レーション

 三十分ほど経ったころ、牛車は砲撃に晒されながらも無事に野営地へと到着した。


 ここは小さな農村を間借りした野営地だ。

 この村も敵の砲撃に晒されているようで、そこいらの建物が崩れていたり、砲弾の穴があちこちに空いていたりと散々な有様である。


 ひっきりなしに行きかう兵士達は、時折飛来する砲弾に一瞬時が止まったように皆揃って地面に伏せ、そして再び秒針が動き出すように揃って立ち上がり、元の作業に戻るのを繰り返していた。


 そして何よりローガの目に印象的に映ったのは、村の入り口に吊るされた男の死体だった。ローガは最初、これを首つり自殺をした者の遺体だと思ったのだが、そんなものを放置しておくなど不可解だと考えてよくよく見ると、その男の首からは木札が掛けられている。


 すれ違いざまに見えた文字には『裏切者』とナイフで彫られていた。


 ローガはそれを見て気分は悪くなったが、ぞっとするほどでも無かった。

 あの将校の拳銃に撃たれるか、首を吊らされるかの違いでしかない。だがここに来るまでの間に砲撃に晒されることのなかった『幸運』な新兵にとっては、この首吊り死体がよい気付け薬になるという寸法だ。


 皆が牛車を降りると、現地にいた衛生兵数人が急いで駆けて来て、牛車の中から負傷者を運び出しにかかった。

 歩けるものは衛生兵たちの先導に従って野戦病院へと自力で歩いていき、動けぬものはローガ達も手伝って順々に運び出した。とは言っても、運び出す負傷者のうち二人はここに来るまでの間に出血多量で絶命しており、死体と化している。衛生兵たちはその死体も同じようにどこかへ運んで行ってしまった。


 彼らが運ばれていった先は、いつか自分も世話になるかもしれない場所である。ローガ気になってしばらく彼らが運ばれる様子を眺めたが、すぐに将校に呼び出されて点呼を取ることになったので、結局行く末を見届けられずにその場を後にした。


 新兵達は将校に急かされながら、砲弾が降り注ぐ村の中心にある広場へ集まった。数人の将校を前に、既に満身創痍の新兵達がきれいに整列する。一番近くの建物まで五メートルはあり、遮るもののない今彼らの頭上から砲弾が降り注げばまとめてお陀仏だ。

 だが将校達も他の兵たちもそんなことはお構いなしといった様子で、さっさと点呼を取り始めてしまう。端から順番に名前が呼ばれていったのだが、結局三分の一くらいは返事をすることは無かった。まだ敵の姿を見てすらいないというのに、もう同期達の三人に一人は死ぬか、戦闘不能になったと言うわけである。

 ローガにとって幸福だったのは、自分自身がその三分の二に入れたことと、彼が最も信頼を寄せていたシンカも同じように生き延びていたことだった。


 そうして点呼を終え、新兵達は散り散りになって各々が世話になる分隊へと合流することになった。ローガとシンカの二人はたまたま運よく同じ分隊に配属となり、将校に言われた通りカプタナという男と合流する。彼がこれから二人の上官となる男だ。


「あんたらか? 新兵のくせに辛気臭い面してやがる」


 このカプタナという男は、軍服のボタンを外して着崩しており、薄く髭の生えた顔立ちは遊び人と言った雰囲気で、どうにも信用の置けない男のように見えた。

 そして両手にはなぜか数人分の飯盒をジャラジャラと持っている。

 ローガとシンカはこの男に相対するとすぐに、今まで習ってきた通り仰々しく敬礼をして見せた。


「「ローガ二等兵! シンカ二等兵! ただいま着任しました!」」


 こういう時は同じように敬礼を返すのが通例である。だがカプタナはそんな素振りを微塵も見せず、けだるそうに返事をした。


「あー……休め。俺はカプタナ、先任曹長だ。とりあえずそういう堅物みたいなのはナシにしろ、二人ともとにかくこれを持ってついてこい」


 カプタナは直立不動の姿勢を崩さない二人に、両手に持った飯盒を突き出した。

 予想だにしない対応に困惑する二人だったが、とにかく飯盒を持つのが上官の命令とあらば断われない。二人は敬礼する腕を下ろして飯盒を受け取った。

 するとカプタナは「よーし行くぞ」と言ってさっさとどこかへ歩いていってしまうので、慌てて二人も後を追いかけた。


 あまり歓迎された雰囲気でないのは引っかかるものの、カラカラと音を立てる空の飯盒を持たされたということは、つまりそういうことだ。ローガとシンカの二人は食い物にありつけると期待した。


「お前たち、最後に飯を食ったのはいつだ?」


 案の定期待通りの問いが来たので、二人は戦地に来てから一番元気よく返事をしてみせた。


「はい! 昨日の夜が最後であります!」

「その夜もパン一切れで、もう腹が減って仕方がなかったところです!」

「そうかー、ならお前たちは今日飯抜きだな」

「え? それは一体どういうことですか?」

「俺達は昨日丸一日飯にありついてない。お前たちは明日の配給まで待て」

「ですが、それはあんまりです!」

「さっきだって砲撃を受けて散々動いたんですよ! もう疲れて死にそうです!」

「到着前に攻撃を受けたのは災難だがな。一日二日飯が食えないなんて当たり前にある。今のうちに身体をならしておけ」


 二人は期待を裏切られ、手に持った飯盒を今すぐ放り出してしまいたくなった。だいたい自分たちが聞かされていた戦場の様子とはあまりに乖離している。我々は国の威信を背負った兵士だ。一番に飯にありつくべき存在のはずだ。それがなぜ飯を食えない? その疑問はそのままカプタナへとぶつけられた。


「信じられません! 我々はナヤーム国の命運を背負った兵士ですよ?! それがなぜ? 食事ひとつまともに摂れないんですか?」


「いいか? ここから本国まで牛車で三日はかかる。俺達が飯を食いたいと言ってから飯が届くまでは、少なくとも往復六日かかるんだ。だが当然そんなことは見越して事前に食料は送ってくれる。ここまではいい、だが飯を運ぶにはシャンダビカの国内を経由しなきゃならない。あの国は俺たちが解放したがな、未だに残党や野盗がひしめき合ってるんだ。シャンダビカを抜けたとしても、ここはフタデサの領土内だ。同じように残党が居やがる。だから食い物の到着はいくらでも遅れるし、奪われてそっくりそのまま無くなっちまうこともある。それから運よく前線まで食べ物が来たとしよう、ここは御覧の通り砲弾の嵐だ。食い物が吹き飛ばされることもあるし、コックが吹き飛ばされることもある。今はまだマシだが、昨日みたいにもっと砲撃がひどければ掩蔽豪から出ることもままならないんだ。そんでどうにか飯を取りに行けたとしても、お前たちが吹き飛ばされれば食い物も灰になっちまう。わかるか? 食い物はそれだけ貴重なんだ」


 カプタナのその説明を聞いてしまっては二人とも納得せざるを得なかった。

 とはいえそれで腹の虫が治まるわけでもない「ですが……」となお食い下がろうとする二人を見て、カプタナはその足を止めた。


「それならな、ここにはここの流儀がある。お前たち、タバコや酒か、なんでもいい何か持ってるなら交換してやろう」


 これを聞いてシンカはハッとし、残っていたタバコをカプタナに差し出した。だがローガはというと既に酒を飲み干してしまっていたので、めぼしいものは思い当たらない。結局、明らかに不釣り合いな懐中時計を差し出すことにした。


 しかしカプタナは「そんなもの何の役にも立たない、どうせ死体からくすねられるしな」と言ってのける。ローガ懐中時計では相手にしてもらえなかった。


 結局シンカだけが取引に成功し、カプタナにタバコをまるまる差し出したおかげで食事にありつける運びとなった。

 このままではローガは今日の飯にありつくことは叶わない。だが幸いシンカがそんなローガを見兼ねて半分分けてくれるとのことになったので、ひとまずローガも食事にありつけることとなった。


 こうして交渉がまとまり再び歩き出したのだが、またどこからともなく牛の唸るような鈍い風切り音が鳴り、ローガとシンカは慌てて地面に突っ伏した。

 これはさっき散々お世話になった砲弾の音である。

 二人は飯盒を勢いよく地面に打ち付けて。ガラガラと盛大に音を鳴らすのも構わずに地面に頭をこすりつけた。

 だがカプタナはお構いなしに突っ立ったままだ。


「カプタナさん何やってるんですか!」

「大丈夫だから立て。今のは長射程の重砲だ、この辺りには落ちない。もっと後方に落ちる」

「で、でも俺たちはあれにやられたんですよ!」


 ローガやシンカは正しくこの砲撃の音に苦しめられていたので、大丈夫と言われても安心できやしない。さっきの惨状を思い出して震えていた。


「いいから立て、飯盒が泥だらけになっちまうだろ?」


 カプタナが呆れた様子で手を差し伸べるので、二人は恐る恐る立ち上がる。


「あの重い砲弾は後ろの砲撃陣地を狙ってるんだ。俺たちが世話になることはあまりない。それよりももっと音の高い砲弾に気をつけろ、この辺りにはそういうのが落ちてくる。全部の砲弾をいちいち気にしてたら身が持たんからな、早く慣れることだ」


 カプタナは何事も無かったかのように歩き始めてしまい、まだ足元のおぼつかない二人は慌ててその背中を追いかけていった。


 暫くするとスパイスの美味しい香りが漂い始め、三人は食料配給所へと到着する。村の食堂を間借りしているのだが、建物の中は倉庫か何かにしているようで、店の前にけん引式のフィールドキッチンを置いてそこで調理がされていた。

 小太りの炊事兵は、百人前はあろうかという大鍋で豆のスープを煮込んでおり、その前にはローガ達と同じように飯盒を持った兵士達が並んでいる。

 そしてローガとシンカもその列に並んだのだが、カプタナは「ちょっと用事がある、砲撃に驚いて飯をぶちまけるなよ」と釘を刺して一人でどこかへ行ってしまった。

 残された二人が並ぶ列には、三十人ほどの兵士が並んでいる。だがいかんせん砲撃の真っただ中なので、他にこれだけ味方がいても気が気ではなかった。いつ自分たちの頭上に砲弾が降ってくるとも分からないし、列に並ぶ時間は無限にも感じられる。

 それでも前に並ぶ兵士達は平然としているし、列が少し進めばその分後ろに人が増えていっていた。

 これで唯一頼れるカプタナが傍にいてくれればいいものの、彼もどこかへいってしまっているので、二人は無限の回廊に取り残されたような気分になってしまっていた。


 それでも着々と列は進むので、しばらくして砲弾の餌食になることも無く二人は先頭までたどり着くことができた。

 コックの前に飯盒を差し出すと、順々に豆のスープを注いでくれる。だがレンズ豆以外に具らしい具はなく、スープ自体も底が見えるほどに薄い。こんなものじゃ腹は満たせないだろう。

 次に別のコックからチャパティ(未発酵の平たいパンの一種)を人数分手渡されて、二人はそれを布に包んでおいた。


 こうしてひとまず配給を受け取って列を抜けた頃、丁度カプタナも戻ってきて二人と合流した。カプタナはいつの間にやら干し肉と酒とタバコを手に入れており、隠すように包んだ布の隙間からそれをチラリと見せてくれた。

 しかしそれについて二人が追及しても、カプタナは「企業秘密だ」と言うだけで詳細は教えてくれない。どうやらここで生き延びるにはそれなりの処世術が必要だということが何となく二人にも分かってきた。


 ひとまず、補充要員であるローガとシンカとの合流と、食料の調達という目的は達したので、三人はいよいよ最前線で待つ他の仲間の元へ向かうこととなった。

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