慰め
その後ローガとラジャータは、チルチルとミチルに乗り込みジャナクの小屋へと戻った。
道中の二人は何も会話を交わすことも無く、ただ沈黙するばかりた。ラジャータは元より余計なことは話さない質であったし、ローガも先ほどの出来事のせいで何も話すことができないでいたのだ。
結局その沈黙を貫いたまま山小屋へ戻ると、馬を降りるより前に二人の帰還に気付いたルーウェンが小屋を出て駆け寄ってきた。
「ローガ様! ラジャータさん! 大丈夫ですか!」
「ああ、大丈夫だ」
ローガはそう言って無事を伝えたが、声に覇気はなく、無事でいられたのは彼の肉体だけであることを物語っていた。
「私も無事だ。仕事は終わったぞ」
一方のラジャータは初めに出会った頃と変わらず、澄ました無表情さのままである。
「よかったです! お二人はなら生きてるって分かってました! でもケガとかしてないかなって心配で……」
「ありがとうルーウェン、俺達は大丈夫だ。仕事も既に片付いたよ、何も問題は無かった」
ローガは話しながら馬を降り、ラジャータも同じように馬を降りた。
「イーシャちゃんはどうしたんですか? あの子のお母さんも生きてるんですよね? 人狼さんは死んじゃったんですか?」
「ああ、人狼は死んだよ。娘を守る為に勇敢に戦ってな、父親らしい最後だった。だけどイーシャとサージャナはもうあの村に居られなくなってしまったからな。俺達とは別で村から離れたんだ」
「そうですか……最後にもう一度イーシャと会いたかったです」
ルーウェンにとってイーシャは初めてできた同年代の友人だった。そんな彼女と最後に別れたのが、怒鳴られて連れ去られる姿であるというのはあまり受け入れたくない現実だったのだ。
ルーウェンは俯き、しょんぼりと二つの耳を垂れ下げてみせた。
だがしかし、その直後にルーウェンの耳がピンと立ち上がる。
そして何かに気が付いたように彼女はパッと遠くを見つめ始めた。
そしてそれからほんの数秒の間をおいて、遠くの方から銃声が二発聞こえてくる。その銃声は、確かにさっきまでいた村の方角から聞こえてきていた。
ルーウェンは再び耳を垂れ、悲しそうに俯いた。
「……きっと、イーシャちゃんも元気にやってますよね」
ローガは彼女に何と声をかけるべきか分からず、目を逸らして黙った。暫く沈黙の後彼はどうにか言葉をひねり出す。
「……ああ、大丈夫。きっと元気だ」
あまり浮かない表情の二人だったが、ラジャータは相変わらずあっけらかんとしている。
「あの家族とはこの仕事だけの関係だったんだ、あまり気にしても仕方がない。早く忘れた方がいい。とりあえず小屋に入ろう」
ラジャータはそう声をかけて小屋の方へと歩きだし、他の二人も仕方なくといった具合に小屋へと入っていった。
中に入ると、ラジャータは小屋にある薬や機材、本などを物色し始め、次々物を取り上げてはそれを元に戻してを繰り返し始めた。
「これが全部報酬か、売るのは手間だがそれなりの金になりそうだな」
ローガもぐるぐると部屋を見回しながらそう言った。
「お前も働いたからな、いくらか取り分はあるぞ」
ラジャータは一旦手を止めてそう告げる。
「いいや、俺はいい。借りを返すだけで十分な報酬だ」
「無欲な奴だな、それでいいのか?」
「あんたもあんただよ、結局は金ありきなんだな」
「そう思うか?」
「ああそう思うね、あんたは冷酷すぎる。金や仕事に縛られなきゃ後は気にしないってのか?」
ラジャータは少し押し黙った。
「……皆そう言う。私としてはそんなつもりは無いのだがな」
「それにしては顔色一つ変えないじゃないか、死んだ奴らに心を痛めるだなんてことはしないみたいに思えるけどな」
「私だってなんとも思っていないわけじゃない。だが今日のようなことは日常茶飯事だ。誰だって初めて家畜を絞める時は臆するし悲しみもするだろう。だがそれが日常になれば、いちいちそんなこと考えはしなくなる。お前は食事の時に尊い死に祈りを捧げ、その一口一口を噛めしめているか?」
「そりゃあ確かに、毎回律義に祈りを捧げちゃいないが……」
「まあ、もちろん中には敬虔な奴もいる。だが多くの者はいつしかそれを忘れて日常の中に埋もれていくものだろう。私のそれも同じだ」
「そうか、だがあんたは、あいつらが死んだところで知ったことないとでも言わんばかりじゃないか。確かに俺もそんなに真面目じゃねえさ、でもよ、あんたほど澄ました顔で居られるわけじゃねぇ」
「澄ました顔か……。私はな、これでも人間が好きなんだ。意外と思うかもしれないがな、こうして傭兵をやっているのはお前たち人間の役に立ちたいからなんだ。だからいつも私なりにできることをしているつもりだ」
「人間が好きねぇ、どっちかっていうとあんたは人間不信みたいに見えるぜ?」
「確かにな、私ももう失望している部分もある。だから冷酷に映るのだろう。私が関わるといつもこうなるんだ、あの女が言っていたことはあながち間違いじゃない。私は言われた通りの仕事をこなしているつもりだ。人狼は討伐できたし、事の真相を暴くこともできて、死ぬ前に娘に会わせてやることもできた。全部彼らの要望通りにこなしたはずだ。だがなぜかいつもこうなるんだ。私は人間達の為を思って、彼らの望みを叶えてやってきた。それなのに、その結果ついて回ったあだ名は、白い羅刹だの、厄災の魔女だの、カンティプルの殺し屋だのだ……。なぜだろうな、怪物狩りをしていたはずなのに、気が付けば人間を殺してる。戦えぬ者たちの護衛を買ってでれば、たちまち殺し屋と罵られる。お前も同じだ、ただ告げられた仕事をこなしているだけなのに、なぜ冷酷だなどと言われねばならないんだ?」
「……それは」
ローガはそれ以上答えられなかった。
「私は孤独だ。誰にも理解されることはない。どこへ行っても同じようなものだ。皆私の力を求めて私の力に臆する。必要なら金で買い叩くし、邪魔になれば罵って追い出す。だからお前に理解されずともそれで構いやしないさ、どうせいつものことだ。それにもう仕事は終わったしな、お前が私とつるむ理由などない。私はもう行くよ、報酬は全部お前にくれてやる」
「ま、待ってくれ、金の為じゃないにしてもこれを全部俺にくれるだなんてどういうことだ?」
「結局私は馬が手に入らなかったからな。歩きではこの報酬を持ち出せない。お前には馬車があるだろう? だから代わりにお前がもらって行け」
「た、確かにそうだが、でもだからって……」
「ならどうすればいい? 私もお前達もこれ以上この辺りをうろつくことはできない。これをそのまま置いていく以外他にないだろ?」
「そりゃそうだけどよ……なら、あんたはこれからどうするつもりなんだ?」
「私か? 私は今まで通りだ。近くの町や村を探して、仕事があればそこに留まるし、仕事が無ければまた次の町を探す。それだけだ」
「それじゃ確かに薬は運べないな……」
「お前達はどうなんだ? やはりシャンバラを探しに行くのか?」
「ああ、俺とルーウェンはこれからもシャンバラ探しだよ。北へ行ってパヴィトラの山を越えるんだ。その先がどうなっているかは分からないがな」
「そうか、ならこの先薬は役に立つはずだ。私と違ってお前たちは傷ついたら簡単には治らないからな」
「はぁ……。ああ、分かったよ。全部引き取ればいいんだろう」
ローガはやぶれかぶれと言った具合に受け入れた。
「ありがとう、この先またお前達と出会うことも無いだろう。シャンバラが見つかるといいな」
「……ああ」
「じゃあ、私はもう行くよ」
ラジャータにはまとめるべき荷物もろくにないようで、そのまま歩いて立ち去ろうとドアへ向かった。
「本当にもう行くのか?」
ローガは思わず彼女を止める。ラジャータは立ち止まり半分振り返って答えた。
「ああ、お前ももう私に用はないだろう? ルーウェンも、達者でな」
「……はい、お元気で」
そうしてまたラジャータは歩きだし、彼女はさっさとドアを出ていってしまった。
部屋の中に残った二人は、なんとなしにお互い見つめあった。どうにも釈然とせず、お互いにどうしたらいいのか何となくわからなかったのだ。そしてその沈黙を破ったのはルーウェンだった。
「ラジャータさん、きっと悪い人じゃないんだと思います。何となく、心は綺麗な気がします」
ローガは少し間を開けてから答える。
「そうなのかもな……」
ルーウェンの感は当たる。あのラジャータはそう言っていた。
さっきもそうである。ルーウェンもローガも言葉にしなかったが、ルーウェンは気が付いていた。
ローガはふと部屋の中を見渡してみる。
静かな部屋の中は薄暗く、小窓から降り注ぐ夕日は宙を舞う埃に反射して、その軌道をくっきりと映し出していた。そしてその日差しは、立ち並ぶガラス製品に反射しては赤々と輝いている。
「そうだ……。一つ言い忘れたことがあった……」
ローガはルーウェンの顔を一度見てから、今度はドアの方を向いて歩き出した。
「少し待っててくれ」
ローガはドアを開き、外に出るとラジャータの姿を探った。そして幸い彼女はまだそれほど遠くに行っておらず、すぐにその姿を見つけることができた。
「ラジャータ!」
ローガが呼び止めると、彼女は歩みを止めてその場に立ち止まる。だが彼女は振り向かず、その場に立ち尽くした。
「なあ、報酬が持っていけないってんなら俺達の馬車を使えばいい。馬が無いってんなら俺達の馬を使うのはどうだ?」
ラジャータはそれを聞いて振り返る。
「どういうつもりだ?」
「次の仕事も決まっていないんだろう? 実はな、腕の立つ傭兵を探してるんだ。人間相手だけじゃなく、怪物退治もできる奴だと尚いい。まあ報酬といえば三食が飯が食えるくらいのものなんだがな」
「……お前、私をスカウトする気なのか?」
「べつに雇われる気が無いってんなら途中で降りてくれても構わない。でもどうせ行き先が決まってないなら、報酬を売りさばいて馬を手に入れるまで行動を共にしたって悪くないんじゃないか?」
「いきなり何を言い出す? さっきまで私を冷酷な奴だと批判した奴の言い草とは思えんな」
「それについては悪かったよ。俺はラジャータについて何も知らないし、きっとあんたの苦しみを理解するなんてできないのかもしれない。でも、あんたが悪い奴じゃないってのは分かったんだ。ただ……なんていうか、不器用なだけなんだと思う。だからすまない、俺はあんたの事を見誤っていた」
「……謝罪は受け取っておこう。だがそれでなぜ私を勧誘する?」
「そうだなぁ……きっと俺とあんたは似た者同士なんだ。それとルーウェンもな。あんたは孤独で、誰にも理解されないって言っていただろう? 俺も信じた国に裏切られたし、笑いあった友も、血を分けた家族すらいなくなった。最初はみんな気でも狂ったのかと思ったがな、そうじゃなかった。俺だけがおかしかったんだ。今まで俺の居場所だった場所も、俺を理解してくれる人間誰も一人いなくなったんだ。ルーウェンだって同じだ。両親が死んで、あの子の存在を認めてくれる人間は誰一人いなくなった。俺が引き取らなきゃ死んでいただろうさ。だから俺達もラジャータと同じだ。どこにも居場所のない、孤独な存在なんだ」
「同じ、か……」
「どうだ? 確かに、本当の意味で理解しあうことなんてできないかもしれない。でも似た者同士、傷を舐めあうことくらいはできると思うんだ?」
それを聞いてラジャータはクスリと笑った。
「お前のような物好きは久しぶりだよ。こんな私と似た者同士とはな、おまけに連れまわしてやろうだなんて、笑わせてくれるじゃないか」
「無理にとは言わないさ。ここで別れるにしたって、ラジャータと出会えたのはいい出会いだったと思える」
「そうか、ところでローガ。お前傭兵を探しているんだったろう? 実はな、丁度いい人物を知っているんだ。不器用で愛想の無い女なんだがな、それなりに腕は立つし、怪物退治もできる。しかも今なら三食飯を食わせるだけで働いてくれるんだ。どうだ、お買い得だろう」
「じ、じゃあ……!」
「ああ、お前の話に乗ってやろう」
ラジャータはローガに微笑みかけた。
その笑顔は、ローガにとって初めて見るラジャータの笑顔で、まるで人間味の無かった彼女が、初めて見せた人間らしい瞬間だった。
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