父の教え

 ローガとラジャータはメイに案内されて村の酒場へとやってきた。

 食卓には食料難という割には随分豪華な食事が供され、おまけの酒まで出してくれるもてなし具合である。しかも、ローガの芝居のおかげて、客でも無いくせに野次馬しに来た村人達が代わる代わる酒場の中を見物に来ているといった状態だった。


「さあさ、お二人とも遠慮なく召し上がってください。村の一同からのお礼です」


 同席したメイが二人に食事を勧める。卓を囲むのはローガ、ラジャータ、メイの三人だ。ルーウェンは一人で先に宿で待たせてある。ローガとしては一緒に飯を食わせてやりたかったが、体裁上奴隷のルーウェンを祝いの席に同伴させることはできなかったのだ。


「すまない。すっかり腹が減ってしまっていたのでな、ありがたく頂くとしよう」


 ラジャータは早速米を頬張り、とれたばかりの象肉にもかじりつく。散々働いて疲れていたのもさることながら、彼女はかなり燃費の悪い体質だ。特にこうして怪我を負った時にはひどく健啖家になる。内心腹が減って死にそうだったのだ。


「ローガ様もどうぞ、遠慮なさらず」

「ありがとう」


 ローガも芋の焼酎を一口飲んでから、食事に手を付けた。


「しかし、食料は貴重なんだろう? 悪いな、こんなにもてなしをさせてしまって」


 ローガは食料難の割に豪勢なこの食事が、村人達の身を削って供出した食事であること想像するといささか匙を運びづらかったのである。


「よいのです。お二人がいらっしゃらなければ食料とり返すことは叶いませんでしたし、アニルも戻っていなかったでしょう。それに、お二方の治療とお薬のおかげで多くの傷痍者が救われました。この程度のお食事では返し切れないほどのご恩です」


 メイは穏やかな表情でローガを見つめ、感謝の意を表してくれた。だがラジャータには少しばかり気になる事があった。


「しかし、本当に良かったのか? おかげで余計に食料困ることになるだろう? 私達は労働力にならない食い扶持を増やしただけだ」

「いえ、それは……」


 メイは答えに困った。労働力にならず、この先まともに生活できるともしれない負傷者は穀潰しにしかならないのだ。それを延命することは、余計にこの村に食料難をもたらすことになる。


「おいおい、折角の祝いの席で辛気臭い話はよしてくれ」


 ローガが象肉をもしゃもしゃ頬張りながら横槍をいれた。


「だが事実だろう? 村人達は喜んでいたようだが、手放しで祝福していいような状態じゃない」

「そうですね……仰る通りです。正直なところ、この先全員を食べさせていく余裕はないかも知れません」

「やはりな。実際どうだ、これまでの負傷者達へはまともな治療をして来なかったのだろう?」

「それは……私共に知識が無かったばかりに……」


 メイは答えづらそうに顔を逸らした。


「なんだよラジャータ、わざと口減らしをしたとでも言いたいのか?」

「さあな、気になっただけだ」

「ま、まさか口減らしだなんて……! 私共はパヴィトラの神を信じております。彼らの為、毎日お祈りを欠かしたこともありません!」

「祈るだけでどうにかなるなら世話ないな」

 

 倫理的な問題を無視して合理的に考えるのであれば、役に立たない者は口減らしをしてしまった方が全体にとって都合がよい。ラジャータはそういった現場を今まで何度も見たことがあった。


「それに、知識が無いにしたって村の外から医者を呼ぶ手もあったろう? なぜそれをしなかった?」

「それは……確かにお医者様を呼べれば良いのですが、このような辺境の森に来ていただける方はあまりおりませんし、お渡しできるお代もありませんから……」

「なあもうその話はいいだろう、折角の飯が不味くなる。それより、パヴィトラ教って言うが、どうやらこの村じゃヒトも獣人も平等に暮らしてるみたいだよな。それが少し不思議だったんだ」


 ローガは、この村では獣人もヒトも同じように生活をしており差別がない事に気づいていて、それが気になっていたのだ。


「ええ、そうです。ナヤームのご出身であれば不思議かもしれませんね。この村の者は皆、パヴィトラの分派を信奉する者達で、ヒトも獣人も区別しない教えを説いているのです」

「分派か、そういうものがあるのか」

「はい。わたくしは元々ナヤーム本国で、パヴィトラ教の本流の教えを信奉する家に生まれました。ですが色々ありましてアラマという分派の寺に世話になったのです。そこで平等な教えを学び、ナヤームの影響の及ばないこの土地で、獣人もヒトも同じように暮らせる村を切り開いたのです」

「なるほどな、それじゃここはあんたらが切り開いた理想郷(シャンバラ)ってところか」

「シャンバラ、ですか……ええ、そうかもしれませんね……。ここにいる者の多くは差別的な考えに異を唱えたヒトや、虐げられてきた獣人達です。皆この村が無くなればまた差別的な社会に戻らなければならなくなります……どうにかその事態は避けられればよいのですが……」

「今日襲って来た奴らか……」

「そうですね……彼らの存在だけがこの村の大きな問題なのです。……この村では象牙の工芸品を作っておりまして、商いには困りません。穀類はそれで外から買い付けできますし、肉は象の肉がいくらでも手に入ります。野菜や果実も自分達で用意できますから、奪われることさえなければ食うに困ることはないのです」

「象牙ねぇ、だから象の肉なのか。でも象牙って言ったら高級品じゃないか。そいつを差し出せば食料は取られないんじゃないか?」


 ローガはそう聞いてから象の肉を頬張った。


「彼らは森と共に生き、自給自足をしています。商いをしませんので、象牙では意味がないようなのです」

「へぇ、変わった連中だな。古くから森に住む者達だとは聞いたが、奴ら一体何者なんだ?」

「他の者からいくらかお話を聞いてるかと思いますが、彼らはこの森に古くから住む民と、戦争の敗残兵達です。以前は先住民だけでそれほど大所帯では無かったのですが、サングルマーラの戦線が突破されてから敗残兵が訪れ、食うに困ってこの辺りの村を襲うようになったのです」

「サングルマーラか……」


 ローガは感慨深く手元を見つめて食事の手を止めた。自分の関わった戦争の影響がこんなところにも出ているとは思いもよらなかったのだ。


「ええ、ここはあの戦場からそう遠くありません。サングルマーラで敗れたフタデサ軍の敗残兵がこの森に落ち延びて、森の民と手を組んでいるのです。元々森の民達とはそれほど敵対しているわけでは無かったのですが、自給自足をする彼らの暮らし方では敗残兵たちの食い扶持をまかなう事ができなかったのでしょう。最近になって略奪行為をするようになったのです」

「あいつらにも事情はあるんだろうが、だからと言って賊に成り下がるのはいただけないな」

「本当にひどいものです。今日のように街道で襲われることもありますから、おちおち移動もできません、ここのような開拓村は他にも多くあるのですが、どこも同じように襲われております……」

「そうか……なら、何か対策は無いのか? 護衛をつけたりは?」

「それが、ないこともないのです……。この森はナヤーム開拓者組合が管理おりまして、この村もその組合傘下です。先住民と敗残兵のことは組合全体での問題になっていて、過去にはお互いが干渉しすぎないよう先住民保留地を用意して住み分けたり、彼らにも市民権を与えたりしようとしていたんです。ですが結局上手くいかず……。敗残兵が流れ込んできてからは、彼等を捕縛して引き渡せば組合から褒章を与えるようにもしておりました。ですがそれも無視して匿い始めて、今は組合の討伐隊と先住民達とでそこら中で小競り合いをしている状態です。実はこの村を襲った先住民の集落にも、六日後には組合が雇った傭兵が討伐隊攻撃を仕掛ける手はずになっているんです……」

「ならそれを待てばいいのか、良かったじゃないか」

「いえ、そう簡単な話ではないのです……どうやら討伐隊の事は彼等も気づいているようでして、こちらが攻撃を仕掛ける前に先に村を襲おうとしているらしいのです……」

「そりゃまずいな……」

「今日の攻撃はその前哨戦のようなものなのでしょう……普段は、次また略奪ができるよう私達を無駄に殺すことはせず、物資も根こそぎは持って行かないのです。しかし今日は多くの者が殺され、積荷も根こそぎ奪われるところでした。.....恐らく、次の攻撃でこの村は根絶やしにされてしまいます......」

 

 メイは手で顔を覆って俯いた。ローガがそんな彼女に少し声のトーンを落として問いかける。


「……この村で戦える奴はどれだけいる」

「残念ながら、まともにおりません……。今までの戦闘で、戦いに覚えのあるものは皆死ぬか、ああして布団に横たわるかのどちらかになりました……。男手ももう半分ほどしかおりませんし、銃の扱いすら分からない者がほとんどです……」


 メイはそう言いながら顔を上げ、訴えかけるようにローガの目を見た。


「そうか……」


 ローガはその話を聞いて、ゆっくりとラジャータの方を向く。彼女もそれに気づいてローガの顔を見た。

 そしてラジャータは、ローガの心中を察して小さく首を横に振って見せた。

「気持ちは分かる。だがやめておけ」その意図はそんなところだ。

 ローガも、横に振られたラジャータの意図をくみ取れなかったわけでは無い。それでも再びメイに顔を向けた時には次のような言葉を放っていた。


「なら、俺達が手伝うのはどうだ?」

「そ、そんな! いけません! 既に返し切れない恩義がありますから、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはまいりません!」

 

 メイは途端に慌てて手を振る。ラジャータはため息をついてから食事を続けた。


「いいんだ、この状況でみすみすあんたら見捨てられるようなら、今日皆を助けたりしていない」

「で、ですが……この村は自分たちを食べさせるだけで精一杯ですから……お渡しできる報酬もろくにありませんし……」

「うーん、報酬か……」


 ローガは少し考えた。そして意見を求めるように再びラジャータの顔を見つめてみる。すると、彼女は睨むようにメイの方を向いて答えた。


「象牙は?」


 それを聞いてメイははっとする。


「あ、ええ、はい! 確かに象牙ならお渡しできるかもしれませんね……」

「今は貨幣の信用が下がってる。象牙の品ならそれほど場所をとらないし、価値も安定しているだろう?」


 ラジャータは怪訝そうにメイを問い詰めた。


「はい。まあ確かにそうですね……売りに出していないものがまだありますし、必要なら今から彫ることもできるかと……」


 しかしローガが被せるように止めに入る。


「別にいいじゃないかラジャータ。こんな状況なんだ、象牙だって貴重な食い扶持なんだろうから、そんな無理して報酬をとらなくたっていいだろう?」


 それを聞いてメイはまた慌て出す。


「で、ですが、タダで護衛をして頂くなんてそんな……!」

「……まあ、こんな状況だからな、お互い様だ。滞在中三食の飯と寝床があればいい、それが報酬ってことでどうだ?」

「本当にそれだけでよろしいのであれば、私共としては大変ありがたい限りですか……」

「それでいい。……俺は思うんだ。何もせずこの場を去れば、俺は大事なものを失うんじゃないかって。だから俺はそれを守る為に戦いたいんだ。……ラジャータも、分かってくれるよな?」


 ローガはもう一度ラジャータの顔を見た。すると彼女は再びため息をついて答え始める。


「好きにしろ。私はお前に雇われた身だからな、雇い主がやると言うなら断れん」

「ありがとう、ラジャータ。お前なら分かってくれると思っていた」


 しかしラジャータは少し表情を険しくして忠告する。


「だがな、後悔だけはするなよ。結果がどうなろうとそれを受け入れろ」

「ああ、分かってる。そんなの当たり前だ」


 ローガは真っ直ぐ、自信を持って答えた。


「というわけだ。俺達はこの村の護衛を引き受けよう」

「ほ、本当ですか! 本当に! 本当にありがとうございます!」


 メイも思わず声を張り上げた。


「ああ、任せておけ。ひとまず討伐隊の来る六日後までここに滞在しよう。報酬はその間の食事と寝床だ。他は何も要らない。この六日の間に俺達は村を守る。だが流石に二人だけでは分が悪いからな、お前達の協力が要だ」

「もちろんです! 私共にできる事なら何でもさせて頂きます! なんなりと仰ってください!」

「よく言った。ひとまず、奴らの襲撃に備える必要があるな。いつ来るかの検討はつくのか?」

「恐らく、三日後か四日後でしょう。今日襲撃をしたばかりですので、そうすぐに次の攻撃に出るとは考えにくいです。かと言って討伐隊到着までギリギリになってしまっては逃げることが叶わなくなりますから、余裕を持って三、四日後ではないかなと」

「なるほど、ならその三日後までには準備を整える必要があるな」

「ええ、それから彼らは必ず早朝に来ます。この辺りは朝方必ず濃い霧が出るのです。奴らはその霧に乗じて現れ、霧の中に去っていくんです。そのせいで直前まで襲来を察知できず、後を追うのも難しいのです」

「早朝か……なら当日準備する余裕もない……とすると明日と明後日の二日だけか……。その間にどうにかお前達を訓練して、迎撃の準備を整えるとしよう。霧があるとなると、こちらから打って出るのは危険だ。決戦は村の中でになるな……。多少の死者が出ることは覚悟してもらう必要があるかもしれん」

「ええ……分かりました。どうせ全滅するか否かですから。ぜひ戦わせてください」

「なら決まりだな、具体的な作戦はまた考えておく。明日の朝村の人間を全員集めてくれ、そこで彼らにも伝える」

「分かりました! お任せください!」


 こうしてローガ達は、この村を守る傭兵としての仕事を引き受けることになったのだった。





 その後二人はたらふく食事をいただき、ルーウェンの待つ宿へと戻った。


「ルーウェン、待たせたな。ほら、夕飯だ」


 ローガは部屋に入ってまず、ルーウェンに弁当箱を手渡した。これはステンレスの弁当箱で、先ほどの晩酌で拝借した料理を詰めたものだ。


「ありがとうございます! もうおなかペコペコでしたよ!」


 ルーウェンはぺこりとお辞儀をしてから、部屋のテーブルに腰かけて弁当箱を開けた。

 この部屋は最近できた開拓村ということもあり新しく綺麗な方だったが、その割に殺風景で物がない。三人分の布団が床に敷かれているが掛布団はなく、その他にはルーウェンが弁当を食べるテーブルと三つの椅子があるだけだ。

 テーブルの真ん中に置いたランタンも燃料がほとんど無いらしく、なるべく使わないで欲しいと釘を差されている。その為辛うじて物が見える程度の灯りにとどめて使っていた。


「ルーウェン。実は暫くこの村に留まる事になった」


 ローガも椅子に座り、ルーウェンに話しかける。後に続いてラジャータも椅子に腰かけた。


「そうなんですか?」

「ああ、この村が悪い奴らに襲われているらしくてな。俺達が助けてやる事にしたんだ」

「そうなんですね! それなら正義の為に頑張って戦わなきゃいけませんね! 私にもできることがあったらお手伝いさせてください!」

「ありがとう。ここから数日は暫くは忙しくなるだろうからな、ルーウェンにも存分に働いてもらうぞ」

「はい! 任せてください!」


 ルーウェンとて、これから戦闘が起こるであろうことは理解していた。自分が死ぬかもしれないことも分かっていた。だが彼女はそれを気負うこと無く元気に振舞ってみせた。

 もちろん死への恐怖や不安が無いわけでもない。彼女はそれをこの時確かに感じていた。だが彼女は役に立ちたい一心で二人の前では表に出さないようにしておいたのだった。

 そしてそんな彼女の反応をよそに、今度はラジャータが話し始める。


「ローガ、その件なんだがな……」

「どうした? やっぱり気に食わないか?」

「べつに仕事を受けるのは構わん。ダダでというのは気に入らんが、今さら言っても仕方ない。だが今回の案件、少し警戒した方がいい」

「ああ、そりゃそうだ。敵の戦力の全容が分からないし、準備期間は二日だけ、戦える人員も少ないからな。厳しい戦いになるのは間違いない。それくらい覚悟してるさ」

「いや、そうじゃない。あのメイという女。どうにも食えない奴のような気がしてならないんだ」

「そうか? 何が気になる? 優しそうな人だったじゃないか」

「負傷者達の治療の仕方、分かってて口減らしをしようとしていた可能性がある。それに報酬のこともだ。象牙の事を分かっていて伏せていたような気がする」

「流石に考えすぎじゃないか? そんな悪い人の様には思えなかったが……」

「ああいう女は大概信用できないものだ。人間の心について詳しいわけじゃないが、お前のような男はいつもあの手の女に騙される」

「色仕掛けってか? でも女を信用するなってんならラジャータの言う事も信用できないよな?」

 

 ローガは不敵に鼻で笑って見せた。


「別に取って食おうというわけでは無いかもしれないがな、すくなくとも一枚岩じゃ無さそうだ。今回の話は何か裏があると思った方がいい」

「考えすぎだって。俺にとってみれば、目の前に困っている人がいて、助けを求めてる。それ以上のことは無い」


 ラジャータは背もたれから離れ、前のめりで机に肘をついた。


「その辺りも腑に落ちない。……お前、そんなに正義感の強いタチだったのか? これはシャンバラ探しとは関係ないし、金にもならない。餓えて死ぬ人間なんてそこらじゅうにいるだろう? なぜ引き受ける?」


 ローガはそう聞かれて椅子に深く座り直した。


「そうあるべきと教えられたからだ。……ルーウェンには悪いがな、俺は今でも父を尊敬している。憎むべきなのは薬と世間なのであって、あの親父は悪い男じゃなかった。その親父が子供の頃に俺に言い聞かせて来たんだ」


 ローガは指を三本立て、身振り手振りも交えて説明をし始める。


「世の中には三種類の人間がいる。山羊と、狼と、番犬だ。身を守る術を知らず、ただ食われることしかできない山羊。暴力を振るって山羊を捕食しようとする狼。そして戦う力を持ち、山羊の群れを守るため狼に立ち向かえる特別な存在。それが番犬だ。……番犬は山羊が狼に襲われているのを見ると、守らずにはいられない。例え無償であっても弱者のために武器を取り、狼共を蹴散らす。それが番犬という存在なんだ……。俺は小さい頃から番犬になれと言われてきた。それがこの国に生まれ者の務めで、男子のあるべき生き方だと、そう親父に言い聞かされてきたんだ。だから俺は軍隊にも入った。そして今こそが番犬としての務めを果たす時だと思ってる。だから俺はこの仕事を引き受けたんだ」


 それを聞いて、ラジャータは少し黙った。そしてローガの顔を覗き込むようにまじまじと見つめる。

 ローガもそれに応えるようにラジャータの顔を真っすぐ見つめた。

 そうして暫くしてから、ラジャータは目を離さずに一つ問いかけた。


「……お前、何か思い詰めていないか?」


 ローガはそれを聞いて、目を逸らさずにゆっくりと答える。


「……いや、俺はいつも通りだ」

「ふーん、そうか」


 ラジャータはローガから目線を外し、気が抜けたように背もたれへもたれ掛かった。


「まあいいさ。ところでだ、私は従順な犬なのか……?」


 それを聞いてローガはギクリとする。


「……き、聞こえてたのか?」

「前にも言ったろう? 私は耳が効く。お前の耳打ちは全部聞こえていたぞ」

「ああ、いや、あれはだな……。別にラジャータの事を本気でそう思ってるわけじゃなくてな、あれは嘘をつくための方便で……。だってほら、おかげで宿にも飯にもありつけることになったじゃないか……」


 ローガはどうにか取り繕おうと焦ったが、ラジャータはやはり表情を変えない。


「なるほど、こうやって私の悪評は広まっていくんだな……。腹が減ると機嫌が悪くなるんだったか? それで森じゅう血の海ねぇ、10年が人が住めなくなるとは……恐ろしいものだ」

「悪かったって……! ただの冗談だろう?」

「そうかそうか、手懐けるのに苦労したんだってな? お手でもしてやろうか? わんわん」


 ラジャータは顔色一つ変えず、手を出して犬の真似をし始めた。


「頼む許してくれよ……仕方なかったんだ……ルーウェンもなんとか言ってやってくれ!」

「え、えっとー……そういうのがお好みでしたら……その、私がお相手しましょうか……?」


 ルーウェンは食事の手を止め恥ずかしそうに顔を逸らした。


「だからそうじゃないんだって! あれはあくまで方便で……許してくれよ……!」

「別に私はお前を責めてなどいないぞ。ほら、お手はしなくていいのか? ほら」


 ラジャータは犬の手真似でドンドンと強めにテーブルを叩く。


「いや絶対怒ってるよな?!  悪かったって!」

「怒ってなどいない。苦労して手懐けた従順な犬だからな。 わんわんわん」


 結局ローガは、旅の道中しばらくこのネタで擦られ続けることになるのだった……。

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