【一章】燔祭

英雄の帰還

  新聞はピアノの鍵盤のようなものだ

  その弾き方によって、人々にあたかも天国を地獄に

  地獄を天国に思わせることも出来る


  

  【アドルフヒトラー】





  パヴィトラ歴810年チャイトラの月4日(サ・ダワ)



「おい、ローガ」

「聞いてるのか? ローガ」


 ローガと呼ばれた男は、その呼びかけにはっとして顔を上げた。


「あ、ああ。すまない……」

「どうしたんだ? ボーっとして」


 ローガの前には三人の男が座っている。彼らは不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。


「いや、その……夢を思い出してたんだ」

「夢? なんだいそりゃ」

「昨日の夜見た夢のことが、どうしても気になって……」

「夢? いったいなんの話だ?」

「いい女でも出てきたんじゃないか?」


 女の話を持ち出した中年の男がニヤけてみせるが、ローガという若い男は心ここにあらずといった具合で虚ろに口をぽかんとさせている。


「いや、そうじゃなくてだな……」

「夢なんて今はどうだっていいじゃないですか。とにかくごちそう食べて、酒を飲んで元気を出さないと!」

「そうだぞローガ、今日はお前が戦地から無事に帰った祝いなんだ、主賓のお前がそんなんじゃ仕方がないじゃないか」

「まあ、無理もないですよ、一昨日まで病室で気を失ってたんですから。まだ本調子じゃないんでしょう」

「あと数日起きるのが早けりゃ正月を楽しめたってのにもったいない奴だ」


 ローガと共に席を囲む男たちは、彼の友人や世話になった人達で、今日この場はローガの為に設けられた宴の席だった。


 一行は街の飲み屋に居座っている。その店内は昼間にガス灯を点灯しないので、ガラス窓にゆがめられた日差しが仄かに差し込むだけで薄暗い。

 ローガを含め男四人が囲むテーブルには、大判の皿にダルバート(ネパール等で一般的に食べられる料理)や、鳥や水牛、ヤギの大きなグリルが並べられ、ふんだんに使われた香辛料のエスニックな香りが店じゅうに立ち込めていた。

 またそれ以外にも机から溢れんばかりに料理が並べられていて、コップには白く濁った焼酎が注がれている。

 ドロっとして酸味があり大味な酒だが、彼らの国では一般的な酒だ。


「まあまあ、とりあえずどんどん食べなよ。去年の蝗害(バッタの大量発生)の影響がやっと落ち着いて、ようやく野菜が満足に食えるようになったんだ。沢山食って調子を取り戻すといいよ」


 そうローガに語りかけたのはローガの幼馴染だ。学があるので大学へ進学していた男だった。


「今日は祝いだからヤギも一匹絞めて出したんだ。こういう祝いじゃなきゃなかなか食えないぞ」


 そう言って中年の男が、ローガの皿にヤギのグリルをどんどん盛り付けていく。彼はローガの父親と仲のいい男で、小さい頃からローガも世話になっていた。


「なんでも戦地優先ですからね、私たちもこんな豪華な食事久しぶりですよ」


 もう一人の彼は、ローガの通った学校の後輩にあたる男だった。


「国の威信のかかった兵隊様だからな、ローガも普段からこんないい食事を食ってたんだろ?」

「……いや、こんないい食事はしばらく食ってない。だいたい、前線じゃ満足に食事をする余裕なんてないさ……」

「そうなのか? 食事が満足にできなければまともに戦うこともできないだろうに、町の憲兵達に苦情を言った方がいいかもしれないな」

「そうですよ! 前線の英雄達にちゃんと食事が出てないなんて知れたら国家の恥だ」

「いや、だが……。あんたらは前線の事情を分かっていない、そんなことしたって無駄だ」 

「確かに僕たちは戦地を直接見たわけじゃないですが、新聞やみんなの話でしっかり情報は仕入れているつもりですよ」

「そうだよローガ。前線の君たちだけが戦っているわけじゃない。僕たちだって同じ市民として僕たちにできるやり方で戦っているんだ」

「彼の言う通りだ。俺たちだってのうのうと気楽に生きているわけじゃないんだぜ? 俺たちにできる戦いをしているんだ」

「そうですよ、僕らにできることは少ないけど。僕たちだって頑張ってるんですから!」


 意気揚々と語る三人に対し、ローガは明らかな温度差を感じていた。


「そうじゃないんだ……あんたらは何もわかっちゃいない……」


 しかし当の三人はそんな様子をくみ取ることもなく、さも当然のように話し続ける。


「最近この町でも大きな出来事があったんだぞ。忌々しい獣人族の男が、パヴィトラ教の僧侶を殺しやがったんだ。それで住民が怒って大騒ぎさ」

「そこらじゅう獣人の店や家を破壊して回って制裁を加えたんだよ。暴動の落ち着いた朝にはそこらに奴らの死体が転がって、数千人が逮捕されたそうだよ」


 ローガはそう言われて振り返ってみると、正月明けとは言えやたらと街じゅうが荒れているな、と朝ここへ来るまでの間に感じていたのを思い出した。


「……そうだったのか、どおりでそこらじゅう散らかってるわけだ。それだけ逮捕者が出たなら相当な暴動だったんだろうな」

「ローガさんが目を覚ます一週間前くらいの出来事ですね。割られた窓ガラスがキラキラ輝いていたから【水晶の道事件】なんて呼ぶ人も中にはいるくらいですよ」

「しかし、せっかく大勢奴らを逮捕したってのに、結局ほとんどが釈放されたってのは釈然としねぇな」


 ローガは年長の男の言うことが理解できずに首を傾げた。


「一応釈放後に奴隷に落とせた人も多いそうですから、よしとしましょうよ。それよりも重要なのは金銭的な被害ですよ。今回の暴動が町の経済に与えた打撃は図り知れませんから。ただでさえ戦時経済で大変だっていうのに」

「そうだね、こんなに物を破壊するぐらいなら獣人をものの二百人ほどバラした方がよほどよかったよ」

「どうだいローガ。俺たち市民も俺たちにできることで奴らと戦っているんだ」


 ローガはただ唖然として返す言葉も無かった。ローガは最初、逮捕されたのが暴動を起こしたヒト族だと思っていたのだが、どうやら彼らの話ぶりからして逮捕されたのは被害者のはずの獣人族らしい。


「本当は僕も、ローガさんと一緒に戦えればそれが一番良かったんですけどねぇ」

「そういえば、この間志願兵の募集年齢が引き下げられていたよな。お前ももう兵隊になれるはずだぞ」


 最年少の男は、年長の男の発言に目を輝かせた。


「当然もう志願しましたよ!」

「本当か!」

「よくやったな!」

「ええ、これで僕も戦えます!」


 ローガは若き後輩のその発言に目をまん丸くさせた。


「まて、お前本気で言ってるのか?お前今いくつだ?」

「今年で十五になります!」


 ローガは「はぁ」とため息をついて。深く椅子に寄り掛かった。


「今すぐ志願を取り下げろ、お前みたいなガキが無駄死にするのを何度も見てきた。お前まで地獄に出る必要はない」

「大丈夫ですよローガさん!僕はそこらの奴とは違いますから! 敵をばんばん倒してすぐローガさんに追いつきます!」


 後輩分の男はローガの警告を聞きながらあっけらかんとしている。


「はっはっはっ! 分かったぞローガ。お前さん後輩に先を越されると思ってビビッてるんじゃないのか?」

「違う。そういうことじゃないんだ」

「今日はこの若き兵士、いや新たな英雄の誕生祝いにもなったな!」

「英雄だなんてそんな……僕はそんなに偉い人じゃないですよ」


 後輩分の男は照れながら首をかしげて見せた。


「大丈夫、君ならきっと大きな戦果を残すよ! 僕も君と一緒に戦地に出られれば良かったんだがなぁ。戦地に出れない僕の分まで頑張ってくれよ」

「ええ、もちろんです!」

「お前には学がある。その脳みそ使ってここであくせく働くのが国のためだぜ」

「そうかな、なら僕は僕にしかできないことをするよ。そうだローガ、新たな英雄の為、君の戦地での話を聞かせてくれないか?」

「そいつはいい! なぁ英雄さんよ、いったいどれくらい敵を倒してきたんだ?」


 皆がわくわくしながら一斉にローガの方を向いた。


「……よく分からない」

「分からないって? 分からないくらいたくさん倒したってことなのか? 大体の人数でもいいんだぜ」

「分からないんだ……。大勢殺したような気もするんだが、一人も殺してないような気もするんだ」

「まいったなぁ、しっかりしてくれよ英雄さん。それなら何か具体的なエピソードはないか? ほら、例えば立て続けに大勢撃ち殺しただとか。銃剣の格闘で間一髪敵を倒しただとかそういうのだ」


 ローガはしばらく黙って考えた。だが彼らの望むような答えはローガには出せなかった。


「……そんなの聞いてどうなる? 今日のごちそうのヤギをどうやって殺したかって聞くようなものじゃないか? ただ生きていくために殺しただけだ。面白くもなんともありやしない」


 そう言って、ローガはテーブルの真ん中のヤギのグリルに目配せして見せる。


「ははは! 面白いこと言うやつだな! ヤギと人間じゃ全然違うじゃないか」

「きっとローガさんにとっては、敵兵なんてヤギみたいにとるに足らないくらい弱いってことなんですよ!」

「なるほどなぁ、相手は汚らわしい獣人とはいえ、英雄の考えることはよく分からないもんだ」

「そうだ、それなら戦地での様子を聞かせてくれよ」

「そうだな、戦いのことをよく覚えてなくても、前線の様子なら何か思いつくだろ」


 ローガは再び考えた。だがやはり彼らの満足するようなエピソードは思い当たらなかった。


「なぁもういいだろ……。向こうでのことはあまり思い出したくないんだ」

「そう言わず聞かせてくれよ。今日のごちそう代があんたの土産話さ」

「あんなところ、面白いことなんてありやしない。地獄があるならたぶんあの場所のことだ」

「ローガ、君はそんな地獄から無事に帰ってきたんだね。本当に尊敬するよ」

「……ただ運がよかっただけだ」

「よくやってくれたよ。君は俺たちの英雄だ」

「そうですよ! ローガさんは英雄です。もっと誇ってもいいのに」


 彼らの称賛はお世辞などではなく、本物のものではあった。だがローガはそれを素直に受け入れることはできなかった。彼にはとても、自分が英雄だなどと思えなかったのだ。

 しかし、彼らにそれを弁明したところで無駄であろうことも充分ローガにはわかっていた。


「ローガ、回復したら戦地へ戻るのかい?」


 不思議なことに、今までと違いローガはその問いへの答えがすんなりと思いついた。


「ああ、ここにいるよりはいくらかマシだろうからな」

「戦地がここよりマシとはな! 生粋の戦士とはローガのことなんだろうな!」

「そんなんじゃない。なんだかこの町にいるのにうんざりしただけだ」

「そうかい? 男ってのは戦いを求めるものさ。戦争が終わったらトゥルパ(怪物)狩りでもしたらいいんじゃないか?」

「いいですね! 確か北のシャンダビカ国にある鉱山町で飛竜が出たとかで。このナヤームの街にも飛んでくるんじゃないかって噂ですよ? ローガさんが討伐してくれるなら安心ですね!」

「待ってくれ……俺にはトゥルパ(怪物)狩りなんて無理だ。俺には狩りのセンスなんかない。大体奴らを狩るには魔力がいる。魔術師でもなんでもない俺にはトゥルパ狩りなんかできやしない」

「大丈夫さ。確かに昔はトゥルパ狩りが魔術師の専売特許だったがな、今は銃がある。奴らの瘴気の外から攻撃すれば常人でも倒せるさ」

「戦士がそう怖気づくもんじゃないぞ! お前さんは英雄なんだからな」

「そうさ、今の戦況だってそうだよ。今の好調な勢いそのままに進撃しなければいずれ失速してしまう。ローガだって今の勢いのまま人生を突き進むべきだよ」

「そうですね! やっとサングルマーラを陥落させたんですから。このまま首都のカンティプルまで一気に攻め入るべきです! ローガさんも前進あるのみですよ!」


 ローガは彼らの語ることにひどく驚いた。それどころか、彼らがさらりと言ってのけたことは、彼にとってとても認めることのできないものですらあった。


「ま、まて……。サングルマーラが墜ちたってのは本当なのか?」

「なんだ、知らなかったのか? 丁度お前が後送されてきた頃だよ。新聞に大きな見出しでサングルマーラ突破の記事が載っててな。街じゅう大喜びさ」


 新聞に載る程なら本当なのだろう、その報せにローガは驚くどころか今度は焦りの色さえ見え始める。


「俺はサングルマーラの戦線にいたんだ。そう簡単にあの戦線が突破できるはずがない。俺はあそこに半年も張り付いてたんだぞ。ナヤーム軍が到達してから考えたら一年近くもだ! あの町を墜とすためにいったい何人死んだと思っているんだ!」


 なぜか焦るローガに、男たちは困惑の表情を見せる。だがローガにとってサングルマーラの陥落という報せはそれほどまでに驚きの事実だったのだ。


「なんでも、軍が開発した新兵器のおかげで一夜にして街を一掃したって話だ」

「なんだよ新兵器って……。それも一夜で一掃しただって? ありえない……」

「新兵器の内容は重要機密らしくて詳しくは分からないですが、本当ですよ?」

「はは、まさかローガ。自分が休んでる間に散々手間暇かけたはずの手柄を取られたからって悔しいのか?」


 その指摘はあながち間違いではなかった。確かにローガは悔しさを感じた。だがそれだけでもなかった。


「そうじゃなくて……。ただどうしても信じられないんだ。あの状況で突破なんてできるはずがないんだ……」

「悔しいのはわかるさローガ。でも味方が活路を開いてくれたんだ。喜ぶべきじゃないか?」


 ローガはまたしても黙りこんだ。ただただ唖然として。


「あの町を突破したなら、サノマダクシナの丘陵まで平地続きですよね! 確か小規模の農村ばかりで抵抗点となりうる場所も無かったはず……」

「そうだな、敗走する敵軍の背を追って一気に進撃すべきだ!」

「いいやちょっと待ってくれ、確かあの獣人達は焦土作戦を使ってくる。あろうことか自国の畑を焼き払ってから逃げるんですよ?  現地で物資が手に入らない可能性を考えず無闇に進撃すれば補給線が伸び切ってしまう!」

「確かにそうだ! それなら……」


 黙ったままのローガなどそっちのけで、男たちは今後どう軍を動かすのかについて、ああでもない、こうでもない、と議論を始めてしまう。

 ローガはもはや彼らの会話に横やりを入れる気にもなれず、黙ってしばらくその様子を眺めるしかできなかった。


「焦土にすると言っても、限界があるはずです! 広大な田畑をすべて焼き払うなんてできないはず」

「その通りだ、そもそもこの戦争はフタデサ国のヒト族とパヴィトラ教徒の開放が目的だ! 現地にも協力者がいると考えれば……」

「いやいや、希望的観測はよくない。彼らが粛清されていたらどうする? 奴らはそういう野蛮な連中だ」


 ローガを置いてきぼりにして、延々と続く彼らの議論。

 しばらくしてから、ローガはコップに注がれた焼酎の残りをクッと飲み干し、タンッとコップを置く音を響かせた。


 その音に気付いた男たちは、一時議論を止め焼酎の壺を持つと、ローガに酌を促し始める。


「ローガも、ほらもっと飲め!」

「現場の兵士の意見も貴重ですから! ローガさんはどう思いますか?」


 しかしローガは構わず椅子から立ち上がった。


「いらない。俺はもう帰る」


 男達は一体どうしてだと困惑した。


「おいおいどうしたんだ?! ここからがいいところなのに!」

「今後の軍の方針について会議するには現場で戦ったお前の意見は必要不可欠なんだ!」

「そうですよ! 英雄であるローガさんの意見をぜひ聞かせてください!」


 しかしローガは答えなかった。

 男たちの呼びかけを無視して、椅子を戻してからローガはさっさと出口へと向かう。

 店の扉から外へ出るまでのしばらくの間、ローガの背中には三人の声がしきりに浴びせられていたが、ローガは振り返りもせず。無視して外へと出たのだった。

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