蜂起

 まだ霧の晴れぬ翌朝、三人は寺院の前に村人達を集めた。


 レンガの塀に囲まれた寺院には村人達が溢れている。三人は本堂への入り口に当たる石段の上で、彼らに向けて演説をする予定だ。

 昨日の今日でローガ達の噂が村人達に知れ渡っていたこともあり、例の将校様からお話があるらしいと皆興味深々で集まってきている。


 そしてローガは、苛立っているかのように規則的に地面を足で叩きながら、壇上で村人達を見下ろしていた。

 隣に立っているルーウェンは、その様子を見て違和感を感じ、声を掛ける。


「ローガ様、緊張しているんですか?」

「いや……別にそんなことはないさ」


 だがリズムよく音を立てる彼の足は止まった。


「大丈夫ですよ! ローガ様ならきっと上手くやれます!」

「ああ、ありがとう」


 すると、今度はメイが階段を上がりながら声を掛けた。


「ローガ様! これで全員です! お願いいたします!」


 見下ろす村人達は全部で五十人ほどで、女子供や老人も多い。実際に戦える者は二十人いればいい方だろう。

 ローガは一つ咳払いをしてから、彼らに語りかけた。


「俺はローガ・イトー・サダラナ・ヴャーパリ! ナヤーム軍の将校だ! お前達の置かれている状況については、メイから聞いている! 俺達はこの村を救うため戦うことを決意した! だが俺達だけの力では、何十人もの敵を相手に勝利することは叶わない! この村を救い、正義を成し遂げる為には、お前達の協力が不可欠だ! さあ! 共に戦う覚悟のある者は武器を取れ!」


 ローガは覇気のある声で村人達を鼓舞しようとした。だが彼らの反応は芳しくない。

 ひそひそとお互いに話し合う者や、俯いてしまっている者などまちまちで、皆一様に不安と不信感を募らせているようだった。

 そして村人の一人がおもむろに発言する。


「三日後には奴らが来るんですぜ? 今日明日でどうしろって言うんです? 今更何をやっても同じですよ。俺たちにゃどうせ勝ち目はない……」


 何人かの村人達は「そうだそうだ」「どうせ勝てっこない」と彼の意見に賛同し始める。

 だがこれくらいの事はローガも想定内だ。すぐに次の手を出すことにした。


「大丈夫だ! 皆安心してくれ! この二日で俺がお前達を鍛えてやる! 俺はナヤームとフタデサの大戦で戦った戦士だ! 戦闘の技術、知恵、生き残る術をこの二日でお前達に教えてやろう! それから……」


 とローガは隣に立つラジャータを指さす。


「……この女を知る者もいるのではないか? 彼女は白き羅刹、カンティプルの殺し屋と恐れられる女だ!」


 それを聞いて村人達はにわかにざわつき始めた。


「そうだ! あの噂に名高い女だ! だが安心してくれ! 今は改心し、私と共に行動している! お前達に危害を加えることはない! 何より、昨日この村を襲うならず者を退け、怪我人達を手当てしたのはこのラクシャシー本人だ! 信用してくれ! 今回はこのラクシャシーがお前達の味方だ! 羅刹の加護がお前達にはついている!」


 ラジャータは凛々しく佇み、無言ではあるが、大きくその存在感を放って村人達を見下ろした。

 村人達は更にざわつき始める。彼らの表情はいささか緩み、もしかしたらこの戦いに勝てるのでは? という希望が見え隠れし始めていた。

 それでもやはり、村人達はまだ決意を固めきれていない。また一人の村人が発言した。


「でも……将校様や羅刹女様がいくら強くても、あたしらはただの農民なんだ。銃を使える狩人だって、その後ろの寺に引っ込むか、死んじまうかしてるんだ。さすがに勝てっこないわよ……」


 それを受けて、ローガはニヤリとして見せる。


「そうか? ならこの村を去ればいい。ナヤームの本国に帰って、お前達が汗水たらして必死に築き上げたこの村を捨てるんだ!」


 先ほど発言した村人は「それは……」と答えに詰まった。


「お前たちはパヴィトラの分派を信じているんだろう? ナヤーム本国では今獣人達がどんどん殺されている! この村を去れば、獣人なら同じように殺されるか奴隷に堕とされるだろう! ヒトであればまだマシだが、平等など唱えれば狂人と見做されるのがオチだ! それでもいいのか?!」


 それを聞いて村人達はにわかにざわつき始めた。


「もしこの村をみすみす失うのが嫌なら、ここに残って戦い勝利するしかない! 奴らは四日後までにはこの村を襲うだろう! 今まで通りの生活を望むなら、奴らに勝つ以外に道はない!」


 ローガは村人達の反応を待って少し黙った。彼らはざわざわと話し合うが、戦いを決意したものはまだおらず、どうにも皆決めかねているようだ。


「いいか? 私はお前達がこの村を去ろうとも構わない。行く当てはナヤーム本国だけではないし、どうにか平和に生きる道もあるかも知れんだろう! ここは俺の村ではないし、お前たちの命はお前たちのものだ。どうしようと好きにすればいい! だがな、どこへ行こうとも一つだけ確かなことがある! それはお前達が今後、この村にの残った者達の亡霊に、後ろ指をさされ続けることになるということだ! 公開の亡霊は、お前達の耳元でささやく! お前は恐怖に支配され、生にすがりつき、誇りを捨てた臆病者だとな! お前たちは一生後悔するだろう! だがこの場所が戻ることは決してない!」


 村人達はざわつくことも止め、ただ不安に駆られながらローガの言葉を聞き続ける。

 ローガは更に語り続けた。


「分かるか? 今立ち上がらなければ、死が救済として訪れるまで戦いは終わらないのだ! ならば、ここで共に戦い、決着をつけるべきだとは思わないか?! 武器を手に、奴らに一矢報いてやらねばならない! そうだろう?!」


 するとローガの叱咤激励に、一人の村人が手を挙げた。


「あっしも戦います! このまま泣き寝入りなんて嫌だ!」


 包帯に巻かれた彼は、昨日助けられたアニルだった。まっすぐ手を伸ばし、やる気に満ち溢れた表情でローガを見つたかと思えば、また昨日のようにイテテと痛みに腕を曲げていた。

 しかし他の者達はそうではなかった。まだ彼と同じように手を上げる勇気は無く、皆お互いに顔を見合わせ、ここで手を上げるべきなのか決めあぐねているようだった。


「ありがとうアニル。お前には勇気がある。奴らに襲われ、それだけの傷を負ってもなお戦おうというのだ、俺はお前を尊敬する! だがな、他の者達を責めてやらないでくれ、死は恐ろしいものだ。皆の不安も、俺には充分分かる……。だがこの村を去ろうとも、死の恐怖から逃れられないことも確かだ。平和を求め、安息のうちに日々を過ごしたいのならば、今武器を取って戦うべきではないか? 更に言おう、もし今ここで逃げ出せば、お前達は臆病者になる。討つべき敵を前にして、成すべき正義を前にして、逃げ出した臆病者だ! そうだろう? 今お前達がここを去れば、大事なものを失うことになるのだ! この村だけじゃない、お前達は誇りさえも失う! だが誇りを胸に戦えば、お前達の一人一人が英雄となる! この戦いに勝利すれば、お前達の活躍は孫のその孫の代まで語り継がれる! 誇りと、この村の平和の為に! 今こそ戦う時ではないのか?!」


「そうだ! ここは俺達の村だ! 俺は戦うぞ!」


 アニルはやる気満々だ。その様子を見て、怪我人がこの調子では自分も手を上げざるをえない。と他の者達も何人か手を上げ、戦う決意を示し始めし始めた。

 だが村人達の全てがそうではない。戦うことを決めたのは全体の三分の一ほどだけだった。


「強制はしない、戦わずこの場を去るのもお前達の自由だ。だから勇気の無い者は、どうぞこの場を後にしてくれ。君たちに掛ける言葉はもうない。荷物をまとめて村を去ればいい。だがな、もし出て行った後に残った者でこの村を守り切ったとしても、帰る場所は無いと思え」


 手を挙げていない村人達は焦った顔になり、またざわざわと話し始めた。


「一度逃げたとあらば、ここに残った勇気と誇りある者達を前に、どの面を下げて戻って来れようか? まあ皆非情なわけではない。戻ってきた者を温かく受け入れてくれるだろう。なぜなら彼らは、戦うことを決意できた誇りある者達だからな。その誇りに見合った行いをするに違いない。だが、戻って来た自分はどうだ? 誇りある彼らを前に、自らの臆病を恥じ、後ろめたさを抱えたまま過ごすことになりはしないか? 彼らを前にして、自らの姿は脆く矮小なものに映ることになるだろう。どうだ? お前達はその弱さを抱えたまま、みじめに暮らすことになるのだ。物質的な充足を得られても、精神的な安息を失うことになる。俺ならその生き恥には耐えることはできないだろうな。だがお前達は俺達とは違う。それでも行くというのであれば、遠慮せず去るがいい」


 村人達は皆互いに顔を見合せた。訴えかけるような力強い目線と、顔色を伺う弱々しい目線が互いに交差する。

 ローガは彼らの同調圧力を利用したのだ。戦いを決意した者の目が、未だ勇気を出せない者の心に刺されば、そう易々とこの場を去れなくなる。

 ローガがこれまで語って聞かせた言葉より、村人同士の言葉と視線の方が、彼らには余程効いていただろう。

 そうして結局、ローガはしばらく黙って彼らの様子を見下ろしたのだが、この場を去るものは誰一人現れなかった。


「ありがとう! 皆の勇気に感謝する! 共にならず者どもを蹴散らそう! 我々の手で、勝利を勝ち取るのだ!」


 村人達は腕を掲げ、歓声を上げた。

 その一体感が、心揺らぐ者の決断をより確固たるものにしてく。

 皆が心からの決意をしたとは限らなかったが、ともかくこの村の全員が、戦いへ踏み出すことに同意したのだ。




 こうして集会は終わり、村人達は各々この場を離れていく。彼らを壇上から見送る最中、ルーウェンがローガに語りかけた。


「ローガ様! すごかったです! 全員戦う為に立ち上がってくれましたね! とってもかっこよかったですよ!」

「ありがとう。どうにかなって一安心だ。とにかくひとまずこれで第一歩が踏み出せた。ここで躓いていたらどうしようもなかったからな」

「すごく必死でしたもんね、きっとローガ様の気持ちがみんなに伝わったんだと思います!」

「そうかもな、俺もいくらか去る奴がいると思っていたんだが、意外と演説の才能があったらしい」


 二人の会話を見て、ラジャータも話に加わる。


「お前、あの演説は計算ずくなのか?」

「計算ずくって?」

「お前は村人達の心理を上手く利用した。あいつらは、全員が本気で戦おうと思ったわけじゃない。それでもこの場を去ることはしなかった。お前がこの戦いに縛りつけていたんだ」

「縛り付けるって……。俺はあくまで去りたければ去れと言ったんだが……」

「確かに言っていたな。だが彼らはお前の言葉のおかげで、この場を去れなかった。ルーウェンが言ったように、お前の必死さとでも言うべきものが、彼等をここに縛り付けていたように見えた」

「そう言われてもなぁ……俺はただ思いついた事を言葉にしていただけだ」

「なあローガ、あの演説は本当に鼓舞する為のものだったのか?」

「え? どういう意味だ……」

「お前の必死さには何か切羽詰まった感じがある。昨日もそうだった、お前はわざわざ自分を追い込んでいるように思えて仕方がないんだ」


 淡々と説明するラジャータに、ローガは少し苛立った。


「一体何が言いたいんだ? 俺はただ、あいつらを勇気づける為にやったんだ」

「それも間違いじゃないんだろうな、だかそれだけじゃない。お前は自分でも気がついていない何かを隠してる」

「隠してるって……。俺の心を読んだ気にでもなっているのか?」

「それは分からない。だがお前の心の機微はルーウェンですら気付いていた」

「そうなのか?」


 ローガはルーウェンの顔を見た。


「え、えっと……私にはよく分からないです。ただ、ローガ様すごく一生懸命だなって思っただけで……」

「ラジャータ……適当なこと言うなよ。ルーウェンは何も俺の事を変に疑っちゃいないじゃないか」

「そうか……すまないなルーウェン」

「は、はい。大丈夫です……」


  ルーウェンはなんだか怒られたような気分になって、しょんぼりと耳を垂れ下げた。


「お前どうしたんだ? やっぱりここで戦うのは気に食わないってのか? それとも昨日の俺の紹介をまだ根に持ってるのか?」

「いや、そうじゃない。ただお前の振舞いが気がかりなんだ」

「余計なお世話だよ。俺の何が分かるって言うんだ?」

「そうだな、全ては分からない。だが他人の目だからこそ分かることもある」

「なんだよ? 分かるってんならそれをはっきり説明してくれ。文句があるならそう言えばいいだろ?」

「文句はない。私は心配してるんだ」

「心配だって? 余計なお世話だ! 昨日から何なんだよ、お前こそどうかしてるぞ!」

「何を苛立っている? 冷静になれ」


 二人の会話は段々とヒートアップし始めていた。

 こういう時、不思議なことに子供は無意識に気を利かせる事がある。ルーウェンはちょんちょんとローガの袖を引っ張った。


「あ、あのー、ローガ様……まだ、朝ご飯食べてなかったですよね……お腹空いてきませんか……?」


 一見空気の読めない発言ではあったが、そのおかげでローガとラジャータは一瞬お互いから意識が離れた。そのおかげで我に返り、こんなことをしている場合ではないのだと揃って溜息をく。


「はあ、そうだな、仕事はいくらでもあるんだ。ここで喧嘩している場合じゃない。ローガ、今のは忘れてくれ、私の思い違いだろう」

「ああ、俺も悪かったよ、ついムキになってた……」

「あの、なんか、ごめんなさい……真面目なお話してたのに……」

「いやいいんだ、ありがとう。これから忙しくなるからな、しっかり飯を食っとかないと」

「そうだな、食事にしよう」


 こうして三人は、村人達の背を追うように宿へと戻り、朝食を摂って準備に備えるのだった。

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