『猛毒少年にご用心』
「強欲」が遂に紙になったというニュースは瞬く間に広がっていった。
それはそうだ、人々の目の前を今も花のように風に吹かれ、過ぎ去ってゆく。
百、いや、何百もの紙が世界を吹き過ぎてどこかへと去ってゆく。
それを少年は呆っと見つめていた。たった一枚残された紙も今、風に乗って飛ばされた。
その手元にはたった一つ。残された白銀のモノクル。
――あの時と同じ。
――ベルゼブブ様がマモンの前から居なくなってしまった時と同じ。
ぎゅ、と握りしめれば視界が何だかぼやけた。
背を丸め、よく見えない視界の先で何かはたはたと落ちる音がする。
周りに静かに、キャラクタ達が集い始めた。
* * *
「ベネノ」
エンジェルが放心状態の彼の肩をとん、と叩く。
「泣いちゃだめだよ。泣いたら紙が濡れちゃう」
「……」
「紙が濡れたら破けちゃう」
「……」
「……ベネノ。これはマモンさんがね、そうやって教えてくれ――」
「お前に何が分かんだ!!」
びりびりと震える空気に肩を震わせる少女。彼女にほぼ掴みかかるかのような勢いで迫った少年の顔はそれはそれは酷いものだった。
「アイツのために泣けもしない癖に、笑ったりもできない癖に……ずっと一緒に居た訳でも無い癖に!!」
「……」
「一緒に笑ったこともない、アイツの好物が何かも知らない感情なしの、所詮、無機物でしかない癖に!!」
「大事なひとをこの手で……この手で殺した奴の気持ちも何にも知らない癖に……流す涙、悲しい表情も全部全部嘘の癖に……」
悔しさやらやるせなさやら。
気持ちが洪水のように渦巻いて何にもできない。何にも考えられない。
目の前のひとが皆非常識人に見える。僕の気持ちなんか何にも分かってくれないひとに見える。
「何にも知らない癖に……偉そうに色々言いやがって……」
「お前に何が――!!」
「パーシー!」
その時、人混みをかき分けて飛び込んできたのはジャックだった。
一直線にこちらに走り込み、腕を引いてぎゅうと抱き締める。
「お前は悪くない、悪くないんだよ……!」
その言葉と温かさ、力強さに初めて――
初めて。
初めて……。
僕は……。
「う」
「あああああっ……!」
「わああああああっ!!」
* * *
「ジャック、ジャックどうしよう……どうしよう! 僕、僕……! マモンを、マモンを……!! あああああああっ!!」
何にも言わないで唯々じっと抱き締めてくれる、縋りつくには余りに足りないか細い少年の体。噛みしめるには余りにも何も言ってくれないモノクル。
そこに周りのキャラクタ達がゆっくり、少しずつ歩み寄り始める。
頭を撫でてくれたのは和樹だ。
エンジェルはいたたまれないような面持ちで俯いていて、その肩をへーリオス様が優しく抱く。
れいれいさんは木によりかかりながら遠くで黙っていた。
お父さんは悲しそうな顔しながら僕らのすぐ傍に静かにしゃがみ込んだ。
遠くの空を雲が流れていく。
マモンがそのすべてと引き換えに取り戻した空、大地、命の息吹。
……紙に一度戻ってしまったキャラクタは二度と戻らない。
設定段階へと戻され、そのままここには「居なかった」ことになる。
しかし、こんなにも呆気なく「なかった」ことになった割には彼の比重は重過ぎた。まだこの手に生々しく、ナイフで肉を裂いた感触が残っている。
肉は直ぐに紙になった。
――『待って!』――
――『行かないでマモン!』――
まるで電話帳でも刺したかのようなあの感触はすぐに軽くなり、風に乗って飛んでいってしまった。
生き返る可能性は、なくなってしまった。
彼はベルゼブブ様と同じ世界へと行ってしまったのだ。
まだ信じられない。
明日には家のベッドで寝ている気がする。
まだ信じられない。
すぐそこの人混みの中で麩菓子食ってる気がする。
まだ信じられない……。
すぐ後に「あーるじっ」なんて言いながら肩を叩いてきそうな気がする。
もう、すぐそこで足音がしている気がする。
振り向いたらいる気がする。
実は生きてる気がする。
明日も自分の生活の一部としてそこにいる気がする。
気がする。
気がする。
気がする。
気がする。
気がする……。
「ねえジャック。僕どうすれば良かったの、何が正しかったの……僕らシナリオブレイカーなんじゃなかったの……どうやれば全てをやり直せるの、どうしたらベルゼブブ様の生きてた時からやり直せるの、どうすればマモンが霊魂を呑む前からやり直せるの、どうやったら、どうやったら……」
「正しいも正しくないもどこにもないよ、でも誰も悪くないんだ……唯それだけなんだよ。だからお願い、自分を責めないで」
「でも、でも僕は、僕は……マモンを……!」
「それでも君は悪くないって、あの時俺にそう言ってくれたじゃないか!」
肩を掴み、青い目でじっと僕の目を見つめる。
「ね」
「だからパーシーも悪くないんだよ」
「君が教えてくれたんじゃないか」
――『あなたが教えてくれた、ベネノ』――
――『あなたの笑顔』――
――『体温』――
――『やさしさ』――
――『喧嘩も悪口も理不尽なことだって』――
――『全部私の幸せの一部、だったんですね』――
――『……ありがとう』――
……ありがとうを言うのはこっちの方なのに。
こんなことになる位ならあの時無理にでもその言葉をマモンに届けておけば良かった。こんなことになる位ならもっと言葉を尽くしてこの世界に留めておけば良かった。僕の傍に置いておけば良かった、もっと強ければ良かった、もっと分かってあげられれば良かった、もっと大きな存在であれば良かった……。
もっと。
もっと。
……。
どんなに頑張ったって自分に対する悔いが取れなくて、でもマモンが残した世界は本当に本当に綺麗で透き通っていて。
ねえ、マモン。
これが本当に君の欲しかった世界なの。
「ベネノ。ちょっと来てごらん」
肩をとんとんと叩いたのはお父さん。そのまま僕の体をジャックから貰い受け、抱き上げ、世界の端々まで見える場所まで連れて行く。
地上の方は今はまだ荒んでいるけれど薄く緑が萌えている。空は本当に綺麗で、向こうには大陸みたいな雲が広がっている。居る筈のない彼の姿がそこにあるような気もする。
「物語の核はな、俺にも扱えない位大きいんだよ」
「でもその核を掌握できれば自分の望むような世界を作れる。それは確かだし、それをやってのけたのが今の大神様だ」
「彼が、今の世界を作ったんだよ」
「……物語っていうのは本当に不思議でさ、自分が何の気なしに著した展開やちょっとした文字・文章がその後の展開に大きく関わってくることがある」
「こういう結果を作ってやろうって伏線を張るのは正直簡単に出来るけど」
「そういった偶然すらも全て掌握するのは本当に大変なんだ」
「だから世界を握るにはまず大神様が持つ何かしらの権限を手中に収めなくっちゃならない」
「よって、倒すべきだったのは俺とかあのジジィとかじゃなくって大神様でしたぁー、残念でしたぁー」
そう言ってニシシなんて笑顔をこっちに向けてくる。
んだよ、馬鹿にしてんの?
そう思ってちょっと睨めば、小ちゃな子を見る親みたいな顔をして頭をすりすり撫でてくる。何か弄ばれてる感じがして更にイライラした。
「……でも、だからあの時ベルゼブブは紙になっちまったんだな」
お父さんがそう、寂しそうに言うまでは。
「――え?」
「ベネノは知らないだろうけどね、あの時勃発した『三界大戦争』も『この世から不平等とか理不尽とかをなくしたい』って願いから来たんだよ」
「……」
「最近知ったんだけどさ」
「そう、なんだ」
「うん。そのために大神様の魂を掌握しようと動き、周りに悟られないようにするために戦争を起こした。自分の大切な女神は残すとしても、他の神々はこれからの新しい世界には不要だ。次々殺して混乱を招き、機に乗じて大神様の体を乗っ取った。古典的だが大した奴だ、皆まんまと騙され命を次々落としていき、最終的には本当に直前まで駒を進められた」
「……」
「複雑な話さ。その時殺された前任の『運命神』は悪魔王の双子の姉だ」
「え!」
「……そしてベゼッセンハイトはその女神が作り出した最後の子どもだった」
「……」
「彼女はドイツ語を主に使用する神でな。名前がドイツ語のキャラクタ達は全員彼女の子。――まあ、それでも自由に他言語をも操る神だったらしいからもっと他にも子どもがいるんだけどな」
「ジャックは」
「俺の子。虹は彼女の子、テラリィ・エクラ・トゥルエノ・カルドもギリギリ彼女の子。意外かも分からんが和樹は彼女の子で、育てたのは俺。怜とLIARはギリギリ俺の子。お前も俺の大事な子。……もっと聞く?」
「いや……」
「そう。――まあ話戻すけどそういう訳だから、この世界を変える一番手っ取り早い方法は大神様を乗っ取ることなんだよ。これは明白だな」
こくりと頷く。
「実際あの時、本当に世界が壊れかけたしな」
「でもマモンはそうしなかった」
「地道に物語を巡って回って頑張って補正を盗っては、無情にも物語のシステムの力によって主人公の頭の上に返されたりしていた。出来るだけあの時のようにはならないようにって地道に努力したんだろう、けなげな奴さ」
そう改めて言われると何か可愛い。
朝起きてほくほくしながら鏡見たのに頭の上に無くって「ない! ない!!」って焦ってる若マモンの姿がありありと目に浮かぶようだ。
可愛い。
「盗っても盗ってもきりないっていうのはさ、相当しんどいよ。でもこの世界に対するヘイトも同時に溜まっていくから本人の力自体はどんどん付いていく訳よ。いわゆる『陰』ってやつだね」
「……」
「それは彼を『戻せない道』まで引きずっていった。お前と出会った時にはもうあの破滅が待ってた、なんてことは幸運にもなかったみたいだけれど……それでもその時点で大分体にガタが来ていたことだけは確かだろうな」
いつまで経っても彼の無念が晴らせないって、早くしないとあの時の思い出みんな頭の中から消えていってしまうって。
相当苦しかっただろうに。
現に彼はその過去をはっきりと覚えてはいなかった。
第五話でのあの思い出は、彼の深層意識からセレナ達と一緒に無理矢理引っ張り出したものだ。
「そうしてある日、彼は力を十分に得たことで物語をひとつ壊してしまった」
「迷走期に見出したたった一つの光明。相当な抵抗の色が神々サイドに示せた」
「でも彼の一種の限界でもあっただろう」
限界……。
「ここまでくればもうイタチごっこだ。物語を壊し続けても補正が手元に残らない限り新しい物語は生まれ続けるし、世界のルールも掌握できない。でも自分に出来る唯一の抵抗といえばこれしかないのも事実」
「この頃は――意外かもしれないけれど、もう相当弱ってきていた。それこそ本当に虫の息でな」
「……」
「んまあ、あれだけ強かったから信じらんないかもしれないけど」
嘘だと思う。
……世間一般では本当でもあの時の僕にとってはそれは嘘だと思う。
というかそう思っておかないと自分が実は弱いって自白してるみたいで何かヤダ。
「兎に角……俺達サイドはその瞬間チャンス! って思ったね。これなら、今なら奴を潰せると思ったんだ」
「それこそ死にかけのセミだぜ。対処を正しく、勇気を持てば十分倒せる命」
「だから当時随一の腕利きだったお前に頼んだんだ、ベネノ」
「僕に……?」
「ああ、そうだとも。ここは絶対嘘じゃない」
まあどっかの老害クソジジィが俺に対抗心燃やしたせいで大事な大事なベネノは帰ってこなかったけどなぁ! とわざと大きな声で言う。
ちょっとクスッと笑ってしまったことは内緒。
「でもそこからさ。アイツ、突然活き活きしだしたよ」
「最初は『コイツなら主人公補正の器に使える!』程度にしか考えてなかっただろう。っていうか相当わくわくしてただろうな。遂に私の時代が来た! 的にさ」
ありそう。
あの頃のマモンなら十分にありそう。
「でも彼の真っ黒だった人生にも次第に色が付き始めた」
「真っ赤な顔して怒ったり、青い顔して泣いたり、桃色のお花みたいに笑ったり、緑の葉っぱみたいに楽しそうにしたり」
「アイツの命の中に『アイツの人生』が初めて芽生えた。彼は彼の人生をようやく生きられるようになった」
「――ベネノ」
「その種に水をやってくれたのは間違いなくお前だ」
「そうして彼は最後の力を振り絞って後世へと続く種を落として去っていった」
「それがこの景色だ」
色々な色、鮮やかな色、くすんだ色も全部全部。
マモンが残した世界の色。
生きた証。彼の証。
春も夏も秋も冬もいっぺんに同居するストリテラ。そこに何処かで見た印象派の絵画のような色味が少しずつ、混じる。
「いつの間にか忘れてしまっていた『自分が世界を変えたかった意味』を思い出したんだろう。神を打倒する復讐から、お前みたいな小さな命も安らかに過ごすことができる新世界の構築へ。その意味は少しずつ変わっていった。各話ごと、喰うことで力を溜め始める」
「そうして体の中に膨大な、それこそ制御の利かない宇宙のような真っ黒を溜め込んだアイツは、その危険因子を制御するためにお前を――当初の予定通り、切ったんだと思う」
「でもできなかった」
「全てが終わった後に迎えに行けば良いものを、アイツ……そんなことすらできなかった」
「だって、新世界にはジャックがいない、和樹もいない、怜もいない」
「下手すりゃマモンも物語と同化し、残したとしてもお前しかそこにはいなくなる」
「……アイツ、ひとりぼっちがどれだけ寂しいかをうんと分かってたんだと思うよ」
「優し過ぎだよな、アイツ」
「……『物語の核』へと変貌したマモンだが、そこには同時に『陰の核』も埋め込まれた。理由は言わずもがな、逆に吞み込まれたためだ。一度『良薬』の力でその外殻を取り去ったとしても一番の中心はマモンに根を張ってその復活の機を待ち続ける」
「自分が居続けることに関しては何の問題もなかろうが、体に抱えた重すぎるその時限爆弾みたいな毒ばかりが心配だった」
「いずれアイツの体を食い破って外に出る。いずれ意識を全て呑み込んで、またこうやって暴れ出すかもしれない。その時にはお前の『良薬』さえも歯が立たないだろう」
「……本当に、お前が大好きだったんだな」
ベルゼブブ様もあの時、どこかでそんな気持ちだったかもしれないと、ここまでのお父さんの話を聞いてふとそう思った。
マモンのことを兎に角守りたかったのかもしれない。その果てに散っていった。
本当に、あの王の息子だっていうのが嘘みたいに優しい二人。
みんな、あったかい。
「およよ。落ち着いたか?」
「……」
コーヒーの匂いが染みつく白衣にぐじゅぐじゅの鼻をわざとこすりつける。
思い出せば思い出す程、今は涙が止まらなくなる。
でもこれさえもきっといつか、日常に溶けていく日がくる。
時間は良くも悪くも、くよくよした僕のためだけには待ってくれない。
「……お別れを言いに行こうか」
「……」
「和樹がね、教えてくれたよ。ニンゲンはこういう時『オソウシキ』という機会を設けてお別れをするのだそうだ」
「そうして日常へと戻っていくのだそうだ」
じゃりじゃりと砂を踏みしめ、お父さんは僕を相変わらず抱っこしながら皆の元へとゆっくりゆっくり戻っていく。
その途中で僕は詰まった喉を無理にこじ開けながらお父さんにぽつ、と言った。
「燃やすのだけは、嫌だ」
「火葬は嫌? さよならを言うのは?」
「何か、形に残るのが良い……」
「そうか……」
「ロケットとか、アルバムとか、写真立てみたいなのが良い……」
「うーん。とはいえ、跡形も無くなってしまってなぁ」
と、その時。
「アイツの設定資料は300ある」
しわがれた、しかし凛と響くあの声が聞こえた。
お父さんが肩をぴくりと振るわせてその場に立ち止まる。
彼は直ぐ近くの木のかげにもたれかかっていた。
「ディアブロ……」
いつの間に。
「傷心してる子どもに今更何の用だ」
「アイツの設定資料は300枚あるって言ってるんだ」
「それは聞いたよ。用件を言えっつってんだ」
お父さんがぎゅうと守るように抱き締める。僕もその胴をきつく抱き締めた。
「そこにはマモンに関する全ての情報――名前、年齢、関係性はさることながら、ここまで奴が歩んできた道程、あらすじ、更にはお前達と交わしてきた全ての台詞、心情さえも載っている」
「……まるで『物語』みたいだな、我が愛し子よ」
すう、と目を見開いた。
* * *
それからというもの、全キャラクタを総動員した「彼の散らばった紙集め」がスタートした。
王の言う300枚という枚数を信じて皆、北から南、東から西、森の中から川の中までくまなく探し回る。
「水に濡れて破れた紙は死神のお姫様の所まで!」
「ちょちょっ、何で先生如きが姫様の仕事を決定なさるのです!」
剣俠鬼がファートムの胸元を掴み上げ、かっ開いた目でギロリと睨む。
「だだって、時間を司る神様なん、でしょ? 時間を戻して貰えれば直せるし……」
「だとしてもその仕事をするかどうかをお決めになるのは姫様で――!」
「わぁい、姫おしごとー!! 姫えらーい!! 姫すごーい!!」
「そうだぞお嬢! とっても偉い偉いだぞー!! とっても凄い凄いだぞー!!」
今にも運命神を刀で真っ二つというところで彼らの直ぐ傍を件の姫と紙吹雪をばら撒きまくる斧繡鬼がとててと駆け抜けて行った。
「ぜぇんっぶ姫におまかせ!」
「よっ! かっちょいい!!」
クラッカーがぱぁん!
遠くでとっても楽しそう。
「……」
「……」
無言で胸倉を掴み上げていた手を離す。
「命拾いしたな」
「っていうか今思い出したけど、お前さん俺より下の階級だったよな?」
そんなこんなでどしどし見つかっていく。
「ベネノ! あっちまで一緒に探しに行こうよ!」
「う、うん!」
「あ、俺も行く! 俺も混ぜて欲しい! 良い?」
「勿論だよ!」
「ジャックは寧ろ来て」
「やったぁ! それじゃあ虹も連行!」
こそこそっと向こうに一人で探しに行こうとしていた虹の首根っこをジャックが笑顔でむんずと掴む。
「ぐわあっ、ちょ! 和樹氏と凡太郎がジャックと行くのは分かる! 何で僕までッ……!」
「「いーからお前も来るんだよ!」」
ジャックとふと言葉がハモって盛大に笑った。
各々が出演した物語のページを見つけては皆で昔話したりする。
あの時マモンが金庫を抱えててびっくりしたとか、下手っくそなカタカナ龍淵語使ってたよなとか。
「ベーネーノーくんっ!」
と、突然後ろからニッコリ笑顔でべたーっとくっついてくる三つ編みの男。
声だけでも体がぞわぞわぞわってなるのにぎゅうーっとしっかり抱き着いてくるもんだからたまったもんじゃない。
「あぎゃぎゃぎゃーっ!!」
変な声が出た。
「あ! ちょ、ベゼッセンハイト! ベネノから離れろ!」
じたばた暴れてるのに全然抜け出せないし、和樹が一生懸命引き剥がそうとしてくれてるのにびくともしないし。
マジ何なんだよコイツ! 背中に頬ずりなんかしやがって……! (因みにジャックと虹は余りに突然の出来事過ぎてぽかんとしている。そりゃそうだ……)
「ベネノくん。ほら、マモンの設定資料沢山集めてきました」
「あ、ど、どうも。ありがとうございます」
彼一人で百枚近く集めたらしい。仕事だけは完璧以上でとても助かる。
仕事「だけ」は。(あと一応顔も。顔「だけ」も)
「――ところでこれ以外に何か欲しいものとかはありませんか?」
「な、無いです。強いて言うなら放して欲しい感じ……」
「なら心に隙間風は吹いてませんか? 何なら私がその隙間を埋めて――」
「はいはいすとっぷすとっぷー」
と、突然ベゼッセンハイトと僕の体をべりっと何者かが剥がした。
「すまんけど俺の友人の大事な息子チャンだから、あんまりべたべたしないで欲しいかな。怖がってるでしょ?」
……!!
声と匂いと、何なら気配だけで分かるぜ!
その正体は勿論――!
「「れいれいさんっ!!」」
今度は和樹と言葉をハモらせ、更には二人同時にれいれいさんにしかっと抱き着く。
「なんだなんだ和樹。喧嘩か?」
「れいれいさんは俺の憧れのひとなんだっ!」
「んなっ、ぼぼ、僕だって!」
「じゃ、じゃあ言っちゃうけど! 俺はれいれいさんに助けてもらったことがある!」
「だ、だったら僕は押し倒されたことがあるー!!」
「えっ……それは……何か……え○い」
「ははーん、さては僕の勝ちか?」
「おいおいお前たちは何の喧嘩をしているのだ」
「取り合いに難儀しているならベネノくんは私が預かりましょうかっ」
「君はちょっと黙ってなさいベゼくん」
……。
「れっ、れいれいさんたしけてーっ!!」
「ちょ、コラコラ黙って持ってくな! 置いてけ!!」
……、……、……。
……、……。
……。
「297、298、299」
「わあっ、あと一枚だ!」
「……本当に300あるんだろうなぁ、悪魔のジジィ」
「私の愛し子が大切にしている男を構成している紙の枚数を間違える訳は無いだろうが」
「ってかベネノはお・れ・の子だから。もうおめぇのじゃねえから!」
「いや、名を授けてやったのはわ・た・しだ、『ベネノ』はスペイン語だろうが!」
「もうベネノにはソーテラーンの紋も黒い蛇の瞳も無いから! 俺んとこの白濁の瞳にもうなったから!」
「その能力は私の所から転換した奴だろうが!」
「はいはーい、大人二人が最終回にもなってみっともねぇ喧嘩をしないでくださいねー。――デヒム、そっちの王様頼んだ」
「はい」
まだぎゃあぎゃあ言い合ってるなっさけねぇ大人二人を黒耀とデヒムさんがずるずる反対方向へと引きずっていく。
あれは空気、あれは空気、あれは空気、あれは空気……。
「で、その肝心のあともう一枚は?」
「それについてはさっき見つけたって連絡が」
そこまでテラリィが言いかけたところで向こうからすいーっとやってくる一つの人影。その正体は――ゲッ、エンジェル!
「見つけたよ」
静かにそう一言だけ言い一枚の紙をはい、と手渡してくる。
「あり、がと……」
「……」
「……」
「……」
き、気まずい。
さっき感情のままにあんなこと言っちゃったから……。
そんなちょっと変な空気にまごまごしていたら和樹とジャックが同時に頑張れ! なんて言いたげに両の拳を胸の前にく、と持ち上げる。
それで更に頷かれたりしちゃったらもう言わない訳にはいかない。
もう一回ちょっともじもじして、少し深呼吸して、勇気を沢山振り絞って。
「あ、あの、エンジェル」
僕の手元にある最後の設定資料をじっと見つめていた彼女の双眸がこちらを向く。
「さっきは、その。ごめん。きついこと言っちゃった、かも」
「ううん、私もごめん。多分あなたの気持ち考えられてなかったから」
こんなこと言ったらあれだけど、案外あっさり言葉が返ってきてちょっとびっくりした。あんまり想定外だったからぽかんとしたまま「ああ、うん」としか返すことが出来なかった。
「ねえ、それより早く本にしよう。マモンさんが待ってると思う」
「う、うん」
この中でいえば30ページ目にあたる最後の紙。そこに書いてある文章がちらりと目に入る。
『優しいし能力は扱えないしちょっと本能的な所がある、どうしようもなく悪魔に向いていない奴。
しかし善人であることには違いない。――いや、それもそれで大困りである。てめぇは悪魔だろうが。
ということで、どうやったら悪魔らしくしてあげられるかを模索中。取り敢えず似た者同士のベルゼブブに最初は任せることにしようか。
(追記)
……待て。これ、逆効果じゃないのか?』
「これ設定じゃなくて愚痴じゃないか」
しかも失敗してるし。
ちょっとくすり。
続く後の部分も読めばそこにはこんなことが書いてあった。
『最近こっそりベネノのことを慕っている、っぽい。
あの子に隠れて
恥ずかしいからだそうだ。
――だからてめぇは悪魔だろうが!』
ここで遂に我慢が出来なくなって思わず吹き出してしまった。
全くだ。
お前は悪魔だろうが! マモン!
満を持してお父さんが設定資料集を受け取り、枚数とページを確認。間違いはないかを念入りにチェックし、丁寧に整える。その上で千枚通しで穴を空け、和綴じでまとめ、製本テープで綺麗に製本してくれた。
「はい、猛毒ベネノ改め良薬ベネノ。聖人としての生誕おめでとう」
お父さんが綺麗に作ってくれたマモンの本をその場で受け取り、紙の匂いを肺いっぱいに吸い込む。
多分気のせいだろうけれど、何だか薔薇の香りがした気がした。
それに心がぱっとほころぶ。
「ありがとう、お父さん! 世界で一番大事にする!」
腰のあたりにぎゅうっと抱き付けば、あははと笑って頭を撫でまわした。そして直ぐ王に向かって勝ち誇ったかのようなドヤ顔を向ける。だからやめなさいってみっともねぇ争いは。
向こうの方でまた取っ組み合いのなっさけねぇ喧嘩が始まり、周りのキャラクタ達がなだめ始めたところでジャックとエンジェルが入れ違いにとててと近付いてきた。
あっちの喧嘩は聞こえない振り、聞こえない振り……。
「ねえ、パーシー」
「ん?」
「その本の題名、何にするの?」
「……題名?」
「そ。だって本だもの、立派な題名こしらえてやらなくっちゃ!」
わくわくした様子の青い瞳がこちらをじっと見つめる。
それに何だかどきどきして少しの間考えてみた。
「えっと、えっと……じゃあ……」
「うんうん!」
「『猛毒少年にご用心』、とか?」
「……、……うん?」
照れ笑いながら言ってみた題名にジャックは笑顔のまま固まった。
その表情のまま首をこてんと傾げて、
「それは、どういう意味?」
と問うてくる。
ええっ!? 意味!?
「え!? え、え……分かんない」
「分かんない……? 意味はそんなにないの?」
「よ、よくそう呼ばれてたかなぁ、ぐらいの……」
「……」
「な、ははぁ……」
ちょっと沈黙して後。ぱかっと開いたジャックの口から
「わぁ、下手っぴー」
――ンナ!
「んがっ、ちょ、わ、分かってはいたけど改めて言わないでよぉ! 題名なんてご立派なもの付けるの初めてなんだもん!」
「えへへ! でも良いんじゃない、何だかパーシーらしいよ!」
「どこがぁ!」
「掃除は出来る癖にどっか不器用なところ!」
「なんだよぉ!! ジャックは掃除できない癖にーっ!」
「手先は器用だよ! 大剣投げて頭に刺したことないもん!」
「それは……器用って言うのか?」
そうやって僕らがおかしな追いかけっこを始めたのを見て――
――エンジェルが春のように微笑み、そのまま困ったようにくしゃっと笑った。
鈴のような笑い声が青い空にはじけて溶けていく。
* * *
時間は良くも悪くも、くよくよした僕のためだけには待ってくれない。
日常は襲い掛かるようにまたすぐ僕らに迫ってきて、慌ただしい毎日の中へと僕らを押し戻していくだろう。
そしてそんな日常さえも、その姿が変わればまるでそれまでの日々など無かったかのように跡形なく綺麗に塗り替えられ、あたかも「今までもそうだった」かのように僕らの周りを取り囲んでゆく。
記憶も慌ただしく過ぎ去っていく。――違うのはその体感速度のみで。
……きっと、何もしなければ君も同じように僕らの前を通り過ぎ、知らないところへ行ってしまうんだろう。
「でも僕は、忘れないよ」
「君のこと、物語にするんだ」
ぽつりと呟けば春風がさっと吹いた気がした。
東風が吹けばそれを境に春がやってくる。
風のお知らせに花が次々開きだす。
マモン、君の命がまた繋がってゆくよ。
そうして物語もずっと、続いてゆくよ。
静かに白銀のモノクルを付け、昨日出来たばかりの本の一ページ目をめくる。
これで『マモンのおはなし』は、おしまい。
(第七話 『約束の向こう側』 Fine.)
(終幕 Curtain call につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます