年末年始の小さな恋のうた

東雲 葵

年末年始の小さな恋のうた

 寒空の下、私・赤井みどりはアルバイトに励んでいた。

 アルバイトといっても居酒屋の呼び込みという明らかにこの寒さが体に堪える仕事だ。

 1時間ごとに交代してくれるらしく、そろそろ時間なんだが…。

 と、思っていると、アルバイトの先輩が店から出てきてくれる。

 この先輩は、貫田恒樹ぬきたつねき先輩。

 大学のひとつ上の先輩で、高校時代から何かと面倒を見てもらっていて、懇意にしていて、ここのバイトも先輩から誘ってもらえた。

 見るからに重装備。

 頭にはフードを被り、ダウンジャケットを羽織っている。

 逆に私は店内の格好にマフラーを巻いただけの簡素な防寒装備。

 どう考えても死ねそうなレベルだ。

 いや、というよりもレベル差が大きすぎるだろうが!?

 私は先輩を見て、唖然としてしまったが…。


「お前、よくそんな恰好で呼び込みできていたな…。やっぱ若い奴は違うんだな…」


 いや、私が違うとかどうでもよくって、そういう重装備して良いのなら、そう教えて欲しかった。

 私は、何も知らないまま、店から出たからこんな寒い格好なんですよ!


「いや、先輩と1個しか歳の差ありませんよ!」

「あはは! そうだったな…。これはゴメンゴメン。さ、ホールを頼むよ」


 私がホールに戻ってくると、店長の威勢のいい声で指示が飛ぶ。


「みどりちゃん! 9番におしぼりとメニュー、持って行って!」

「はい!」

「みどりちゃん! 4番に生中3杯!」

「はい!」


 今日は12月31日―――。

 世の中は年越しと言われる一大イベントがあと数時間後に迫っている。

 街中にはその一大イベントを迎えようとするカップルが溢れかえっていた。

 店内も同様に年越し直前まで気分良く食事とお酒を楽しんでいるカップルが多く感じる。

 私の12月31日は怒涛の如く過ぎ去っていった。

 まあ、彼氏がいるわけではない私にとっては、こうやって慕ってくれる店長や先輩、他の従業員みんながいるだけで、憂鬱な気持ちからは解放してもらえる。

 あっという間に閉店の23時になる。


「ありがとうございましたー!」


 私が最後のお客様をお見送りすると、店長は早速レジの計算に入っている。

 慣れた手つきでお札を数え束ねていく。小銭もササッと分けられていく。


「おお! 今日は一年で1番に売り上げが出たな! 前が確か夏祭りの日だったから、まあ、やっぱ人の動きが良い日にみどりちゃんを入れておいてよかったな」

「いや、私だけじゃないですよ。大晦日に店を回してくれた、みんなのおかげですよ、店長」

「ま、客の誘導に関しては、みどりちゃんと貫田のおかげだな! よし、俺らも軽く年越し前に景気づけに一杯やっておくか!」


 店長は羽振りよく、片づけをしていたアルバイトの子たちに声を掛け、準備をしておいた食材で年を越せないものを中心に振舞ってくれた。

 私と先輩は未成年ということもあって、食事だけを頂き、飲み物は烏龍茶を飲んでいた。

 そんな楽しいひと時は「賄い」を食べる時間ということもあって、年越し前に終わる。

 みんなは「良いお年を~」という年末の決まり文句を述べながら、各々の帰路に付く。


「先輩もお疲れ様でした!」

「おう! ところで、お前どうやって帰るんだ?」

「いや、バスで帰りますけど? ほら、終日運転してるじゃないですか?」

「おいおい、お前、情報に疎すぎるぞ…。今年からバスの終日運転は初詣客を乗せる路線しかやらないんだぞ」

「え……」


 嘘でしょ!?

 普段は閉店と同時に店を飛び出し、最終バスに乗っているから何とも思っていなかったけれど、今日は閉店後にバスの終日運転を当てにして、みんなと一緒に「賄い」を頂いていた。まさか、この30分が命取りになるの!?

 私は焦って鞄からスマホを取り出すと、バス会社のホームページを見てみる。

 すると、トップ画面のお知らせの所に真っ赤な文字で、「終日運転路線削減に関するお知らせ」と書かれているではないか。

 恐る恐る私はそのリンクをタップすると、見事に私のマンション方面に帰る路線は削減対象に入っていた。

 どうしよう…。深夜料金の高いタクシーに乗って帰るしかないのか…。

 アルバイトと親からの仕送りで生計を立てている私にとって、そんなタクシー代は何としてでも払いたくない…。


「あ~、仕方ねぇなぁ…。俺の部屋に来るか? 男連中が遊びに来るから、布団くらいはあるぞ」


 先輩は私にとっての救いの神だ。

 私は半泣きの表情で先輩のほうに振り返り、


「絶対に邪魔はしません。先輩、ありがとうございます」


 懐は救われたのだった。

 先輩の家は、お店から徒歩で数分。


「あ、そうだ…。年越しの定番メニュー、食ってなかったな」


 先輩はそう言うと、コンビニに入っていく。

 私もその後について、コンビニに入る。

 コンビニは閑散としていて、BGMにはもうお正月用のお琴などが流れ始めている。

 明らかに気が早すぎる。

 まだ、15分ほどあるじゃないか。


「うーん。もうさすがに年越しそばがねぇなぁ…」

「ざるそばはありますよ、先輩」

「このクソ寒いのに、ざるそばなんか、食えるかよ! 身体温めるためにも温かいヤツが欲しいに決まってるだろ」


 私は「あ…」と言って、カップ麺コーナーに行く。

 そこには、カップラーメンと同じ列に、「赤いきつね」と「緑のたぬき」が並べられていた。


「先輩! これがいいですよ!」

「カップ麺だけど、いいのか?」

「えー? 先輩もカップ麺のレベルアップを分かってないですねぇ~。最近は天ぷらも美味しいんですよ!」

「ふーん、そうなのか…。じゃあ、それぞれ1個ずつ買うか。俺は赤いほうな」

「え、先輩、それうどんですよ?」

「まあ、いいから、見てろって…」


 先輩は「赤いきつね」と「緑のたぬき」をレジまで持っていって会計を済ませる。


「ほら、徒歩数分と言っても、今日はかなり冷え込むから、これでも飲みながら歩こうぜ」

「あ、ありがとうございます」


 先輩は私に温かいペットボトルの飲み物を手渡してきた。

 手袋を付けてない、かじかんだ手はペットボトルの温もりで再び温もりを手に入れる。

 寒くて辛い徒歩数分が温かさが優しく私を包み込んでくれた。




 先輩の部屋に着くと、早速、お湯を沸かし始めてくれる。

 確かにあと、10分くらいで年越しだ。

 別に年内に急いで食べなきゃいけないルールがあるわけではないけれど、やはり年を越す前に年越しそばは食べておきたい。

 ものの1分ほどでお湯が沸きあがると、それを「赤いきつね」と「緑のたぬき」に注ぎ込む。

 お出汁のいい匂いが鼻孔をくすぐってくる。

 さっき、「賄い」を食べたけれど、こういう落ち着いた出汁の香りに、食欲がわいてくる。

 5分が経って蓋を剥がす。


「ここで、ほら、この揚げを半分お前にやるから、その天ぷらを半分、俺に寄越せ」

「何ですか、急に…」

「折角、食べるんだったら、両方の味を楽しもうぜ」


 先輩ははにかんだ笑みで私の「緑のたぬき」に半分に切った揚げを入れてくれる。

 私は少しふやけた天ぷらを半分に割いて、先輩の「赤いきつね」に入れる。


「「いただきまーす」」


 割り箸を割って、各々の椀の縁を口につけ、汁を吸う。

 うん。美味しい。

 甘辛い出汁がさっきまで冷気で冷え切った体に温もりを与えてくれる。

 先輩は早速、揚げとうどんを啜る。見るからに美味しそうに食べるなぁ…。

 こういう人って何だか私、好きかも…。

 て、何考えてんのよ…。

 私はぼんやりと頭に浮かんだ風景を振り払い、天ぷらを少し食べ、そばを啜る。

 うん。マッチしていてとても美味しい。

 隣では先輩が、もう天ぷらとうどんを食べている。

 すっごく美味しそうに!

 出汁を飲み干して、「ふぅ…」と一息ついたとき、遠くの方から除夜の鐘が聞こえてきた。


「あけましておめでとう、だな?」

「そうですね…先輩。あけましておめでとうございます!」


 先輩同様に私もはにかんで見せる。


「ところで、みどりは新年最初にしたいことって何かあるのか?」

「え…あ、そうですね…。あ、あの…私の思いを伝えたいですね……」

「へぇ~、何か思うところがあるのか?」


 もう! 先輩って凄く鈍感なんだから!


「あ、あの…、私、せ、先輩のことがす、す、す、好きなんです!」

「え……」


 私が勇気を振り絞って言い切った。

 言ったぞ! 何か、反応してくださいよ!


「あ…う、うん。本当に俺でいいのか?」

「はい! 先輩のことが好きなんです」

「そっか…。俺も、みどりが好きだよ…」

「先輩!」


 私は先輩の胸に勢いよく飛び込んでいく。

 私と先輩の視線が重なり合う。私はそのまま先輩に近づいていく。

 そして、私たちの唇が重なり合った。

 んちゅ………

 何だか怖くて目を閉じていた私は、すっと目を開ける。


「先輩の唇、ちょっとしょっぱいですね!」

「それは…これをさっき食ったからだろ?」


 と、赤いきつねの椀を指さす。

 私が照れ隠しのために言った一言に二人で笑ってしまう。

 まさか、こんな人生最高の年越しが出来るなんて思ってもいなかった…。

 私は今日、新年一日目にして、先輩という彼氏ができた。




 5年後――――。

 年末恒例の紅白歌合戦も終わり、しんみりとした映像が流れ始める。


「さて、そろそろ年越しそばを食うか」


 私はそう言われて、私はダイニングテーブルにお湯の注いだ「赤いきつね」と「緑のたぬき」を並べる。


「やっぱり年越しと言えば、これだな」

「私たちの一番思い出の詰まったもの…」


 私は彼の前の席に座る。

 揚げと天ぷらを半分ずつ分け合う。


「今年も一年お疲れ様でした。恒樹つねき

「来年もよろしくな、みどり」


 私たちは大学を卒業してすぐに結婚した。

 今は公私ともに充実した日々を過ごしている。

 5年前のあの日、私の勘違いでバスに乗れなかったことで実現した先輩との結婚生活。

 それを結んでくれたのは、あの寒かった日に私たちの身体と心を温めてくれた「赤いきつね」と「緑のたぬき」だった。

 だから、私たちにとっては忘れられない大切な食べ物―――。

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