「encore-2」

 * * *




 こぽ、こぽこぽこぽ。


 何やら美味しそうな匂いがほぼ廃墟と化してた台所から香ってくる。

 いつの間に寝かされていた何日ぶりかのベッドから鼻歌交じりに紅茶を入れる配達員の背中を見る。

 この匂いはダージリンかな。

 ひとつにまとめた豊かな金髪が動物のしっぽみたいに楽しそうに揺れている。

 躊躇なく戸棚を開いてはすっかり埃をかぶった紅茶缶にふっと息を吹きかけ、綺麗な布で丹念に拭いた。

 あの姿、背格好は……まるで……。


「ま、もん?」

「あらっ、起きちゃいました?」


 直ぐにあの大量の封筒の山が視界に飛び込んできて慌てて飛び起きようとした自分を「あーあー! いけない!」なんて言いながら止めに入る配達員。

「気絶して床に思いきり頭ぶつけた癖に三分で起きようだなんて無茶です!」

「無茶はしても無理はするなって、お父さんが……」

「じゃあ生物学的ナンチャラな知見から『無・理』です! ムリオブムリ。インスタントラーメンか何かですか」

「……面白いこと言うね」

「でしょう。褒めても良いですよ」

「じゃあ起きる」

「何でですか、やめてくださいっ!! 死んじゃいますって!!」

 静止する配達員の言葉を全力で無視してよっこいしょと立ち上がろうとしたけれど、すぐにぐらぐらっときてベッドに倒れ込んでしまった。

「きう」

「ほーら言わんこっちゃないー。今まで生きてるのが奇跡だったんですよ」

「そんなに言う?」

「もう。語り部様、ごはんちゃんと食べてますか?」

「……食べてるよ」

「……何ですか、その微妙な『間』は」

「……」

「台所のコーヒーセット以外全部埃かぶってましたけど、一体何をどのように調理して食べてたんです」

「……冷凍庫のピザ用チーズを」

「ピザ用チーズを」

「そのまま手掴みで……」

「パンにぐらい挟んで! 本当に死んでしまう!」

 頭抱えてヒンヒン喚く。もうちょっとで憤死しそうな勢い。

 そんなに?

「そんなに? ――じゃありません! もう、こーなったら徹底的に休んで頂きますからねっ。暫く働くの禁止」

「えーっ! お金ー! お金を貯めたいよぉー!」

「駄目」

「運命管理局は日当制なんだよぉー!」

「だったとしてもどうせピザ用チーズと家賃ぐらいにしか使わない癖に。良いんです、あなたの場合一日ぐらい休んだところで金はなくなったりしない」

「で、でも、でも」

「でもじゃないでしょうが。こんなに無理ばっかりしておきながら」

 そういってしゃがみ込み僕の頬をその大きな手で撫でだす配達員。

 目深に被ったキャップのせいでその相貌は殆ど見えないが、ひとつだけルビー色の光が前髪の奥から煌めいた。

「ほら、こんなに濃いクマを作って……」

 母親みたいに目の下を親指でなぞるその手の温かさ、側頭部から頬までを大きく撫でるその仕草。

 その行動すべてに何でかどぎまぎしてしまう。

「仕方ないですね。さっき材料買ってきたし、本当は私のおやつ用だったんですが良いでしょう。このまま放っておくなんて出来ないし、ホットケーキ作ってあげます」

 よっこいしょと立ち上がり、急いで材料を取りに行く配達員。

「あれ。っていうか配達は良いの!? 君のお客が」

「良いんです。こんな大荷物だったんで結局はあなたが最後でしたし」

「……そう」

「それにこんな語り部様にキャラクタ達の運命は任せられないでしょう」

「……」

 図星。それ僕も思う。

 じゃあ、お言葉に甘えてと言えば口元だけで微かに笑む。

 本当のお母さんみたいに布団とかかけ直したりしちゃってさ。


 ……変なの。


 ――、――。


「ではホットケーキ作り開始です!」

「元気だなぁ」

「まずは生地を作りましょう。えっと、ホケミ小分けを一袋に牛乳、卵は……」

 慣れた手つきでどんどん材料の準備をしていく配達員。料理は出来ないけれど人の料理してる所を見るのは好き。

「そして隠し味にはこちらを拝借っ」

 隠し味を隠す気もなくわしっと鷲掴み――ってちょっと待ったぁ!!

「そ、それは! その麩菓子だけは駄目!!」

「え?」

 彼が躊躇なく鷲掴んだその隠し味とは僕が毎朝「マモンの本」にお供えしてる麩菓子――の入ってる袋まるごと。

 お供えしてる方じゃなくて在庫の方。

 つまりは和樹に教えてもらった人間の習慣をそのまま踏襲し毎朝ここ一年欠かさずお供えというやつをやってきたのだけど、あろうことかそのお供えの在庫に配達員は手をかけたのである!

「でも、麩菓子って食べる物ですよね? じゃあ食べましょうよ」

「や、それが出来ない事情がありまして」

「……? どんな事情があるっていうんですか」

「え? 事情の説明って……え、何て言えば良いのかな。えっとえっと、えっと……えー、僕の大事な相棒――じゃなくって元・相棒がいてね、あ、いや、元とはいえ今でもめっちゃめちゃ大好きな相棒なんだけどね、えっと、それでそのー、相棒が天国でね、えっと、大好きだって言ってた直属の上司様とね、もぐもぐ食べる、その、大好物の麩菓子のー、えっとー、在庫、だからね」

「へぇ、そーなんだあ」

 ぐしゃあ!

 変わらず崩れない綺麗な笑み(絶対話聞いてない顔)を浮かべながらその手元で細かくぐっしゃぐしゃに袋ごと潰される麩菓子の在庫達!

 ああああああああ!! マモンの麩菓子がああああああああああっ!!

「そんなの勿体ないですからね。食べ物はお供えした後は人間が食うんですよ」

「や、それは知ってるけど……」

 がーん。兎に角がーん。

 あああ……高級麩菓子がみんなカスに……。

 そ、そんなに丹念にぐっしゃぐしゃにしなくても……。

「それに死人に口なしですからね! 強欲風情如き、文句言えるもんなら言ってみろって感じですよね!」

「うぅ……! そこまで言わなくったって良いじゃないかっ!」

 思わず口調強めに言った僕にぽかんとした様子の配達員。

 悔しい。全っ然知らない他人にこんなことされるなんて。

 怒りにも似た燃え盛る何かが胸の中をぐるんぐるん渦巻く。


「大事な大事なマモンの大好物なのに……」


 視界がぼやける。

 もう、こんなことになるんなら無理してでも元気アピールしておけば良かった!

 早く帰しとけば良かった!!


「もう……もういい! もうホットケーキなんて食べたくない! 出てってよ!」

「へぇ、そーなんだあ」


 カスとなり果てた麩菓子、よくよく混ぜられた生地にざぁーっ!!

 こいつ、清々しい程に話聞いてねぇ!!


「見てください語り部様! ぜーったい旨いやつです、これ!」

 嬉しそうにガシャガシャ混ぜる彼に、もう勝手にしろって本気で思った。

 呆れたってよりかは逆に懐かしくなってしまったというか。


 マモンもそうだった。

 何にでも麩菓子突っ込むタイプだった。し、僕の静止なんて一ミリも聞かなかった。多分舌がぶっ壊れていたのだ。

 偶にひでぇモン食わされたものだった。


『あーっ! お前カレーになんちゅうもん入れとんじゃ!!』

『なんちゅうもんとは何ですか! 麩菓子ですよ! 全人類大好き麩菓子!』

『や、あの、チーズは分かる。チョコレートやりんごにコーヒーもまだギリギリ分かる。麩菓子って! アンタ正気なのか!?』

『だって麩菓子旨いじゃないですかー! カレーも旨い、麩菓子も旨い! 旨いに旨いをかければ旨くなるに決まってるでしょうがー!』

『なっ、何物をも貫き通せる矛と何物をも弾く盾かち合わせたところで、えー、えー……あ、人間サイドの期待した通りにはならないんだよ!』

『……何上手い例えを披露しようとして迷子して失敗してるんですか』

『わっ、笑うな!』

『フフッ。やーいやーい』

『とっ兎に角! 兎に角!! 毒見はマモンがしろよな!』

『えー。絶対美味しいと思うんだけどなぁ』


 その後すぐに小皿に取り分けてずーってすすって顔ふにゃってさせてたっけ。

 ……あれ、どっちの顔だったんだろ。

「はいっ、出来ました! 絶対旨い麩菓子と絶対旨いホットケーキの夢の共演! 名付けて――」


「絶対旨いヤーツです!」

「何だそれ」


 自信満々のドヤ顔で出してきたそのホットケーキはこんがりきつね色。まるでお店みたいに綺麗に焼けてて更にはふわふわ分厚くほかほか。

 この配達員、中々やりおる。

「焼くもの全て炭にしちゃう語り部様が異常なんですからね」

「……ちょいちょい君失礼だよね?」

「さーて」

 相変わらず人の話は聞かずに手を擦り合わせて舌なめずりする配達員。

 そのまま食べるかと思いきや。

 更にその上にどっから出したのか特製黒糖アイスをズドンと乗っけてホイップクリームをお皿の隅に高ーくもりもり盛り上げて、それとアイスに黒蜜をたっぷりかけて、極めつけにはこれまたどっから出したか分からない麩菓子をもう一度ぐしゃっと粉々、ぱらぱらふりかけみたいにかけて、これまたどっから出したのか更に出てくる二本の麩菓子で鬼の角みたいにアイスに刺したら


「完成ーっ! すぺしゃる麩菓子ホットケーキです!」

「……」




 ……ん?




 ……おや?




「あ、そうだそうだ。もうそろそろ良い頃合いでしょう」

「何?」

「ダージリン淹れたんです。今丁度蒸らしてるところなんですよ」

 僕の疑わし気な視線から逃げるようにあくせく向こうに行く配達員。

 ダージリン……。




 ……。




 アイツの好きな茶葉って、だったよな……。




「お待たせしました! 今カップに注ぎますね」

「うん……」

「……? 語り部様?」

 どうしました? と首をこてんと傾げる。

 どうする? 直接聞くか? それとも遠回しに聞くか??

「語り部様ー?」

 あれ? どうしよう。

 何かすっごい心臓がバクバクいってる。

「具合でも悪いんですか?」

 どうする? もしも、もしも……。



『主!』

『あーるーじっ』



 もしも本物だったなら……。



「ばあっ!」

「わぁっ!」


 と、突然驚かしてきた彼に仰天、椅子ごと後ろに倒れ込んでしまった。

「いっっっってぇ!」

「あああすみません、何度呼び掛けても反応しなくなっちゃったから」

「あ、や、僕がぼーっとしてたのがいけないから……」

「そうですか?」

 その瞬間ハッと閃く天才チコの脳裏に、余りにさりげなくって全人類が感動するレベルで完成度の高い問い(長い)が浮かんだ。

「あ、ね、マモ――じゃなかった、えっと、あなた」

「はい、何でしょう」


「キャップ、暑くない? 結構目深に被って前髪も顔にかかりまくりだけど」

「え?」

「それだとあんなこんもり盛った生クリームとか食べづらいんじゃない?」


 そこで初めて(僕の話をちゃんと聞いたうえで)ぽかんとなった配達員。

 そら。外せ。確かにって言って外せ!

 そしてその顔拝ませろ!


 確証を見せろ!


「……」


「まあ、これがベスポジなので私は大丈夫ですかね。……あれ、何か不快に思わせてたりしましたか? 私」

「え!? え、あ、いやー? ぼ、僕もベスポジだと思うー」

「それじゃあ早くホットケーキ食べましょうよー。折角作ったのに冷めちゃいますし、アイスも溶けちゃいます!」

「え!? あ、そだね!」

 何でこういう時に限ってガードが堅いんだよ!

 でもこれ以上は何も言うことができず彼に誘われるまま二人でぱちっと手を合わせた。


「それじゃあ、いっただっきまーす!」


 その瞬間傍に置いてあった麩菓子を




「アアアアアア!!! アッ! アアアアアアーッ!!」

「ぐぶっ」




 配達員(?)がダージリンに浸した麩菓子を思いっ切り喉に詰まらせた。

「あ、あわわわ……あ、あああ!」

「ごほごほ、え? 何ですか?」

「い、今! 今!!」

「え?」

「今、紅茶に麩菓子突っ込んだ!!」

「……? そう、ですね?」

「何で!」

「え?」

「何で突っ込んだの!」

「え、何でって……」






「語り部様が『猛毒少年にご用心』でご紹介してたから真似してるだけですが……」






 ――え?


「あはは、何ですか? もしかしてもしかすると何か勘違いなさってましたか? やだなぁ自分でご紹介してた癖に。全く面白いお人だ。あはは」

「え」

「私はね、ただご紹介されていたことを冗談半分で真似したら案外ハマっちゃっただけの通りすがりの配達員ですよ? 髪色も似ているだけです」

「あ……」

「……語り部様。何をそんなに期待なさっているのです。特別なことでも起きない限り紙になった者は生き返りませんよ? 特別エピソードだからって世界を甘く見ないでくださいね」

「……」


「良いですか? 当たり前のことですけど、死んだ者は生き返らないんですよ。それこそ神の加護があったとか、特別なことでもない限り」

「……」

「まあ、あんな奴に神の加護なんてありそうもないですがね」


 瞬間、ずっと放っておいた風船みたいに急に、それこそ「期待」がしおしおとしぼんでしまった。

 そうだ、確かにこのひとの言う通り。

 天使のちびちゃん達も真似して紅茶に麩菓子を浸してた。ジャックも一度だけ挑戦していた。

 風神のアネモイ様が「そのまま飲んだ方が絶対に旨い」って言ってた。

 悪魔王は呆れてた。お父さんはそれでもコーヒーを飲み続けてた。

 みんな知ってること。このひとだけ知らない筈は無い。

 みんな真似してること。このひとだけしないなんて必ずしも言えることではない。

 僕は発信力のある立場のひとになったのだ。

 そう、たまたま仕草から何から似てただけ。そう見えただけ。

 何なら僕の意識が無意識に勝手な補正をかけて彼をそれらしく見せてただけかもしれない。


 ……。


 ……今からでも、なーんちゃってとか言わないかな。


「あ、あれ? 語り部様泣いてます?」

 もう八割方食べ終わっちゃってる配達員が今更気付いて慌てて慰め出す。

 や、そんなつもりはなくって。

 自分は違いますよーって言いたかっただけで。

 わやや、ほ、本当に泣かせる気はなくって。

 わわわわ、ご、ごめんなさい。言い過ぎましたかね。


 ……全部遅いんだよ。全部今更なんだよ。

 その謝罪も、僕の期待も。


「語り部様ー、泣かないでくださいよぉ」


『主ー、泣かないでくださいよぉ』


 頭の撫で方も言い方もムカつくぐらいそっくりで。

 そこは絶望的に違ってて欲しかった。

「もう本当にごめんなさい、これ以上あの悪魔のことは言いません。だから涙拭いてホットケーキ一緒に食べましょう? 絶対旨い麩菓子パワーで革命的に旨かったですよ。――ね? だから元気だして」

「……、……いや。良いんだ、こっちこそ何かごめんね。僕自身の問題なのにあなたを巻き込んだりして」

「……」

「何かね、一挙一動とてもそっくりでさ。勘違いしちゃったんだ」

「……その悪魔を、よくよく見ていたんですね」

「ずっと隣にいたよ。何なら今も傍にいる」

「え?」

 またちょっとぽかんとした彼に「マモンの本」を見せる。

「ほら」

「……」

「彼の体をかつて構成していたものなんだよ。世界を救う代わりに命を懸けて……そのまんま世界から居なくなっちゃった」

「……」

「でも皆が手伝ってくれたおかげで彼の生きた証はこうして手元にある。それだけでも本当に本当に幸福なことなのに」


「なのにね……」

「今も、会いたいですか」


 ふとその瞬間。

 午前中、天使のちびちゃんが僕に対して言った言葉を思い出す。


『まもっさんにまた会いたい?』


「……」




「会いたい」




「会いたいよ、とっても会いたい。思い出す度に何物にも手がつかなくなっちゃう。寂しくなって寂しくなって、夜空見上げてアイツの姿を探しちゃうし、烏とか針鼠とか見るとアイツかなとか期待しちゃう」


「寝ても隣には誰もいない。そこにちょっとだけ広いベッドがあるだけ」


「席についても向かいには誰も座ってない。麩菓子買っても全然減らない」


「今日も小さな家でひとりぼっち」


「……」


 言ってて切ないし、悲しいし、なんかどこか空しいし。


「もう、忘れなきゃって思ってるけど」


 でも、日常的にキャラクタが転生しちゃうこのストリテラだからこそ期待がどうしても膨らむ瞬間がある。

 そうして世界は僕からマモンを取り去ってはくれない。

 永遠に忘れさせてくれない。


「やっぱり会いたい……会いたいよぉ、マモンー」


 そこまで言ってもう、めそめそが止まらなくなっちゃって。涙拭ってもどんどん溢れてきてしまって。遂には机に突っ伏した。

 それを配達員は静かに見つめている。


 もう、ドン引かれてても構わなかった。恥をさらしてるってのももう分かってた。

 でも言わなきゃやってられないよ。




「あうう、マモンー。どっかの神様か悪魔か、誰でも良いから生き返らせてくれないかなぁ……会わせてよぉ。マモンに会わせてよぉ。夢を見させるぐらいならアイツに会わせてよぉ!」




 そっからはもう何にも言葉にならなくなってしまって、ただただエンエン泣き続けた。


 それを見て配達員がぽつ、と一言。











「……やっと、言葉に出して言ってくれた」











 ――え?


 ふと聞こえたかもしれない不可思議な言葉に今度はこっちがぽかん。思わず涙が引っ込む。

 僕が固まってしまったその瞬間彼は微笑を浮かべながら立ち上がり、上半身だけを机の向こうからこちらに伸ばしてこそっと耳元に囁いてきた。

 さらりと長い金髪が垂れて何だか妖しげ。


「それは、『強欲』へのお願いということで間違いはありませんか? 

「……!?」


 え、え!?

 びっくりしてがばっと起き上がった僕を彼は面白そうに見つめ、ふふふと笑う。

 え? え、え?


 え??


 目を白黒させて暫く脳みそが働いていない僕に向かって彼はまたクスリと笑い

「さぁーてと! 長居しちゃったし、そろそろお暇しようかなぁ」

なんて言って何ととことこ帰り出した。

 え、え!? え!?

 この状況で!?

「今日は楽しかったです、語り部様ぁ。……もう仕事もなさそうですし、暫く会うこともないでしょう」

「え、え!? ちょ、待って! 消化不良のままおいていかないで!」

 何の躊躇も遠慮もなくすたすた帰っていく彼の姿に慌てて立とうとすれば長い制服の裾に引っかかってズッ転ぶ。

 封筒の山々が倒れてきてうまく通れなくなる。

「ま、待って! ちょっと待って!」

 あっちこっちに制服の裾を引っかけては何度も転び、それでも必死に食らいつくように追いかけた。


 そうして彼が既に消えた後の玄関の扉に手をかけ、外に思いきり飛び出した。




 * * *


 春風吹き過ぐ友の丘の上。

 彼はちょっと離れたところで向こうを向いたまま待っていた。

 しっぽみたいにひとまとめにした金髪がそよそよと温かい風を受けて幸せそうに毛先を揺らしている。

「あ、あなたは、一体」

 その背に僕はこう言うしかできなかった。

 何か、すっごい心臓がバクバクいってる。体も物凄い震えてるし口は乾くし手先は冷えるし頭は真っ白だし息はできないしで既に大パニック。

 そんな僕をちょっと振り返って一瞥した彼はぽつ、ぽつとこんなことを言い始めた。


「むかしむかし、一匹のどうしようもない悪魔がいたんです」


「彼は世界征服を狙いキャラクタ達の居住するストリテラの破壊を望みましたが神々の守備は固く、ある日とうとう限界の所まで追い込まれてしまいます」


「チャンスと思ったとある神は自分の部下をその悪魔の元に送り込みトドメを刺そうとしましたが、悪魔王の乱入によって目論見は失敗。そのどうしようもない悪魔は辛くも一命をとりとめました」


「――それが運命の出会いになってしまうとは、その時点では気付かないまま」


「……」


「今ではその”部下”とやらは語り部になって新しい名前を頂いたそうです」


「そうして彼はその悪魔の設定資料集を元に脚色もちょっぴり加えた”全く新しい物語”を著し、世界に向けて発信した」


 そこまで言って彼はまとめていたひとくくりの金髪をほどき、キャップを取ってこちらを向いた。


 その瞬間、心臓が止まりそうになった。






「物語を読者の目にさらすということの意味もよく考えないまま……!」

「マモン……!」






 嬉しそうに涙をこぼす彼の名前を叫び、思わず走り出した。

 また何度も裾に引っかかりつつも足を止めることは出来なくて、キャップを投げ捨て思いきり両手を広げた彼の胸元に一直線に飛び込んだ。


「マモン!!」


「嗚呼マモンだ、マモンだ! マモンがいる! マモン……!」


 抱き付かれた衝撃でくるくるその場を回ったマモン。もう薔薇の香りは殆どしなくなってたけど、その胸元には代わりだよとでも言いたげにカランコエの造花がさしてあった。――今まで上着に隠れて見えてなかった。

 でもそれも直ぐに見えなくなるぐらい彼は僕のことをきつく抱き締めた。

 噛み締めるように小声で色々言い出す。

「あなたのせいだ、あなたのせいで大事な結末がおじゃんになった」

「……」

「犯罪者を蘇らせて」

「……」

「また世界征服とか目論むかもしれないから神々は紙にしたのに」

「……」

「……バッドエンド好きのひとはさぞかしがっかりしたことでしょう」

「……」

「読者の余韻をぶっ壊して」

「……」

「ご都合展開にして」

「……」

「こんなのが世に出回ったら評論家先生方はさぞがっかりなさるだろう」

「……」

「運命神と悪魔王も知らないこと。知れば悲鳴あげるでしょうに」

「……」

「見つかれば殺される」

「……」

「そんな罪で儚い存在を蘇らせて、束の間かもしれないひと時を与えてしまって!」

「……」

「……本当にあなたはバカだ。大バカ者だ」

「そんなこと言ってマモン」


「本当は嬉しくって嬉しくって堪らない癖に」


「ここまで僕を焦らして遊んで楽しんでた癖に!」


「はは、顔に出てんだよ! 嘘が下手!」

「だって、どうしてもにやけてしまって!」

 そこで二人笑いあった。何度も何度もハグを繰り返した。

 幸せそうな大笑いが、大きな空に、青空に。

 すうっと風に乗って吸い込まれていく。


「あ、そうだ。マモン」

 ――と、ここでふと気づき彼に言いかけた。

 優しいルビーの瞳でこちらを見る。

「これ、返すよ」

 言いつつモノクルを外した。

 彼が紙になって以降ずっと預かっていたもの。


 ベルゼブブ様との大切な思い出の品。


「……」

「お前にとっての大事な遺品だろ? 僕はベルゼブブ様のこと知らないからさ、僕が持ってても――」

 そこまで言った時、返そうとする僕の手を彼がそっと押さえ首を振る。

「え?」

「それは元々『大切な主』のためにと思って作ったものです」

「……」

「だからモノクルはあなたに、あなたにこそ持っていて欲しい」

 そこで僕を下ろし、一歩さがった彼は跪いた。


「ああ、我が親愛なる主・語り部チコよ。あなたのその願い聞き届けたり」


「共に居たいというその望み、もしも私と契約を結んだならば叶えて差し上げよう」


「我が名は『七つの大罪』の第五、強欲のマモン。業を背負った我が身を置くということを代償にあなたの臣下となりて――」

「長い長い長い! いい加減長いよ!」

「わっ」

 格式ばった儀式をしてるマモンの肩をぺっと押せば簡単に後ろに倒れる。

「何するんですか! 主!」

 折角いい所だったのにとぷんぷん怒ってる彼を改めて座らせてその手を握る。

「主じゃないよ、マモン」


「だって、僕の語った物語から生まれたんだろ? 僕原案の物語から生まれたんだろ?」


「……君は僕の生んだキャラクタ第一号ってことなんだろ?」




「じゃあもう立派な家族じゃないか!」




「ね、そうでしょ?」


 その瞬間ふわっと嬉しそうに笑んで彼はこくりと頷いた。

 その表情に、その仕草に嬉しくなって僕は思いっ切り両手を広げた。


「我が家におかえり、マモン!」

「ただいま戻りました、チコ!」


 そうしてまた固く固く。もうほどけないように抱擁を交わし、僕らは僕らの家へと帰っていった。




 * * *


 Thank you for reading!!!


 読者の目が、とはよく言ったものだけれど。


(おわり)

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猛毒少年にご用心 星 太一 @dehim-fake

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