塹壕

 最前線は、攻略目標であるサングルマーラの街の南側に沿うように張り巡らされた塹壕群だ。


 食料を手に入れたローガ達は、丁度身長と同じ高さほどに掘られたこの塹壕の中へと入っていった。

 この塹壕は、手作業で掘り起こした溝に、崩れないよう木の板で簡単に補強をして土嚢を積み上げてだけの粗末なもので、幅もようやく人とすれ違える程度しかない。

 おまけに季節は雨期に差し掛かっていたので、塹壕の底の地面は水溜まりになっている。その上に簀子を置いて歩けるようにしているのだが、杭や何かで固定しているわけではないので、グラグラしてとにかく歩きずらい。

 二人は何度もこけそうになったうえ、所々板が足りていない箇所があるせいで結局ぬかるみに足を取られることもあった。


 さらにこの塹壕は人が多い割りにやたらと狭いので、何度も周囲の兵に飯盒をぶつけて中身がこぼれそうにもなっていた。

 カプタナはそんな塹壕の中をすたこらと身軽に歩いていく。慣れないローガとシンカは、スープいっぱいの飯盒という枷をつけた状態でどうにかこうにかついていった。


 それだけでも二人にとっては大変なことだったのだが、この塹壕は更に二人に追い打ちをかけてくる。とにかくそこらじゅうひどい臭いが立ち込めているのだ。

 その臭いは一言では名状しがたく、とにかく混沌として、まるで胃袋の中にいるかのような重苦しい空気だった。


 泥や血や硝煙、汗の臭いはなんとなく嗅ぎ分けられるのだが、これはそれだけでは説明がつかない。

 塹壕の外にはまだ回収できていない死体やその肉片が放置されていて、塹壕の中にも腐った食べものやネズミの死体が放置されている。それらが言い知れぬ腐敗臭を放っているのだ。

 加えてここで生活する兵士達は、砲撃があるときや敵の襲撃が予想される時にはまともに用を足すこともできない。そのせいで兵士の多くはバケツや穴を掘っただけの即席のトイレを活用することが多かった。ここにはそれら排泄物の臭いまでもが立ち込めているのだ。


 泥と血と硝煙と汗と腐敗臭と排泄物。それを全部鍋に放り込んて煮詰めたような臭いに、ローガとシンカは今にも鼻が曲がって吐き出しそうになったが、どうにかそれをこらえて必死についていった。

 なぜカプタナや他の兵士達が平気な顔してこの場所に居座り、あまつさえタバコをふかす余裕があるのか彼らには甚だ疑問だったのだが、とにかく自分の精神に鞭打ってこの場に慣れるしかないようだった。


「いいか、ここから先は身を屈めて歩け! 塹壕から頭がはみ出せば敵の銃撃に晒されるぞ! 敵の砲弾も塹壕の外に落ちてくれれば破片が中までは飛び込んでくることはない! だから絶対頭を出すなよ!」


 騒々しい塹壕の只中で、カプタナは二人を怒鳴りつけるように語った。最前線のここまでくると、いよいよ敵の砲撃も激しく、あちこちで銃声も鳴るのでとにかく騒々しい。ああして声を張り上げなければその声はきちんと届かなかいのだ。


「この一本先の塹壕に俺達のねぐらがある。そこが正真正銘最前線だ! その塹壕の先に百メートルほど行ったら、もうそこは敵の塹壕線だからな!」


 ローガとシンカは、このぬかるんだ塹壕を歩きながら、カプタナの言葉を聞き洩らさないようにするのに懸命で、とにかく「はい!」と元気よく返事をするので精一杯だ。


「いいか? 間違ってもビビッて塹壕から這い上がったりするなよ!この溝が俺達の命綱だ! 溝の上に身を晒せばあっという間にハチの巣にされるからな!」


 丁度カプタナが語ったタイミングで、担架に乗せられた兵士が運ばれてきた。その男は頭部に銃創があり、呻きながらだらだら血の流れる頭を押さえている。


「見ろ、あいつ頭を撃たれてよく生きてるな。敵には狙撃手もいる。頭を出せばすぐああなるぞ!」


 その兵士は狭い塹壕内でローガ達と間近ですれ違い、その痛々しい様をまじまじと見せつけてきた。この塹壕は一応身長程度の高さがある為、まっすぐ立っていても頭がまるまるはみ出ることはない。その為二人はさっきまでそれ程真剣には考えておらず、言われたから身を屈める程度だったのだが、その男の様子を見て本気度は大いに変わった。頭一つ分の差でも、身を屈めなければ命に係わるのがこの戦場なのだ。


 さっきの男以外にも、この塹壕内には負傷兵がちらほらとみられる。それどころか、もう死体と化しているのではと思われる者もいた。

 さらに、敵の砲撃はいよいよ激しさを増し、至近距離で炸裂した砲弾の空気圧や、飛び散った土砂が容赦なく三人に降り注いでくる。三人は命からがらそのただ中を歩きぬけてどうにか他の仲間の待つ掩体壕へと到着した。


 この穴は塹壕に掘られた横穴で、中は八畳ほどの広さがある。入口は半身ほど地面が下がっていて、水が流れ込まないように土嚢を積み上げてあった。

 ここがこれからローガとシンカの住処となる場所だ。二人はカプタナの後に続いておずおずとこの掩壕の中へと入っていった。


「お前たち、待たせたな。飯の時間だ」


 カプタナがそう呼びかけると、中にいた兵士たちがわらわらと三人の前へ群がってくる。ローガとシンカは、それを見て急いでさっきのように直立不動の姿勢をとって見せた。


「本日より着任致しました! ローガ! 並びにシンカ二等兵であります!」


 しかし掩壕の天井は直立するにはいささか低く、ヘルメットをその土壁に打ち付けてしまったうえ、掩壕内の誰も二人にまともな反応を示さなかった。

 皆二人など知った事かと、飯盒に手を伸ばして飢えたネズミのようにそれを奪い去って行くばかりだ。


「ここに士官はいねぇ、気が滅入るからそういうのはやめるんだな」


 そう語ったのは背の低い髭面の中年男で、ぶっきらぼうな顔をしながら、急いでチャパティを口に放りんでもしゃもしゃと下品に食い散らかしている。

 そして彼を横目に、次は背の高いひょろっとした男が話しかけてきた。


 「いいか? 訓練所で習ったことは忘れるんだな、ここじゃ何の役にも立ちやしない。俺はカマル、さっきのあいつはプラカシュってんだ。よろしく頼むぜ新兵さんよ」


 彼も大忙しに食事をかき込みながらまごまごと喋っている。

 次に話しかけてきたのは中肉中背の男で、いで立ちからさっきの二人よりかは上品で話しやすい雰囲気を感じさせる男だった。


「ローガに、シンカだっけか? 俺はマヘンドラだ、よろしく頼むよ。あんまり肩肘張ってても疲れるだけだ、明日には死んでるかも知れないんだからな。今を楽しく生きなきゃ仕方ないってもんだよ」


 新兵の二人は何か自分からも言葉を返そうかと思ったが、飢えた彼らがもう二人のことなどお構いなしに食事に夢中になってしまっているので、あっけに取られて結局ぽかんとしてしまっていた。


「なあお前たち、今いくつだったか?」


 ローガとシンカの隣に立つカプタナがスープをすすりながら二人の年齢を聞いてきたので、シンカがそれに答えた。


「はい! 二人とも二十歳です!」

「そうか、だったらあいつと同い年だな。むさくるしいおじさんばっかりで居心地が悪いだろうと思っていたんだ。食事を持って行ってやってくれるか?」


 カプタナが目配せした掩壕の奥には、ヘルメットを深く被り、夏だというのに丈の長いトレンチコートを着込んだ一人の兵士が蹲っている。

 二人は了解してその兵士の元へと向かい、食事を手渡した。


「私の分か? ありがとう」


 その兵士の声を聞いて二人は驚いた、その兵士は女だったのだ。ヘルメットの下にその端正な顔立ちと灰色の髪、そして睨むような、しかしどこか諦めたような鋭い眼差しが覗いている。


「女、だったのか?」


 ローガは思わずそう聞いた。戦場で女性兵士は珍しい、ローガとシンカの訓練所でも女性兵士は数える程だった。


「……悪いかよ」


 その女兵士は飯盒の蓋を明けながら目も合わせず不満そうに答える。

 彼女はどうにも馴れ合う気はないといった具合で、同い年とは聞いたが仲良くやっていけるのかとローガは不安に思わざるを得なかった。


「あんた、名前は何てんだい? 俺たち同い年らしい、仲よくしようじゃないか」


 しかしそんなローガの不安とは裏腹に、シンカは易々と彼女と交流を深めようと試みている。この辺りは女遊びにも心得のあるシンカと普段の経験の差なのだろうとローガは痛感させられた。


「私はガラタだ。出しゃばるなよ新人、年は同じでも私はお前らより上官だ」


 ガラタと名乗ったその女は、怒気を湛えたまなざしで二人を睨み返した。シンカもまさかそんな攻撃的な返事が返ってくるとは思っていなかったので、豆鉄砲を食らったようにたじろいでしまった。

 するとその様子を見たプラカシュが、酒瓶を手に大笑いして見せた。


「へっへっ! お前ら手出そうとは思うなよ、みんな返り討ちにされてんだ! うちの小隊の姫様はそう安い女じゃねえよ!」


 ガラタはそれを聞いて鼻を鳴らす。そしてそっぽを向いて我関せずと言った具合に食事をし始めた。


「服の上からでも分かるがな、いい身体してるんだぜ。だけどよ、残念だがとにかく股が固ぇのさ。もう雨期になるってのに、いつも丈の長いコートを着てやがるし、前線を離れてる時でも絶対にヘルメットを取りやしねえ、貞操守るにしたって限度があるってもんだ」


 そんなプラカシュの言い分を聞いて、今度はマヘンドラが釘を刺した。


「お前さんには女房がいるだろうに、もう若い女に手を出すような年じゃないだろうが」


 続けてカマルも彼に釘を刺す。


「俺たちみたいなジジイの兵卒は、月一で補給所に来る安い娼婦がお似合いってもんだ」 


 ローガは、こんな下品なオヤジ達に囲まれていれば居場所もがないのも当然で、ガラタがやけに厚着をしているのも納得がいくと腑に落ちた。

 それと同時に、下心抜きにしてそんな彼女に何かしてやれればとも思ったのだが、今はそれどころでもない。

 相変わらず外は砲弾の雨あられで、時折地面が揺れて天井の土がサラサラと降り注いでくるし、いつ砲弾が真上に落ちて来てもおかしくないような状況だ。とても他人の快適な暮らしを気にかける余裕はない。あれだけ腹が減っていたというのに、悪臭と恐怖のせいでまるで食う気がせず、他人の前に自分の身の方が心配すべき状態だった。


 とは言え、周りの兵士たちがさも当然のごとくランチを楽しんでいるので、もう諦めて食事に手をつけるしかなかった。どちらにせよひどく腹が空いていることには変わりない。

 二人はオジサン達の輪に入って行き、シンカの手に残った最後の飯盒とチャパティを分け合って食べることにした。

 だがみんな勢いよく食べていたので、ローガとシンカがやっと食事に手をつけだしたころには、もはや皆ほとんど食べ終わってしまっている。

 二人は半人前の食事を恐る恐る口にしたが、いかんせん悪臭のただ中にいるので、その臭いが食べ物にまで乗り移っていてとても美味しいとは感じられない。

 幸い、やたらと多く入れられた香辛料の香りが悪臭を中和してくれているので、どうにか食事は喉を通った。

 既に一足早く食事を終えている周りの兵士達は、酒の瓶を回し飲みしながらタバコの火をつけたりしている。ローガとシンカが後に続いて昼飯を平らげると、酒瓶を持ったカプタナが二人にそれを差し出した。


「飲め、入隊祝いだ」


 こんな状況でも、いやこんな状況だからこそだろう。

 まさかここへ来て早々に酒が飲めるとは考えてもいなかったので、馬車での後悔も忘れてローガは喜んでその酒瓶を受け取り、クイっと一口飲みこんだ。

 直後喉を焼くようなアルコールの感覚がその身を襲い、喉が熱くなる。ローガはこの地獄にあってほんの一握りの幸福感を味わい、その酒瓶をシンカにも手渡した。


「ここじゃいつ死ぬか分からねぇからな、酒とタバコはやれるときにやっとくに限るぜ」


 プラカシュはタバコをふかしながらニヤニヤとそう語った。


「どうせなら、タバコも吸えたらいいんですけどねぇ……」


 シンカが酒を一口呑んでから臆することもなくそんな事を言ってのけるので、分隊長のカプタナは「まったく調子のいい奴だな」とタバコを一本シンカに返してやった。

 シンカはそれを受け取ると大喜びで火をつけて美味しそうにその煙を吸い込む。

 ローガはタバコの臭いをあまり好かなかったが、昼食とタバコの匂のおかげで立ちこめる悪臭を一時忘れることができたので、あまり悪い気はしなかった。


 その時である。


 悲しいかな、彼らがそうして少しの油断を見せたのを見計らったかのように、猛烈な爆音と地響きが二人の新兵の五感を叩きつけたのだ。


 掩体壕が激しく揺れ、ローガがそれに気づくか気づかないかのうちに、今度は天井から大量の土砂が降り注ぐ。

 ぐんっと土砂の重みがのしかかり、ローガとシンカはあっというまに泥まみれになった。

 どうやら至近距離に砲弾が着弾したらしい、このままでは生き埋めにされてしまう。そう思うより先に体が動いた。


 ローガとシンカは飛び上がって叫び声をあげ、飯盒もタバコも放り出して一目散に光差す出口へと向かったのだ。

 そしてローガの方が一足早く、段差になった入り口に手足をかけて這い出そうと試みたのだが、その時背中に何かが引っ掛かった。

 ローガの足は空転し、その勢いのままこけたローガは、激しく顔面を泥に打ち付けてしまう。

 思わずぎゃふんと声を上げ、大急ぎで振り返ってみると、ローガの背中がカプタナに掴まれている。実は何かが引っかかったのではなく、彼によって大急ぎで掩壕の中に引き留められたのだった。


「まて! 死ぬつもりか!」


 カプタナは二人を外へ出すまいと必死に引き留めたが、二人には彼の制止など耳に入らず、我も忘れて必死に這い出そうと試みた。

 結局見かねたカマルが加勢して、二人がかりで羽交い絞めにされ、叩きつけるように掩壕内の床に座らされてしまった。

 後ろをついてきていたシンカも同じようにプラカシュとマヘンドラに掴まれて、大暴れしながらローガの隣に座らせられる。


「急がないと! 生き埋めにされちまう!」


 ローガはまだ動揺して訴えた。


「馬鹿言うな! 外へ出たら砲弾に吹き飛ばされるぞ!」

「大丈夫だ! 直撃はしてない! 崩れたりしないから落ち着け!」

「そうだ! 中なら安全だ! 出ようなんて思うな!」


 未だ落ち着きを取り戻せず動揺している二人に、泥まみれの古株たちはそう口々にまくし立てた。そうして今度はプラカシュがタバコに火をつけ直しながら続ける。


「今までにも砲弾が直撃した塹壕はいくつかあったがな、そういう時は気づいたら全員埋まってるもんなのさ、逃げる暇もなく全員生き埋めにされてたよ。外へ逃げてもそうやって慌てる奴は右も左も分からねえで頭を出して撃ち殺されるか、他の砲弾に吹き飛ばされるのがオチだ。中にいる限りは砲弾の破片が飛び込んでくることはねえ、外よりよっぽど安全だ」


 今度はカプタナが二人を諭す。


「こういう事はよくある。安全とは言え作りは簡素だからな、ちょっとした振動で土が降ってくるんだ。あれくらいの至近弾もそう珍しい事じゃない。いちいち気にしていたら身が持たないぞ? 慣れることだな」


 こんな状況に慣れろだと? そんな言い分にはローガもシンカも納得がいかなかった。こんな場所で生活するなど冗談じゃない。

 だが古参の彼らは動揺することもなく、やれやれと言った具合に元いた場所へ戻って行くので、実際問題慣れるしかないのだと諦めざるを得ないようだ。

 それどころか、隅に一人座るガラタに至ってはまるで何事もなかったかのように黙々と食事を続けているではないか。二人には、とてもその様がまともには思えなかった。

 我も忘れて逃げ出そうとしていたのだから、そこだけ見れば錯乱しているのは新人の二人だ。


 だがしかし、この状況で動揺しない奴がいようか? 

 慌てふためいて逃げ延びようとするのが正常な反応ではないのか?

 冷静さを保ち続けている彼らの方が異常ではないか。

 この状況を当たり前のことと受け入れていることの方が余程どうかしているではないか。


 ローガはそう思って次第に苛立ちを覚えたが、イかれた奴らに囲まれていてはその苛立ちを表に出すこともできない。ローガはぐっとこらえ、黙って気を静めるしかできなかった。

 シンカも似たような心持だ。二人は肩で息をしながら開ききった瞳孔で見つめ合い、お互いの無事を確かめ合った。

 そしてカプタナがそんな二人に更に語り掛ける。


「いいこと教えといてやる、生き埋めになって死ぬのはまだマシだ、一瞬でケリがつくからな。怖いのは疫病だ。ここで死ぬ奴で一番多いのも疫病だ。もう雨期に入っているから余計にひどくなるだろうな、蚊とネズミが呪いを運ぶから気をつけた方がいい。雨と泥で腐るのは死体だけじゃない。食い物も水浸しの足も腐る。そうして腐ったところから呪いは広がるからな、充分気をつけるんだ。高熱や吐き気や頭痛に見舞われて、苦しみながらじわじわ死ぬんだ。それから次に死ぬ奴が多いのは餓死だ。飢えて死ぬのも苦しいぞ、頭が回らなくて何も考えられなくなる。敵と戦って死ぬなんてのはまだ運がいい。だがそれでも場所によっては死体が回収できなかったりする。泥にまみれて腐るのを待つことになるんだ」


 ローガとシンカはカプタナの言葉にか細く頷くしかできなかった。

 カプタナはなおも続ける。


「ついでだからお前たちの仕事も教えといてやる。なに、至って簡単な仕事だよ、誰でもできる。まず第一に穴を掘ることだ。塹壕線や掩体壕が無けりゃ話にならん。それで穴ができたらその穴を見張る。穴が壊れたらまた直す。敵が攻めて来たら穴を守って、余力があるなら敵の穴を奪う。それが俺たちの仕事だ」


 続けて酒瓶を片手にプラカシュが二人に語り掛けた。


「へへ、暇なときはてめぇらのイチモツを穴にでもぶち込んどくんだな。なあガキ共よ、お前らがどうしてこんなところに来ちまったかは知らないがな、英雄になろうだなんて考えてるんなら、そんな考えさっさと捨てちまった方がいい。ここにはそんな奴誰一人いやしねぇ、勝利の喜びも、甘美な死もありゃしねえんだよ」


 もはや二人には返す言葉も無くなっていた。ただ怯えて古参達の言葉を聞くので精一杯なのだ。

 二人はまだ敵の姿を見てすらいない、それでも自分がここへ来たのは間違いだったと疑い始めていた。

 安全な後方で、両親と共に大人しく家で過ごしていればよかったのだ。そう思わざるを得なかったのだ。


「まあまあ、まだこっちへ来たばかりじゃないか。ここでの暮らしにも楽しいことはある」


 そう語り掛けながら、マヘンドラが二人に近づき肩を叩いてくれた。


「確かに死ぬ奴も多いがな、俺たちはこうして生きてるじゃないか」


 むさ苦しいオジサン相手でも、こんな状況で慰められれば悪い気はしない。新兵二人も幾分か落ち着きを取り戻し始めていた。


 だがその時である。


 掩壕の奥で、一人座っていたガラタが突然すっくと立ち上がった。

 カマルがそれに気づき「どうした姫さんよ?」と声をかけたが、ガラタは返事をすることもなく、険しい顔つきで出口へと早足で向かってしまった。

 そのままガラタは出口から顔を出し、キョロキョロと何やら外の様子を確認し始める。

「おいおいどうしたんだよ」と他のおじさん達も不思議がって突き出された尻を眺めだす。


 そうして暫くして、ガラタは急いで振り返ってから、真剣な面持ちで叫んだ。


「砲撃が止んだ!」


 新兵の二人には、それが何を意味するのか理解できていなかった。だが古参の兵たちはその言葉を聞いて一瞬にして表情を変える。そしてあからさまに空気が張り詰めて行くのがローガ達にも分かった。


「お前たち急いで準備しろ!」


 カプタナが大声で叫ぶと、ガラタも一旦掩壕の中に戻り、皆慌ただしく自分の銃や装備品を確認し始めた。

 ローガとシンカは何が起こっているのか状況が呑み込めず、おどおどとその様子を眺めた。


「い、いったい何が起きたんですか?」


 シンカが聞くと、カプタナが弾倉に弾を込めながら「砲撃は攻撃前の準備だ! 奴らすぐに攻めてくるぞ!」と二人を怒鳴りつけた。


「直ぐに用意して、こっちが砲撃の損害を回復する前に叩くのが奴らの狙いだ!」


 と、ガラタも準備をしながら二人を怒鳴りつける。


「お前ら到着早々災難だな。せいぜい神にでも祈っておくといいぜ」


 カマルも準備を進めながら皮肉を言った。

 とにかく急いで戦闘準備を整えなければならないらしい。とようやく理解し、二人も大慌てで装備の確認を始める。


 なんのことはない、こういう準備は訓練学校で飽きるほど繰り返して来たことだ。それでもいざ本番となると焦りで手元が狂う。おぼつかない手で銃の点検をして、身の回りの装備を確認していった。


 そして準備の終えた者から大急ぎで外に出ていくと、既に周囲の掩壕からも続々人が出てきており、外の塹壕は行き交う兵士たちで慌ただしくごった返していた。

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