ジャンキー
店を出たローガの周りには、戦時中とは思えないほど活気に溢れた町の姿が広がっている。
ローガはうんざりとしながら歩き出し、家路につくこととした。
彼らのいた店は、ナヤームという国の名をそのまま冠したこの街の中でも特に栄えた大通りにあって、ローガのすぐ横を人や馬車、野放しにされた牛等ががひっきりなしに行きかっていた。
通りを覆うように立ち並ぶ建物は、皆白い漆喰でできており、装飾の施された壁は二~三階ほどの高さで立ち並んでいる。また、その建物群にごちゃごちゃと看板や
この街が存在する
そして
その為ほんの五十年程前までは見られなかった規格化された工業製品なども存在し、ローガの目に映る街の中でも食器や銃火器、織物等としてその姿を確認することができた。
さらにその滅びの後、人類には獣の耳や尻尾を生やした人間が生まれるようになった。
犬や猫のような動物の特徴を持つ人間で、この世界ではごく一般的に見られる。この町でも彼らがごく当たり前に道を行き交っており、さっきの話で事件の被害に遭っていたのも彼らのことだ。
ローガの幼少期まで獣人は珍しいものではなかったのだが、ローガが出征してから帰ってくるまでの一年足らずで明らかに数が減り、あまり見られなくなっている。
数年前から獣人排斥の機運が高まり、戦争が始まると共に表だって迫害を受けるようになっていたのだ。特にここ数日は、例の「水晶の道」などという暴動のせいで、未だ拘束されたままの獣人も多い。
ローガも先ほどの話を聞いたうえで周囲の商店をなんとなしに見回してみたが、たしかに襲撃を受けたのであろう入り口の壊された店がちらほらとある。
そして壊された店の前を通ってみれば、話通りガラスの破片が無数に散らばっており、日の光に照らされてキラキラと輝いているのが分かった。
そしてその店の中には、みすぼらしい姿で片付けをする獣人の姿がある。彼も先日の襲撃の被害を受けた一人というわけだ。
そのほか町中を歩く獣人達を見ても、やはり皆みすぼらしい恰好をしている。以前から低所得者や奴隷に獣人が多いのも確かだったのだが、ついこの間戻ったばかりのローガの目から見ても、彼らは以前より明らかにみすぼらしくなり、余計に生活水準が落ちていることが見て取れた。
それどころか、今のご時世にヒト族に紛れて行動できているなど、人間としてでなく、財産として保護される奴隷の獣人族くらいのものだ。
それを裏付けるかのように、表の通りからチラリと見えた裏道では、獣人の女が暴行を受けている姿が見えた。
人権の無いはずの車や家を無闇に壊さないのと同じように、奴隷を傷つけたとあらば所有者から損害賠償を請求されてしまう。あの獣人の女は自由人だ。
恐らく暴行をしているあのヒトは逮捕されるだろう。獣人を暴行したからではなく、汚れた獣人と交わって民族の血を穢した罪として。
ローガは一瞬止めに入ろうかとも考えたが、結局無視して家路を急ぐことにした。
いざこざに巻き込まれてもいいことはないし、そもそもいちいち関わっていてはきりがない。
そうしてしばらく歩いていると、道が少し開けて広場に出た。ここが街の中心地だ。お役所や、国教でもあるパヴィトラ教の大きな寺院がある。
今朝店へ出掛ける時もそうだったのだが、広場には大勢人が集まっていて、群衆の中心にある処刑台で公開処刑が行われているようだ。
行きに見たときから数時間は経っているというのに、未だに処刑を続けているのを見てローガは半ば呆れてしまった。昔は公開処刑なんて言ったら週に一度あるかないかの一大イベントだったというのに。
おそらくこの処刑は日が暮れるまで続くのだろう。処刑の順番を待つ獣人達が何人も檻に入れられている。彼らを殺しきるのは一日がかりになるに違いない。
それで明日になったらまた次の犠牲者を用意するというわけだ。
とにかく、ローガはそんな処刑なんぞにはまるっきり興味もなく、無視してさっさとこの広場も後にすることにした。
そうしてまたしばらく歩き、商店街から住宅街に差し掛かった頃、ローガは一軒の家の門をくぐった。
特別大きいわけでも、かといって小さいわけでもない、この辺りではごく一般的なこの家が彼の実家だった。
ローガは何か後ろめたさを感じたのか分からないが、わざわざ音を立てないようこっそりと我が家の玄関を開けて中を覗き込んだ。
ギギギと木戸のきしむ音がして、薄暗い屋内が視界に映る。
冷たい土の匂いを感じながら、再び音を立てないように玄関を閉めると、奥から一人の少女が現れた。
「お、お帰りなさいませ……」
出迎えをしてくれたのはこの家の、正確にはローガの父親の買った奴隷の少女だった。
彼女は「ルーウェン」という名で、セミロングの黒髪と、黒い猫の耳と尻尾が特徴のまだ齢十三の少女だ。
ローガは、怯えた様子でよそよそしいその少女に、ボソッと返事をして見せた。
「ああ、ただいま」
「あの、ずいぶん早かったんですね……」
「ああ、なんだか嫌気がさしてな」
「そうですか……」
ルーウェンは傷だらけの手をまごまごと弄っている。さらに額には今朝はなかったはずのあざがあった。
「また親父にやられたのか?」
少女はとっさにうつむいて額のあざを隠し、答えづらそうに黙ったが、しばらくして「はい、そうです」とか細い声で答えた。
「親父はどこにいる?」
ローガは呆れたと言わんばかりに、上着かけに上着をかけてからそう聞いた。
「居間で寝ています」
「分かった」
ローガは怯える少女の横をすり抜けて居間へと向かう。
居間へ入ってみると、確かにそこには、手足をぶらんと放りだし、椅子で寝ているローガの父親の姿があった。
いや、寝ているという表現は適切ではないだろう。全身から力が抜けきって放心状態になっていると表現した方が適切だ。
そして父親の座る椅子の前のテーブルには、酒とタバコの吸い殻、そして注射器が何本か置かれている。
「やめろといっただろ!」
ローガは語気を荒げ、足早に父親の元へと駆け寄った。ローガが反応の無い父親の腕を持ち上げて肘の裏をさすってみると、そこには新しくできた注射の跡がある。
「いったいどこに隠していやがったんだ!」
ローガの呼びかけに、父親は反応しない。ただぼーっと虚空を見つめたままだ。
ローガは机の上の注射器をまとめて取り上げると、後から居間に入ってきたルーウェンに「屑籠をもってきてくれ」と指示した。
ルーウェンは怯えながらも、急いで自分の仕事をすべきと察し、返事をしながら動き出す。
ローガは彼女が屑籠を持ってくると、彼女に両手で屑籠を持たせたまま、そこへ注射器や吸い殻を放り込んでいった。
するとその音に反応してようやく父親が声を発した。
「お前ら何してる……? それは俺のものだ!」
さっきまで放心状態だった父親は、まるでバネが飛ぶようにいきなり立ち上がり、ルーウェンの元へと駆け寄った。
そしてあろうことか彼女の頬を殴りつけて強引に屑籠を奪い取ったのだ。
「きゃぁ!」とルーウェンは悲鳴を上げて地面に倒れこむ。
さっきまで微動だにしなかった男がいきなり元気に動き出したので、ローガも反応ができていなかった。
「親父! なにしやがる!」
ローガは慌てて実の父親に掴みかかり、奪われた屑籠を無理やり引きはがそうとするが、父親もタダでは返そうとしない。
「ふざけるな! これは俺の薬だ!」
父親は異様なまでに瞼を見開いてローガを睨みつけた。
「こんなもの薬なんかじゃない! 穢れた劇薬だ!」
「適当なことを言いやがって! これは医者から処方されたものだぞ!」
父親の言い分は間違いではなかった。史実でも中近世には、れっきとした医者が麻薬の類を売ることは一般的にあったのだ。そして今親子で奪い合っている薬は、正しく今この街で流行っている危険な麻薬の一種だった。
「ふざけるなこのクソガキめ!」
しびれを切らした父親は、実の息子に向かって殴りかかろうとこぶしを振り上げた。
しかし従軍経験があるローガにとって、ふらふらの薬物中毒者の攻撃をいなすことなど造作もなく、ローガはあっさりとそのこぶしをかわしてそのまま父親を地面に組み伏せて見せた。
「いたい! いたい!」
父親はまるで子供のように苦痛を訴えるが、ローガはその手を緩めようとはしない。
「あれだけ言っただろ! どうしてまだあの薬をやってるんだ!」
ローガが父親の上から罵声を浴びせるなか、件の薬は二人の手を離れて屑籠から飛び出し、床に散らばっていた。
「何が! ……悪い! あれが……なきゃ、ダメなんだ!」
うつ伏せに組み伏せられた父親は、胸部を圧迫されてうまく言葉を発せないようだ。
「あんなものに頼ったってどうにもならないだろ!」
ローガは怒りに駆られてお構いなしに怒鳴りつけたが、とうとう父親は言い返すこともできずにその場で嘔吐してしまった。
激しくせき込み、吐しゃ物を床にまき散らす父親を見て、さすがにやりすぎたと気づいたローガは、慌てて拘束を解いて立ち上がる。
本当はボコボコにしてやりたいくらいだったのだが、幸い彼の理性がそれを止めてくれたのだ。
「ふざけんなよ……」
やるせないローガの思いは、そんな捨て台詞に乗せて吐き出すしかなかった。
父親はというと、吐しゃ物にまみれた顔面をゆがめて、赤ん坊のようにわんわんと泣きだしてしまっている。
さっきまで怒りに支配されていた成人男性が、一瞬のうちに悲しみの感情に振り切れて声を上げて泣きわめく様には、嫌悪や哀れみを超えて不気味さを感じるほどだった。
ローガは息を切らしてその様子を眺めている。ひとまずこれでこの中毒者は抵抗しなくなっただろう。
「大丈夫か?」
床にへたり込んだままのルーウェンは、殴られたばかりの頬を押さえて必死に涙をこらえていた。
「は、はい……大丈夫です」
「顔見せてみろ」
ローガはルーウェンの前でしゃがむと、彼女のあごに手を添えてまじまじとその顔を見つめた。
「あ、あの……」
突然のことに驚く少女。
至近距離で異性に見つめられれば、普通は恥じらいを感じるだろう。それも殴られて涙目になった顔など同性でも見られたくはないものだ。
だが奴隷である彼女にとっては、主人であるローガから罰か何かを受けるのではという恐怖の方が勝っていた。ましてや殴られた直後のこの状況では本能が危険を回避しようと躍起になる。
「あ、あの……ごめんなさい……」
ルーウェンは咄嗟に謝罪の言葉を口にした。
「少し触るぞ」
ローガは彼女の了解も待たずに打撲痕に触れる。
「あっ、あう……」
痛みに思わず声がこぼれ、反射的に目を閉じてしまうルーウェン。しかしどうすることもできずに、そのままグッと瞼を閉じたまま痛みと恐怖に耐えるしかなかった。
「血は出ていないみたいだな、腫れもそれ程ひどくはない」
視覚で分からないながらも、ルーウェンにはローガの手が自分の頬から離れるのが分かった。
「俺の目を見ろ」
続けざまの指示に一瞬戸惑ったが、他に選択肢はないだろうと、ルーウェンは恐る恐る涙ぐんだ目でローガを見つめてみる。
「吐き気はあるか?」
「い、いいえ……」
「眩暈や手足のしびれは?」
「あ、ありません……」
「なら大丈夫そうだ。それ程ひどいケガじゃないようだし、意識もはっきりしてる。お前は少し休め、あとは俺がやっておく」
ローガはすくっと立ち上がると、何事もなかったかのように彼女の前を離れた。
「え、あ、あの……」
ルーウェンは状況が理解できずに困惑した。彼女は自分のような獣人が、それも奴隷の身分の人間がこういう時どういう目に合うか重々理解しているはずだった。それなのに、真っ当な問診を受けた上に休ませてもらえるなど理解できなかったのだ。
「で、ですが、私も……」
少女は自分も働くべく声をかけようとしたが、泣きじゃくる父親を担ぎ上げるローガの背中を見てそれを止めておいた。きっとこの男は返事もせずに黙々と作業を続けるだろう、と何となく察しがついたからだ。
ローガは担いだ父親を炊事場まで運び、吐しゃ物にまみれた顔を洗ってやっている。その間に少女はおずおずと居間の椅子に腰かけて休むことにしたのだが、気は休まらない。
ローガはそんな少女をそのままに、父親の顔を拭いてから両親の寝室へと担いでいった。
その間も父親は、繰り返し「寒い、寒い」とつぶやきながら震えている。
寝室へ入ると、ローガはベッドの掛布団をはがしてから父親をそこへ横たわらせた。そしてその時、ローガと父親の目が一瞬合う。
ローガ自身は何も気に留めなかったのだが、父親にとっては何か思うところがあったのだろう。今度は「すまない、許してくれ、すまない、許してくれ」と何度も何度も震えた声で言いだしたのだ。
しかしローガは何も返事をしなかった。いやできなかった。父親の言葉に応えぬまま掛布団をかけてやり、ローガは逃げるように寝室を後にした。
居間に戻ってみると、休んでいたはずの少女はおぼつかない手で床の吐しゃ物を掃除している。
「いいって言ったろ」
「すみません……」
ルーウェンは結局何もせずに椅子に座っているのに耐え兼ねたようだ。ローガはルーウェンの手から雑巾を取り上げると、手際よく床を拭いていく。手持無沙汰になったルーウェンは仕方なしに椅子に戻った。
主人が目の前にいるのでは、さすがに言いつけを無視して勝手に働くことはできない。
とは言え終始無言だし、寝室の方からすすり泣く声がかすかに聞こえるこの状況は、この上なく居心地が悪い。
だが、気が付けばルーウェンの中から恐怖心は消え、むしろ少し安心できていたのは幸いだっただろう。
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