


「ラジャータさん! お昼ご飯です!」


 二人は大きなバスケットと鍋を持っていた。今日の昼食のようだ。


「ありがとう。もうそんな時間か……。お前達! 休憩だ!」


 ラジャータは村人達に声を掛け、全員昼休憩をすることになった。ルーウェンがチャパティを皆に配り、その後カレーも皆の分よそっていく。

 ローガとラジャータは食事を摂りながら、お互いの進捗について確認することにした。


「ラジャータ様、村人達の様子はいかがでしょうか?」


 メイがそう問いかけた。


「ひどい有様だ。まともに銃も構えられない奴がほとんどでな。さっきようやく弾が当たるようになってきたところだ」


 今度はそれにローガが問いかける。


「明後日までに仕上がると思うか?」

「いや無理だ。個人の戦力としては使い物にならないだろうな。だが全体としてなら、まあ下手な鉄砲数撃ちゃ当たるというくらいには使えるだろう。ひとまず集団行動が取れればそれで御の字だ」

「なるほどな……まあそんなことだとは思っていたさ。二日じゃどうにもならん」

「そうだな、せめて付け焼刃にさえなってくれればそれでいい。ローガの方はどうなんだ? 作戦を練っていたのだろう?」

「ああ、こっちは大方方針が固まった。敵を村の中に誘い込んで包囲するつもりだ。本丸は寺院で、非戦闘員はそこに隠す。塹壕と土嚢と逆茂木の用意もしなきゃならない。そっちに割く人員も必要だ」

「分かった。こちらも銃が足りなくて人が余ってる状態なんだ。そっちで使ってやってくれ」

「ありがとう。だがそれでも手は足りないだろうな。たぶん夜までかかる」

「そうか……私も手伝えるところは手伝おう」

「ああ、頼む。作業は終わり切らないくらいにあるからな、訓練がひと段落着いたらこっちに合流してくれ」

「いいだろう。なるべく早く済ませてそっちに合流してやる。作戦については夜にでも詳細を聞かせてくれ」


 そうしてひとしきり話した頃には、二人とも食事を食べ終わり、ラジャータが村人達に次の命令を出した。


「お前達! 午後もやることは多いぞ! さっさと食って訓練に戻れ!」


 続いてローガも同じように声をかけた。


「手の空いてる奴は俺の方に来い! やってもらいたい作業がある!」


 そうしてローガの呼びかけに十人程の村人がついていくことになり、残りはそのまま射撃訓練を継続することになった。

 ローガの方での作業は、敵を迎え撃つための陣地設営と、その材料調達である。集まった村人達に、まずは村じゅうの車(荷車や馬車、牛車)をかき集めさせた。

 暫く経ってから集まった車は五台で、ローガ達の物も合わせて六台ある。これを使って家々の間の道を塞ぎ、敵の侵入経路を限定する算段だが、このままでは全ての道を塞ぐにはとても足りない。残りは逆茂木を用意することになった。

 というわけで、今度は彼らを半分に割って木材の収集に向かわせた。もう半分は塹壕掘りと土嚢作りである。

 まず木材収集の方だが、逆茂木用の木材は簡単に手に入る。細身の低木を切り倒して、葉を全て落としてから枝の先を尖らせればよい。これを地面に杭で固定すればそれだけで人が通れなくなるのだ。

 幸いこの湿地林ではそこらじゅうに木があるので、逆茂木用の木はいくらでも手に入る。数人の人手でかなりの数が集まっていった。

 一方塹壕掘りの方だが、こちらでは寺院の入口をの取り囲むように溝を掘っている。

 中腰で全身を隠せる程度の深さを用意すればそこに隠れられるし、掘り返した土も麻袋に入れておけば、土嚢として遮蔽物に使える。これを積み上げておけばいっちょ前に塹壕陣地の完成というわけである。

 そうしてこの日は日がな一日中作業と訓練が続いたのだが、逆茂木の用意も塹壕の用意も途中のまま日が落ちてしうこととなった。

 残りは明日のうちに一通り終わらせる必要がある。しかも作業はそれだけにとどまらない。日が暮れてからも、土嚢に土を詰める作業や武器の手入れ、空薬莢のリロード、家財や物資の移動など、夜遅くまで作業は続いた。

 ローガとラジャータも当日の作戦についてメイと共に更に煮詰め、日付が変わる頃まで話し合いは続いた。



 そして翌日、この日も日の出とともに作業を開始することになった。

 まずは角材を組み上げて簀の子を作り、昨日掘った塹の補強を行った。

 余った土嚢は塹壕両脇の建物二階部分に運び込み、壁際に積み上げて即席のトーチカとした。

 夕方までには逆茂木も村中の道に張り巡らせ、侵入経路は東側の道一本に絞られている。車にもこの逆茂木を取り付けて移動可能な障害物とし、十分機能する状態になった。

 さらに、重要な物資や家財、食料や予備の弾薬は予め寺院へと運び込んでおいた。

 寺院の中にも土嚢を積み上げた陣地を構築しており、最悪このに立て篭もっての篭城戦の構えも取れる状態だ。


 こうしてギリギリのスケジュールの中でも、皆どうにか作業を進めたおかげで、夕方には大方の作業は済んでくれた。

 残るは村人達の訓練である。だが作業の合間の短い訓練時間に加え、使える弾薬も少ないことから、こちらは練度としては実にお粗末なものに留まってしまった。

 とりあえずは横一列に整列し、銃を構えて撃てる。という程度のもので、ろくに的に当たらない状態であったし、動作も相変わらずおぼつかない。

 指揮命令系統も不十分で、ローガとラジャータの指示に従って統率のとれた動きができる期待も無い。戦闘中にイレギュラーが発生すれば、そこから全体が崩れるリスクがあった。


 それでも何もしないよりはマシである。ローガとしては、用意した策にさえハマってくれれば敵は混乱してこちらのペースに持ち込めると考えていた。

 というより、それ以外にやりようが無かったので、それに全てをかけているような状態だった。


 そして夕暮れ時、ローガは最後の演説をすべく村人達を再び寺院へと集めることにする。

 戦いにおいては、戦意という精神的な要素も重要でだ。最後の戦いへ臨む彼らを勇気づけ、発破をかけてやることも準備として必要なことだと考えたのだ。


 そうしてローガの呼びかけに応え、続々と村人達が寺院へと集まって行ったのだが、その中にメイの姿が見当たらなかった。

 ローガは他の村人から居所を聞きだし、彼女を探しに向かうことにした。


 聞いた話によると、彼女は寺院で一人、祈祷をしているらしい。ローガは一人寺院へ向かい、怪我人達の居室を抜けて本堂へと入った。

 そこでは、パヴィトラの本尊に手を合わせるメイが、透き通った声でマントラを唱えている。


 偽りから真実へと導きたまへオーン・アサトー・マー・サドガマヤ

 暗闇から真実へと導きたまへタマソー・マー・ジョティルガマヤ

 死から不死へと導きたまへムリテョール・マー・アムリタン・ガマヤ

 全ての衆生に祝福をもたらしたまへオーン・サルヴェシャン・サヴァスティル・バヴァトゥ

 全ての衆生に平安をもたらしたまへサルヴェシャン・シャンティ・バヴァトゥ

 全ての衆生を満ち足らせたまへサルヴェシャン・プールナン・バヴァントゥ

 全てのの衆生に繁栄をもたらしたまへサルヴェシャン・マンガラン・バヴァトゥ


 オーン シャンティ シャンティ シャンティ……



「···⋯ローガ様、すみませんお待たせしてしまいましたね」

 

 メイは本尊の前に座し、ローガを背にしたまま振り返った。


「いや、こちらこそ邪魔したみたいだな。すまない」

「いえ、大丈夫です。村の皆の平安を願って経を唱えていたところでした。丁度終わりましたので、お気になさらないでください」

「そうか、なら良かった。今から村の皆を集めて、明日に向けての集会をするところなんだ。来てくれるか?」

「かしこまりました。ですが、その前に少しお話を聞いていただけませんか?」

「ああ、構わないが、どうした?」


 するとメイは、ローガに背を向けたまま羽織った袈裟を脱ぎ始め、彼女の白い背中を露わにした。


「お、おい……いったいどうしたんだ?」


 ローガは急に女性が柔肌を晒したので驚いたが、すぐにその理由に察しがついた。

 彼女の背には、何度も鞭で打たれたのであろう傷跡が幾重にもついていたのだ。


「それは、どうしたんだ……?」

「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません……。先日、私が元々はパヴィトラの本流の家の生まれだとお話したのは覚えておいででしょうか?」

「ああ、確かに言っていたな」

「はい、私の母はパヴィトラの本流のバラモンの血筋でした。社会的な地位は高かったですし、こうして尼をやれているのもそのおかげです。しかし私は幼い頃母を殺して奴隷の身に落ちたのです」

「それはその時の傷か、一体何があった?」

「私は母を手にかけたのです」

「それは⋯⋯!」


ローガは思わず攻め立てるように問いただそうとしたが、すぐにそれを引っ込めた。ついこの間、自分も似たようなことをしたことを思い出したのだ。


「今では後悔しております。私の母はヒトの身でありながら獣人と恋に落ち、私を産みました。私はヒトの身分ヴァルナでありながら、獣人の血を引いた忌み子なのです。父は事が知れて後、私が産まれる前殺されました。母と私は血を汚した罪の為に身分を捨て屠殺場の仕事に就きました。そうして貧しい中必死に暮らして、私はいつしか母を恨むようになったのです。それは私が十四の頃でした。まるでいつも締めているニワトリのように、寝ている母の首にナタをあてがい殺したのです。死んだあとの事など何も考えてはおりませんでした。私はすぐに罪人として裁かれ、奴隷の身に落ちることとなりました。そうして今度は獣人達に混じり、農園で働くことになったのです。仕事は前より良いものでした。ですが主人が酷い男で、私を辱め鞭で打ったのです。私の存在はとても都合が良かったのでしょう。獣人とまぐわれば血を汚すことになります。かと言ってヒトの奴隷に手を出しても裁かれます。どちらでもない私は咎を受けずに夜伽をできる相手だったのです。私はついに耐えきれず。主人の元から逃げ出しました。





殺され幼い私は奴隷として売られることになってしまいました。その時私を買った主人はとても酷い方で、昼も夜も働かされて、失敗をすればいつも私に鞭打ったのです。これはその時につけられた傷です」

「それは、辛い経験をしたんだな……」

「確かに辛い生活でした。しかし私はその時過ちを犯したのです。いつものように主が私を辱めようとした時、私は隠し持っていた主人刺し殺してしまいました。辛い生活を抜け出す為とは言え、私は人間を殺めたのです。そして私は屋敷から逃げ出して、近くの寺に逃げ込みました。そこが獣人とヒトの平等を説く分派の寺だったのです。私はヒトの生活も、虐げられる獣人の生活も味わいましたので、その教えに感化され、罪を償う為尼の道に進むことにしたのです」

「なるほど、それでこの村を作ったってわけか?」

「いえ、実はもう一波乱ありまして、寺についてしばらくしてから、私が子を身ごもっていることが分かったのです……。子持ちでは尼になる事はできません。融通を利かせて出産までは寺で面倒を見てくださいましたが、その後はすぐに寺を出て」


 保安官はローガに気付き、川の流れを見つめたままそう語りかけた。


「そうでもないさ、ただ経験してきたものが違うだけだ。俺は戦闘のプロとして訓練されて、実戦に身を投じた。ただそれだけだ」

「だが貴方は村人達を上手くまとめ上げたじゃないですか。わしもどうにか賊どもに目にもの見せてやろうと、村人達を説得したんですがね、みんながみんな戦いを決意してはくれなかったのです」

「でも、一緒に戦ってくれた奴はいたんだろう?」

「ええ、いましたよ。狩人や銃に心得のある者は私と共に戦ってくれましてね、私の息子もそうでした。だが多勢に無勢と言うやつで……。ローガ殿のように有利な策を巡らせられるわけでも無いですからな、考え無しに奴らと撃ち合って皆死んでいったのです」

「じゃあ……あんたの息子っていうのは……」

「ええ、ここで焼いて川を流れていきましたよ。丁度ローガ殿と同じ年の頃でしてね、正義感が強くて、まっすぐな青年でした。ゆくゆくはわしの後を継いで、この村の保安官を務めるはずだったのです」

「……そうか……それは残念だったな」


 ローガはこの時、自分でも素っ気ない返事をしてしまったと思った。だが彼にとっては同世代の人間が死ぬなどごく当たり前のこと過ぎて、保安官に共感ができなかったのだ。


「すみませんねぇ、今は感傷に浸っている余裕など無いというのに」

「いや、こういう時間も大事だ。息子の仇を取りたいか?」

「ええ、取りたいですとも」

「奴らに復讐をしてやりたいか?」

「ええ、復讐したいですよ」

「……ならそれでいいんだ。その怒りと憎しみを奴らにぶつけてやろう」

「そう言っていただけるのならよかった」

「ああ、これから最後の演説をやろうと思っている。寺院に皆集まっているから来てもらえるか?」

「はい、行きましょうか」


 二人は川辺を離れ、村人達が待つ寺院へと移動した。

 既に日は地平線の下に沈み、瑠璃色の空が頭上を覆っている。ローガはその僅かな明かりとガス灯に照らされて、再び壇上に立った。

 そして彼の眼下には、明日の戦いを今か今かと待つ戦士たちの姿がある。


「皆よくやってくれた! この二日間でどうにか準備は整った! いよいよ明日が本番だ! 皆覚悟はできているか?!」


 ローガがそう問いかけると、皆は思い思いに声を上げ、ローガの問いかけに応え始めた。


「ああ! もちろんだとも!」

「奴らを殺してやるんだ!」

「俺達なら勝てるぞ!」


 村人達は最初の演説より鋭い目つきになり、彼らの心には、不安よりも戦いへの期待と勝利への自信が満ちていた。


「ありがとう! だがここにいる者の何人かは死ぬことになるであろう……。もしかしたら、殆どが死ぬことになるかもしれない。だがそれでもお前達は戦いを決意してくれた! 俺達に示された道は二つしかない! 勝利か! 死か! そのどちらかだ! そして俺達は勝利を掴む! 野蛮な賊どもに正義の鉄槌を下し、その行いの報いを受けさせるのだ!」


 ローガの力強い呼び掛けに、再び歓声が上げられた。ローガはその熱狂のなか更に続ける。


「奴らはお前たちの食料を奪っただけじゃない! 友を、兄弟を、子を、親をも奪っていった! 奴らが俺達の家族を奪ったんだ! 奴らはその行いの報いを受けるべきではないのか?! お前たちが受けた苦しみを、今度は奴らが背負う番ではないか?! この戦いは弔いだ! 手足を失い、苦痛に喘ぎ、死んで行った仲間へと捧げる。復讐の戦いだ! 俺達には羅刹の加護がある! 野蛮な子悪党など敵ではない! その手で奴らの喉仏を食いちぎれ!」


 村人達は更に歓声を上げ、ローガの呼びかけに応えた。

 もはや敗北を疑う者はいない。この二日で力をつけ、準備を整えたことは彼らの自信へと繋がっていた。

 ルーウェンでさえ、その熱狂の渦に飲まれてワクワクとした高揚感を感じている。

 だがそんな中で、ラジャータだけは冷静さを保ち、その高揚に身を預けられずにいた。


 そして演説の後、ローガに一つ問いかけたのだ。


「ローガ、お前は番犬なんだよな?」

「ああ、そうだ。山羊を狼から守る為に戦うんだ」


「つまりこれは正義の為の戦いか? 背負った義務の為の戦いか? それとも、復讐の為の戦いなのか? お前自身の為に戦うのか?」


 ローガは、また小言を言うのかとうんざりして少し黙った。そして溜息をつきながら返事をする。


「何だろうと同じだろう? 敵を殺して、俺達が生き残る。それは変わらない」


 だがラジャータは顔色一つ変えずに言い返した。


「……番犬としての本分を忘れるなよ」

 


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