トイレの神様
社会人1年目の夏のころの話。
ある日のこと。いつものように仕事から帰宅し玄関を開けると、トイレの電気がついていた。
「あれ、電気消し忘れてたっけ」
特にそんな覚えもなかったのだが、丁度いい具合に尿意を感じたのでそのままトイレのドアを開けると、そこには(自分の好みではないという意味で)不細工面の女性がいた。
「え、なに?誰?」
「なに、やあらへんがな」
「えっと、どちらさまで……」
「どちらさんやと思う?」
そもそも僕の部屋に他人がいること自体おかしいのだが、その女性はこちらに向かって腕組みしながら仁王立ちしていた。
「ぜんぜん分かりません」
「トイレの神様や」
「は?」
「あんたの家のトイレの神様や」
「はぁ、神様が僕に何のようでしょうか」
腕組みした神様はさらに1歩詰め寄りその凶悪な顔面で僕を覗き込んだ。
「何で今まで姿が見えんかったと思う。今回はもう我慢ならんで出てきたんや」
「あ、もしかして」
「アンタな、アパートに入居して以来、トイレの掃除しとらんやろ」
図星だった。
確かに住みはじめて3ヶ月ほど経つがトイレの掃除をまったくと言っていいほどしていなかった。
「家にはな、たくさんの神様がおんねん。トイレにもな。掃除しないということは、神様を大切にしとらんっちゅうことや」
小さい頃、全てのものに神様が宿っているなんて聞かされたが、どうやら本当らしい。
「せやから見てみい、こんな顔になってしもたやんけーー!」
神様は迫力満点の顔で叫んだ。
僕は腰を抜かしそうになった。
「ええか、大事なことやから耳の穴かっぽじってよーく聞きや!私ら神様っていうのは住んどる場所を大切に使われることが何より大切なんや。綺麗に使うてくれると神様も美しく輝くんや。ウチの顔面見てみぃ、直視できひんやろが!どうしてくれんねん!」
どうやら自分の顔面が不細工なのは、僕がトイレ掃除しなかったからと言いたいらしい。
「道具買って掃除せえっ!」
そう言い残すとバタンと扉を閉めてしまった。
再びトイレの神様が現れたのは2週間ほどした頃だった。
「掃除せえゆうたよな。」
神様はタバコに火をつけフーッと煙をはいた。眉間のシワは深く刻まれ一歩間違えれば筋者だった。
「掃除道具は買うたんか」
「買ったんですが、なかなか取りかかれなくて」
そう答えるとタバコがチリチリと加速度的に灰になった。
「道具買うても掃除せんかったら意味ないやろ。どんなええ物買うても使わんかったらただゴミ増やしとるんと一緒や、逆効果。」
「あ、でも芳香剤は置きましたよ」
先日、薬局で掃除道具と芳香剤を買ったのだった。
「いや今日び、薔薇て!大阪のオバハンくらいやで薔薇チョイスすんの!きっつ!くっさ!」
「ほんでまさか道具買って掃除した気になってんとちゃうやろな。問題集買って1ページも開かんと勉強した気になっとる学生と変わらんで、自分。」
図星だった。
問題集を買って碌に開かず本棚に閉まっていたタイプの学生だった。
「とにかく!また2週間後に出るから、絶対掃除しとけよ!」
そう言い放つとバタンと扉を閉めてしまった。
2週間後の夕方。
トイレの神様は自ら便器を擦っていた。
「もうアンタには頼まん」
ゴム手袋を外し振り返った神様の顔を見た。
「えっ!?」
見違えるほど美人になっていたのだ。
「実は今日な、神様同士でコンパがあんねん。せやから容姿磨いとかなあかんかったんや。絶対に負けられへん。大黒天さんも来るし、玉の輿乗りたいんや。」
なんてしたたかな神様なんだと思った。
「それをいつまで経っても掃除はせえへん、買ってきてもほかりっぱなし、コンパは近づく。まぁ焦るわ!」
「見てみいこの美貌を。私が言っとった事が分かったやろ!今日はお持ち帰りされるかもな!もしかしたらもう帰って来へんかもな!ハッハッ」
キョトンとする僕を尻目に、声高く笑うと神様は部屋を出ていった。
その夜。
ふと尿意で目が覚め布団から出ると、トイレの電気がついていた。
「あれ、電気消し忘れてたっけ」
ガチャリと扉を開けると神様が酔っぱらってゲロを吐いていた。
顔は見るまでもなかった。
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