人狼

 その頃、人狼の住処を見つけていたローガとラジャータは、いよいよ山小屋に近づこうというところだった。


 二人は木陰から出ると、ライフルの銃口を周囲に向け、音を立てないように忍び足で歩いて行く。小屋以外の周囲にも気を配りながら、二人はゆっくりと小屋の木のドアまで距離を縮めていった。

 そしてドアまで残り五メートル程になったところで、先頭を行くラジャータがグーのハンドサインを挙げて見せた。


「ここで外を見張ってろ」


 ラジャータは小声で指示を出し、ローガもうなづいて答える。それを確認してラジャータは再び歩き出した。

 ラジャータがドアの前に張り付くと、ドアノブに手を掛け、隙間に銃口を向けながら開いて行った。


 ギギギと木のきしむ音が鳴り、だんだんと中の様子が露わになる。

 しかし小屋の中は静かなもので、怪物の気配などどこにもないようだ。部屋には小窓があるだけで薄暗く、配置された机や棚には薬品の小瓶や実験器具のようなガラス製品が無数に置かれている。さらには高そうな装丁の本類もいくつか見られた。


 この部屋はいかにも薬師のラボといったいで立ちで、ラジャータの目には薬の製造が行われているであろうことが容易に見て取れた。さらに採取したばかりの薬草や埃の汚れの量からして、現在進行形で活用されている部屋のようなのだが、物音ひとつ鳴っておらず誰かがいる気配はない。


 だが深い経験を積み、優れた感覚を持ったラジャータには、敵の所在がはっきりと分かっていた。この小屋の真下からは、禍々しい魔力が漏れ出ていたのだ。

 早速ラジャータは地下へと続く通路を探した。床に被ったほこりを靴で払いのけながら、足先の感覚で下へと続く通路の在処を探す。

 そしてすぐに、彼女は一箇所踏み心地の違う場所を見つけた。

 床板の一部だけ埃が少なく、踏みつけた重みでわずかに軋んで音が鳴るのだ。ラジャータは腰の剣を取り出して床板の隙間にそれを突き立てると、てこの原理で板を持ち上げにかかった。

 すると少量の埃を散らして読み通りに床板は外れ、地下への階段が現れる。


 ラジャータは短剣をそのままに、ライフルを背負い直して短い散弾銃に持ち替えた。狭い室内では散弾銃と短剣の方が向いているからだ。

 ラジャータは散弾銃の銃口を階段の下へ向け、ゆっくりとコンクリートの階段を降りていく。


 光の届かない地下は真っ暗で殆ど先が見えない。だがラジャータには可視光以外のものが見えるので、むしろ自分の土俵に立てている状況だった。彼女には今か今かと待ち構える怪物がいるのだ。


 そして階段を降りきったその時、とうとう怪物がその猛威を奮った。

 猛犬の如き呻きが聞こえたのと同時に、その何者かはラジャータ目掛けて飛びかかったのだ。


 しかしそれはラジャータにも分かっている。相手の動きに合わせて短剣を突き立て、飛び掛る勢いをそのまま剣を突き刺す動力に変えて受け止めた。

 続けざまに至近距離で散弾銃の追い討ちを放つと、狭い部屋に反響した爆音と共に、カメラのフラッシュの様に発火炎が立ち上り、一瞬オレンジに照らし出された怪物の姿が映し出された。


 ラジャータの目に一瞬見えたその姿は、二メートル程の大柄な人型で、下半身は人間のように見えるが、上半身が肥大化して筋肉質に波打つ灰色の毛皮で覆われている。さらにその頭部は、もはや人間であった面影などどこにもなく、狼の如き二本の耳と、鼻と顎が伸びて鋭い牙が立ち並ぶアギトが備わっていた。


 そしてその怪物は思わぬ逆襲に驚き、狼とも人とも取れぬ呻き声を上げてすぐに暗闇の中に退いていった。


 生暖かい返り血を浴びて敵を仕留め損ねたラジャータだったが、敵が暗闇に退こうともその行方が手に取るように分かっている。ラジャータは銃口を闇の先へと向けてすぐに二発目を発砲した。


 再び甲高い発砲音とオレンジの閃光が瞬き、さらに鉛玉がぶつかる金属音も響き渡る。一瞬の明かりで確認できる範囲では、どうやら鉄格子の網に銃弾が当たったようだ。加えて怪物に命中した手応えも無い。人狼もタダでは殺されまいと、強靭な脚力で次弾を跳び退けていたである。


 そして彼女が放った二発の銃撃、その音は上で待機するローガにも聞こえていた。当然ローガは援護に向かおうとしたのだが、ローガはこの時突然強烈な頭痛に襲われて身動きが取れなくなっていた。地下の怪物が放つ殺気、とでも言うべき魔力が彼を襲っていたのだ。


 ローガは頭痛だけなく、全身に力を入れることもかなわず、膝をついて動くことができない。それでもどうにかこらえて、ドアの方へ振り返ると、大声で叫んだ。


「おい……! ラジャー……タ! 大丈夫、か?」


 だが返事はなかった。地下で戦闘の真っ最中であるラジャータには外の音に耳を傾ける余裕はなかったのだ。そしてその時である。


「動かないで!!」


 どこからか女の叫ぶような声が聞こえた。どうやらローガが銃声に気を取られ周囲の警戒を怠ったその隙に、何者かがローガのすぐそばまで迫っていた。


 一方その頃ラジャータはというと、反撃の手が無くなり一旦地上へとかけ上がろうとしているところだった。

 短剣での格闘戦はリスクがある。さらに散弾銃は二発の弾を撃ち切っているので、狭い空間では再装填の隙がない。だが背負ったライフルでは銃身が長く取り回しづらい上、当てても怯まず襲いかかって来る可能性が高い。さらに、もう一つ背負った怪物撃ち銃は、こんな狭い屋内で撃てば自殺行為にしかならない。

 このままこの地下室で戦うのは得策でないと判断したラジャータは、人狼を屋外へと引きずり出そうと考えていたのだ。


 ラジャータは階段を駆け上がって一階に出ると、背中のライフルを取り出してすぐ後に迫る人狼を待ち構えた。

 人狼はその巨体で狭い階段を強引に駆け上がり、すぐにその姿を現す。ラジャータはそれを見て腰だめのライフルを連射した。


 人狼の厚い毛皮を前にその銃弾はかすり傷程度のダメージしかなかったが、それでも足止めにはなったようで、人狼は手で頭や胸を覆って銃撃をしのごうとしている。

 ラジャータはその隙に後ずさり、急いで入り口のドアから外に出た。そしてすぐに勢いよくドアを閉めてから怪物撃ち銃を構え、ローガに指示を出す。


「離れろローガ!」


 敵はこちらの手の内を知らない。この大砲が使える屋外に誘い出し、なおかつドアに射線を絞る事で確実に銃弾を叩き込もうというのがラジャータの算段だった。


「あんたも動かないで!」


 だが、そう女の叫ぶ声が聞こえて、ラジャータの目論見はすぐに崩れ去った。先程ローガの前に現れた女だ。ローガの左手側にいたその女は、背を向けるラジャータにも銃を突きつけた。


 その声の主は中年の女性のようで、ひどく焦りや恐怖が伺える。二人に掛けた制止の命令もどこかヒステリーによる叫び声のようであった。


「あんた……何者だ……」


 ローガは頭痛に耐えながらも威嚇するようにそう問いかけた。


「早く銃を置きなさい!!」


 だが女はその問いかけを無視して更に怒号を飛ばした。


「私たちは依頼を受けて怪物退治に来ただけだ、殺し合う必要はない」


 ラジャータも淡々とそう諭す。


「いいから早く銃を置きなさいよ!!」


 しかしやはり女の耳には届いていないようだった。だがローガとラジャータも同じように命令を無視して銃を置く気などない。


「何してるの? 聞こえないの?! 銃を置けって言ってるのよ!!」


 女はさらに声を張り上げて二人を怒鳴りつけた。だが今銃を下ろせば人狼に隙を見せることになる。

 それに女の様子からして感情的になっているだけの素人だ。実戦経験のある二人には、この女が引き金を引くだけの度胸があるようには見えなかった。


「いいか? 私達は依頼を受けただけの傭兵だ、その小屋の中には怪物が潜んでいる」

「依頼って何よ?!?! 誰が依頼したっていうの?! まだ殺さない約束じゃ無かったの?!?!」

「それは何のことだ?」


 ラジャータは女の発言が引っかかり問いかけたが、やはり女とは会話が噛み合わない。


「ジャナク! あなた大丈夫なの?!」


 女はドアの方を向きそう叫んだ。あの怪物がいる方向だ、だか数秒待ってもドアの先から返事はない。


「お願いよジャナク!! 返事をして!!」


 このドアの影に怪物が隠れていることは間違いない。ラジャータの感覚はそれを見抜いている。だがドアの向こうの怪物は一向に答えなかった。そしてラジャータはドアの向こうに気を取られた女の隙を見逃さず、すかさず自らも散弾銃の銃口を女に向けた。


「何してるのよ!!」


 それに気付いた女は途端に怒りを露わに怒鳴り、慌てて銃を構えなおしたが、やはり引き金を引く様子はない。それどころか女の向ける銃口の先が小刻みに揺れ、明らかに恐怖で震えている事が分かった。


 実のところラジャータが女に向けた散弾銃の弾はさっき撃ち切ってしまっている。片手に怪物撃ち銃を抱えているこの状態では咄嗟に両手持ちのライフルを構える余裕は無かったのだ。それでも女の様子からして、見せかけで充分効果があったようである。


「畜生……どうなってやがる……」


 一方のローガはと言えば、先程から頭痛にやられて立っているのがやっとな状態だ。まともに女を相手する余裕もない。


「馬鹿な真似はやめておけ、お前も怪物に殺されたいのか?」

「ジャナクは私を殺したりしないわ! あんた達こそ殺される前に銃を捨てなさいよ!」

「なら試してみるか? 私はプロだ」

「何言ってるのよ?! 彼はもう何人も殺しているのよ? あんたなんかが敵うわけないでしょ?!」


 女の脅しはラジャータには響かなかった。彼女はそんな怪物を何匹も討伐してきた身だ。ラジャータはいつものように顔色一つ変えず、ドアの向こうへ声を掛けた。


「おい! ジャナクと言ったか?! それはお前の名か?!」


 しばらく返事を待ったがドアは沈黙するばかりで返事はない。ラジャータは更に続けた。


「私はこのやかましい女に銃を向けている! お前次第だ! 女を殺されたくないなら私を殺せ!」


 しかしドアの向こうから返事はない。


「ジャナク! 私は大丈夫よ! 大丈夫だから!」


 まだ返事はない。


「いいのか? 女を殺すのは簡単だぞ、この女を助けられるのはお前だけだ!」

「ダメよ! 聞く耳を持っちゃダメ!」


 再び数秒の間があり、今度こそドアの向こうの怪物から返事があった。


「……その女を、殺すな……頼む、お前達に危害を与えないと約束する、だから……」


 その声は野太く、狼の呻き声と人間の声を混ぜたような声であった。


「降伏するのか? ならまずは姿を見せろ!」

「ダメよ! 何言ってるの?! ダメよジャナク!」


 女は風向きが変わってきたのだと察し明らかに焦っている。


「出たら私を殺すだろう? 私とサージャナ、そこの女だ。私とサージャナを殺さないと約束しろ」


 ジャナクと呼ばれた怪物は、外で猟銃を構える女がサージャナという名であると言う。ラジャータは怪物の要求に交換条件を付けることにした。


「ならお前が垂れ流しているその臭い魔力を止めろ」


 すると怪物は無言でそれに応えた。ローガを襲っていた頭痛が突然引いて、急に身体中が軽くなったのだ。


「ああ……クソっ!」


 ローガは思わず悪態をついて、力の抜けた膝を地面に着いた。そしてそれを見たラジャータも状況を察し、自らも怪物撃ち銃を下ろす。


「ありがとう人狼、お前を殺さないと約束しよう。後はあの女だ」


 ラジャータが女の様子を確認すると、未だにブルブルと震えながら銃を向けたままだった。


「何してるの?! 言うことを聞いちゃダメよ!」


 怪物とラジャータとローガの間で休戦が成立したにも関わらず、女は未だ戦意を失っていない。ラジャータは構わず突き付けた散弾銃の薬室を開いて戦闘の意思が無いことを示して見せた。


「私の銃は元から弾切れだ。お前も銃を下ろせ」

「何言ってるのよ! 馬鹿にしてるの?!」


 しかし女は取り合わない、自分の思い通り事が運ばず余計に苛立っているようだ。


「ローガ、お前も銃を下ろせ」


 ラジャータは仕方なくローガにもそう指示しながら、自らも怪物撃ち銃の薬室を開いて弾を排出し、背負ったらライフルのレバーもガシャガシャと動かして残った弾を全て弾き出した。

 ローガも無言で応え、同じようにライフルのボルトを何度も前後させて全ての弾を弾き出してみせる。


「どうだ? もはや戦う理由はない。銃を下ろせ」


 再びラジャータが問いかける。しかし女は何も答えず黙っていた。

 だが暫くしてようやく観念したようで、彼女もようやく銃を下ろした。


「信用したわけじゃないのよ……弾を抜く気はないわ」


 だが女は未だ苛立っていた。ラジャータとローガに睨みをきかせ続ける。


「それで構わん。ジャナク! こっちは済んだぞ! 姿を見せろ!」


 ラジャータがドアに向けてそう叫ぶと、暫くしてゆっくりとドアが開いた。そしてそこに現れたのは、大男が狼の皮を被ったかのような人狼の姿であった。

 その醜い肉体は血にまみれていて、右腕に短刀の傷と、左肩に散弾銃の銃創が見られる。手負いではあるが、ラジャータの攻撃は致命傷にまでは至っていないようだ。


「すげぇ……本当に人狼じゃねぇか」


 ローガは物珍しさに思わず独白する。人狼は唸るような声で問いかけた。


「何故私を殺そうとする? 誰に頼まれた? 一昨日殺した兵士の敵討ちか?」


 その問いにラジャータが別の質問で返す。


「その前にお互い自己紹介をしよう。私はラジャータ、単にラジャータだ。怪物殺しの傭兵を生業にしている。連れの男はローガ、昨日私が助けてやってな、借りを返したいとついてきただけだ」


 人狼も重い口を開いて同じように名を名乗ってみせた。


「私はジャナク・ラグパダルサだ。元々は村の薬師だったが、今は見ての通りの人狼だ。それから彼女はサージャナ・ラグパダルサ、私の妻だ」


 その時ローガは二人の名を聞いてはっとした。


「ま、待て……ラグパダルサって、イーシャと同じ家名じゃないか?! それに薬師ってことは、お前まさか??」


 一方の人狼も、ローガが出したイーシャと言う単語に驚いたようだった。


「イーシャだと? なぜその名前を? イーシャを知っているのか?」


 その問いにはラジャータが答えた。


「私に依頼を寄越したのはそのイーシャという娘だ」

「なんてことだ……イーシャは私の娘だ。本当にイーシャが依頼を出したのか? どういうことだサージャナ?」

「私だって分からないわよ?! どうしてイーシャが?!」


 人狼も、その妻も動揺しているようだった。ローガも同じように状況が掴めず混乱してる。


「待ってくれ? 俺たちゃそのイーシャって娘に、父親の仇を取るため人狼を殺してくれと頼まれたんだぜ? それがどうして親父を殺す話になる?」


 困惑する三人だったが、その中でラジャータだけは冷静さを保っている。彼女にはここまでの状況は予想がついていたのだ。


「そのままだ、大方そんな話だろうとは思っていたよ。娘を誤魔化してきたツケが回ってきたんだな。あの娘の聞かされてきた話は嘘っぱちで、目の前のこの怪物が人狼でありイーシャの父親であるというのが真相だ。こいつは人狼に殺されてなどいなかったんだよ、自らが人狼になり、その事実を娘に隠すため人狼に殺されたと嘘をついたんだ。そうだろう?」


 人狼は図星をつかれて答えづらそうにしたが、しばらくしてその大口を開く。


「……ああ、その通りだ。そこまで分かっているとはな。確かに私があの子の父親だ。サージャナや村の人間と話し合ってな、イーシャには黙っていることにしていたのだ」

「やはりそうか、だがこんなところで人狼のお前が人間の妻と未だに生きながらえているのはどういうことだ? やはりお前の肩書のおかげか?」

「その通りだ。私はこの姿になったことで村の人間を殺しかけていた。だから本来ならそこで処刑されてもおかしくなかったのだがな、薬師であったおかげで命を救われたのだ。だが薬が無くては困るとは言え、村においておくわけにもいかない。だからこの森の猟師小屋に隠れ住むことになったのだ」


 合わせてサージャナも説明を入れる。


「そうよ、それでジャナクの事は私が監視することになっていたの。村まで定期的に薬を届けながら、ジャナクが完全に自我を失う前に私が殺す事になっていたわ。イーシャには全部隠していはずだったのに……どうして……」


 サージャナは頭を抱え、声も震えて思わず泣き出したようだった。そんなサージャナにラジャータが語り始める。


「隠せては居たさ、だが危険から遠ざける為に真実を隠し、親戚に預けたのが仇になったな。あの娘は村で自分だけ蚊帳の外にされ、実の母にまで蔑ろにされたと感じたんだろう。溜まった鬱憤が爆発したんだな」


 女はそれについて何も言い返さなかった。と言うよりは言い返せなかったようだ。代わりにジャナクが疑問をぶつける。


「しかし、確かにイーシャが依頼したのか? あの子はまだ子供だ? 報酬はどうしたのだ?」

「信じられんか? 確かにあのイーシャという娘から依頼を受けてる。村の人間は相手にしてくれないらしくてな、それで私に白羽の矢が立ったわけだ。それと、報酬は馬一頭を貰い受ける話になっている」

「馬だって? それは親族にあの子を預けるための持参金にしたものだ。あの子一人の一存で譲るれるものじゃない」

「つまり報酬は受け取れないということか? ならお前を殺す理由もなくなるな」

「確かにそうだが……だったら報酬があればやはり私を殺すのか?」

「さてどうだろうな、私もそこまで融通が効かないわけじゃない。家族の問題だ、正直に事情を話して依頼主を説得するというのなら、対応は変わる」


 ラジャータの提案に、サージャナは涙ながらに再び憤慨する。


「ダメよ! あの子にはこんな事伝えるには早すぎるわ! 父親が呪われたなんてどう伝えたらいいのよ?!」

「サージャナ、もうそうも言っていられないじゃないか、いい加減あの子にもきちんと伝えるべきだ」

「何言ってるのよ?! それであの子がどんな気持ちになるか分かってるの?! あの子はまだ子供なのよ?!」

「だがイーシャは! 内緒にしたせいで余計に苦しんでいるじゃないか! 私ももう長くはないんだ! いい機会だろう? ちゃんと真実を伝えるべきだ!」


 二人の問答は、段々と言い争いになりだしていたが、ここでラジャータが間に入るように一つ疑問を問いかける。


「まあ落ち着け。今言っていた長くないというのはどういうことだ?」


 妻に対していくらか感情的にいなっていた人狼は、一旦気を静めてラジャータに回答する。


「……ああ、それはな。私は実は、日に日に人狼としての私に犯され、人間としての自我を失い始めているのだ。今はこうして人間として話していられるが、人狼としての私に支配されると、本能のままに周囲の人間を襲ってしまう。この間兵士を襲った時もそうだ、獲物を狩り殺す本能だけに支配されて気がついたら彼らの死体が転がっていたのだ。後で弔いはしてやったがな、罪が雪がれるわけではない」


「なるほどな、では街道沿いで火葬の跡、あれはやはりお前たちがやったのか」

「そうよ、ジャナクのこの姿では街道沿いに出られないから、近くまで死体や材木を運んでもらって、後は私が弔いをしたわ」

「そこまで調べられていたとは……ともかく、最初は我を失う頻度も、その時間も少なかったのだが、この所は人間でいられる時間の方が少ない……。狩人よ、あの小屋の地下を見ただろう? 私はああして自らを牢獄に入れて獣の自分を幽閉しているのだ。だがじきにあの地下から這い上がることもできなくなる……そうして手が付けられなくなる前にはサージャナが私を殺すと村のものと取り決めてあるのだ」

「なるほどな……時間はどれほどある?」

「もう数週間と持たないだろう。先程もお前達に気付いて身を潜めていたが、牢の鍵を閉める前に我を失ってしまった。手遅れになる前に私は肉体を解放すべきなのだろう」


 彼の意味するところは、結局のところ自らの命を絶つというものだ。本人はそれを甘んじて受け入れる気でいたが、幸か不幸かそうでない者もいる。サージャナはそれについて強く反発した。


「ダメよジャナク! まだ大丈夫だわ! 元に戻る希望だってあるはずよ! 死ぬなんて言わないで!」

「いいや、もうダメだ。今ケリをつけなければお前まで殺しかねん」

「ダメよ! あなたのそれは呪いなんかじゃないんでしょう? ただの病気で、治せるんじゃなかったの?」

「ああ、確かにこれは病気だ。だがもはや治せる見込みなどない」

「人狼よ、お前はこれが病だと分かっているのか? 一体誰に聞いた?」

「誰かに聞いたわけでは無い。私は薬師だからな、自然と病にも詳しくなる。瘴気や呪いと呼ばれるものはトゥルパの飛ばす胞子で、私がそれを吸い込んだのだと研究して分かったのだ」

「私も最初は疑ったわ、でもジャナクの言うことだから信じたのよ。でも村の人たちはけっして信じてくれなかったわ。これは病で、悪鬼に魅入られたわけでも、悪因が招いた悪果でもないのだといくら説得しても、誰も聞いてくれなかったのよ。結局ジャナクもその家族の私やイーシャまで穢れた背教者と罵られたわ」

「それでも彼らには薬が必要だったからな。こうして私は生かされたし、サージャナもイーシャも村で生活ができている」


 ラジャータはそれを聞いて、ふんと笑ってジャナクに言う。


「そんなものだ。学の無い多くの人間にとっては呪いも病も同じようなものでしかない。蚊やネズミも、悪鬼の使いやら呪いの具現と呼ばれる時もある。ジャナク、お前はもはや悪鬼だ。サージャナもイーシャも悪鬼の使いでしかない。ただ病か呪いか、あてがう言葉が違うだけだ」


 人狼は少し俯いた。ラジャータの言い分が彼には重々分かっていたのだ。


「……分かっている。だからこそ……」


 人狼はサージャナの顔を見つめた。


「だからこそサージャナ、お前が私の首を差し出さねばならないんだ。分かるだろサージャナ、私を無為に生かせば浄化の機会を失う。お前たちは村に居られなくなるぞ」


 だがサージャナも聞き分けが無い。


「分かってるわよ! だからってあなたを殺せだなんて……そんなことできるわけないじゃない! どこか遠くへ逃げるんじゃダメなの?! 村の奴らなんて、どうせいくらでも誤魔化せるわよ!」


 サージャナの叱咤を受け、ジャナクは眉を顰めるような顔をした。


「やめてくれ、私に人を食らう獣として生きろとでも言うのか?! 人間としての私が消え去るのなら、もはや家族を危険に晒してまで生きるなど耐えられない」


 だがサージャナも相変わらずジャナクの言葉を受け入れる気はない。


「私もイヤよ! あなたを殺して私とイーシャだけ生きるなんて耐えられないわ!」


 この二人では埒が明かないと思ったラジャータは、助け船を入れる。


「お前が殺せないというのなら代わりに私が介錯しよう。元より私はその為に来ているからな」


 だがサージャナはそれをも拒絶した。


「ダメよ! そんな事させないわ! あなたがジャナクを殺すっていうなら、あなたを殺して私も死んでやる!」


 ラジャータは動じず、淡々と返す。


「そんなことして何になる? まあ、お前たちは依頼主の両親だ。殺すなと言うなら殺しはしないがな、良い結果を招くとは思えんぞ」


 これにはジャナクも同意する。


「ああ、その通りだ。もはや私には死ぬ以外選べる道などない。分かってくれサージャナ」

「いやよ……そんなのいやよ」

「こうして狩人が現れたのはいい機会だったんだ。サージャナ、お前が無理に夫殺しの業を背負う必要はない。この狩人が私を殺してくれるというのなら、それが丁度いいんだ」

「丁度よくなんかないわよ……死ぬのに丁度いい日なんかありはしないわ……!」


 サージャナは結局夫の死を受け入れられるわけではなさそうだったが、ジャナクも考えを変える気はない。


「許してくれサージャナ。今まで、ありがとう」


 とうとうサージャナは何も言い返さなかった。頃合いを見てラジャータが問いかける。


「話はまとまったのか?」

「ああ、私の介錯を頼まれてくれるか?」

「いいだろう。もとよりお前を殺すつもりで来ているからな、引き受けよう」

「すまない、ありがとう狩人。……だがそうだ、その前に一つ、頼みを聞いてはくれないか?」

「なんだ? 言ってみろ」

「せめて最後にイーシャに、娘に一目会いたいんだ」


 ラジャータはその頼みを聞いて少し考えたがしばらくして答えた。


「構わん。それはあの子に真実を伝えるということか?」

「いや、それは隠しておきたい、私は隠れて見ているから、私の使っていた小屋を見つけたと言ってここへ連れてきてくれ。その後に私の首を落として、あの子に見せてやってくれないか? あの子の父親を殺した怪物の首としてな……」


 ラジャータは返事の前にまた少し考えた。この人狼の出した提案は、必ずしも最良の決断と呼べるものではないだろうと思ったからであった。


「それで構わんのだな? お前もそれで異論はないな?」


 ラジャータはサージャナにも問いかけた。だが彼女は黙ったまま答えない。彼女には首を縦に振ることなどとてもできなかったのだ。

 しかし一方で、ジャナクの提案に異を唱えることもできない。少なくとも、肯定も否定もしたくは無かったので、そうして黙ったままを貫いていた。

 そしてラジャータはそれを、反論の意思なし、すなわち沈黙の同意として受け取った。


「構わんならこのままイーシャを連れてくる。それでいいな」


 サージャナはやはり何も答えなかった。ラジャータがローガの方を向く。


「ローガ頼まれてくれるか?」

「ああ、分かった。あの子を連れてくればいいんだな」

「そうだ、お前がイーシャを連れてくるまでの間にこちらも用意をしておく。頼んだぞ」


 人狼もローガの方を向いて語りかける。


「すまない、世話をかけるな」

「いやいいんだ。俺にはあんたら家族のことはよく分からん。でもこうするのがいいと考えたんなら、それがいいんだろうさ」


 ローガに合わせて、ラジャータも人狼に言葉をかける。


「私もこの仕事は長いがな、ただ怪物を殺すだけで済む方のが少ない。外れのクジしかないのが常だ。私たちにできるのは、その中からまだマシな一本を掴むことだけでしかない」


 ジャナクは消え入るような声で「そうだな……」とだけ呟いた。


「それじゃ、俺はあの子を迎えに行ってくるよ」


 ローガはそう一言告げてから。ライフルを担いで振り返り、一人来た道を戻りはじめる。

 ラジャータも人狼も見送りの言葉はかけず、ただ黙ってその姿を見送った。

 サージャナも同じようにただ黙っていたのだが、彼女はローガの姿が遠ざかっていくに連れ次第に表情が歪み、しまいには座り込んで大声で泣き始めてしまった。

 

 彼女はもはやどうすることもできないと悟ったのだ。


 その涙は、受け入れがたい現実を受け入れる為にあった。

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