『物語防衛戦最前線-1(運命神の出撃準備)』
* * *
1.
○月×日
その日は良く晴れた日で、夕焼けがとても綺麗な
もうすぐ夜の帳が静かに下りて、夜を守る精霊「星の龍」が空を泳ぎ始める。
こんなくっだらない世界ですがこれだけは譲れない、私の大好きな景色です。
あなたと一緒にその空の下で身を寄せ合って寝たこともありました。
嗚呼、覚えていますか。あの日のこと。
生まれたばかりの私を笑顔で迎えてくれたあなたの顔は朱く染まっていました。
そして、モノクルをあなたにあげたあの日の景色も。
嗚呼、どうか見ていてください。
私はあなたのため、このどうしようもない世界の景色を幸せという色で彩ってみせるのです。
この――今まで溜めてきた力を、「陰」を使って。
そして、その時に迎える夕陽はきっと。
これ以上に壮大で綺麗な朱色になるのでしょう。
――え? あら、ご心配なさっているのですか?
「陰」、のこと……。
いえいえ大丈夫。
安心してください。
その日のために、私は頑張ってきたんです。
意識の干渉しない全てのものを支配する能力の修得を。
あなたのために。
* * *
三人の足が不安定な足場を駆けた。
周りはすっかり陰の海で、時々手のような物が伸びてきては自身の栄養にしようと神々の足を掴む。
「コナクソ! しつっこいな!」
斧繡鬼が何度目か分からない土塊を放り、質量と勢いで圧し潰す。一番最初、火炎を放ったら「陰」を燃料に「黒い炎」になってしまって大変だった。
かなり面倒くさかった。
ならば空を飛べば良いという意見もあるだろうが、それでは今度はマモン本人に見つかる。
彼は今大量の「陰」を受肉し、巨大な怪物の姿でストリテラのド真ん中に居座っている。彼の視界に入るものは軒並み喰われた。暴走による生存本能に従った結果だろう、自分達もその対象になりかねない。
構っている余裕など端から無い。
今は何としてもベネノを救出せねばならないのだ。
「先生、彼の居所の目星は付いているのですか」
自分達の足場にこびり付く「陰」を風圧と雷電で押しのけながら剣俠鬼がファートムに聞く。
「『運命の書』がやたら干渉を受けているせいで正確な座標が取れないんだが……」
「だが?」
「大体の目星は付いてるんだ」
地図を広げながら剣俠鬼に見せる運命神。
その西の隅の方に赤い印が付けられている。
それは太陽の帰る場所。
「
「唯の推測だがな」
「だけど」
「あのボロ小屋はマモンが作ったんだ」
「俺達の干渉から自分の夢を、ベネノを護る為に」
「……」
「お前達、前!!」
運命神が含みがちに言ったその言葉の意味を考えていた剣俠鬼の思考を斧繡鬼の一喝が現実に引き戻す。
彼らの目の前に鳥の頭の悪魔――の姿を模した「陰」が現れた。それのどこからどこまでが彼本人であるのか。今となっては誰にも分からない。
振り下ろされる巨大な黒々とした爪に即座に反応、目の前に雷電柱が突き立ち、彼の怪物の爪を玉砕した。
「うわわっ!」
「んにゃろっ!」
運命神を庇う様に斧繡鬼が岩壁をまるで屋根のように展開させ、降り注いでくる「陰」の欠片から彼の身を護るが、直後全方向から無数の手が伸びてきて自分達を食い物にしようと迫ってきた。自分達の進路と退路さえも海に呑まれていく。これではまるで孤島だ。戦斧と大太刀で片っ端から細切れにしているというのに後から後から湧いてくる。術を放る暇がないのと粘性が高く切り辛いのとでとんだ苦戦を強いられている。どんどん切れ味が落ちてきているのも感覚で何となく分かっていた。
このままではいずれ錆び切って使い物にならなくなるだろう。
不安、募る。
焦りも募る。
「早く! ここから離れないと!」
「クソ、キリねぇな!! 先生、何とかならんの!?」
……言われると思った。
出来ると思うか!? と言いたい気持ちを抑えつつ、「運命の書」をしかと抱く。
いや、やるしかない。
今、「物語の裁量権」を握る者は自分しかいないのだ。
「やってみるがどこまでいけるか……。兎に角お前達は時間稼ぎをしておいてくれ。無理にでも追い返してやる」
「合点承知」
「死ぬなよ!」
「お互いにな!」
ここからは運命神と強欲との一騎打ちだ。
後ろを向けば奥まで広がる攻撃の手。
まるでイソギンチャクだ。
思いながら深呼吸をひとつ。
瞳に電影、眼前
胸中
――そして「運命の書」の該当ページを勢いよく開き、万年筆の先が潰れる勢いで必死に物語を著し始めた。
『*月*日 某時
死神二名、運命神一名。西の果て隅谷の宿へと向かう途中。
運命神は書に必死にしがみつきながら「陰」の湿気で少しくしけった紙にペン先を突き立てる。それに「強欲」が干渉を続けつつ、こちらを飲み込もうと徐々にその攻撃の手を強めてきていた。
神の額に汗の玉が浮かび上がった。ペンが指に食い込んで痛む。そういえばここ何日、否、下手したら何か月かはまともにペンを握っていなかった。』
書いてる先からどんどん内容が消えていく。
二人の拮抗に書のページが熱くなってきた。
キャパを超えると燃え尽きてしまう。
予想以上の速度と強さ。
もう一段落目は消えている。
神の額に汗の玉が浮かび上がった。ペンが指に食い込んで痛む。そういえばここ何日、否、下手したら何か月かはまともにペンを握っていなかった。
――こうなったら。
『しかし創造と破壊とでは創造の方が一枚上手だった』
その内容を書けば、干渉の速度が遅くなる。
自画自賛的でしかもちょっとずるいような気がして、正直気持ちのいいものではなかったがこれ位しなければ駄目だ。
そう、創造と破壊とでは創造の方が一枚上手だった。
そういうことだ。
「まあそりゃそうか。破壊は既にこの世にある物しか壊せないんだから」
さあ、ここから一気に巻き返せ!
いやにぞわぞわとした感覚が胸中を搔きまわす。頭も中からくすぐられているようで、やけに興奮した。
そう、これが物語の感触。
絶対的地位の上で世界を創造し、貪る快感。
自分が想像した通りに創造されていく世界、自分が想像した通りに動くキャラクタ達、自分が創造した世界を自由に動き回る子ども達!
矢張り、俺は物語が好きだ。大好きなんだ!
『これぞまさに
「深い川を渡る時は衣服そのままに渡り、浅い川を渡る時には衣服を脱ぐ。この『運命の書』だってそうだ、使い方次第で毒にも薬にもなる」
それを見極められなかった者が毒で死ぬ。
瞳が真っ直ぐ、咆哮を繰り返す悪魔の成れの果てを射抜いた。
お前は使いこなせていたか、この「猛毒」を。
『無数の「陰」の手は突然彼が放った聖光にやられ、消滅。数百メートル先の奴らまで悉く大人しくなった』
『それはそうだ。天使と悪魔の関係は天敵同士。互いが互いの致命傷となり、互いが互いの有効一打となり得る』
『白い
その瞬間自身の体が発光を始め、迫ってきていた「陰」の勢いが弱まっていく。
もう、かなりハイだ。高揚感と興奮とがえげつない。
無数の「陰」の手は突然彼が放った聖光にやられ、消滅。数百メートル先の奴らまで悉く大人しくなった。
「今だヤレェェ!」
「言われなくとも!」
彼の勢いに代わるように前に飛び出したのは斧繡鬼だ。ここで楔を打ち込み、終止符を打ってやる!
霊力を込めながら跳躍。左足を地に叩き付ければ、海の中から小さな山のような土塊が現出した。そのまま踊るように身を翻し戦斧を大地に叩き付ければ先の小山がまるで仙人が住む山のように鋭く突出。階段のようになった岩山に向かって今度は剣俠鬼が向かっていった。戦斧を叩きつけている彼の背中を踏み台にし、一気に海の方へと飛び込んで行く。そうして突出した山々の先端を踏み越え、その先に氷の足場を作ろうと太刀に霊力を込めた。
が、そこに新たな勢力が(先程より勢いが盛んではないが)しつこく向かってくる。全てがゆっくりに見える
永久機関でもあるのか! この怪物には!!
もう体は眼前に広がる「向こう岸」に向かって飛び始めている。
この速度に急停止は流石に厳しいが……!
――と。
「待ってろ! 今、核の描写を捻じ込む!」
勿論あの暴力的な爆弾の事ではない。人間で言う心臓の、あの「核」である。
唾を吐き飛ばしながらファートムがそう言った直後、無数の蛇の手が向かってくるその根源の部分に赤い円のような模様が浮かび上がった。
そこまでの距離は概算しておよそ百メートルといったところか。
なるほど、あそこまで行ければいいわけだ。
急遽、作戦変更。
「道を開くぞ! 斧繡鬼!」
「へぁー!? そのままテメエで行けば良いだろ、テメエで!」
「そうじゃなくて!」
「もうすぐ『運命の書』の記述が現実になるんだろう?」
「……!」
その言葉にようやくハッとしたようだった。くるりと運命神を振り返れば彼も自分の言いたいことが分かっていたご様子。
よし。
ならば自分のやるべきは。
太刀にめいいっぱいの霊力を込め、掲げるように空高く突き上げると目の前に三連の雷電柱が突き立ち、まるで一本道のようにそこだけすっかりと片付けられた。
そこに再度入れ替わるようにして突っ込んできたのは斧繡鬼。「陰」が復活を果たさぬ内に済ませねばならない、チャンスは一度きりだ。
「行けるか、先生」
斧繡鬼が自分の背に乗っているファートムに向かって話しかける。
「やってやるさ」
「よし!」
右の拳に力を籠めればそこを川のように霊力が流れていく。
「ダアアアアアアッ!!」
勢いよく殴り付けるが如く、拳を前方に押し出せば巨大な魔法陣がここら一帯の海を封じた。どれだけ耐えられるかは未知の域であるがこれで暫くは相手もこちらに攻撃してこれまい。
「ナイスだ、シュウ!」
「勝手に略すな!」
何か言ってる気がするが、すまん今は何にも聞こえない。
自分は背中に大きな羽を広げ、飛び立った。グライダーのように風を切りつつ、空に「運命の書」を浮かばせる。
少しでも、時間稼ぎになってくれれば。
ベネノ救出を邪魔しない程度に落ち着いてくれればそれで良い!
【光よ!】
右手を掲げ、詠唱すれば光柱が眼前の核の周辺を抉り抜く。
そうして現れ出でた核は紅く波打つように鼓動を繰り返す。まるで心臓だ。
「トドメだ!」
「運命の書」にサッと「光溢れる金の弓矢」と書き、手を突っ込めば中から文字通りの眩い武器が聖光を纏って現れ出でる。
その光だけで魔法陣の外を覆い尽くす無数の手までもその勢いを弱めた。
それはそうだ。天使と悪魔の関係は天敵同士。互いが互いの致命傷となり、互いが互いの有効一打となり得る。
白い
「これがお前達の……」
ギリギリと引き絞り、光をその矢の切っ先に集約していく。
「
核にぶち当てれば物凄い轟音を轟かせ、今度こそ周りの海はその一切を引いた。久し振りに地表を見たような気がする。
「よっしゃぁ!」
「ささ、先生! 今の内に!」
先に走り出していた二人に続くように自分もそこまで飛翔。
目の前に西日の帰る場所――隅谷が見える。
* * *
流石に西の果て。ここは他よりも「陰」の侵食が進んでいなかった。
いや、それともここにこそ守りたいものがあるということか。
ちらりと振り返れば、そこに居るのは都会に迷い込んだ大怪獣のような何がしかの生物。そこに理性は欠片も感じられない。
しかしそこにはあるだろうか。彼がたった一つ心の奥に残してきた何かが。
『だっ、駄目です! 僕の帰る場所はもうそこじゃないんですから!』
怜の見る世界を通して聞いた彼の言葉をふと思い出す。
どんな手を使ってでも連れ帰って来い、今回は本当にやむを得ない。
そう言って送り出した後のことだった。
第六話でのことである。
『僕はマモンと一緒にこの世界の覇権を取るって、約束したんです!』
あの表情に嘘偽りなどなかった。そこにあったのは唯一つ、信頼の二字のみ。
それだけ隠蔽が上手かったということだろうか。その直後、彼に裏切られた少年のあの悲痛な面持ちは見るに耐えなかった。
『もう、誰にも傷ついて欲しく無いんです! だからこの世界の王になって、それで、幸せな物語を作り上げるって決めたんです!』
否、しかしそういった隠蔽というのはいずれどこかでボロが出るはず。
持論でしかないが人はずっと嘘を吐き続けることはできない。
とすればここまで少年を惹きつけた彼の魅力とは一体何だったのだろうか。
それとも洗脳か? 盲信か?
『マモンと共に叶える。そこにも意味があるんです』
今となってはもう、訊ねる相手もいなくなってしまった。
「先生見ろ! あそこ!」
斧繡鬼の声に一気に現実に引き戻された。
遥か前方に小さな小屋が見える。
「あれが『隅谷の宿』ってやつで間違いないんだよな、先生」
「ああ」
近付くにつれて全貌が明らかになってゆく。
「陰」による侵食がいくら他の場所と比して少ないからといって無傷というわけではない。大量の濁が壁を突き破って小屋の中に侵入しているのが遠目からでも確認できた。あの量に万が一にでも飲み込まれてしまえばまず常人は助からないが。
ベネノは無事か。
一気に寒気がしてきた。肝が一気に冷える感覚が現実のものとして伝わってくる。
「ベネノ!!」
叫んだ時には足は動いていた。
後ろで止める二人の声も聞こえない程、耳元で騒ぐ太鼓のような動悸。
目の前の「陰」の量も何とも思わない、それに足を取られても構わず走り続けた。
何故ならあの小屋の中には自分の命よりも大事な命がいる。
子どもとはそういうものだ。
「ベネノ、ベネノ!」
窓に頬を押し付けて中を見れば、壁を突き破った「陰」の中から少年の白い顔が覗いている。
「ベネノ!!」
(さっきからではあるのだが)思わず絶叫してしまった。
しかもどんどん、ずぶずぶ沈んでいくではないか!
「待ってろ、今助けてやるから!」
慌ててドアノブをガチャガチャいわすがうんともすんとも言わない。窓を素手で殴りつけてもその硝子はびくともしなかった。
「クソ! クソクソ!! 開けよ!! 開いてくれよ頼むからァ!!」
「どけっ、先生!」
太い腕でぽん、とファートムを突き飛ばし、その巨大な戦斧でドコドコと扉を殴り付け始める斧繡鬼。
二発目の時点で木の破片が飛び散り始め、その刃に糸のように「陰」が付き始めた。思ったよりもその侵蝕は酷いものであるらしい。
何発か殴って大穴を開けたところでその扉に手をかけ、蝶番の根元から引き千切る。そこに待ちきれない運命神が転がり込んだ。
「ベネノ!!」
自分の身の危険も顧みず「陰」に一直線に突っ込んで行き、ねちねちと気持ち悪い音を立てるその粘液から必死に息子を探り当てようとする。
もうその鼻の先さえ見えていなかった。
「待って、待ってくれ……お願いだから、お願いだから!」
ふと、指先に固い何かが触れる。
――歯。
「ベネノ!!」
自分の腕に巻き付いてくる「陰」をものともせず、運命神は半身を突っ込む勢いで腕を伸ばし大事な息子を遂に引っ張り上げることに成功した。
「ベネノ、ベネノ……ベネノしっかり」
口から「陰」がごぼごぼと溢れている。その目は固く閉じて開かず、その体は蝋人形のように冷たかった。
氷ではない、蝋人形である。
そのリアルな冷たさに焦りはさらに加速した。
「ベネノ……!」
この冷たさを肌で感じたのはあの日以来。
病室で初めて自分が死に顔を見たあの日以来――「運命の書」で殺した女学生の死に顔を見たあの日以来だった。
(つづく)
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