ククラ
賭けはローガとガラタの負けだった。
二人が皆の元に戻る頃には決着がついており、顔中腫らしてうずくまるプラカシュと、息を切らしてよろよろと立ち尽くすカマルが皆に囲まれていたのだ。
だがこの一件のおかげでプラカシュの怒りも収まったようで、彼はその日一日しおらしくしていた。
男とは単純なもので、悩みごとや揉め事は殴り合えばそれで解決なのだ。それが彼らにとってのスキンシップのようなものだった。
とはいえ規律を重んじる軍隊において、仲間同士の決闘が許されているわけではない。プラカシュとカマルの二人は、懲罰として翌日まで駐屯地での謹慎を命じられることになった。
一方他の隊員達は、日が暮れる前には元いた掩体壕に戻り、翌日には掩体壕や塹壕の修理作業に従事することになった。そのため皆体よくサボったプラカシュとカマルが羨ましいくらいであった。
だがその作業も午前のうちには交代となり、隊員たちは再び余暇を過ごせる運びとなる。
中間地帯も部分的に均され、そこでは敵味方関係なしにボール遊びをしたり、酒やタバコの交換をしたり、皆で歌ったりなど、誰も彼も好き勝手に過ごしていた。
「なあローガ。昨日あいつと何があったんだよ? 裸を見たってのは本当か?」
マヘンドラは酒を片手に、興味深々に問いかけた。二人は中間地帯で、補給用の木箱を椅子代わりにして酒を飲んでいるところである。
「別になにも起きちゃいないよ、裸だって見てない」
「じゃあなんだってあの姫様はあんなに気が立ってるんだ? 何か起きてなきゃおかしいだろう?」
マヘンドラの疑問は尤もだった。あれ以来二人はお互いに一言も口を利くことが無くなり、周りからもはっきり分かるほどに互いを避けていたのだ。おまけにガラタは常に苛立っているようで、他のメンバーに対しても普段にも増して対応が悪くなっていた。
「何もなかったって。たぶん、あれだろ? 俺が適当にプラカシュに賭けるって言って、小銭がなくなったのが気に食わなかったんだ」
「あの姫様がそんなことで機嫌を損ねるかねぇ? まあご機嫌斜めなのはいつものことだが」
もちろん、二人が険悪なのはそんな理由の為ではない。だが事実を伝えるわけにはいかないので、どうにか誤魔化すしかなかった。
「俺だって、あいつと普段から仲良くしてるわけじゃないんだ。あいつが何を思ってるかなんて知らないよ」
すると、話し込む二人の元に、カプタナがやってきた。
「ローガ、今の話聞いてたぜ。俺がお前らを呼びに行った時、確かにガラタがまだ服を着てないって言ってなかったか? お前絶対裸見ただろう?」
「いや見てないって、俺が声を掛けたからそれに気づいて返事をしてくれたんだ。だからそこで止まって、ガラタの姿までは見てないんだって」
「ほーう、そうか。じゃあつまりガラタがお前に、私はまだ服を着ていない。って言ったってことだろう? 乙女がわざわざ裸だと打ち明けるなんて変だよなあ?」
「いや、だから。別にはっきり言ってたわけじゃないが、何となく察しはつくだろう?」
「本当か? 何か隠してるんじゃないのか?」
ローガはぎくりとした。彼らはガラタが獣人であることについては思いもよらないだろうと考えられたが、それでも隠し事をしているのは事実で、裸を見たなんてバレたらそこから何かほころびが出そうに思われたのだった。
「いや、だから何も見てないって……!」
「こいつ怪しいなぁ……」
「別にバカにしたりしないんだから、正直に言ってみろって!」
二人とも興味津々にローガに詰め寄る。かと言って正直なことを言う訳にもいかない。そうこうしていると、今度はガラタが塹壕の中から這い出して三人に近寄ってきた。
彼女はやはりご機嫌が悪いようで、三人を見るなり、キッと睨みつける。
「ど、どうしたガラタ……!」
マヘンドラは慌ててそう問いかけた。三人ともさっきまでの会話を聞かれていたのではと、びくびくしている。
「お前らここで何をしているんだ?」
マヘンドラの質問に対して。ガラタは起伏のない口調でそう聞き返した。
「え? 何って、そりゃただ男同士仲良く話をしてただけさ……!」
カプタナは貼り付けたような笑顔でそう答える。
ローガとマヘンドラも「そ、そうだよ、別に変な話はしちゃいないぜ……?」「なあ……? そうだよな、なんてことはない、くだらない雑談さ……!」と慌てて誤魔化してみせた。
するとガラタは少し黙り、尚も疑惑の眼差し三人に向ける。男たちは思わず息を飲んだ。
しかし暫くして、ガラタは「あっそう」と見下したような目で言い放った。どうやら許されたらしい。
「そ、そういうガラタはどうしたんだ……?」
ローガは場を取り繕うように問いかけた。
「昨日仕掛けた罠を確認しに行く」
「な、なんだよ罠って……」
「昨日近くの森に括り罠を仕掛けておいた。運が良ければシカがかかってる」
「そ、そうか、じゃあ行ってらっしゃい」
ローガはよそよそしく彼女を見送ろうとしたが、それを見てカプタナが強めに小突いた。
「痛てっ! 何すんだよ!」
思わず声を上げるローガだったが、カプタナはニヤリとしてローガにアイコンタクトを取る。どうやらついて行けと言うことらしい。
ローガは次に、助けを求めるようにマヘンドラの顔を見た。だが彼も微笑みながら無言で頷き、ローガを送り出そうという気のようだ。
オジサン達の思惑としては、面白そうだからというのが半分、機嫌の悪いガラタのケアを押し付けたいというのがもう半分だろう。
だがローガは、昨日の今日で何をされるか分かったものではないので、下手に動きたくは無かった。しかしその反面、彼女の事情について知りたい思いを持ってもいた。
そのため暫く尻込みしたローガではあったが、結局彼女の狩りについていくことを決意した。彼の中では、昨日詳しく話を聞かせろと言ったのが決め手になっていた。
「な、なあ……。俺もついて行っていいか……?」
ガラタは少し黙って考えたが、暫くして「勝手にしろ」と短く答えた。
それを聞いてカプタナとマヘンドラはまたローガを小突き、こくこくと頷いてローガの顔を見つめる。
よく言ったぞ! お前は男だ!
とでも言いたいらしい。
ローガは真の事情を知らない二人に少し苛立った。だが言い返そうにも何も言えないので、溜息をついてから立ち上がり、準備を始めることにしたのだった。
ローガとガラタの二人は、それぞれライフルと拳銃、ナイフを複数本用意して森へと向かっていった。
森は戦線の南東にあり、延々と広がる平野の中で湿地を形成している場所だ。ここには多くの野生動物が生息し、戦争による砲撃の影響も受けていない自然のままの湿地林が広がっている。
おかげでここには軍関係者が訪れる事は滅多にない。秘密のある二人にとっては好都合の場所だ。
そして最初にアクションを起こしたのはガラタだった。
ここまで二人は何も話さず気まずい空気の中歩いていたのだが、森に入って周りに人が居なくなったのを見計らい、ガラタがローガに拳銃を突きつけたのだ。
「お前はバカな男だ。二人きりになれば殺されるとは思わなかったのか?」
ガラタは、やれやれと両手を上げるローガに問いかけた。
「分かってるよ。だがお前はそう簡単に俺を殺せやしないさ」
「挑発してるのか? 確かに私だって躊躇いもせず仲間を殺せるほど落ちぶれちゃいない。だが死にたがってるんなら話は別だ。望み通り殺してやる」
ガラタは険しい表情で睨みつけた。
「別にわざわざ死にたいわけじゃない。ただ、興味があったんだ」
「興味? 何の話だ」
「今俺に銃を向けてる奴が、一体何者なのか。今日まで殺しあってきた奴らと、肩を並べて戦っていたガラタと、何が違うのか。それを知りたいんだ」
「そうやって粗方聞き出したところで密告するつもりか?」
「俺を信用できないならそれで構わない。このまま殺されたっていい。反撃が心配なら銃を預けたっていい。ただ、俺はあんたと話がしたいだけなんだ」
ガラタは少し考えてから「動いたら殺す」と言ってローガに近寄った。
そして銃口を突きつけたまま、ローガの肩からライフルを下ろし、それを自分が背負い始める。更に腰からナイフと拳銃も取り上げて、それもガラタが預かった。
「お前が前を歩け、道は私が指示する。変な真似したら殺すからな」
ガラタはローガとの距離を取りなおして、後ろから銃を突き付け続けた。
「分かった、お前が気に食わないんだったらいつでも殺してくれていい。任せるよ」
「歩け」
ガラタはローガの背を銃口で突いて促し、ローガはやれやれと先へと進み始める。そして、歩きながらガラタが話し始めた。
「お前、私の事が知りたいんだったな」
「……ああ、そうだ」
「ククラだ」
「え?」
「ククラ。それが私の名前だ」
「ククラ? じゃあガラタってのは偽名なのか?」
「そうだ、ガラタ・ナマ・アシャイ・スルバタ、これは私の名前じゃない。前駐留していた戦場で、死んだヒト族の女兵士から認識票を拝借したんだ。本当はククラという獣人の女で、家名は無い。単にククラだ」
「ククラね、いい名前じゃないか。改めてよろしく頼むよククラさん」
ローガは少しからかうように言った。だがガラタ、もといククラは警戒して怒ったように言い返す。
「他の奴らの前でその名前を口にしてみろ、その小賢しい顎を引きちぎって殺してやるからな」
それを聞いてローガは少し笑ってみせた。
「べついに言いやしないって。なあ、ってことは昨日の手紙、本当はお前宛てじゃないってことか?」
「ああそうだ。あくまでガラタと言う人間の娘に宛てたもので、私宛の手紙じゃない。ガラタという娘とは同郷だったからな、都合がよかったんだ。急に手紙が帰ってこなくなって、本当に死んだと怪しまれても困るし、仕方なく返していた」
「ふーん、そうか。その割には熱を上げてると思ったがな」
「べつにそんなんじゃない。怪しまれるのが嫌だったから返していただけだ」
「その割には、昨日慌てて手紙を取り上げたじゃないか。べつにあんなの、俺を殺してからでもよかっただろうし、仕方なしなんだ、一通くらい不着でも別におかしくはないだろう?」
「それは……」と、ククラは少し考えた。そして暫くしてから諦めたように続ける。
「私には両親がいないんだ。だから、なんていうか。私宛じゃないって分かってても、ガラタの両親と手紙のやりとりをするのが、なんだか嬉しかったんだ……。だから、私も本当の両親に送るみたいに考えて、手紙を送り返してきたんだ」
「意外だな。そういうのとは無縁な奴だと思ってたよ」
「軽蔑したか? 私は忌々しい獣人ってだけじゃない。国を騙してヒトになりすまし、死人とその家族まで弄んでいたんだ。卑怯者のクズだろう?」
「意外ってのはそういう意味じゃないんだが……。まあ、どうだかな。俺には両親のいない奴の気持ちは分からないよ。別に悪気があったわけじゃないんだろ?」
「だが私のしたことは、許されるべきことじゃない。余計な同情などするな。反吐が出る」
「そうかな。でもきっと、娘は死んだって事実を伝えるのだって勇気のいることだろう? 案外向こうも喜んでるかもしれないぜ?」
「そんなわけないだろう? ずっと文通してた相手が、どこの馬の骨ともしれない獣人の娘だったんだ。そんなの知れたら、きっと怒り狂うに決まってる」
「なら試してみればいい」
「バカ言うな。そもそもだけどな、軍の郵便は検閲されてるんだ。私みたいに、ヒトになりすます裏切者やスパイがいないかってな。下手なことは書けない」
「そうか、そういうもんか」
ククラはやれやれとため息を一つつく。
「ローガ、そろそろ着くぞ」
ククラがそう言い、二人は一つ目の罠が仕掛けられた場所へと到着した。
「ここはハズレだな」
だが獲物が見当たらないので、この罠は空振りのようである。
地面にはワイヤーの輪が転がり、そのワイヤーが木に括りつけてあるのがローガにも分かった。
ククラが仕掛けていたのは括り罠と呼ばれるものだ。獲物の通り道や餌場に輪っか状のワイヤーを設置し、獲物が掛かると足を縛って逃げられないようにする仕組みである。
経験者でなければ気づけない程度のものだが、この場所はれっきとした獣道だ。ククラはそこを狙って罠を仕掛けていたのだ。
「ハズレってことは、今日の狩りは失敗か?」
「いや、あと二か所ある。ローガ、罠を外して回収してくれ」
「ええ? そんな仕事まで俺がやらなきゃいけないのか?」
ローガはいかにも不満げだ。
「私が作業したら、お前を監視できないだろ? いいからやれ、捕虜の扱いを心得た方が身のためだ」
ローガはぶつぶつ文句を言いながらも、作業に取り掛かる。そして転がる罠を木から外して、自分でそれを持っておいた。
そうしてここでの作業を終えると、二人はさっそく次の罠の場所へと向かい始めた。
「なあ、手紙の事は分かったけどよ、まだお前自身の事はよく分かってない。ククラはいったい何だってこんな戦場に来ちまったんだ?」
ローガは歩きながらそう問いかけた。
「私はな、本当は奴隷なんだ。生まれた時からな。私を買った主人の家に金が無くなって、仕方なく私が出稼ぎで出征することにしたんだ」
「奴隷だったのか? 意外だな、読み書きができるし。それなりにいいとこの出なのかと思ってたよ」
「いいところの出なのは間違いない。主人は大きな地主の一人娘なんだ。私は主人が小さい頃に買われて、一緒に読み書きや勉学を教わってきた。だから学がある。私は主人の良き臣下として、良き友人として寄り添うためにいたんだ」
「でもその割りになかなか人使いの荒い主人じゃないか。わざわざ奴隷を戦地に送って金を得ようだなんて」
「そんなんじゃない。主人は止めてくれていた。私が自分で行くって言いだして、聞かなかったんだよ」
「そんな奴隷がいるもんなんだな。なあよかったらお前の身の上話をもっと聞かせろよ。いつも全然話さないから、今までろくにお前の事知らなかったしな」
「なんだ? そうやってあれこれ聞きだして、私をスパイとして売るのか?」
「そう思うんなら言わなくたっていい。どっちにしろお前の嫌疑のミソはバレてるんだ。どっちだって一緒だろう?」
「はあ……分かったよ。べつに構わんが、つまらない話だぞ? それでもいいなら語ってやる」
「ああ、頼むぜ」
「私はな、物心ついたときには奴隷だったんだ。記憶のある限りじゃ両親の顔を見たことは無い。気が付いたら奴隷商の元にいた。その奴隷商に聞いた話じゃ、父は反抗的だったから殺されて、母は美人だから高く売られていったってことらしい。それから私が五歳の時に、レインダリルダという家に買われることになったんだ。その家には私と年の変らない女の子がいてな、赤い髪で、初めて会った時からずっと優しい目をしてた」
「その子がお前のご主人てわけか」
「ああそうだ。リカって名前でな、獣人の奴隷である私でも、見下したりせず友人のように接してくれていた。夜寝ると時と、食事の時、それから身を清める時以外はずっと一緒に過ごしていてな。肩を並べて読み書きを習って、算術とか歴史、農園の経営に必要な知識も勉強していたよ。それから今やってる狩りもそうだ。私は主人であるリカ様の護衛役でもあったからな、狩りに射撃術に剣術に馬術まで、一通りのことは教わってきた」
ククラの待遇は奴隷として破格のように見えるが、彼女のような例は決して珍しいものではなかった。
もちろんルーウェンのようなステレオタイプな奴隷も多く存在したものの、奴隷はそれなりに高い買い物である。物を教えて学を得れば、それだけできる仕事が増えるし、主人との信頼関係を構築すれば、忠誠心からより効率的に働くことができた。
また、奴隷商が読み書きを教えてから高値で売りさばくといったことも珍しくなかったし、能力さえあれば奴隷が教師や学者、政治家や果ては君主になることまであった。
ククラのような奴隷は、どちらかと言うならば中世の騎士に近い。君主に忠誠を誓うのか、主人に忠誠を誓うのかという違いでしかなく、本質は似たようなものであった。
「つまりククラはお嬢様ってこった。全然そうは見えねえけどな」
「余計なお世話だ。私だって昔はそれなりの話し方をしていたんだぞ? でも頭の悪いお前たち相手に、そんな言葉遣いをしたって舐められるだけからな。わざわざ下品な話し方を覚えてやったんだよ」
「ほーう、そりゃどうも。それで? それからどうなったんだ?」
「ああ、それから。私は十九になるまでリカ様と一緒に過ごしてきたんだ。私にとってリカ様はかけがえのない存在だ。旦那様や奥様もそうだ。みんな私に良くしてくれていたし、だから私も主人達の役に立とうと必死に仕事をしてきた。だけどな、私とリカ様が十五になった頃だ。旦那様が失踪したんだ。あの方には元々商才が無くてな、段々生活が苦しくなって、家族を養う重圧に耐えられなくなったんだろうさ。それで気が付いた時には、家族を捨てて家を出ていた」
「なるほど、それで家系は火の車ってわけか」
「そうだ。腐ってもそれなりに大きな地主だったからな、小作人の農奴を多く働かせていたんだ。彼らに払う給料や食事代がかかるってのに、旦那様が居なくなったせいで実家からの仕送りも止まっちまってな。もうにっちもさっちもいかないから、私が戦地に出ることにしたってわけだ。そうすりゃ金を仕送りできるし、食い扶持が一人減るだろう?」
「なるほどなぁ、お前も苦労してるらしいな」
「苦労だなんて言うほどのことじゃないさ。あんないい家に買われたんだ。あの奴隷商に売られていった奴隷の中で、一番の果報者だよ。……さてと、そろそろ次の罠に着くぞ」
こうして話し込んでいるうちに、二人は二つ目の罠の元へ到着した。
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