子供の時間

 ローガとラジャータが人狼探しに出かける間、ルーウェンは一人宿でお留守番をすることになっていた。


 彼女のような子供は足手まといにしかならないので当然と言えば当然であるが、とは言えこれでルーウェンは一日暇になってしまったのだ。


 二階にある宿の自室の窓に肘をついて、馬を駆り出かけていくローガとラジャータの姿を見送るルーウェン。

 自分がこのまま置いて行かれてしまうのではないか、という心配はあまりなかった。だがローガとラジャータが危ない目に遭い、怪我でもするのではと不安な気持ちはあり、憂鬱にため息をついた。

 そんな時、窓の下に見える道からルーウェンの名前を呼ぶ声がした。気が付いてそれを見てみると、どうやら昨日の依頼主イーシャのようで、ニコニコと手を振っている。

 ルーウェンは少し気恥しそうに笑い返して小さく手を振り返してみた。


「ねえねえ! 遊ぼうよ!」


 イーシャはぴょんぴょんと飛び跳ね、笑顔でルーウェンを呼んでいる。


「ええっと、でも……」


 ルーウェンは少し渋った。主人がおらず特に仕事が無いとはいえ勝手に出歩くのは憚られるし、今まで同年代の女の子と関わったことも友達がいたことすらなかったルーウェンには少し勇気のいることだった。


「ねえねえ! 降りてきてよ!」


 それでも無邪気なイーシャにはルーウェンの心情を察することができるわけでもなく、彼女は尚もルーウェンを呼んでいる。


「……うーん、分かった。今降りるね」


 しばらく悩んだが、結局ルーウェンは彼女と遊ぶことを決意した。自分の主人があの男であれば叱られることはないだろうし、初めての同性の友人と言うものに、怖気づく気持ちがありつつも、期待する気持ちもあったからだ。

 ルーウェンはイーシャに手を振り返してから窓を離れると、急いで部屋を駆け下りて宿の前で待つ彼女と合流した。


「お、お待たせ……」

「大丈夫! 待ってないよ!」


 元気のいいイーシャとは対照的に、ルーウェンはやはりどこかよそよそしい。


「え、えっと……何して遊ぼうか」

「どこか行きたいところはある?」

「うーん……そうだなぁ」


 ルーウェンは考え込んだが、何も思いつかなかった。小さい頃から働いてばかりで誰かと遊ぶなどと言う経験が無かったし、この村のこともよく知らないのでどこで何をしたらいいのかさっぱり分からない。


「えーっと、イーシャちゃんはお仕事しなくて大丈夫なの?」


 結局ルーウェンが出したのはそんな答えだった。


「ほんとは牛の肥やしを集めなきゃいけないんだけどね、面倒だからさぼって来ちゃった」


 イーシャはエヘヘとにやけながらそう語ったのだが、ルーウェンは思わず驚いてしまった。


「だ、大丈夫なの?! 怒られたりしない?!」


 ルーウェンのような奴隷にとって、仕事を放棄することは自らの存在意義を手放すようなものだ。奴隷根性ともいうべきものが染みついたルーウェンにはイーシャの状態が恐ろしくてたまらないのだ。


「いやー……怒られるとは思うんだけどね、でも大丈夫だよ、怒鳴られて嫌味を言われるくらいだから!」

「ええ……怒鳴られるって、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、いつものことだから! いこ! ルーウェン! 村を案内してあげるね!」


 イーシャは本当にあっけらかんとして、怒られることなどまるっきり心配していないようである。


「あっ、ちょっと!」


 そうして、イーシャはルーウェンの腕を掴んでさっさと歩き始めてしまった。

 ルーウェンはイーシャが急に引っ張るので少しつまづきそうになったが、どうにか立て直すと、速足にイーシャの後を追いかける。

 ルーウェンは掴まれた自分の腕をじっと見つめ、気恥ずかしく問いかけた。

 

「え、えと、まずはどこに行くの?」

「最初は、私の家に行ってみようよ」

「う、うん」


 元気に歩くイーシャに引っ張られながら、速足に後を追いかけていると、すぐに彼女の家へと到着した。

 そこは村の一角にある小さな一軒屋で、木の看板に薬屋を指し示す言葉か書かれている。


「今は叔父さん叔母さんのところに住んでるから、ここには住んでないんだけどね、本当はここがお家だったんだ」

「……そうなんだね」


 入口のドアは錠前で閉められている。


「……お母さん今日も朝から出かけてるんだ」


 イーシャは笑顔を浮かべてこそいたが、どこか悲しげな声色のように聞こえた。

 イーシャは店に近づくと、小窓から中の様子を覗き始める。ルーウェンも後に続いて中の様子を覗き込んでみた。


 中は薄暗く棚に薬の瓶や薬草が並べられていて、いわゆる薬局のいで立ちである。普段はここで薬を買いにきた客を相手にしているのだろう。

 イーシャは暫く黙ってじっと中の様子をうかがっていたが、ふっと窓から離れるとルーウェンの方を見だした。


「いこっか、あんまり見てると怒られちゃうからね」


 イーシャはそう言うと、ここで何をしたわけでも無いのにさっさと次へと向かい始めた。


「え、もういいの?」


 ルーウェンも慌てて速足に後を追いかける。


「いいのいいの、どうせ見ても面白いものなんてないしね、次はお肉屋さんを見てみようよ」

「うん、いいよ」


 なんだか釈然としないルーウェンだったが、ひとまず二人は次に肉屋に向かうことになり、歩きながらイーシャが問いかけた。


「ねぇ、ルーウェンはどこに住んでたの?」

「私? 私はね、ナヤームの街に住んでたんだ」


 ナヤームという単語を聞いて、イーシャはパァっと目を輝かせる。


「ほんとに! あそこってすっごく都会なんでしょ! いいな!」


 片田舎に住むイーシャにとっては、まだ見ぬ大都会はとても心躍る場所だった。


「確かに都会だけど、そんなにいいものでもないよ」


 だが実際そこに住んだルーウェンにとっては、それほどいい思い出はない。


「えーそうかなぁ」

「私はこういう田舎の方が好きなんだ。昔は私も田舎に住んでたみたいだし」

「そうかなぁ、こんなところ牛と野良犬の糞で臭いだけだし、遊ぶところもないし、村中みんな知り合いだし、いいところなんかないよ? 都会ならいっぱい人もいるし街もきれいなんでしょ?」

「うーん、確かに人はいっぱいいるけど、そんなに綺麗じゃないよ? 気軽に糞尿を捨てられないから裏路地は臭うし、川まで遠いから身を清めるのも一苦労だしね」

「うぅーそうなんだ、でもいろんなお店があるしお洒落もできるでしょ? それにいい男もいっぱいいるじゃん。ここには泥だらけのバカしかいないもん」

「うーん、そうかもね……」


 ルーウェンはなんとなくそう相槌を打っておいた。だが本当のところ水晶の道事件のおかげであちこち破壊されて多くの店が無くなっていたし、残った店はルーウェンのような獣人が入ることを許されぬヒト族の為のものだけだ。

 イーシャは確かにヒト族であるとはいえ、この農村から出稼ぎに出た程度ではその日生きる金を稼ぐだけで精いっぱいだろう。とてもオシャレに投資する余裕はない。

 男についてもそうだ、その多くが戦争で留守にしているので、老人と子供がほとんどだし、兵役を逃れた学のある男は文字も読めない田舎娘など見向きもしないであろうことは明白であった。


 なまじ目の前に良いものがあるだけに、手に入らないとあってはイーシャがナヤームの街に出ても余計にみじめになるだけだろうと思われた。


「きっといい街だよ」


 だがそんな実情を伝えたところでイーシャを悲しませるだけだし、変に自分が責められても面白くないので、ルーウェンはあえて言わないことにしておいた。


「きっとってどういうこと?」


 しかしイーシャは厄介なところで鋭い。ルーウェンは思わずたじろいだ。


「あっ、えっと、それはね……私もあまりあの街に長く居たわけじゃないから……」


 ルーウェンはどう返したものかと困っていたが、幸い二人が肉屋の前に到着したことで難を逃れることになる。


「あ! ほら肉屋についたよ!」


 イーシャは街のことなどそっちのけで、たくさん肉が吊るされた肉屋の出店を指さしてみせた。

 ここは昨日死んだ馬を売り払いに来たところだったので、ルーウェンも一度訪れている。なんなら昨日の馬の脚が革を剥がれて吊るされていた。

 他にも牛や鳥の肉が所狭しと並べられていて、ブンブンと蠅が集っている。また、店の脇には剥がした革が何枚か干されており、なめし剤の悪臭が立ち込めていたので、あまり食欲をそそるような状態ではない。


「ここのお肉はちょっと気持ち悪いんだけどね、でも犬がいっぱいいるから可愛くてよく見に来るんだ」


 言われて辺りを見渡してみると、確かに道端で死んだみたいに寝っ転がって、昼寝をしている野犬があちこちにいる。何をするでもなくぼーっとして実に暢気なものだった。


「肉屋の店主が余った肉をくれるからみんなこの辺に居ついてるの」


 確かにルーウェンが他所で見かける犬よりもいくらか肥えているようだ。イーシャは沢山いる犬の一匹に近寄り、彼の前に座り込んだ。


「やっほー、今日もお昼寝かい?」


 ルーウェンもイーシャの後ろに立って犬の様子を見下ろす。

 するとその犬は気怠そうに目を開いてこちらを見つめ返してきたのだが、すぐにまた眼を閉じて眠りについた。

 別に瀕死だとか病気だとかというわけでは無いのだが、犬とは言っても野犬であり、慣れてはいるがなついておらず人間には興味が無いのである。半分野生の彼らにとって、タダで飯が手に入るのに無駄に動く必要がないというだけだった。


「可愛いけど、触っちゃダメなんだよ。呪いがうつるから触るなってお母さんが言ってた」


 イーシャは犬を見つめながらそう言った。


「そうだね、病気になっちゃ危ないもんね」


 野良犬に限らずだが、野生動物は多くの病気を媒介する。特に犬は狂犬病のリスクがあったので野犬に触れるのはご法度だというのが彼らの共通認識だ。


「でもこうやって見てるだけでも可愛いよね」

「そうだね、すごく可愛い」


 イーシャは触れられずとも楽しそうだ。ルーウェンもこうして一緒に見ているだけでなんだか和やかな気分になるのを感じていた。

 だが、そんな平和なひと時はいつまでも続くわけでは無い。肉屋の店主が奥から出て来て、二人を叱りつけたのだ。


「イーシャ! お前獣人の娘なんかとつるんで何してる! 目ざわりだからさっさとどっかに行け!」


 イーシャがはっと飛び上がるように立ち上がり、寝ていた犬も驚いてビクッと頭をもたげた。


「ご、ごめんなさい!」


 ルーウェンは咄嗟に謝ったが、イーシャは店主に尻を向けるとその尻を叩いて挑発して見せた。


「何しようと勝手でしょ! バーカ!」


 肉屋の店主はみるみる顔を赤くして怒りの表情になる。


「いこっ ルーウェン」


 イーシャは満足げにニヤニヤと笑い、ルーウェンの腕を掴んで肉屋から離れるように走り出した。


「さっさと失せろクソガキ!」


 ルーウェンはびっくりして一瞬こけそうになりながらも、どうにか走ってイーシャの後をついて行く。

 ルーウェンはさっきの店主の言葉を聞いて、今更ながらに思い出していた。自分は獣人で彼女はヒトである。本来身分の違う者同士共に行動するべきではない。


「あ、あのごめん! 私は獣人だから……」

「いいのいいの! 私にはそういうのよく分からないから!」


 イーシャは走りながらニコニコと振り返ってそう答えた。だがルーウェンとしてはそれだけでは納得がいかない。


「でも、私は穢れていて……」

「いいから行くよ!」


 しかし、イーシャはやはり何のことやらと全く気にしていないようである。彼女にとっては目の前の逃走劇こそが重要だった。

 ルーウェンはどうにももやもやとさせられたが、ひとまず「うん」と答えて必死に後をついていった。


 そしてしばらく走り、肉屋が見えなくなるよう道の角を曲がると、二人は一旦足を止めて一息つくことにした。

 ルーウェンはあまり運動が得意な質ではないので、これだけでもかなりこたえて息を切らしていたが、イーシャはまだまだ元気が有り余っているようで、大きく高笑いをして見せた。


「あはは! あいついっつも怒るんだよ! 私が店の前で犬を見てるとね、邪魔だからあっちいけ! って怒鳴るんだ!」


 ルーウェンは息を切らしながらに問いかける。


「ええ、そんなの、怖くないの?」

「怖くなんかないよ! あいつら怒るけど絶対に手は出さないんだ、私はあの犬と同じなの、みんな大声で怒鳴るだけだから怖くなんかないよ!」


 イーシャがこう物怖じしないと、ルーウェンの恐怖心も緊張感も、なんだか解けてくるような気がした。


「イーシャは強いね……なんだか私まで強くなった気がしてきたよ」

「ルーウェンだって強いよ! だって、あんな怖そうなナヤームの軍人さんの奴隷で、それに伝説の狩人とも知り合いなんだから!」


 ルーウェンは少し照れくさくなり、頬をかきながら答える。


「ローガ様はそんなに怖い人じゃないよ? 私のこと助けてくれたんだから。それにラジャータさんだってたまたま知り合っただけだし……」

「それでも凄いって! だってルーウェンは都会っ子だし、色々経験してるんでしょ? 私よりもよっぽど凄いよ!」

「えへへ、そうかなぁ」

「私ね、ルーウェンと仲良くなれてすごく嬉しいんだ!」


 ルーウェンはそのストレートな言葉に一瞬ドキッとした。


「え、えっと、私も嬉しいよ。でも私なんかでいいのかな……」


 やはりルーウェンとしては自分が獣人であることが気がかりで仕方なかった。普通のヒトならこんな簡単に受け入れてくれるはずがない。


「ルーウェンでもいいんだよ! だってルーウェンはいい子だもん! 一緒にいて楽しいよ!」


 だがイーシャは無邪気にルーウェンに笑顔を見せてくれる。


「ありがとう。私もだよ、イーシャといるのは楽しい。でも私は獣人だから、きっとイーシャちゃんにも迷惑かけちゃう……」

「そんな事どうだっていいんだよ! だってルーウェンは私と遊んでくれるんだから!」


 イーシャの純粋さにはルーウェンも敵わなかった。単に考え無しの子供故とも言えたかもしれないが、ここまで全面的に自分の存在を認められてしまっては、思わず嬉しくなる。

 ルーウェンの中では最初のような気まずさはもうどこかへ行き、イーシャという人間が自分を受け入れてくれたおかげか、純粋に楽しい気持ちがこみ上げてきていた。


「ありがとうイーシャ」

「どういたしまして! ありがとうねルーウェン!」


 二人は友人同士笑顔で見つめあい、どちらからともなく笑い出した。

 何かおかしな出来事があったわけでも無かったが、なんだか楽しくてしようがなくなったのだ。


「いこっ! ルーウェン!」


 イーシャはまたルーウェンの手を取った。


「うん! いこっか!」


 ルーウェンも今までになく元気に答え、イーシャに連れられるまま再び歩き出した。

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