ラジャータ

 二人が死を覚悟したその時、一発の銃声が鳴り響いた。


 どこからか飛び込んだその銃弾は、迫る飛龍の頭部に命中して怪物の目玉を見事につぶしてみせる。

 これはローガが撃ったものではない。


「大丈夫か!」


 銃声のした方角から、女の掛け声と蹄鉄の音が聞こえ、ローガが咄嗟に顔を向けたる。

 するとそこには、純白の短い髪を揺らす若い女がライフルを携え颯爽と馬を駆る姿があった。

 女はライフル持ったまま急いで馬を降りると、馬の尻を叩いて二人の方にけしかけてきた。


「その馬で逃げろ!」


 一方の怪物も、自分の目を潰したこの女をより脅威と判断したようで、その大口を女の方へ向けた。


 一つ大きな咆哮を上げると勢いよく女に迫る怪物。


 女はそれを見ると、ライフルのレバーを起こして排莢し、照準を合わせて怪物に銃弾をお見舞いする。

 放たれた弾は怪物の身体に食い込むが、その足は止まらない。そしてまたレバーを起こして発射を繰り返して何発も銃弾を撃ち込んでいく。


 一方ローガとルーウェンの二人は、問題なく動けるルーウェンが駆け寄って来た馬を引き寄せ、ローガの前まで連れて来ているところだ。


「ローガ様早く! 馬に乗ってください!」


 ルーウェンは必死に促したが、ローガは立つのがやっとで馬に跨る力が無い。彼は先程から続く強烈な頭痛にやられて殆ど動けないのだ。

 そうこうしていると、怯えた馬が大声でいななき、前足を上げてしまった。しかも運悪くそれが飛龍の注意を引くことになってしまう。


 飛龍がぐんと振り返ったかと思うと、振り回された尻尾にローガとルーウェンまとめて薙ぎ払われてしまった。

 二人の身体は軽々と吹き飛ばされ、近くの家屋の壁に打ち付けられる。


「くそっ! お前の相手は私だ!」


 女は尚も発砲を繰り返すが、やはりまるで効いていない。それでも注意は引けたようで飛龍は悠々と女に近づき前足を振りかぶった。 

 しかしこの女も手慣れている。振り下ろされた爪を難なく躱すと、その爪は近くの家屋の漆喰の壁に食い込んで、建物を盛大に崩してしまった。

 だが飛龍の攻勢もこれで終わりではない。今度はまた大口を開いて女を噛み殺しにかかった。


 女は避けるのが寸分遅れたようで、その牙は彼女の左腕に食らいつく。女は歯を食いしばってそれを堪えると、もう一方の手で短刀を抜き、飛龍の首筋にそれを突き立てた。


 たちまち甲高い悲鳴の如き咆哮が上がる。


 その刃は飛龍の首に深く突き刺さったのだ。

 さらに刃を引き抜くと同時に多量の血が噴き出し、怯んだ飛龍は思わず飛び退き後ずさった。

 女はその期を逃さない。先ほど崩れた瓦礫に手をかざしたかと思うと、木の板や漆喰の壁の破片がふわりと宙に浮かびあがる。

 さらに女がその腕を飛龍に向けて振りかざすと、一斉にその瓦礫が飛龍に向かって飛び込んでいく。

 そしてガラガラと盛大に音を立て、その瓦礫は飛竜の身体に降り注いだ。

 物量に押された飛龍は、土煙を上げながら反対側の家屋に突っ込んでいく。その巨体は壁をなぎ倒して倒れ込み、その家屋を易々と押しつぶしてしまった。


 その様子はローガとルーウェンの目にも映っている。よろめきながらなんとか立ち上がり、彼女の行動からこの女が魔女であり、それも怪物狩りを生業とする者であると察しがついた。


 女は倒れ込んだ飛龍に近づくと、再び手をかざして念力を送り込む。すると、まだ崩れずに残っていた家屋の壁が飛龍を覆い隠すように倒れ込んでのしかかった。

 それを確認した女は、背負っていたひと際巨大な銃を取り出し、飛龍の元へと歩み寄る。

 そしてその大砲のような銃口を飛龍の頭に押し付けた。

 直後、強烈な爆音が鳴り響いたかと思うと、飛龍の頭部は粉々にはじけ飛び、あちこちに血と肉辺が飛散する。


 この一撃でさすにこの怪物も動きを止めたようだ。女は落ち着いたようにため息をつき、ローガとルーウェンの方を向くと声をかけてきた。


「おい! 大丈夫か!」

「ああ……大丈夫だ」

「は、はい! 大丈夫です!」


 ローガもルーウェンも盛大に吹き飛ばされた割には軽傷で、幸い打ち身程度で済んでいた。

 女は立ち上がった二人へと歩み寄る。


「お前たち危なかったな、怪我はないか?」

「ああ、大丈夫だ。おかげで助かったよ」

「私も大丈夫です。ありがとうございます……」


 ローガは不思議な事に先ほどまでの頭痛が消えており、打ち身したところが痛む以外は、かなり身体が軽くなっていた。

 女は二人の無事が確認すると、二人の前を通りすぎて歩いて行く。そして先ほど投げ出されて横たわった馬の元へと向かい、その前で膝をついた。


「すまない、馬を潰しちまったな……」

「まだ死んだと決まったわけじゃない」


 女は、横たわりながら荒々しく息をしてもがく馬の様子を見ながら答えた。


「いやでもその有様だ、せっかく寄越してくれたのに」

「気にするな」

「なあ、あんた一体何者なんだ?」


 こうして近くで見ていると、彼女はどうも不思議な見た目をしていた。年の頃は二十前後の若い女のようだが、髪も肌も不気味なほど白く、瞳は深紅の色をしており、耳がピンと尖っているのだ。このような容姿の人間はローガもルーウェンも見た事がない。


「私か? 私は流れの傭兵だよ。ああいう怪物を殺したり、荒事を請け負ってる」

「狩人なのか?」

「そんなところだ。なあ、その娘は魔法が使えるのか?」


 狩人の女はルーウェンに目配せした。


「ああ、こいつは魔法が使える」


 ルーウェンもビクッとして答える。


「は、はい! 心に語りかける事ができます」

「どおりで……奴らは魔女や魔法使いでなければ瘴気にやられて動けなくなる。お前も動けなくなっていただろう?」


 そう言って女はローガの方を見た。


「あ、ああ確かに頭が痛くなって、身動きが取れないほどだった……」

「やはりな、お前はどうだ? 何か気配や殺気は感じていたんじゃないか?」

「は、はい……確かにすごく嫌な予感がしていたというか、何かがいるような、そんな気がしていました」

「そうかやはりな。いいか? お前は鼻が利く、次に嫌な予感がしたらその場所には近づくな。お前もだ、お前も兵士のようだがトゥルパの相手はできない。その娘の勘はあたる。彼女が止めたなら大人しく引くことだ」

「あ、ああ、分かった」


 その後女はしばらく馬の様子を見ていたのだが、何か済んだようで、ようやく立ち上がった。


「脚を折ったな」


 どうやら彼女の馬は脚を折ったらしい。他に目立った外傷がないので助かりそうなものだが、ローガは馬が脚を折る事の意味を知っていた。

 馬は心臓の他に脚を使って血を巡らせている。その為たかだか脚の一本でも折れてしまえば、血が滞り死んでしまうのだ。

 それに馬一頭が死ぬというのは、現代で言えば車が一台廃車にするようなものである。その為経済的な損失も大きい。ローガはすぐに女に謝罪した。


「すまない、許してくれ。折角逃がそうと馬を寄越してくれたのに」

「気にするな、仕方の無いことだ」


 女はライフルを手に持つと、薬室の弾丸を確認して馬の頭に押し付けた。


「こ、殺しちゃうんですか?」


 ルーウェンは思わず問いかけた。彼女はこの馬がもはや死ぬしかないということを知らない。そのせいでひどく驚いているようだ。


「ああ、彼女(馬)は助からない。放っておいては苦しんで死ぬことになる」


 ルーウェンはしおらしく耳を垂れる。女は構わず引き金を引いて馬の頭部に銃弾を撃ち込んだ。

 銃声が鳴り、電気でも流したみたいに馬の身体がビクつくと、そのまま徐々に力が抜けて馬は絶命してしまった。


「よくやってくれた。ゆっくり休め」


 女は馬の目に、噛まれて血だらけの手をかざして瞼を閉じてやった。


「な、なあ一体あの怪物はなんなんだ?」


 ローガが問う、女は立ち上がって振り返り答えた。


「あれはトゥルパ(怪物)だ、特にああいう翼のあるやつはラサーヤナと呼んでる」

「あれがトゥルパなのか……初めて見たぞ」

「あれほど大きいのは珍しい、他にも人型の奴や、狼や虫みたいな奴もいる」

「だ、だが奴らは人里には現れないって聞いたぞ? この町はあいつにやられたのか?」

「……いや違うだろう。確かにトゥルパが町へ降りることはない。原因は他にある。どうだ? 少しあいつの様子を見てみるか?」

「あ、ああ……」


 ローガは好奇心に駆られてその提案を受け入れた。ルーウェンは少し不満げだが、ローガの後ろに隠れてこくこくと頷いている。三人は先ほどの飛龍の元へと向かった。


「うう……気持ち悪い……」


 怪物の前まで到着し、ローガの後ろにぴったりくっついたルーウェンがそう吐露する。

 それも無理はなかった。飛龍は頭部を砕かれ血肉が飛散しており、それだけでも気持ち悪いのだが、この飛龍は頭部を失ってなお脈動し、明らかに生きていたのだ。ビクビクとうごめく様が異様に不気味に映った。


「こいつ、まだ生きてやがるのか」

「トゥルパは身体を失っても死なない。彼らは残った身体だけでまた再生する」


 女は臆することなく怪物へと近づいていき、座り込んでその肉体を調べだす。


「こいつは初めから弱っていた。元気な成体ならもっと手こずる。頭を吹き飛ばしても暴れまわっていただろうな」


 女は肉片や血の跡を手に取り何やら調べていたのだが、暫くして満足したようで戻ってきた。


「お前たちももう十分見物したか? 行くぞ」

「おい、とどめを刺さなくていいのか?」

「無理だ。こいつを殺すには残らず焼き払う必要がある。肉のかけら一つでも残せばそこから再生するんだ。だがあいにくそんな燃料どこにもない、そもそも私は依頼を受けて来たわけではないからな。ただの通りすがりだ、こいつを殺す理由はない」

「だが、放っておけばまた人間を襲うだろう? 依頼が無くても殺した方がいいんじゃないのか?」

「お前は猛獣を一匹残らず殺すか? 人間が襲われない為に。彼らもただ生きているだけだ、そもそも本来人間の前に姿を現さない存在だからな、殺す必要はない」


 ローガは散々な目に遭った復讐心もあり、その答えに納得は行かなかったが反論もできなかった。ローガが黙っていると女が質問をしてくる。


「なあこいつは元々どこに潜んでいた?」

「ええと、あの寺院の中から出て来たんだ。もしかしてあれが巣なのか?」

「かもしれん、確かめてみるか」


 三人は石造りの寺院へと歩き出した。道すがらさらに女が問いかける。


「この町がどういう町か知っているか?」

「確か、鉱山があってそれを中心に栄えた町だって聞いた。確か銅鉱石を掘ってたはずだが」

「銅か、なるほどな」

「何か分かったのか?」

「まあまずは寺院を見てみようか」


三人は寺院の入り口まで到着した。その中は暗がりでよく見えない。


「あ、あの……私は外で待っていていいですか?」


 ルーウェンは怖くなったようで二人にそう伝える。二人もそれを止める理由は無かったので、彼女を待たせてローガと女の二人が中に入って行くことになった。


 二人が寺院へ足を踏み入れると、生暖かい空気と共に腐敗臭がむわっと漂ってきた。

 そして次第に暗闇に目が慣れてくると、そこに見えたのは無数に横たわらせられた死体の数々であった。

 そしてハエと集る音が無数にこだまし、二人の顔の前にもそれが集りだす始末だ。


「畜生……なんだよこれ……」


 見たところ多くの死体に外傷は無いようだったが、一部あの怪物に食われたらしきものもあった。


「これがあの怪物のエサってわけか……」


 しかし、並べられた死体は一定の間隔を保って規則正しく並べられているので、どうやらあの飛龍が運び込んだものではなく、人の手で運び込まれたもののように見受けられる。


「ここは診療所か死体置き場だな。ここは銅の鉱山だと言っていただろう? 銅は精錬する時に毒を出す。それが飲み水や食い物に移ってこいつらを殺したんだ。この辺りの畑や木々もそうだろう、川の水や雨に乗って毒が広がってみんな枯れたんだ」

「じゃあ、それでこの町は滅んだってのか?」

「いや、死体の状態からして死んだのはここ数週間のうちだ。恐らく毒のせいであの飛龍がエサを摂れなくなったんだろう、それで仕方なくこの町に降りて、町の人間は毒にやられた者を置き去りにして逃げだしたんだろうな」

「ひでぇ話だな……」

「良かったじゃないか、あのトゥルパもじきに死ぬぞ。毒入りの肉を食ったみたいだからな」

「いやまあ、そうかもしれないけどよ……」

「怪物狩りなんてのはいつもこんな具合だ、大抵は人間の勝手な都合に奴らが巻き込まれることになる。あの飛龍も被害者だよ」


 敵が死ぬというのは少し嬉しいような気もしたが、事情が複雑なので素直に喜べもしなかった。こんなものを見せられて、どうにも虫の居所が悪い。


「町の入り口に置いてあった馬車、お前たちのものか?」

「あ、ああそうだが」

「もうこの場所に用はない。飛龍が死んだならじきに誰か弔いに来るだろう。礼代わりに馬車に乗せてくれないか? 足を失ったからな」

「ああ、もちろんだ」


 二人は振り返って寺院から出ることにした。外のルーウェンと合流すると、彼女が心配そうに声をかける。


「あの、何かありましたか?」

「何もなかったよ、聞かない方がいい」


 ローガはまだ子供のルーウェンには話が重すぎると判断して、あえて事実は伏せて置いた。


「馬車に戻ろうルーウェン。この人を近くまで送っていく」

「……分かりました」


 ルーウェンもあえて聞かない方が身の為だろうと察し、深くは掘り下げなかった。

 かくして三人は共に馬車の元へ戻る事になり、人のいない町を歩きだした。


「そういえば、まだあんたの名前を聞いてなかった」

「私か? 私はラジャータだ。家名や戒名は特にない、単にラジャータだ」

「ラジャータ、か。さっきはありがとう助かったよ。俺はローガだ、ローガ・イトー・サダラナ・ヴャーパリ。こいつは奴隷のルーウェンだ」

「はい、ルーウェン・タクリ・ガウリ・アウサディと言います」

「ローガにルーウェンか、よろしく頼む」

「なあ、命を助けられただけでも返しきれない恩があるってのに、おまけに馬まで失わせてしまっただろ? 馬車に乗せるだけじゃ割に合わないはずだ。もっと何か礼をさせてくれ」

「そう気にするな、お前たちを助けたのは私の勝手な気まぐれだ」

「そういうわけにもいかない。何も返さなかったなら俺の気が済まないんだ」

「なら金はあるか?」

「金か……あいにくすっからかんでな……」

「ならあまり無理をするな、私は見返りのために助けたわけではない」

「いやしかしだな……」


 その時である、ローガやルーウェンにも聞こえる音量で、盛大にラジャータの腹がぐるぐると鳴るのが聞こえた。


「……腹、減ってるのか?」

「ああ」


 このタイミングで腹が鳴れば少しは恥ずかしくなりそうなものだ。しかしこのラジャータという女、今までも無表情であったが、腹が鳴ったのこの期にも全く動じていないようだ。


「……とりあえず、備蓄の食料を食べてくれ。今日の飯代も俺たちで持つとするよ」

「ああ、かたじけない」

「それから、馬車に乗せるのは構わないんだが、どこまで連れて行けばいい?」

「北にしばらく行くと村がある。私はそこに一泊していたんだが、ひとまずはそこに戻りたい」

「分かった、ならそこでの宿代もこっちで持たせてくれ、それくらいの金ならあるからな」

「それで気が済むなら好きにしてくれ」


 暫くして一行は馬車を隠した厩舎まで戻った。幸い馬車はラジャータ以外に手をつけた者はおらず無事なようで、三人は適当な大きさの布を調達してから馬車に乗り込むと、先ほどの馬の元まで戻った。

 そしてその馬の血とはらわたを抜いてから死体を布で包み、どうにか馬車に押し込んで運ぶことにした。


 馬は死んでも貴重な資源となる。身は食肉に、革は鞄や衣服に、毛は楽器の弦やブラシに加工できる為、持ち帰って売りさばけばそれなりに金になるのだ。

 しかし流石に大きいので幌馬車はそれだけでいっぱいになってしまったし、食べ物や服からは暫く獣臭いにおいが消えないだろう。

 それにこれ以上人間乗るスペースが無いので、三人は御者台に詰めて座ることとなった。


 村へ向かう道中、ラジャータには今朝焼いておいたチャパティと干し肉を渡しておいたので、それを黙々と食べている。

 それからローガはラジャータの容姿について疑問を持っていたので、率直にそれを聞いてみることにした。


「なあ、ラジャータ。あんた一体何者なんだ? 白い髪に白い肌、赤い目だって珍しいし、そんな尖った耳の人間見たことがねぇ」


 その疑問に対し、すかさずルーウェンも疑問を投げかけた。


「あ、あの! 噂に聞いた事があるんです。白い髪に真紅の瞳、尖った耳を持った狩人。白き羅刹女セトラークシャシーと呼ばれる伝説の狩人がいるって! もしかして、貴方がその人なんですか?」


 ラジャータはそれを聞いて、干し肉をのみ込んでから少しうんざりしたように答えた。


「ああ、確かにそう呼ばれていたりもするな、厄災の魔女だの、カンティプルの殺し屋だの、みんな好きに呼んでいる」

「やっぱり! ローガ様! この人すごく有名な人ですよ!」

「そうなのか? 俺は聞いた事がないが」

「皆に煙たがられているだけだ。腕は立つからな、便利に使われているうちに二つ名だけが一人歩きしたんだ」

「そんな事無いですよ! すごいお方なんですよ! 百年以上前から活躍してて沢山の町を救ってきたんですから!」

「まあ、フトの文化圏では英雄扱いされているようだ。ルーウェンと言ったか、君はフト教なのか?」

「私はまだよく分っていないんですが、両親はそうだったみたいです!」

「なら、よく伝説として語られているだろうな。あんたはどうだ? 出身と宗教は?」

「俺はナヤームの出身でパヴィトラ教徒だ」

「パヴィトラか、パヴィトラの支配地域だとどちらかというと宗教敵だろうな」

「いやいや、どっちにしろ俺は聞いた事無いぞ? そもそも百年以上前からって、あんた一体今いくつなんだ?」

「だいたい二百年くらいだろうな、記憶にない範囲なら千年以上前人類が滅ぶ前から生きてる」

「まてまて、冗談だろう? それじゃ神話の時代じゃないか、あんた本当に人間なのか?」

「人間ではない、どちらかというとさっきの化け物に近い存在だ。私は二百年前に姉妹の切り落とされた腕から生まれたんだ。他にも姉妹が沢山いる」

「そんなまさか、馬鹿げてる……」

「本当なんですか? 二百年も生きてるのに若いままなんて羨ましいです!」

「そうか? 私はそういうものには無縁でな、どうせなら戦いの邪魔になるから髪も伸びないでくれるとありがたいくらいだ」

「姉妹の腕から生まれたってのはどういう事なんだ?」

「あの飛龍が肉片からでも再生するように、私も腕から蘇ったんだ。だから姉妹が多い。そうだな……ナヤームの出身なら、あそこのリシ(聖者や賢者の意)が私の姉妹だったはずだ」


 そう言われて思い出してみると、昔祭りで遠目に見たシーロエというリシが確かに白い姿をしていたのを思い出した。


「た、確かにあんたに似た奴がいたかもしれないが……いやだからってそんなの信じられるかよ」

「信じないなら別に構わん」

「きっと本物ですよローガ様! だってあんな大きな飛龍を倒したんですから!」


 ローガとしてはラジャータの含みのある言い方に疑問は残った。この女が本当に伝説の人なのか分からないし、淡々として表情一つ変えない彼女とはどうにも話しがしづらかった。


「なあ、そういうお前たちは一体何者なんだ? ナヤームの軍人が獣人の奴隷なんか連れてあそこで何をしていた」


 実はローガは、ナヤーム軍の軍服をそのまま私服代わりに着ていたので、傍から見れば軍人に見える格好であった。


「俺はもう軍人じゃない。うーん、脱走兵ってとこだ。他に私服も用意してあるし、軍人の肩書きがあれば都合がいい場合もあるだろうと思ってな、あの町へは旅の道中たまたま立ち寄っただけだ」

「なるほどな、だが行く先によっては不都合にもなるぞ、この辺りはナヤーム軍に恨みのあるやつもいる、お前たちどこへ行くつもりなんだ?」

「私たちはシャンバラを目指しているんです!」

「シャンバラだって? また馬鹿げたことをする奴がいたもんだ」

「別に俺たちだって信じちゃいないさ、要するに宛のない旅だよ。どこにも行くところがないから、とりあえず北に向かっているだけだ」

「じゃあ、シャンバラなんて本当に存在するわけではないと思っているんだな?」

「まあそうだろうな、あったらあったで嬉しいが、信じてるわけじゃないよ」


「シャンバラはあるぞ、いやあったという方が正しい」


「まさか、ありゃただのおとぎ話だろ?」

「今はな、だが大昔はその話の元になる場所が本当にあったし、私もそこにいたんだ。もうその記憶は失われたがな」

「信じられねぇ、じゃああんたシャンバラに住んでいたっていうのか?」

「そんなところだ。だがそれもパヴィトラの暦が始まるより三百年近く前の話でな、古の民が滅ぶ前の事だからもう廃墟すらなくなっているだろう」

「まさか……それなら何か、シャンバラについて何となくでも覚えていることとかないのか? どうやって行ったらいいかとか」

「もはや私にも分からんよ、ここから更に遠く離れた土地にあるということしか分からん」

「そうか、じゃあ手掛かりはなしか」

「そもそもな、シャンバラとてそんなにいい場所ではなかったぞ? 住めば都とも言うが、お前の探し求めるものは存外すぐ近くにあるかもしれんさ」

「なんだ? 老人の説教ってところか?」

「そうひねくれるな、どう思おうと勝手だからな」

「なあラジャータさんよう、あんたが腕の立つ狩人で、強力な魔法使いだってのは認めるがな、どうにも信用ならん。馬鹿げた話ばかりでまるで現実味がありゃしねぇ、嘘なら嘘だと言ってくれよ」


「嘘だ」


 ラジャータは躊躇いもせずにそう言った。ローガは思わず御者台から転げ落ちそうになる。


「嘘なのか?!」

「なんだ? 嘘だと言えと言ったろう?」

「いやそうだが、結局嘘なのか本当なのかどっちなんだ?」

「信じたければ信じればいい、嘘だと思うならそれで構わない、皆私を好きなように評価する。蔑む奴もいれば、跪く奴もいるんだ。お前の好きなようにすればいいさ」

「私はラジャータさんのこと信じますよ! たぶん嘘は言ってないんじゃないかなって思います!」

「嘘じゃないなら狂ってやがる」

「ローガ様は捻くれすぎですよ」

「ああ、そうかい」


 ローガは不貞腐れてそっぽを向いた。夢みたいな話と、子供の純粋さに当てられて、なんのことはない会話のはずなのに随分カロリーを使ったような気がする。


 しかし当のラジャータはというと、やはり澄ました無表情さで、もくもくと干し肉を頬張っていた。


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