ルーウェンがイーシャと親睦を深める最中、調査の最中だったローガとラジャータの二人は、火葬跡のあった川辺を離れて、東の森で人狼が兵士を襲ったという場所へ向かっていた。


 二人は既に田畑の広がる平野を離れ、木々で覆われた森の中に入っている。並んで馬を駆りながら、ローガはラジャータに問いかけた。


「なあラジャータ。俺だってトゥルパがどんなものか全く知らないわけじゃないんだがな。さっきの話、どうにも飲み込めねえ。寄生だとか胞子だとか、聞いたことない事ばかりだ、トゥルパってのは結局なんなんだ?」

「そうだな、トゥルパについてお前はどこまで知っている?」

「危ない怪物だってことだけだけだよ。人里離れた場所に住んでいて、近づくと頭が痛くなるから普通の人間じゃ相手にできないってことだけだ」

「なるほど、世間じゃ呪いだ悪鬼だと言われるがな、実際のところ彼らもただの生物でしかない。菌類の一種だ」


「菌類? なんだそりゃ?」


「パンや酒を作るの助けたり、キノコになっていたりする奴のことだ。トゥルパ達は目に見えない菌類の集まってできた動くキノコみたいなものなんだ」

「動くキノコだって? キノコが動くなんて聞いたことがねえ」

「ああそうだろうな。もっと言えば魔法使いや獣人達も、その目に見えない菌類の仕業だ。お前たちは魔力や魔法使いは神聖なもので、トゥルパや獣人は不浄と言っているがな、その実どちらも本質は同じものだ」

「冗談よしてくれよ、じゃあ獣人は頭からキノコが生えてるとでもいうのか?」


「あながち間違いじゃない。パヴィトラ山脈の近くに住むオオコオモリガという虫を知っているか? その幼虫からキノコが生えていて、冬虫夏草という薬になる。あれと同じものだ。それに私自身もトゥルパで、菌類の集合体だ。だから私も怪異たちと同じように撃たれても切られても死なないし、分裂して何人にも増えることができる。それは私がこれ全体で一つの個体だからでなく、無数の私が集まった集合体だからだ」


「さっぱり意味が分からねぇ、そんな話聞いたこともないぞ」

「そうだろうな、こういう話を知っている者は少ないし、古の文献もほとんど失われて読めるものも殆どいないからな。それにお前の住んでいたナヤームみたいな場所では、都合よく解釈しておいた方がいいからな。あえて隠されてさえいるだろう」

「じゃあなんだ、古の時代にはそりゃ当たり前の話だったのか?」


「その通りだ。何千年も前に人類が滅びた時、古の知識と共にトゥルパの事は闇に消えたんだ。栄華を極めていた古の世界では、人類は世界の全てにその根を張り、天にまで届く建造物に囲まれて生きていた。その時に生み出されたのがトゥルパだ。本来その菌は女の子宮に宿って共存する生き物でな、その代わりに超常の力を人間に与えていたんだ」


「それがどうして今みたいなことになったんだ?」


「今に続く魔女はその時からそのままの姿で生きている。だが当時の賢者達はこの菌類を、これまでの化石燃料に代わる代替エネルギーとして活用することを考えてな、母体を必要とせずに単独で生きられるよう品種改良を試みたんだ。そこで賢者達は、積極的に遺伝子の水平伝播をする枯草菌のゲノムを導入して突然変異を起こさせ、他の微生物の遺伝情報を学習させることにより突然変異を繰り替えさせることにしたんだ。これによって……」


 ラジャータがわけの分からない単語を連発するので、ローガは思わずぽかんと口を開けてしまう。


「あ、あー……待ってくれ……。なんだ? その、かせきねんりょー、とか、いでんし、ってのは……俺は頭が悪いからそういう難しい話はよく分からん……」

「……ああ済まない。今の人間にはよく分からない話だったな。うむ、そうだな……トゥルパも獣人も、魔女や魔法使いも。神の力や呪いなんかじゃなく、目に見えない生物の力が源で、かつて人類が生み出した負の遺産といったところだ」

「負の遺産ねぇ……それじゃ今までみんなが言ってたいたことは嘘だったのか? こりゃもう信じるとか信じないとかそういう次元じゃなくなってるぜ、さっぱり話が呑み込めねぇよ」

「べつに皆が嘘をついているというわけではあるまい。単に忘れられて、もう誰も知らないんだ。まあ知ったところでなんの役にも立たない話だ。おごり高ぶれば痛い目を見るという戒めだな、忘れてくれ」

「忘れろって言われてもねぇ」


 その時、ラジャータがくいっと馬の手綱を引いてその歩みを止めた。


「待て、臭うぞ」


 ローガもそれを見て、すぐ同じように歩みを止める。二人は既に件の森へと入っており、辺りは木々に囲まれている状態だ。


「臭うって? 人狼か?」

「ああ、奴だ。さっきと同じ胞子が漂ってる。この先からだ」


 ラジャータの見つめる道の先は、木々に光が遮られ薄暗く、ローガにも何か嫌な予感が感じられるような気がした。


「たしか事件のあったのはこの先だよな……」

「ああそうだ。行こう」


 ラジャータは臆することもなく再び馬を進め始める。ローガもその後を追って馬を歩かせた。

 そしてそのまま暫く道沿いに馬を進めて行くと、途中ですぐに再びラジャータが馬を停めた。


「ここだな」


 ラジャータは胞子の漂う量から、ここが事件のあった場所だと気づいたのだった。ローガも警戒し、辺りをくまなく見回すと、あるものを見つける。


「見てみろよ、あそこ。木に引っ掻き傷がある」


 ローガが立ち並ぶ木の一本を指さすと、そこには大きなかぎ爪で削り取られたような引っ掻き傷があった。だが熊や虎の爪痕としては大きすぎるし、位置も高い。明らかにそれを越す長いリーチと爪を持った何者かが付けた傷である。


「胞子の量も濃い。この場所で間違いないな」


 二人は馬を降りて更に調査をした。周囲の木々には同じような引っ掻き跡が他にもいくつか見られ、乾いた血の跡もあちこちに付着しているのが分かる。


「かなり暴れたみたいだな」


 ローガは引っ掻き跡を触りながらラジャータに言った。


「そのようだ、火葬された兵士三人がかりで立ち向かったんだろう」

「だが、返り討ちにあってあえなくお陀仏と」


 辺りには大きく土を抉られた場所や、引きちぎられた枝葉もあり、かなり熾烈な戦闘があったと伺われる。


「ローガ来てくれ。こっちだ、胞子はこの先に続いている」


 ラジャータはローガを呼び寄せ、道を外れた森の更に奥を指さした。彼女の感覚には、この先へと続くトゥルパの臭いが感じ取られていたのだ。


「いよいよ人狼殿の根城にお邪魔できるってことか?」

「ああ、恐らくな」


 二人はその辺の丁度いい木を見繕って馬を繋ぐと、先ほど指さした森の先へと進むことにした。

 平地続きの森は薄暗いが、下草が少なく比較的歩きやすい。そんな森の中を歩いて行くと、段々とラジャータの感じ取る胞子の量も増えていく。

 そうして十分ほど歩いた頃、森の木々が十メートルほどの広さで禿げた広場を見つけ、その中心に古ぼけた山小屋の立つ場所へと辿り着いた。


「ここだな」


 と、ラジャータは木の陰で立ち止まる。

 ローガも合わせて歩みを止めた。

 二人が木陰から覗く小屋は、一部屋だけの小さなもので、漆喰の壁にレンガ屋根の簡素なものだ。


「これが人狼の巣ってことか? てっきり洞窟とか岩の陰とかそういうのだと思ってたぜ」

「そういうのは昨日みたいな奴の住処だ。家に住む能があるなら、こいつは知性のあるトゥルパの可能性がある。こういう手合いは昨日みたいな奴より厄介だぞ」

「仲良くお話合いはできないってか?」

「ああ、それに悪知恵も働く。話の分かる奴もいるにはいるがな、大概気がふれてる。誰だって自分が怪物に成り果てればまともではいれないものだろう? そういう中途半端な奴が一番厄介なんだ」

「まあ、そういうもんか。だが小屋の周りには誰もいみたいだな、奴は不在か? それとも中にいるのか?」

「中にいるな」

「分かるのか?」

「ああ、奴の放つ魔力がぷんぷん臭ってきてる、間違いなくさっきの事件現場で兵士を殺した奴だ。こういうのはルーウェンも訓練すればできるようになる。それと、どうやら奴もこちらに気づいているらしい。ローガ、お前頭痛がしないだろう? 奴は分かっててわざと誘い込んでいる」


 ローガはそう言われて自分の頭に意識を向けてみたが、確かにスッキリとして頭痛も怠さもない。


「まじかよ、確かに気分は悪くないが……てことはじゃあ、罠ってわけか?」

「ああ、そのつもりだろうな。だが奴は我々が普通の人間だとも考えているだろう。私が居て、我々も相手の存在に気づいているとは思っていないはずだ」

「なるほど、それなら罠でも逆手に取れるってわけだ」

「ああそうだ。ひとまず私が中を調べてくる、お前は家の周りを見張っておけ」

「りょーかい」


 二人は各々ライフルを手元に用意して、隠れていた木陰から出ると恐る恐る小屋へと近づいて行った。

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