【三章】アウトサイダー

廃坑の主

  人が虎を殺そうとする場合はスポーツと呼ばれ


  虎が人を殺そうとする場合は狂暴と呼ばれる




【バーナード・ショー】









810年チャイトラの月14日(サ・プルブ)



 ローガとルーウェンは野営を片付けて朝早く出発した。

 彼らの目指す先は北の果て、パヴィトラの連峰を越えた先の、更にその遠くにあると言われる伝説の国シャンバラである。

 その為にまずは北上し、パヴィトラ山脈を越える事が目標となっていた。


 そして当面の予定は、道行く人に聞いた近くの町へ向かうことであり、馬車を手に入れた二人はナヤームから続く街道を北上してその町へと向かっているところだった。


 街道から見える景色は延々と続く平原で起伏は殆どなく、だだっ広い麦畑や牧草地の中に広葉樹が点々としている程度だ。そして馬車の進行方向のはるか遠く、追い風の行きつく先には、薄っすらと白く輝くパヴィトラの山々が見えている。


 彼らの乗る馬車は、三メートル×一・五メートル程度の中型のもので、幌で覆われているので雨風はしのげる仕様のものだ。

 廃棄直前の格安の品を購入して修理しているのでボロで質素なものだが、車輪には彫刻が施されており、理想の王たる転輪聖王の宝「輪宝」を象ったものとなっている。

 また幌馬車の中には食料の袋や大きな水瓶、銃や弾薬に替えの衣類や馬用の飼料、それから両親の骨壺など、荷物がぎっしり詰め込まれており、ほとんど足の踏み場が無いほどだ。


 そしてこの幌馬車を牽引してるのが、チルチルと名付けられた黒鹿毛の馬と、ミチルと名付けられた鹿毛の馬の二頭である。

 ローガはこの馬車の御者台に座ってその二頭の馬を駆り、ルーウェンは後ろの幌馬車で荷物の間に座り込んで揺られているところだった。


「ローガ様ぁ」


 ルーウェンは帆馬車から身を乗り出してローガを呼んだ。


「どうした?」

「町まではあとどれくらいでしょうか?」

「うーむ、聞いた話だともうすぐ着くはずだ。小さな町らしいんだが、確か鉱山を中心にできた町でそれなりに潤っているとは聞いたぞ」

「じゃあ今日は宿に泊まれそうですかね」

「そうだな。ゆっくり湯にも浸かって、美味い飯が食えるかもしれないな」

「早く町に行きたいです。屋根があるのにもう暑くて死にそうですよぅ」


 暑期の真っただ中と言うこともあり、気温は35度をゆうに超す。特に暑い日であれば40度を超えることも珍しくないので、彼女が文句を言うのも致し方の無いことだった。


「もうあと少しのはずだから、ちょっと我慢してくれ」

「はーい」


 二人が雑談をしながら馬車を走らせていると、暫くして川に差し掛かった。そしてこの川を跨ぐように橋が掛けられているのだが、その橋を渡ろうとしている最中ローガは少し違和感を覚えた。


 どうも不自然な具合に周囲の木が枯れており、下草も枯れて禿げ上がっていたのだ。


 とはいえそうおかしなことでもないだろうと、この段階ではあまり気に留めてはいなかった。

 しかしそのまま馬車を進めていると、暫くして川以外の場所でも枯れた畑や、葉の無い木がちらほらと見えるようになり。さらに馬車を進めていくと、そうした枯木や大地がどんどん増え、いつしか辺りはかつてローガがいた戦場のような不毛の台地となってしまった。

 だがこの土地はかつての戦場のものとも違い、砲弾に抉られた穴や火事の跡、銃撃の痕跡があるわけでもない。ここは明らかに戦場とは違うようだ。

 ここまでくると、ローガの感じた違和感は確信へと変わっている。


この土地は明らかにおかしい。


 加えてローガは先ほどから頭痛がしていて、馬車を進める度段々と酷くなっているのが感じられていた。


「なあルーウェン、なんか頭痛くないか?」

「そうですか? 私は全然何ともないですが」


 ルーウェンは頭をさすってみたが頭痛はしない。しかし、ルーウェンも何か違和感というか、不快感というか、何かの気配のようなものを感じる気がし始めていた。



「でも……なにか嫌な予感がします」

「ああ、俺も嫌な予感がする。見てみろよ、そこらじゅう畑が枯れてやがる。道は間違っていないはずなんだが、どうもおかしいぞ」

「そうですね……町もこの辺りにあるんですよね?」

「そのはずだ、こりゃあ風呂には入れないかもしれんな」


 その後しばらく馬車を進めると、暫くして漆喰の建物が見え始め、二人は町に到着した。


「人っ子一人いやしねぇな」


 小規模な町のようだが、道にも家屋にもどこを見渡しても人の気配がない。


「そうですね、なにかあったのでしょうか?」


 明らかにこの町では何かが起きている。

 ここはナヤーム軍が革命勢力を追い返した後の、シャンダビカ国内にある町だ。いざこざや小競り合いは予想できる事態だったが。だがそれにしたって敵でも味方でも誰かしらいるのが普通だろう。

 ここには何か別の問題があるのが伺えた。


「とりあえず、馬車はここに置いていこう。町の中じゃ進めない箇所もあるかもしれんし、何より嫌な予感がするからな」


 ローガとルーウェンは町の外れにあった厩舎を拝借し、隠すようにその中に馬車を停めておくこととした。さらにローガは念の為ライフルやグルカナイフを装備して万が一に備えておく。


「本当に誰もいないんだったら何か使えるものがあれば頂いていこう、俺たちはあまり金持ちじゃないしな」


 ローガはルーウェンと町の中心に向かって歩きながらそう語った。


「それって、泥棒じゃないんですか」

「どうせここにあるのは放置されたものだろう? 自分で置いていったんだ。文句があっても置いていく奴が悪いさ」

「でもそしたら、私たちの馬車も盗まれちゃうかも知れませんよ?」

「あれを盗む気ならもう襲われてるさ、町の中に入って誰にも出くわさないならそれが目的じゃない」

「とりあえず目につく家を漁ってみよう」


 ルーウェンはチルチルとミチルに愛着があったのでどうしても心配する気持ちがあったが、自分が奴隷であることを差し引いても、この手の事は手慣れたローガに任せた方がよい。仕方なくそのままローガについて行くこととした。


 二人は目についた家屋に適当に入って行ったのだが、どの家も食料や武器、道具類、金目のものなどは殆どなく、荒らされた跡があるようにも見えないので、どうやら持てるだけのものを持って逃げ出したのだろうという事が推測できた。

 さらに言えば、馬車や牛舎、荷車の類が外に置かれていないこともそれ裏付けている。


 そして何件目かに入った家で、二人はブンブンとハエが集る布団を見つけ、そこで布団に横たわる死体を目にすることとなった。


「うぅ……何ですかこれ……」


 ルーウェンは悪臭に鼻を曲げ、口を覆いながらローガの袖をつかんだ。


「死んでからだいぶ経ってるな。表面が干からびてウジが這ってやがる。おまけに外傷がない。病に倒れて置いていかれたか……」

「もう行きましょうよ……」

「そうだな」


「「オン パヴィトラ スヴァハ……オン パヴィトラ スヴァハ……」」


 二人は手を合わせて真言を唱えてから。その場を後にした。


 その後も何件か家々を回ってみたのだが、どこも同じようなもので目ぼしいものはなく、時々死体と出くわすだけで人も家畜も見当たらない。


「ローガ様……怖いです……もうお風呂はいいので行きましょうよ、この町、絶対何かいますよ」

「ああ、そうだな。これ以上見ても何もないだろうし、確かに長居は危険そうだ。町を迂回して北上しよう」


 二人は探索を諦め、この町を後にすることとした。

 目ぼしいものが無いことや、明らかに怪しいことも理由の一つだったが、ローガは今までにも増して頭痛がひどくなっており、そのせいでだいぶ疲れが蓄積してもいたのだ。

 ルーウェンはローガの袖をグッと掴み、二人は来た道を歩いて戻ろうとする。しかしその時、ルーウェンはただならぬ気配を感じて寒気がし、驚いて立ち止まった。


「ローガ様ダメです、何かいます」


 小声で、しかし力強く訴えるルーウェンに、ローガも表情を変える。


「どうした? 何がいる?」


 ローガは警戒して銃を構えたが、物音や何かが感じられるわけではない。とにかく周囲全体に気を配った。

 一方のルーウェンは何を見つけたわけでも無いものの、何者かの存在を察知しており、感覚を研ぎ澄まして糸を手繰るようにその存在を探った。


「あれです、あの建物です」


 ルーウェンが何かを感じとり指を指す。それはすぐ近くにある石造りの寺院のようで、ローガは咄嗟にその建物へ銃を向けた。


 そしてその瞬間である。


 何か物音がしたかと思うと、寺院の入り口を押しのけて強大な怪物が飛び出して来たのだ。


 その怪物は、気色悪い灰白色の皮膚に覆われた全長十メートルはあろうかという飛龍で、寺院のどこにそんな身体が収まっていたのかという巨体の持ち主であった。

 強靭な前足には大きな翼膜があり、武骨な頭部には鋭い牙が立ち並んでいる。そして飛竜はその大口を開けて気味の悪い咆哮を上げて見せた。


 ローガはその飛龍の姿を見て急いで立ち去ろうと動いたのだが、怪物の咆哮に合わせて激しい頭痛に襲われ、思わず銃口を下げて膝をつく。


「ローガ様逃げないと!」


 一方ルーウェンに頭痛はなく、なんとも無い。彼女はローガの袖を引っ張り逃げようとしたのだが、ルーウェンの力ではローガを引っ張る事ができない。ローガはルーウェンの引く手に釣られて尻もちをついてしまった。


「ち、くしょう……!」


 ローガはそれでも力を振り絞り、迫る怪物に向けてライフルを放った。甲高い音が鳴り、銃弾はその龍の翼に命中したように見えた。

 だが、まるで小石がぶつかったかのような具合で、全く動じている様子はない。


「にげ、るぞ……」


ローガはルーウェンの肩を支えにどうにか立ち上がり、そのままゆっくりと後ずさる。そして片手で扱えないライフルを一旦背負ってから、腰のリボルバーを飛龍に向けた。


 震える腕で狙いを定めるリボルバーの先では怪物が着々と近づき、既にもう目と鼻の先まで迫っている。ローガは急いで引き金を引き絞って何度も連射したのだが、やはりびくともしない。

 飛龍は翼脚を大きく振り上げ、二人をめがけて勢いよく振り下ろした。

 それを察知したローガは、ルーウェンに飛びついてそのまま勢いよく飛びのく。二人は間一髪で鋭い爪を躱し、蹴り上げられた土砂が二人を叩きつけた。


 間一髪難を逃れた二人だったが、おかげで地面に伏せた状態になったので、次の攻撃が来れば避ける余地はない。

 飛龍はここぞとばかりに大口を開き、そのアギトを振り下ろした。


 さすがにこれは避けられない。二人は死を覚悟した。

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