最低のクズ

「ここも外れか?」

「そうらしいな」


 二つ目の罠も、先ほどと同じようにハズレだった。

 

 ワイヤーの輪が地面に転がっているだけで、獲物は掛かっていないようである。

 二人は罠を回収し、ガラタが銃を突きつけながら再び歩き出した。


「次で最後の罠だ。すぐ近くにある、そいつがだめなら収穫ナシだ」

「掛かってると思うか?」

「分からん、狩りで収穫ナシなんてよくあることだ」

「そうか、じゃあまあ、祈るしかないか……。それにしても、ククラの主人てのは余程いい人だったんだな。そこまで言わせるなんて」


「ああ、聡明で優しくて、立派なお方だよ。私はあの人の為ならなんだってできる」

「そんなに言うならいっぺん会ってみたいな、面白そうだ」

「バカ言え、お前なんかが気軽に会っていいお方じゃない。私なんかとは違って素晴らしいお方だからな」

「私なんか……って、お前は自分を悪く言いすぎだよ。俺からしたらククラだって充分立派な奴だと思うけどな」

「そう買い被るな、私なんて下賤な奴隷の獣人でしかない」

「いや、そうだろう? だって俺なんかと違って読み書きができるし、他にもいろいろ学んでいるんだ。それに頭がいいだけじゃない、腕っぷしも俺より立つじゃないか。ここでの活躍も俺よりよほどいいし、馬術や剣術までできるんだろう? 充分すげぇじゃねぇか」

「そんなの誰だって覚えればできることだ。私は運に恵まれただけなんだよ、本当に大事なことは他にある。私はリカ様とレインダリルダ家の恩義に報いることができるなら、ここで死んだって構わないんだ」


「いやいやククラは生き残るべきだと思うぜ? 死ぬべきなのは俺みたいな奴の事だよ。何の能も無しにのうのうと生きて来て、バカげた話に踊らされてこんなところに来ちまう奴だ」

「確かにお前はバカなんだろうな。のこのこ私についてくるし、丸腰で中間地帯に上がるような奴だからな。だがお前はヒト族だ。私とは違う。私は獣人の奴隷なんだぞ? 今までいい待遇を受けてたからってその事実は変わらない。私は下賤な種族なんだ」

「そうか? 主人の為にわざわざこんなところへ来る奴が下賤とは思えないがな」

「お前はヒトだからそんな余裕のあることが言えるんだ。見え透いたこと言うのはやめてくれ」

「別に嘘言おうってんじゃないさ。俺はあんたをすげえ奴だと思ってるよ。獣人の身でよく今日まで生き延びてきたじゃないか」

「いい加減にしてくれ、私は裏切者なんだぞ? なんでそうやって私を褒めるんだ! 何も知らないくせに適当なこと言うなよ!」


 ククラは段々と声を荒げ始める。どうやらローガの発言が気に障ったようだった。


「裏切り者って言ったって、別に敵に寝返ったわけじゃないじゃないか、お前にも事情があるんだろ?」

「ああそうだ、事情がある。だがお前はそんな事情知らないだろう? どうせお前なんかには分かるはずもないんだ。だから余計なこと言うなよ!」

「確かに俺はお前の事情を知らないけどよ、別に悪さしようってんじゃないんだろう? 俺にはお前を責められねぇよ」

「だけど私は穢れた獣人の奴隷で、裏切者だ! 容易く私を評価するな!」

「いや、俺は本気で……」


 ローガがそう言いかけたところで、ククラはローガの背を蹴り飛ばした。


 体勢を崩したローガは思わず膝をつく。急いで振り返ってみると、ククラは怒りを露わにしてローガに拳銃を突きつけていた。


「調子のいい事ばっかり言いやがって! ちょっとでもお前に気を許したのが間違いだったよ! 私を密告する気がないってのは本当らしいけどな! てめえは勘違いした大馬鹿者だ!」


 ククラは長い犬歯を剥き出しにし、ローガを怒鳴りつけて圧倒する。


「ま、待てよ……!」


 ローガは慌てて立ち上がり数歩後ずさった。


「私だってな! こんなにひでぇ場所だなんて知ってたら、わざわざこんな所来りしてねえんだよ! お前はバカげた話に踊らされてここまで来たって言ったよな? 私だって同じだ! ずっとぬくぬく温室で育ってきた世間知らずのバカだったんだよ!」

「なあ……落ち着け……ククラ、やめるんだ……」


 ローガは恐る恐る宥めようとしたが、彼女の耳には入らない。ククラは更に怒号を飛ばした。


「読み書きができるからなんだ? 育ちがいいから何なんだよ! 文字も算術もここじゃ何の役にも立ちやしない! どれだけ知識があったって、私は獣人で奴隷なんだ! この軍隊でヒト族共が私達にどういう扱いをするか知ってるか? お前達ヒトはなぁ! 私達獣人を使いきりの銃弾か何かくらいにしか思っちゃいないんだよ! 汚れ仕事は全部私達に任せて、無茶な突撃をさせてみんな死んでいった! そのくせ私達が手柄を立てれば、全部お前達ヒト族の手柄になる! おまけに味方のはずのお前達に口汚く罵られて、ちょっとでも気が立てばリンチにされる! それどころか、気に食わない奴は余興に殺されるんだ! しまいにゃ給料だって払われない! 金の為にここへ来たってのに、散々苦労して目当てのものは一切手に入らなかった! もう何度敵に寝返ってやろうと思ったか分かんねぇよ! 向こうなら差別されない! 給料だって貰える! ゴミみたいに扱われることだってない! だってみんな獣人だからな! でも敵に寝返るなんて真似できるわけもない! だから私はヒトを騙ったんだ!」


 捲し立てるククラを前にローガは何か言葉を探したが、思いつく前に更にククラが続けた。


「お前だってヒト族だ! 本心じゃ見下してるんだろう? 他のあいつらだって、リカだって同じだ! 私は薄汚れた獣人の奴隷なんだからな! 全員そうだ! お前だってそうなんだろ?!」


「……いや、別に俺はお前を見下してなんか……」


「嘘つくなよ! 汚らわしい獣人だって、薄汚れた奴隷だって! そう思ってるんだろう?! 本当は最低のクズだと思ってるんだよな? そうだろ!」


 ククラの啖呵に、ローガもいい加減熱が上がり始めていた。こちとら慰めて受け入れてやろうというのに、この分からず屋はまるで聞く耳を持ちやしない。ローガも思わず声を荒げる。


「ああそうだよ……お前は最低のクズだ! 穢れ切った畜生以下のクズだよ!」


 それを聞いて、ククラはほれ見たことかと微笑した。それどころか、彼女の反応はまるで、そう言われるのを待っていたかのようですらあった。


「やっぱりな……やっぱりお前だって同じじゃないか……」


「分かり切ったことだろう? てめぇの魂は穢れ切ってる! 血と泥と腐肉の臭いが染みついてぷんぷん臭ってやがるんだよ! 腐りきったクズの臭いだ!」


「やっぱり、そうだよな……。私は穢れたクズなんだ……」


「ああそうだ! てめぇは犬畜生以下のクズだ! 穢れた人殺しのクズ女だよ!」


 ククラは納得がいったとばかりに、少し笑ってみせる。そしてローガに突きつけていた拳銃の銃口を、自分の頭に向け始めた。


「もう充分だよ……。もうはっきり分かった。やっぱり私なんか最低のクズなんだ……。沢山だよ。もう先に逝かせててくれ……。そうすりゃあ、楽になるよな……?」


 ククラの握る拳銃は、震えながら彼女の側頭部を捉え、目からはじわじわと涙が溢れだしている。

 だがローガは、これだけ罵っておいてククラを先に逝かせる気など無かった。


「人の話は最後まで聞けよ! てめえ一人先に楽にさせやしねぇからな!」

「なんなんだよ……。私が死ねばお前だってせいせいするだろ?」

「舐めたこと言ってんじゃねえ。誰がお前に死ねと言った? 一人で勝手に死ぬなんて許さねぇからな!」


「なんでだよ……頼むよ……。もう疲れたんだ……」


「疲れたのかどうだか知らねえがな、俺はお前に死なれちゃ困るんだ! 確かに俺はてめぇを最低のクズだと思ってる。だがな、俺はお前を見下しちゃいねえ! 獣人だとか奴隷だとか、身分がどうだってのは俺にはもうよく分かんねぇんだよ! 本当に神様がいるんだったら、確かにお前らは下賤な民族なのかもしれねえよ! だけどな、俺にはもうそんなもん見分けがつかねぇんだ! 俺もお前も。血と、泥と、腐肉と硝煙と糞と汗の臭いにまみれて、もう元が何者だったかなんて分かりやしねぇ。俺達は、地べたを這いずり回って、大勢殺して、もう死の臭いが染みついて取れなくなってんだ! だからてめぇが獣人だろうと奴隷だろうと知ったことじゃない! お前は畜生以下の人殺しで、最低のクズで! 俺もお前と同じ最低のクズなんだよ!」


 ククラの瞳は潤みはじめ、嗚咽を漏らしてローガの言葉を聞き続ける。


「なあ分かんねぇかな? 俺達は同じクズなんだよ。だから俺はお前を見下す気はないし、軽蔑する気もない。お前が獣人だろうと、奴隷だろうと、俺には関係ねぇ。お前は、俺と一緒にクズに成り下がった同胞だ。ククラ、お前は俺と同じ穴倉に籠って、同じ釜の飯を食って、肩を並べて同じ敵を殺して、一緒に地の底まで落ちた俺の戦友なんだよ」


「なんだよ……なんだよそれ……」


「なあ……。どうしても死にたいってんなら、俺には止められないかも知れないけどよ。でもよ、これだけは分かってくれよ。お前が死んだら、俺は大事な戦友を一人失うんだ。今まであんまり話してこなかったかもしれないけど、俺はお前に死なれたくはない」


「……止めるんだったら……そんなクズクズ言うなよ……なんなんだよお前……」


 ククラは余計に嗚咽を漏らして俯きだした。それを見て、どうやらやりすぎたらしいとローガもハッとする。


「あ、いや、すまん。さすがに言い過ぎたよな……。まあその、クズだクズだって言ったけどよ、ククラはいい奴だよ。俺の大事な戦友だし。強くて、頭もいいじゃないか」


「今更とって付けたように褒めたって……なんも響かねぇよ……」

「あと……それに、ほら、なんだ。犬って可愛いだろ? お前の耳と尻尾も、可愛くていいと思うぞ」


 ククラは俯いたままフフッと少し笑った。


「私のこれは狼だよ……結局犬畜生扱いじゃねえか」


 これは言葉を間違えたと思い、ローガは慌てて取り繕う。


「あ、いや別に悪い意味じゃなくてだな! あくまで褒めたつもりで……!」


 ククラは、そんなローガの反応がおかしくて笑い出した。そうしてゆっくりと顔を上げ、頭部に突きつけた銃を下ろし始める。

 ローガの目に映った彼女の頬には、涙が垂れていた。だがそれでも、彼女は微笑んでローガの目を見据えている。


「お前みたいな変な奴は初めてだよ……。ヒトのくせに生意気なこと言いやがって」


 ローガは彼女が銃を下ろしたのを見て、ほっと溜息をついた。


「私はお前の戦友か?」

「ああ、俺の戦友だ」


「お前は私の同胞か?」

「ああ、俺はお前の同胞だ」


 ククラはずっと被り続けていたヘルメットを取り始めた。そうして、彼女の頭部に生えた狼の耳が露わになる。

それから彼女は、ぽりぽりと頭を掻くように自分の耳をいじくり始めた。


「こ、この耳が可愛いのか?」


 ククラは気恥ずかしそうに少し目を逸らした。


「あ、ああ……。可愛いと思うぞ」

「なんだよ……微妙な反応だな」


  ククラは何か気に食わないようで、少し頬を膨らまして見せた。


「い、いやだって……」

「もう行こう、最後の罠が残ってる」


 ククラは独りでに会話を終わらせると、拳銃をホルスターにしまいながら歩き出してしまった。そして前を行くローガを追い越して、どんどん先へと向かっていく。


「え? ちょ、ちょっと待てよ」


 ローガは何が起きているんだか理解ができず、慌てて彼女の後を追いかけた。


「なんだよ! 結局自殺はやめてくれたのか? 俺の事を信用してくれたのかよ?」


「……うるさい!」


 ククラは振り返らず、ローガの問いを一蹴した。心なしか早歩きで、ローガには彼女がまだ苛立っているように見られた。だがやはり彼女の思惑は掴めない。


「うるさいってなんだよ! なあ、もう俺は殺されないのか?」


「うるさい……! 獲物が逃げるだろ」


 ククラは顔を隠すように前だけを見て、余計に足早に先を急いだ。


「分かったよ……」


 こうなってしまっては、ローガももう問い詰められない。その後は仕方なく黙って彼女の後をついて行った。

 そしてしばらく言葉を交わさぬままに歩き、二人は最後の罠の近くまで辿りつく。


「……待て」


 突然ククラが立ち止まり、小声でそう呟いた。


「どうした? 獲物がいたのか?」


 ローガもすぐに立ち止まり、小声で問い返す。


「ああ、臭いがする」


 どうやら最後の罠に獲物が掛かっているらしい。二人は中腰になり、ククラが銃を構えて慎重に罠へと近づいて行った。


 しかし、いざ罠のあった場所まで辿り着くと、獲物の姿はそこにはなかった。

 だがワイヤーの輪はぐにゃりと曲がり、血の跡が付いている。辺りの土も素人目に分かる程に掘り返されていて、明らかに何かが暴れたようだ。さらには周囲の枝も折れ、あちこちにも血痕が見受けられる。


「逃げられたらしいな」


 彼女の言う通り、どうやら獲物は掛かっていたようである。だがパニックになって大暴れし、どうにか逃げおおせた後のようだった。

 ククラはその跡地で、ブルーベリーほどの大きさの糞を見つけるとそれを軽く手で潰して見せた。


「まだ湿ってる。逃げられてからそう時間は立っていないな。かなり暴れて消耗しているだろうし、手負いと考えるとそう遠くへ行ってないはずだ」

「どっちへ行ったか分かるか?」

「ああ、臭いを辿れる」

「流石狼だな」

「ああ、これくらいはお手のものだ」


 ククラは臭いを頼りに、さらに森の中を進んで行った。

 ローガには分からなかったが、経験のあるククラには逃亡者の足跡や折った枝葉の跡まではっきりと見えている。

 そうしてしばらく進み、二人はいよいよ獲物の間近に迫った。


「見えるか?」


 ククラは藪の隙間から開けた場所を指さす。ローガは指示された場所に目を凝らし、ようやくその姿を目に捉えた。


 そこにいたのは、一匹の雌鹿であった。彼女はワイヤーが食い込んで出血した後ろ脚を浮かし、下草を食んでいるところのようだ。


「ローガ、お前やってみるか?」


 肩の触れる距離で、同じ茂みに隠れるククラはローガにそう問いかけた。


「いいのか?」

「ああ、やってみろよ」


 そう言ってククラは、躊躇いもせずに自分のスコープ付きライフルをローガに手渡した。


「分かった」


 そしてローガも、迷わず彼女のライフル受け取る。

 ローガはいつものように銃を構えたのだが、彼には狩猟の経験も、スコープ付きライフルの運用経験も無い。それはククラも分かっていたので、彼女が手ほどきをしてくれることになった。


「まず尻をついて足を前に出すんだ、その方が安定する」


 言われた通りに体勢を変えるローガ、ククラはそんなローガの背中に回り込んだ。


「そうだ、その状態で普通に狙って見ろ、この距離なら偏差はいらない。スコープの十字線を首の付け根に合わせるんだ」


 ククラは同じ射線を確かめるため、ローガの背に大きな胸を押し付けて密着し、彼の顔のすぐ横でシカの居場所を見据えた。


「頭を狙わなくていいのか?」

「急に頭を上げ下げすることがあるからな、素人は心臓か動脈を狙った方がいい」


 ローガは言われた通り、十字線の真ん中にシカの首の付け根を捉える。だがその狙いは揺れ、なかなか定まらない。


「……深呼吸するんだ。心を落ち着かせろ」


 ローガの耳元で、ゆったりとしたククラの吐息が聞こえる。ローガはその音に合わせるように、自らも呼吸を整えていった。


「いいぞ、その調子だ……」


 今度はククラがローガの前に腕を回し、銃を握るローガの手にククラの手が重なった。


「あまり力を入れすぎるな……。優しく、握らずに、ただ支えるだけでいい」


 ローガの見据えるスコープは目に見えて揺れが収まっていき、彼の感覚は段々と研ぎ澄まされていった。


「焦るな、自分の心地いいタイミングを探せ……。トリガーは、暗夜に霜が落ちるかのように、柔らかく……」


 ローガは、獲物の姿をはっきりと見据え、徐々に指先に力を入れていく。そして、全ての点と点が繋がるように、その時は訪れた。


 大きな銃声が鳴り響き、橙色の発火炎が一瞬視界を覆う。空気を揺らす振動が全身に伝わり、火薬の反動がローガの肩にのしかかった。

 ローガはその反動を押さえ込み、跳ね上がった銃口を慌てて元の位置に戻したが、スコープの先にシカの姿は見当たらない。


「当たった!」


 だがククラはそう言って立ち上がる。慌ててローガも立ち上がり、肉眼でその姿を探してみた。

 すると、驚いて駆け出した雌鹿が段々とよろめき、大地に転げていく姿がローガにもはっきりと見てとれた。


「やったなローガ。お見事だ」


 ローガは手負いの相手ながら、初めての狩猟で獲物を仕留める事ができたのだ。

 二人はさっそく獲物を回収すべく、急いでシカの元へと近づいて行く。そして胸部から血を噴き出してもがくシカの首に、ククラが止め刺し用のナイフを突き立てた。

 すると切り口からはどっと血が噴き出し、シカはビクビクと驚いて抵抗を始める。だがそのシカは息を切らしながら段々と弱っていき、やがてその動きを止めてくれた。


「ありがとうククラ、お前のおかげで仕留められたよ」

「いいや、お前のお手柄さ。私は少し手を貸しただけだ」

「でもククラが教えてくれなきゃ仕留められなかったって」

「べつに私は大したことはしてない」

「そうか、ありがとう」


「なあ、そういえば……私もお前にまだ礼を言ってなかったよな」

「え? 礼って?」


 ローガはきょとんとしてククラの目を見た。彼女は腕を掴み、気恥ずかしそうにそっぽを向いている。


「その、ありがとうな。私の事を誰にも言わないでくれて。……それから、私を戦友だって言ってくれて」

「なんだ、そんなことか……。いいんだよ、俺は自分のしたいようにしただけさ」

「でも、それでもありがとう。お前がいてくれてよかった、本当に。それから……」


 ククラは逸らした顔をローガに向け得意げに微笑み出す。


「私の裸を見た礼もしてなかったよな……?」

「へっ?」


 ローガが反応するよりも早く、彼の股間をククラの蹴りが襲った。


「痛ってえ! 何すんだよ!」


 ローガは痛みと衝撃に一瞬飛び上がり、大急ぎで自分の股間を押さえ始めた。

 それを見てニコニコと大笑いするククラ。

 彼女はそうして笑いながら、自分の肩からローガのライフルを下ろし、彼の拳銃とナイフも一緒に取り出した。


「ほら、もう返してやるよ」

「てめぇ……。ったく、ありがとよ……」


 ローガは女々しく股を閉じながら、その装備を受け取る。


「じゃあ、仕留めた獲物もお前が担いでくれよ」

「ええ? 俺が一人で運ぶのか?」

「そういうのは男の仕事だろ?」

「あーもう分かったよ!」


 こうしてローガとククラは無事にシカを仕留め、秘密を隠しておいたままに皆の待つ最前線へと戻ることになったのだった。


 前戦では二人の持ち帰った肉はすぐに捌かれ、その日の夕暮れには早速宴が始まることになる。

 中間地帯の真ん中に火をくべて、敵味方関係なしに酒を片手にバーベキューをしたのだ。

 塩漬けにされていない新鮮な肉を食べるなど、皆戦争に来て以来初めての事である。今日のような日がこの先も続けばよいと、誰もが思った。


 だがその場の全員の期待を裏切って、翌日の朝にはいつもの日常を取り戻すことになった。

 サングルマーラの戦線では、いつものように砲弾が降り注ぎ、今までと同じように銃声が鳴り響く。当然中間地帯に上がる者など誰一人いない。


 後ろの将校達にとってみれば、暢気に休戦をしている余裕など当然の如く無かったのだ。積み上がった仕事が片付いた以上は、こうして日常に戻るしかないのである。


 この三日間は、この戦場に訪れた一瞬の平和。蜃気楼のような儚い安息なのだった。


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