『最後のチャンス』
服をはためかせ最後の戦場へと降りてゆく。
地に降り立てば目の前にアイツが――黒い烏の羽で覆われた黒スーツに汚濁塗れのアイツが立っている。大切なモノクル越しに世界を見る筈の右目は既に「陰」に呑まれた後だった。
あの綺麗な顔がまだ残っているだけ、奇跡。
『しツこい……しつこい! 利用されるダけの手駒の癖に、自我を持ッタような動きばかりシヤがって……あの時「ワタシ」に呑まれていれば良カったものを!』
頭に響くようなマモンベースの人外の声。
……もう意識の半分は乗っ取られているんだろう。そして自分自身の崩壊にいつまでも気付けないでいる。
『私は世界を変えルンだ。理不尽な不幸がキャラクタを押し潰す世界を壊しテ、新しい世界を構築、スル……』
「マモン、もうよしなよ! 願いを叶えようとすればする程君は『陰』に利用されていってしまう! 『陰』は唯、君の願いを利用して骨の髄までしゃぶり尽くして自分達にとって心地の良い世界を作ろうとしてるだけなんだよ! そんなの、僕らが目指してきた世界じゃない!」
『ウルサイ! ワタシ達は……同盟カンケイダ、ワタシ達は同ジ世界……同ジ世界求メテル。求メテルンダ!!』
『安寧! 安心! ワタシ達、ミンナ幸福、ハッピー! 欲シイ!!』
『敵意、イラナイ。悪意、イラナイ。仲間だケ、欲シイ! 仲間ダケ……仲間、ホシイホシイホシイホシイホシイホシイ』
「それはそうかもしれないけど……!」
『駄目だよベネノ。こんな状態で彼に伝えようなんて無茶』
もっと言葉を継ごうとした所でふとエンジェルが割り込んでくる。
「……」
『先ずは彼らが拠り所にしている
「……」
『話し合ったって分かり合えない相手はいっぱいいる。そんなことに力を使って消耗してしまう前にここに来た目的を思い出して』
……。
やるしかないのか。
後ろ髪引っ張られながら空虚に縋りつくのをやめた。
覚悟を決めた。
「エンジェル、光済の短剣だ!」
一声叫べば杖はあっという間に装飾豪華な金の短剣に変身する。
姿勢を低くし、足の裏をバネにして。
彼の元へと突っ込んでいく。
* * *
先制!
「ぅああああああっ!!」
ゆるりと構えた彼が右手を伸ばせば石壁に刃先を激突させたような感触がびりびりと骨の髄を伝う。その先には超硬質のバリアーの壁。
予想はしてたけど……!
「固って!」
『「嫉妬」だ』
「どうしよう?」
『まずはいつもの作戦で良いんじゃないかな』
「……バリアーの弱点を突くってやつ?」
『それか耐久力をごりごりに削るか』
耐久力を削るとか。――できるのか? こんなクソ固ってぇの、何発殴れば割れるんだよ。勝負つくの何年後だ?
いや、というかそもそもレヴィアタンに限って弱点わざわざ作るだろうか。
「……ちょっと様子見で」
相手は右手の振りでこちらの攻撃を弾いた後そのままの流れで左拳をいつものように腹に押し当て、武器を引き抜く。
取り出したのは――
「ナイフ?」
わざわざ銀を避けてぴかぴかの金色にしてるけどあれはどう見ても巨大な食卓用ナイフだ。長い付き合いだけどあんな武器出してるとこも、というかその存在すら今まで見たことがなかった。
デカい両手剣ぐらいに思っておけば良い? どう対処すれば正解なんだろうか。
「っていうか何で今になってこんな……これも『陰』による侵食の影響とかなの?」
『……』
「エンジェル? ――うわわ!」
流利な金色の曲線が空を裂き、こちらに重たい鈍撃を以てしてぶつかってくる。火花を散らして刃同士を滑らせてもう一度向かってきたその重みを横に薙ぐように払って勢いよく後退。
短剣の当たり所が奇跡的に良かったから良いものの、もうちょっと位置がずれてたら手の一つ二つちょん切れていたかも分からない。
しかもお肉がよく切れるタイプのステーキナイフじゃないか! 殺す気満々の武器持ちながら平和な世界とか言ってんじゃないよ! 説得力がないですよ!
「厄介だぞあのお肉がよく切れるタイプのステーキナイフ!」
『分かったよベネノ! 今ぶつかってみてようやく確信した!』
「な、何がっ!? 今忙しい、んだけ、どっ!! ドワアア!」
よく避けたな今! 自分偉すぎ!
見た? マトリ○クスみたいだったよ!?
『忙しいとしてもお願いだからよく聞いて! あのナイフは「暴食」なんだよ!』
「『暴食』?」
『よく思い出して。これまでの彼の武器は「七つの大罪」のそれぞれの特徴をよくよく反映しているでしょ』
「さっきのバリアーはレヴィアタンの『鱗』で、この巨大な刃物はベルゼブブ様の『ステーキナイフ』ってこと? ……そう言われてみれば確かに、そうかもしれない、っと!」
しつこく向かってくるマモンの腹を隙見て蹴飛ばし、ちょっと余裕の出来たところで顎を滴る汗を拭う。
『それって即ちあれらの特徴的な武器が彼の持つ「七つの大罪」とリンクしてるってことになるんじゃない?』
「……どういうこと?」
『だから、あの武器の破壊がさっきの「主人公補正の破壊」と同じ意味を持つかもしれないってことだよ!』
……!
「え、でもそんなのってあるの!? 聞いたことないけど」
『やってみなくちゃ分かんないでしょ!?』
「そうだけど……」
『私を信じて。私はマモンさんの一部を持ってる!』
「……」
本人に勝る理解もないよな。
やってみるしかない。
「嘘だったら真っ二つにへし折ってやるからな」
『じゃあその前にあなたの恥ずかしい秘密をマモンさんにバラしてやるから』
「知りもしない癖に!」
『そっちだって折ったら折ったで困る癖に!』
「っていうかそもそも届かない癖に!」
『私がいなくちゃ何にもできない弱みその癖に!』
叶いもしない実現することもない脅しを互いに無駄に言い合いながらマモンの方へ再び腹を向ける。
逃げてばっかだったけど今度は僕らの番だ。
『先にどっちを狙う?』
「……『嫉妬』」
『策はあるの?』
「西洋と東洋じゃ物語の世界観が違い過ぎるけどさ」
「この物語の作者は中国文学かじってたし、どうせここにも当て嵌められるでしょ」
『……この物語、最後までこんな調子なの?』
直ぐに察してくれたらしいエンジェルがはぁと溜息。
ね。メタいよね。
「エンジェル、『突壊棒』!」
『懐かしいモン出してくるわね!』
たった二、三話ぐらいしか出てこなかったやつ!
ぱん! と両掌を合わせればその中から金色の吾が懐かしき愛用武器!
孫悟空よろしく棒を地面に突き立て一気に跳躍、上から襲い掛かる僕に対して彼は予想通り「嫉妬」を展開してくる。
ガキン――!
剣のように叩いても堅い鱗に阻まれてしまうけれど!
「中国文学かじってる作者の創作物ならば!」
きっと八十一枚あるであろう鱗をじっと見極め、目標を捕捉。
「あるんだろ!?」
膝をばねのようにして着地、すぐにバリアーまで走り込みつつ棒の持ち方を変え、目標に向かって真っ直ぐ突いた。
「逆鱗!!」
瞬間、ぱ。とひびが入ったバリアー。粉々に砕け散ったそのバリアーから霊魂が飛び出してきた。
その途端、直感が脳に訴えかけてくる。
――奪われたレヴィアタンの魂。
「光済の短剣を!」
『分かった!』
すぐさま手の内に現れた短剣を思いっ切り投げれば霊魂が藤色の光を鋭く放ちながら破裂。
《『貴方がたに会いに来たんです』
『楽しませてくれますよね?』》
……直後に聞こえたこの声。
出会ったばかりのアイツと初めて交わした会話だ。
あの頃はこんなに深い関係になるだなんて思ってもみなかった。
『やっぱり武器の中に「七つの大罪」の霊魂が宿ってる』
「じゃあアイツの攻撃を片っ端から潰していけば良い訳だな」
『ええ。解放しましょう、私達の大切なひと』
「勿論だ」
心臓の辺りを押さえ、一瞬苦悶の表情を浮かべた彼の元へと再度向かう。
しかしそのまま隙を晒す訳では勿論ないマモン、今度は腹からフォークを取り出し愈々暴食の出で立ち。
『彼の特殊能力に気を付けて!』
「分かってる!」
彼女に呼びかけ、「光済の大剣」を召喚。トライデントが如くのフォークと大剣をかち合わせたと思ったらその直ぐ横をステーキナイフが通り過ぎていく。
「グ!!」
ちょっと頬が切れた……! 目をひん剥き、思わずその部分を掌の熱い部分で押さえる。焼けつくような切り傷の痛みが本当に嫌い!
と、すぐさまナイフに付いた血液を舐めとろうと舌を伸ばし始めるマモン。
『ベネノ、彼に捕食をさせないで!』
焦り叫ぶ彼女の声にハッとして、背を押されるように僕は瞬時に彼の懐に飛び込んだ。驚いたらしいマモンだったが、今度は僕の体ごと喰らおうとそのフォークの切っ先をこちらに向けて思いきり振りかぶる。
『させない!』
重量のせいで直ぐには動かせる筈のない大剣をエンジェルの力で無理矢理彼の攻撃の眼前に突っ込ませ、三又フォークの切れ目の間に大剣の刃を無理矢理差し込む。
上手い具合に挟まってしまい取れなくなった。
「チャンス!」
大剣をぐるりと回して無理矢理フォークを奪取。そこにタイミングばっちりのエンジェルが自らの質量を増大させてフォークの先を破壊。そこから飛び出した霊魂を大剣で祈るように刺突すれば、また花火のように弾けてアイツの声が聞こえてくる。
《『しっかりしろ、負けるな!』
『負けるな!!』
『お前は、私の、私の――』
『私の光じゃないか!』》
……僕の大好きな言葉。
マモンがくれた初めての贈り物。
嘘じゃない筈って信じてる。
『コノ……ガキ!』
直後ハート型の刃にピンクダイヤモンドがゴテゴテした槍を取り出したマモン。名乗られずとも明らかに「色欲」と分かる形状。
リーチの長い武器に対しては……。
「次は鎖鎌」
『O.K.』
装飾の綺麗な鎖鎌が出現。鎖部分が通常より若干長いのが分かってる感だ。
『オマエタチはこのアクマのコト、何も分かっていナイ』
マモンの口を借りて喋り出す「陰」。油断なく構え、いつ来るともしれない攻撃に備える。
『このアクマ、平和ナ世界を望む。モチロン我々も平和ヲ望む。戦い、キライ。静かに暮ラシタイ』
「……命を奪ってぶくぶく太っておきながら何を今更」
『なら』
『私のこともそう思うのですか、主』
突然。
顔にかかっていた暗さも狂気も全て失した「元の」マモンが憂いを帯びた瞳でこちらを見た。
――え?
『悪魔とは理性的な生き物です。しかしその性格と世間との要求に応えて生きれば悪者扱いされる、哀れな生き物です』
『独り苦しみ、独り泣き、求められるがまま罪を犯し続け、使い古されれば新品に交換がなされる』
『結果、ベルゼブブ様のことを何も知らぬ者達が彼を冤罪で殺した』
『そんな世界をどうして受け入れろと言うのですか、主』
『私のことだけは分かってくれていると信じていたのに……』
初めて見せる悪魔の涙。水晶のような透明が、混じりっけのない無垢が余計に心をかき乱す。その憂いがこれまでの日々をいやでも想起させる。
これまでの自分の鉄のような決意。その無機質な、金属的な硬さにヒジョウな情けなさを感じずにいられなくなる。
僕は、僕は……。
『主、お願いです。見捨てないでください』
ど、どうすれば――。
『主……』
『主……ワタシを愛、シテ……』
――危ない!!――
「ウワ!」
いきなり腕が持ち上がったかと思ったら鎌の刃が彼の刺突する槍の刃を受け止めていた。その先にあるマモンの目は穴ぼこのようにどこまでもどこまでも虚ろで恐怖すらかき立てるのにそこには甘い香水のような香り。
深く吸い込めば脳がぐらぐらするような魅惑の香り。
『幻覚だよ! しっかりして!』
彼女のビンタのような一喝にようやく目が覚める。
これ以上やられる前にと慌てて槍に鎖を絡め、一気にこちらに引き寄せた。
その真ん中に堂々と飾られるハート形のピンクダイヤモンドに鎌の刃を思い切り突き立てれば柔な桃の霊魂が飛び出す。
「戦輪!」
『ほいきた』
弾けば雲のように霧散し、その奥からまた声が聞こえてくる。
《『嗚呼、主、私は心配しているのです。年齢イコール彼女いない歴とかいう少年が突然恋愛の世界に入って恥ずかしさの為に爆散してしまわないか』
『そんなになる訳はないだろ!? 僕のこと何だと思ってるんだ!』
『恋愛界のひよこちゃん』
『馬鹿にしすぎだ!!』》
よりによってそこかよ。
思い出すポイントが微妙過ぎて思わず苦笑。
そういえば冗談もぺらぺら喋る紳士だった。
『ウガアアアッ!』
また己が身に宿していた命がどんどん奪われ、怪獣みたいに叫んだ彼は真似だか何だか知らないが腹から鎖鎌を取り出した。
『ワタシのホウガ! ワタシのホウガ、お前なんかよりスグレテいるノニ!! コンナ奴なんかニ!!』
なんて騒ぎまくりながら自分の持つ鎌の長い長い鎖をぶんぶんぶん回す。
「……『傲慢』か」
『みたいだね』
「『傲慢』は醜いよ。ちゃっちゃとやっちゃおう」
言いながら取り出したのはドデカイ「レールガン」。確かクライシスマン・親の腕辺りに付いてたやつ。
……どんな物か気になる読者諸君は取り敢えずバイ○ハザードRE:3のラスボス戦を見てくれ。
『……あんた「傲慢」に親でも殺された?』
「発射三秒前! エネルギー充填用意!」
『……』
理由は敢えて聞かないことにしたエンジェル。
下手したらマモンごと灰になってしまいそうなぶっといビームを器用に鎖鎌にのみ当てれば、追撃の必要もなく霊魂が昇天していく。
《『ふ、ふーんってあーた。これはめたくた凄い事なんですよっ!? 宇宙ですよ宇宙!! ずっと欲しかった宇宙、夢にまで見た宇宙!! やっぱ、世界の王たるもの、宇宙ぐらい所有地じゃないといけませんよねっ!』
『誰が決めたルールなんだ』
『やだなぁ、私に決まってんじゃないですかー!!』》
宇宙の真ん中に立派な豪邸建ててブラックホールをペットにするとかふざけたこと言ってたっけ。
あの時はとんでもなく大変だったし辛いだけだったけど、思い返してみれば案外楽しかったし、読み返したら意外と面白かったよ。
何か月か前の僕に誰か伝えておいて。
『あと三個! 半分切った!』
「畳みかけよう!」
手に鉤爪を装着し、炎のオーラを身に纏ったマモン。
『ウアアアアアアッ!』
文字通り「憤怒」に我を忘れたような彼の攻撃を滑り込みつつ躱し、サーベルの細い刃で的確に爪の甲にある赤い宝石を刺突。
中から出てきた燃えるような霊魂を貫き刺せば微かな彼の声。
《『主』
『どうか私を許してください』》
――神殿裁判。
へ―リオス様の神殿から逃げ出す時。マモンがあの王から僕を助け出してくれた時。
彼が確かに言ってた言葉だった。何故だか妙に覚えている。――いや、違う。引きずり出されたんだ。
僕はこんな大事なことを今の今まで忘れていた。
裏切られるなんて、考えもしなかったから。
……マモン、あの時から君は何を覚悟していたの。
僕に対して何を謝っていたの。
『最後の二つだよ!』
「もう少し……!」
もう大分苦しそうな彼が最後の力でも振り絞るかのように地面に両手を叩きつければ地面に巨大な魔法陣が組み上がる。
そして彼の背後で何やら巨大な武器が顕現し出した。どんどん組み上がっていく。
『マズい!』
「えっ、何が?」
『「怠惰」よ! 相当厄介なやつ!!』
「どどっ、どゆこと!?」
『良い? 「怠惰」は古来より人類の技術の進化を促してきたのよ』
「……歴史の授業?」
『良いから聞きなさい!』
怒られちゃった。
『もっと効率よく狩りがしたいから武器が生まれた。もっと早く言葉を伝えたいから電話が生まれた。もっと計算を簡単にしたいから電卓が生まれた。このように技術革新の裏にはしばしば「怠惰」があったの』
「ふむふむ。――で?」
『つまり今のマモンさん的にはもっとあなたを手っ取り早く殺したいので即死級の化け物武器であなたをやっつけちゃおうって考えてるってことよ!』
「ええええええーっ!?」
五十万字を共に歩んだパートナーに対してやることか!? それ!
『早く! あの攻撃の要を見つけて早く霊魂を解放して!』
「とはいってもどこに攻撃を撃ち込めば!」
『知らないわよ、兎に角頑張りなさいよ!』
「んな無茶なぁ!」
ええい、こうなったらままよ!
せめてもの
見極めながら狙いを定める。
歯車が次々地面から出現していっては互いに組み合わさりどんどん武器の形になってゆく。
時間がない!
『彼の武器がこれから組まれていくというのならどこかに「心臓部」があるはずだよ!』
「とすればメインの部分とか、大事なネジとかそういうのに撃ち込めば良い?」
『そうね……とはいえボンクラなあなたの事だから、肝心のメインがどこにあるかどうせ分かんないんでしょう?』
「……ボンクラは余計じゃない?」
図星だけど。
『なら……賭けにはなるけれどちょっと考えがあるの』
「何するの?」
『私の一部をあの武器の中に送り込む』
……。
……ん?
「どゆこと? 説明されてもぴんと来ないんだけど」
『良い? 私の中にはマモンさんの「強欲」が流れてる。そこまでは良いでしょう?』
「うん」
『……私、体をもらうまでは意識体だったから自分の一部を違う武器に移すことぐらいは他愛ないことなの』
「そうなんだ」
『そしたら私の方で弱点を探して示してあげるから、あなたは私の助けなしにその弱点を撃ち抜い――』
「ええええきっと無理!」
『拒否が速い! まだ話してるでしょ!』
だって、「強欲」のない武器でやるなんて!
『大丈夫。的は大きくしておいてあげるから』
「そういう問題じゃなくない?」
『でもこのまま放っておけばあっちの武器完成と同時にあなたの死亡を以てしてこの物語は終了よ』
ウ。
ついでに「不死の補正はあなたが破壊したからね」とか嫌なことをわざわざ付け足してくる性悪天使。
そんなこと言われたらもうやるしかないじゃないの!
「なるたけ射的初心者に優しい感じでお願い!」
『注文が多いわね!』
と、途端に今まで感じ取れていた「天使の温み」が消え、ただの武器に変貌する「ナガン改」。
同時に向こうに金色の大きな丸い的が現れた。
『ここだよ! ベネノ!』
「オッケー」
撃鉄が重い。
引き金も重い。
手が震える。
銃口が震える。
プレッシャーが、募る。
『大丈夫だよ、私を信じて。落ち着いて、大きく深呼吸!』
「……いくよ!」
『待ってるよ!』
決意を以てして、覚悟を決めて。
大きく息を吸って、吐いて。
「ああああああああああああっ!!」
気合い入れの絶叫と一緒に銀の弾丸がその口から吐き出された。
向こうにある的へ向かって一直線――。
* * *
――ズドン!!
物凄い音を立てて銃口から弾丸が飛び出した。と、同時に「強欲」のない「ナガン改」がバラバラに壊れる。
そりゃそうか。中身が無いから。
そうして弾丸は見事にコアと思われる部分に命中。
「ギャアアアアアアアア!!」
絶叫を空間内に響かせマモンが大きく揺らめいた。
《『……貴方がいけないんですよ? ベネノ』
『良薬が劇薬に染まったりなんかするから』》
抉り込むような思い出が霊魂から飛び出す。
……大丈夫。もうちょっとだ。
もうすぐ呪縛から解放するから!
あと一つ!
「もう少しだよ、ベネノ!」
先程まで「怠惰」の武器の所に宿っていたエンジェルが向こうからこっちに飛んでくる。
その足を何とボロボロのマモンが掴み、引き寄せた。
「きゃあっ!!」
「エンジェル!!」
『オ前か……オ前がワタシを苦しめタノカ!!』
自分の胸の前に彼女をしっかり抱きすくめ、自身はその身に無尽蔵に宿る黒い炎を体中で焚き始めた。
――そんなことしたら!
エンジェルだけじゃない、本体であるマモンの命も!!
「いやあああああっ!!」
炎の中から絶叫が響く。
『オマエヲ……オマエヲトリコンデ、アイツヲタオスカテニシテヤル!!』
もうその声にマモンの面影はない。
エンジェルの体に彼から滲み出した「陰」が纏わりつき始めた。
暴れるけど全然逃げ出せない!
「駄目だ、マモン駄目だやめろ!!」
叫んではみたものの、正直言えば一瞬恐怖で足がすくんだ。
あの中に飛び込んで捕まってしまえばそこにあるのは「死」のみ。
でもここで立ち止まったら……ここで躊躇してしまえばもう助けられなくなる!
その「事実」がやっと背中を押してくれた。
あの日見ただろベネノ!
――足を止めないように。目を背けないように。覚悟を折らぬよう言い聞かせるように何度も頭の中で繰り返す。
マモンが過去に残した後悔を! お前は見ただろ!
あの日たったひとつ。ほんの少し躊躇してしまっただけで失われた命、ベルゼブブ様のこと!
「もうあんな悲劇を起こしてなるものかあああああっ!!」
もう最後はほぼ目を瞑っていた。
単身マモンの懐に飛び込みエンジェルを押しのける。
「べ、ベネノ!」
そしてもう離さないようにと、しっかり彼の腹に抱き着いた。
これで退路はなくなった。代わりにどんどん呼吸も苦しくなっていく。心臓が信じられない程の負荷と戦っている。
『ナニヲスル! シヌキカ……ソウカシヌキカ!!』
「マモンを……マモンを返せ……!」
「ベネノ離れて! 死んじゃうよ!!」
『イイダロウ……イノチモロトモオマエヲクイツクシテヤル!!』
「何をする気なのベネノ!!」
周囲の音がどんどん遠のく中、頭の中には一つ。たった一つ彼の言葉のみがこだましていた。
『言葉や行動、儀式、憎む心等は時に呪いとして人の途を縛りますが、それは捉え方次第では優しさに転換することもある。――貴方の猛毒が良薬に変わることがあるように、私の強欲が豊かさに変わることがあるように』
『そういった転換を果たした者は一転、聖人となり『黒い蛇の瞳』が『白濁の瞳』に変わります。幼い天使の生え変わりの羽毛を一箇所に集めた時、真ん中に現れ出でる希少かつ小さな色、それが白濁ですね』
――「猛毒」が「良薬」になる。
相変わらずの悪魔には似合わない優しい目で語ってくれた御伽噺のような事実。
SFの時、僕の元には来てくれなかった事実。
もう僕に残された彼を救う道はこれしかないって本気で思った。
もしかしたらもっと他にもあるのかもしれないけれど、でもそう思わずにはいられなくて。
「だからっ……だから今日来てくれないならマモンと死んでやるからな! 聖人!! 一緒に自爆してやる!! 心中してやる!!」
……外でエンジェルが何か叫んでる。
でも、もう何も聞こえない。苦しくて苦しくて、頭もぐらぐらして、ふわふわして、もう何も考えられない。
もう、もう。縋りつくしかなかった。
祈るしか、願うしか。
運命が出す、賽の目に託すしか……。
【今請い願わん! この猛毒の力よ!】
【僕のっ、僕の大切な相棒を今こそ解き放たん!!】
【全ての不幸を消し去る癒しを彼に与え給え……! 彼の罪を雪ぎ、彼の涙を拭い、彼に安寧と平和を与え給え!!】
【この毒よ、今こそ薬に転じろ!!】
掌で目玉ばかりがぶくぶくと膨らんでいく。
眩暈もしてきた。喉を締め上げるような感触。視界が周りから暗くなっていく。
【毒よ……薬になれ!】
【マモンを助けて……】
【マモンを、僕の、僕の大切なひとを!!】
【僕の大切なひとを、助けて!!】
――その時だった。
確かに感じた胸の奥。
それは白い光。
ぽっと生まれ、直ぐに爆発的に広がった。
風が吹いた!
瞬間、その空間が昼間のように明るく照らされ、妖精のような細かく美しい金の光が今にも死にかけの二人を優しく包み込む。
ただの金と白だけの景色なのに。
それはまるで天界のような。
まっさらな雲の上を柔く照らす朝日のような。
その美しさは天使の少女の目を瞬く間に奪った。心が何故だかぶるぶる震える。
「陰」の粘液がどんどん悪魔の体から剥がれ落ち、その腕の中で小さな少年が大きな瞳から大粒の涙をこぼしていた。
驚きに身を固くしたその「目」を見れば――新たな兆し。
「ベネノ……その目……」
言おうとしたが、直後目にした景色に最早何も言うことは出来なかった。
長身の紳士が、豊かな金髪をなびかせる彼が。
確かに小さな小さな男の子を抱き締めた。
そして温かく頬ずりをする。
「私の――私の
さっきから零れていた涙が、もう止まらなくなった。
あったかい。
* * *
「マモン、マモン! マモン!!」
もう薔薇の香りもしなくなってしまった、でもようやく取り返せたその体をきつく抱き締めてこれでもかって程頬ずりを繰り返す。
「バカだよお前、バカバカバカバカ!! やるなら真面目に全部やれ、僕を殺してでも全部やれよ!! 仕事が増えただろうがこのバカ悪魔! クソ悪魔!! うわああああああ!!」
微笑を浮かべながら全部受け止めるマモン。
彼はふと視線に気づき、そっと腕を広げた。
そこに、一生懸命涙を流そうと努力する、悲しそうな顔を作ろうと頑張る少女が飛び込む。
顔を隠すようにその温かい胸元におでこを押し付ける。
小さな子ども達の体温を愛し気にぎゅうと抱き締めて、堪能するように深く深く息をした。
「皆、よく頑張りましたね」
小さく、静かに言葉を紡ぐ。
少女はこわばる口角を不器用に持ち上げ、少年は「やっと気付いたのかよ!!」と溢れんばかりの感情を彼にぶつけた。
「全部、見てたんですよ。主」
もうくしゃくしゃの顔を困ったように笑みながら両手で挟み
「……あなたも。エンジェル」
無表情は相変わらずだけど安心しきった表情の彼女を片手で緩く抱く。
「二人ともよく運命に立ち向かいました」
「苦難も試練も甘言も全部乗り越えて」
「生きる道を選んで自ら茨の中へと飛び込んだ」
「……そうです。運命なんてものは本当に硬くて、我々のような弱小のひとびとにはどうしても変えられない」
「どんなに法を犯してその根源を揺るがそうとしたって……そんなものは無理になるように出来上がっているんです」
「――何故なら運命とはあなたたちみたいな尊く愛しい命も、醜く汚いこんな命さえ全てが乗る大きな船だから」
「誰かを置いて航海する訳にもいかず、理不尽から逃げ出す場もない」
「事故があれば病気もある。勘違いがあれば恋もあって」
「それはひとの数が多ければ多い程より複雑になり、嫌なこともそれだけ沢山多く起きるようになる――まるで人が多くいる所ほどよく汚れてしまうように」
「でもね」
「そういう不幸があるから私達は『幸せ』を噛みしめられる」
「あなたが教えてくれた、ベネノ」
「あなたの笑顔」
「体温」
「やさしさ」
「喧嘩も悪口も理不尽なことだって」
「全部私の幸せの一部、だったんですね」
「……ありがとう」
僕の方こそ。
言おうとしたけど喉に感情が渋滞してしまって上手く言えなかった。
でも彼はきっと、いや必ず受け止めてくれる。分かってくれる。
だから敢えて言い直さなかった。
代わりにぽつ、と呟くように言う。
「マモン、お家に帰ろう」
「皆が待ってるよ」
「皆が君のために戦ってくれたんだ、お礼を言わなくちゃ」
「そして一緒に帰ってさ。今日は外食しようよ!」
「お前の大好きな麩菓子いっぱい買おう」
「人生を取り戻そう」
「運命を無理に変えなくったって良いさ。でも君が今まで我慢してきたそのすべてを取り戻す我が儘ぐらいは許されても良いと思うんだ」
「大丈夫。また歩き直そうよ。……傷は何度だって癒すから」
「君が背負ってしまったその傷は僕がこの力で何度だって治すから」
視界にちらちら映ってくる。
それをマモンは隠すように、そして僕らを守るように黒い烏の羽を背中に取り出した。
その羽に、彼に融合してしまった「陰」の核から触手のように伸ばされ、纏わりつく。
それを見て。
気付いてしまった。
彼は何度も物語の中で繰り返した。
――戻れないと。
――ごめん、と。
――許してください、と。
その意味をようやく悟った時にはもう遅過ぎた。
その重大さに気付くにはその言葉は余りに小さ過ぎた。
その言葉が塩辛い海のように重くなった時には僕らは――もう引き返せない関係になってしまっていた。
「……主。再会の記念に大きな我が儘言っても良いですかね」
わざと明るく言う。
その事実を永遠に心の中に閉ざしたまま。
「私、新しい人生が欲しいんです!」
「究極の我が儘です」
「あなたのように自由に。大空の下のびのびとくつろぎ、草の上で友と語らう。朝、日の光に目覚めて伸びをしたり、面倒くさがって昼まで二度寝をして焦ったり、雨の中洗濯物を干してしまっていた過去に慌てたり、友達と遊び尽くして汚い部屋の中で泥のように眠ったりしたい」
「大好きなあなたと一緒にずっとずっと居たって誰も咎めないような、そんな新しい人生が欲しい、な」
「私、第一話の時から――いや、もっと昔からラテン語を話すあなたがた家族に憧れていたんです!」
「だって、あんなに皆、仲が良さそうで……」
「……いや、勝手に勘違いして勝手に抜け出したのは私ですけどね」
「でも、でもやっぱり羨ましかったんです」
「私と『主』は、生まれる場所を間違えてしまったんでしょう、ね」
「『主』はきっと、その間違いを正すために命を落とした」
「きっと今頃、生まれ変わって新たな人生を――」
「違うよ!!」
思わず言葉を遮るように叫んでしまった。
「マモンは生まれる場所間違えたりしてないよ!」
「だってここで生まれていなくっちゃ僕ら出会えていなかったもん!」
「苦しいも楽しいも分け合えなかっただろうし、こんな気付きもきっと無かった」
「僕、この日々に無駄があったなんて絶対に絶対に思わないから」
「……聞き分けのいい子どもになんか、絶対にならないから!」
「絶対に認めない」
「一緒に帰ろうよ! 苦しい夜は僕が薬になるから! 一緒の家に帰ろうよ!」
「お別れなんて言わないで!」
「皆待ってる」
「読者が待ってる」
「エンジェルも待ってる」
「何より僕が――僕はずっと待ってた」
「こんなに待たせておいて! ここでお別れとか!!」
マモンが静かに首を振りながら僕をもう一度抱き締め直す。
「どんなに伏線張られていたって、書に書いてあったことだったって! 絶対に認めない!!」
「言い訳も何にも聞きたくない! 死ぬとか許さない! 絶対に許さない!」
「こんなの、作者がただ読者の涙が欲しくて作った展開なんだ!」
「そんなの絶対に許さないから! お涙頂戴なんか大っ嫌いだから、僕!」
いつの間に「光済の短剣」に変身していたエンジェルを感情のままに投げ飛ばしてしまって。その無機質な、でも有機質的に悲しい音にもう我慢が出来なかった。
「何で! 何でいっつもマモンばっかりいじめるの! 運命って、どうしてこんなに重いの、どうしてこんなに硬いの! どうしてこんなに大きくって、動かせなくって……しんどいの……!!」
「……」
頬を両手で挟み、笑んで、涙をそっと拭う。
そのやさしささえも、腹立たしい。
「お前が、こんなに優しいから……! 悪魔の癖に似合わない位優しいからこんな事になっちゃうんだよ!」
「……」
「全っ然優しくないし、こんなの!」
「……」
「理不尽だし、酷いし……悔しいし」
「……」
「もっと一緒に食べたいものあったし、話したいこともあったし、贅沢とかしたかったし、お出かけもしたかったし……」
「……」
「……強欲の癖に、そういうことは変に望んでこないし」
「……」
「でも……、……ひとって、死ぬ時は本当にあっという間に死んじゃうし」
「……」
「……」
本当は、知っている。
だって元々一番それに近いひとだったから。
死ぬたびに悲しみも怖さも常に付き纏った。
逆の立場のひとの色んな表情を激痛の中何度も見ては、忘れることができなくて。
だけど生まれ変わるかもしれない希望は僕を何度も救った。
だって、また会えるって言える。
今度はもっと綺麗になって会いに行くよって冗談が言える。
「死」が怖いだけじゃなくなる。悲しいだけじゃなくなる。
いつまでもあなたの傍にいるため、必要なことになる。
時に祝福になる。
足枷になることもあるけれど、ある日思いを馳せることもできる。
……僕は死ぬ瞬間は、「あなた」に笑って欲しいって。いつも思ってたっけ。
「マモン」
そう言って初めて見つめることができた――ゾンビみたいな顔。さっきまでは辛うじて保てていたその綺麗な相貌も今では変わり果ててしまっていた。
でもそこにずっとあるのは君のやさしさだよ。
おでこから垂れる長い毛をはらって、その口を、塞いだ。
一口、呑む。
余りに突然、かつ一瞬の出来事にぽかんと口を開けたままの彼に僕は微笑みかけた。
「悪魔にとって、キスって特別なことなんだろ? ――あの二人見てりゃ分かるよ」
「……」
「だから、ね。約束」
「生まれ変わったら一番はじめに僕に会いに来て」
「そして来世もその次もずっとずっと。一緒にいよう」
その言葉に彼は静かに頷いた。
ナイフを取りに行って、ごめんをちょっと言って。
「きつく抱き締めていて、マモン」
「最後におまじないかけてよ、怖くないってさ」
最後にその体温と香りと金髪の細さと肌のきめ細やかさと。
彼の声と、思い出のすべてを。
十分に体の中にため込んで。
忘れないように刻み込んで。
まるで、新世界の扉の鍵を開くように。
* * *
その時。
荒みきった荒野を幾筋もの光が駆け抜け、そこら中を汚す「陰」を突き刺すように照らした。
真ん中でベネノ達を取り込んでいた半球のドームもぼろぼろと崩れ去り、その中からこの世のものとは思えぬ程の美しい花びらが無数に飛び出した。
少年の手元に残った一枚にはぽつりと一つ。
「怖くない、怖くない」
「おやすみなさい、ベネノ」
「永遠に愛しています」
* * *
その日。
物語は救われた。
世界中が歓喜に包まれ、もう二度と見ることはないとさえ思われた日光を肺いっぱいに吸い込み、舞う花びらに目を細め、温かな風を体いっぱいに受け止めた。
これからの復興を待つ友の丘に集合しようなんて、約束したりもした。
(つづく)
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