第七話 『約束の向こう側』
『運命の分岐点』
『君も「陰」の持つ恐ろしさについては理解しているだろう。あれが体の中を十分に満たしてしまえば一部の人間以外は制御ができなくなる』
『強欲とてそれは同じ。七つの大罪だから大丈夫ということは無いんだ』
『この話の流れからもう分かるね? 今標的にしている悪魔はこのストリテラの支配の為に特別な力を持つ座敷童を盾にして「陰」を貪欲に吸収し続けている。命を摂取したり、物語を壊すことによって』
『そうして最終的には裏切るだろう。使い切ったらもう邪魔だから』
* * *
どす赤黒い空の下、汗を拭いながら、痺れる足も止めずに知らない道を走り続ける。知らない景色が横で流れ、知らない景色の中でまた膨張した「陰」に森が一つ潰されていた。
逃げ惑う鳥達を片っ端から食い散らかしていく。
初めて自分の住んでいた「
門田町の外側にまだ一つ大きな世界があるなんて知らなかった。
彼が――ベネノが俺らの物語の外から旅してきたって言っていた。その外の世界がきっとこれってことなんだろう。
デヒムさんに連れられて外に出された時はとても綺麗で思わず息を呑んだ。
でもそれを堪能する間もなく彼に腕を引かれて天界へと連れて行かれそうになる。
何でもそこに設けられた「避難所」に来て欲しい、とのこと。
『……ベネノは? マモンさんは?』
『どうして二人は一緒じゃないの?』
『俺、れいれいさんに頼まれていることがあるんだけど!』
デヒムさんは答えに困りながらそれでも依然として俺の腕を引っ張り続けた。
納得がいかなくて。
こっそり抜け出してきてしまった。
そして目の前に広がっていたのは先程まで見ていた景色とは全く違う、それこそ地獄のような光景だった。
真っ黒なぶよぶよが海のように広がって、空に地にその根を張り巡らしていく。
空島も、風の中に宿る命も、さっきまで空を泳いでいた龍も呑まれていく。
空はあっという間に血の色になった。
その時眼下で見つけたれいれいさんは血反吐を吐いていた。
ベネノはそこに居なかった。
一緒に居た、マモンさんさえ。
その瞬間、走り出していた。
知りもしない土地を、自分が所属しているということしか知識がないこの世界を。
泥と汗に塗れて、何度も転びながら。
何のために動いたのか、実は自分でも分かっていない――というより覚えていないの方が正しいのかもしれない。何かの使命感が働いて、本当に足が勝手に動いた。
『考えてみよう。例えば、その悪魔は優しくて、裏切る気は全くない。ベネノの信頼に足る完璧な相手だったとしよう。……だとしても「陰」がこのまま彼の体内に溜まり続ければ、いずれ悪魔の内に眠る邪悪な「陰」が暴走を起こす。そしたら座敷童の拠り所はどうなるだろう?』
『答え、分かるね。愈々無くなる、これ以外にはあり得ない。その瞬間を以てして、彼の大切なひとは遂に居なくなってしまうからだ。一人として、存在しなくなってしまうからだ。――勿論、彼の主観の世界だが』
その結果がこの世界なのだろうか。
『それじゃあ逆にこちらの可能性についても考えてみよう、和樹。もし。もしも先の「良いひと」の可能性が全くないうえ、裏切りの末、彼の悪魔に切り捨てられるような、若しくは殺されるような事態になったら? どうなると思う?』
『もしもそのような事態になったらアイツは愈々心の拠り所を失ってしまう。しかも先の「良いひと」の可能性の時よりも酷い喪失。――考えても見ろ。先の「暗殺」の方法ならば彼の敵は神公認シナリオブレイカーや、四神だけになるが、後者の「裏切り」の場合、敵視は全方位に向く。誰も信じられなくなるし、誰の言う事も聞けなくなる。……一番信頼していたヤツが裏切るっていうのはそれだけとんでもない心のダメージになるんだ。絶望の淵に沈んで、彼は次の覇者となるだろう。それがどれだけ辛く苦しい結末であるか、想像に難くはないはずだ』
それとも……。
……。
『分かるか? 負の連鎖の、再来だ。その最悪だけは絶対に避けねばならない。そういうことなんだ』
『だからこそ。繋がりの中にあることを知る君にお願いしたい。彼のフォローを』
……嗚呼、きっと。
きっと。きっとだけどれいれいさんの予言は的中してしまった。
それが「陰」の暴走によるものなのか、それとも「裏切り」によるものなのか。
その詳細は分からなかったけど、二人が今、辛く苦しい立場に追い込まれてしまったことは事実だろう。
だからこうして世界は崩れ始め、れいれいさんは生命の危機を患い、あの二人は忽然と姿を消してしまった。
でももし、もしもまだ間に合うのであれば彼らの事を助けてあげたい。
その発端が例え「裏切り」だったとしても。
その発端が例え「強欲の暴走」だったとしても。
彼らが百パーセント悪いなんてことはあるはずはない……!
だってあの時俺らはコロッケを共に分かち合って、一緒に時間を共有して、そして――
そして……。
ふっと、頭に浮かんだあの時の彼の顔。
商店街を歩きながら談笑を繰り返していた正にその時。彼はふと、遠い所にある何かを見つめたのだ。
『和樹って、何だか不思議だ』
『……? 何が?』
『君と喋ってると何かジャックのこと思い出す』
『ジャック?』
『……今は会えない僕の親友の名前。アンタって、アイツに本当そっくり』
『会えない、の?』
『色々あってさ』
『でもね……約束したんだよ。全てが終わったら一番にアイツに会いに行くって』
『会いたいなぁ』
『今、何故だかどうしようもなく寂しいんだ』
あの時の彼の横顔を思い出した。
堪らなくなって、顔を前へと向けた。
「ベネノォォーっ!! マモンさぁぁーん!! どこぉぉー!?」
彼らが俺に託してくれた名前を必死に叫びながら彼らの行方を追う。
こっそり出てきた時余りに慌ててしまっていたため、札などの「はらい者」一式は置いてきてしまった。使い魔の召喚はできない。
ひとりぼっちの作戦だ。
きっと帰った時にこっぴどく叱られるのだろう。
でも。それでも俺はやらなければならないはずだ。
俺はれいれいさんに託された。
彼の安住の席を、彼の心の安寧を!
俺に出来ることを、俺にしか出来ないことを!!
決意を再びその心に燃やして、彼らの名前を叫び続ける。
喉はからからだったけど、そんなの全然かまわなかった。
兎に角。兎に角彼らの無事をこの目で確認したい。
そうして三人で、きっと逃げるんだ。
そしたら皆でこの悲劇を終わらせよう。
そうして……その暁には……!
――その時。
何かにつまづき、またこけてしまった。
「うわぁ!」
地面に思い切り鼻をぶつけ、所々すりむく。
慣れない道は歩くもんじゃない。
「いってぇ」
ジャミジャミした口をぺっぺと吐き出しながら鉄臭い鼻血を右手で拭う。
そして何につまづいたのか確認しようとそちらを向けば今にも右のふとももまで根のように絡みつき、この体を飲み込もうとする「陰」がそこにあった。
「……!」
突然の恐怖に、息が止まるような心地がした。
「うわあ! うわあああああ!!」
途端にパニックに陥っていく。
――今、この時。
命を、魂の光を常時欲する「陰」が暴走しているまさに今この時。
外をたった一人でほっつき歩いている子どもの命なんかは、「奴」にとって最高のご馳走だった。
彼が自分を助けようと奔走しているなど。
彼が自分の主の為に立ち向かってくれているなど。
そんなものは生存本能に支配され尽くした個体には関係ない。
彼の頭上にゆっくりと音もなく、巨大な「陰」の塊が迫ってゆく。
その存在にやっと気が付いたのは、そこから滴り落ちる粘液が彼の肩にかかってからだった。
「あ、あああ……」
そちらを凝視し、零れ落ちん程見開く彼の大きな瞳。
否が応でも「死」の一字が頭の中を通り過ぎて行く。
「いやだああああ!! 誰か助けてぇ!!」
死に物狂いで絶叫し腹にまで到達してきた「陰」を払おうと必死になっている彼の頭にあの時の怜の言葉がこだますように響き渡った。
『彼と繋がってやって、彼の心の拠り所を、彼が安住できる席を作ってやって欲しい。汚れ役は総てこちらが引き受ける。だからその代わりに、彼の安住の地を作ってやって欲しいんだ』
『和樹』
『頼む』
俺に。
俺にしか、できないことを……。
しなくてはいけないのに……!
黒耀、ナナシ、トッカ、夢丸……。
金花、水神、レトロカメラさん……。
れいれいさん。
マモンさん!
ベネノ!!
――その時、かなり遠くの方で一本の柱のような「陰」が地面に突き刺さるように突き立った――
「……」
Schellingの研究室の窓からその景色を見て斧繡鬼は思わず顔をしかめた。
今となってはあの紳士的な人物も唯の化け物だ。
己の中に眠る厄災的欲求を唯満たすだけの、化物。生存本能に忠実に、その体に長年溜め続けてきた強大かつ凶悪なチカラで自身の欲求を暴力的に満たせるだけ満たしていく。
キャラクタ達の避難は全て完了したと伝え聞く。
……あんなものの「捕食」なぞにキャラクタ達が巻き込まれなくて良かったと、今になっては強く思う。
今も尚世界の崩壊を食い止めるべく戦ってくれている悪魔王とベゼッセンハイトのおかげだ。皮肉なことだが。
ふと思うことがあって「処置室」へと立ち入ればソイツは沢山の管に繋がれ、未だ目を開かずにそこに横たわっていた。
処置に必要だったのかすっかり剃られてしまった髭。その奥から現れ出でた若者の顔を自分はこの日初めて見た。
とんだ老け顔だったのだと、思わず思った。――思わずにはいられなかった。
まるで別人である。
彼は何を思って、何のために自分の素顔を隠そうと必死だったのだろうか。
そういう無理が祟って今、死にかけているというのに。
……。
「先生。無理してないか」
「……」
「コイツは無理し過ぎてぶっ倒れたんだ。先生は二の舞を演じるべきじゃあない」
物語からの脱出時にあれだけの魔力を使ってへとへとになっていた筈なのに休むこともせず怜の傍から離れないファートムの肩にそっと手を置く。
ペンだこが出来たその手は冷たいままの手を温めるようにずっと擦り続けていた。
顔に酷い疲れが張り付いている。その目尻が湿っているのを少なくとも自分は初めて見た。
冗談で泣き顔を作ることはあってもそこを濡らすことは一度もなかったのに。
「……五分五分だって言われた」
彼が掠れた声でそう言う。それを言い出すまでに長い時間を要した。
「五分五分?」
「今までの
「処置は終わったと聞いたが、治ってないのか?」
「……」
「……、……もうこの世界に『補正』は無いんだよ。誰かを物語の展開の為に特別扱いするなんてこと、もう出来ない」
「……」
「今、彼の中で『猛毒』が暴れ続けている。脱出時に猛毒を体内に送り続ける『目玉』は確かに潰したが、送り込まれた毒が今、彼の中枢を食い破ろうと侵攻を続けているらしい。それは今回の処置では取り切ることが出来なかった」
「……」
「Schellingはどんな手でも使うと約定してくれた」
「……」
「けど……確約は出来ないそうだ」
「それで、五分五分?」
「実際は限りなく六対四に近いらしい。――勿論後者が『元通り』の確率」
「……」
「……もし中枢が全部やられたら、その時は……、……もしも物語に彼が依然として必要なのであれば新しく作り直してあげると、言って、くれた」
「……キャラクタとして?」
「でもそれはもう、『怜』じゃない。『怜』の顔をした全くの別人だよ」
「……そういう、何かデータみたいなのとか、提供してやれば限りなく本人に近づけられるんじゃないか?」
「そりゃ勿論そうかもしれないけどね」
「でも、彼は特別なんだ……Schellingと怜は、絶対に替えが効かない」
「……」
「二人は人間、だから」
「……」
そう言うだけ言って彼はまたうなだれ、顔を寝台に埋めた。
「怜……」
そうやって小さく言っているのを自分は椅子に腰掛けながら聞くしかなかった。
……。
「先生は、さ。これからどうしていきたいの」
「……」
少し、期待も込めながら彼にそっと聞いてみた。
そんな時剣俠鬼がかたかた震える姫を抱きながら処置室に入ってくる。一緒に薬品やらコンピュータやらを抱えたSchellingもどたばた入ってきた。
ミルクシェイクをがぱっと喉の奥に流し込み、目の下にくまを作りながら管に薬品を流し込んでいく。髪はぼさぼさで体に薬品と汗の臭いが染みついている。彼もまた、ずっと休まず働き続ける内の一人だった。
「現状は」
「今は待て」
現状報告を求める剣俠鬼に一言だけそう言って、ひたすらファートムの返事を待った。ここで急いてはならない。
自分の抱擁を求める姫をあやしながら待ち続けた。
「ねねね! シュウ、聞いて! 姫ね、頑張ったの!」
「蛇から聞いたぜぇ、お嬢、お宮で一人だったのに頑張ってたんだってな! よく泣かなかったじゃないか」
「あのね、あのね、泣きそうにはなっちゃったんだけどね、一緒に居てくれたお世話係とね、構成員とね、皆で安全な場所探して逃げたの!」
「お嬢も一緒に探したのか!」
「探したの!!」
「それでけが人は?」
「ぜろー!」
「そうかそうかぁ! 流石は将来の龍王の姫君だ! 偉かったなァ!!」
「うん!」
「よしよし。そしたらおいさんとギューしようか!」
「するー!」
「よしよし! ほらおいで!」
「きゃはは!」
「あーっ、何て小さく可愛らしい姫君だ! お嬢は世界一の美人さんだなぁ!」
「よしてよぉ、あはは!」
滲み出る安堵の念、それまでの自身の不安を掻き消すこの笑顔の先に幾つの知らない苦労があっただろう。
ちょっと前まであんなに小さな泡から生まれた赤ん坊だったのに。
いつの間にこんなに大きくなった。
「――ほら。いっぱい頑張っていっぱい疲れたろう、ゆっくりお休み。お部屋を借りてあるからそこを使うと良い」
「うん!」
そうして剣俠鬼に連れられて彼女が部屋を出た時、博士もぱたぱたと部屋を出たのを機としてファートムの重かった口がぽつ、と動いた。
「……俺は、運命神だ」
ずっと言葉に詰まり続けていたであろう、がらがらに掠れた声。それに直ぐに気付き、顔を向けた。
「全員を助け導き護ってやる義務がある。俺はそれの達成のために働き続けてきたつもりだ」
「ずっと見ていたよ。大丈夫、今更否定なんかしない」
「……子どもは皆、可愛かったんだ」
ふとぽつりと口を突いて出た少し外れた話題に意表をつかれる。
「どういうことだ?」
「最近言われた。子どもは恋人じゃないって」
「まあ、そりゃそうだわな。子どもは子どもだ」
「……」
「確かに考えさせられることではあるけれど、それじゃあ答えになってないぜ?」
「……」
「聞きたいのは、先生がこれからどうしていきたいかってところなんだ」
「……、……」
「ね。いつもみたいに指示してくれないか。そしたら、場合によっちゃ俺達が助けられるんだから」
そこまで言った時、ふと怜の手を握る力が強くなった。
それを死神は見落とさなかった。
「……」
少し考えてから立ち上がる。
歩み寄って傍に座り、目線を合わせた。
「何か、あったか?」
「……」
「……もしかして、さっきの五分五分が、関係している?」
問われれば更にきつく怜の手を握りしめる。口はつぐんだまま。目線も合わせられないまま。
――嗚呼、そうか。
彼もまた、ひとりぼっちの存在だった。
ひとり、重責をしょい続けていた。
どっかの誰かさんみたいに。
これはほぐす必要がある。
「……なあ、先生」
「……」
「突然話変えてごめんだけどさ、俺の手も握ってくれないか? その、両手とは言わず片っぽで良いからさ」
ちらりとこちらを横目で見る。
「この部屋、寒いよな。先生は寒くないの?」
「……」
温かく笑み、ちょっと待ってみる。彼は困惑しながらも、右手を静かに左手に組んでくれた。それをしっかり握る。
「サンキュー。もうちょっと厚着してくるんだったよ。――さて、どこまで話したんだったか」
そうやって笑いかけたら彼の手が震えた。そのままぽろぽろ双眸から溢れてくる。
そこで初めて彼の生きている感情が溢れ出してきた。
今まで我慢していたいっぱいの感情が、まるでダムの放流でもするかのように。
「泣け泣け。涙は心のお洗濯だ。それにおじさんが泣いちゃいけないなんて法律はない、そうだろ?」
ズボンを湿らす幾つもの円から怜の顔に視線を滑らせ、そのまま窓の外を見る。
「陰」が新たな生命の形を得ようと変化をしている真っ最中だった。その巨大な影はどこかの恐ろしい神話を想起させる。
明日にはこの世界も滅ぶだろう。
あれだけの欲をしまっておくにはこの世界は小さすぎる。
「不安、なんだ」
ファートムがぽつぽつ呟く。
若干の過呼吸と、涙声。
「子ども達が不正解に歩んで行ってしまわないか、ずっとずっと不安で……兎に角誰も殺したくない。誰にも死んでほしくない。誰にも不幸な思いをして欲しくないし、誰にも悲しい思いをして欲しくない」
「自分、だけ、は……正義の味方で、いたかった、んだと思う。自分のやり方を責められるとムッとなる。……絶対に覆したくない。誰も殺したくない」
「でも、今、皆が死にそうになってる。世界が滅びる。――自分がやってきた対処がきっと、間違って、いたせいで」
「とっても怖い」
「……」
「……、……自分で思う、原初があると思ってる。初めて自分が作った物語で、初めて人を殺した。自分が顧問をしていた部活の女生徒だった。自分が担当しているクラスの生徒でもあったから、尚更特別に映った」
「悪魔王からの、指示だった」
「死因は?」
「病死」
「――分かるか? 自分が何の気なしに著した物語で隣の人が死ぬんだ……! 昨日まであんなに先生先生と慕ってくれて元気に笑っていたひとが、苦しみに溺れ、ドラマティックに死んでいく!」
「……」
「でも」
「それが読者の感動を呼んだ」
「物語は……大成功だった」
「分かってる。俺達が食い扶持を繋ぐためには、キャラクタが生きていくためには読者の目が必要だ。そのために俺達は何度も流転する命を消費してドラマを演出し、何とか窒息と消失とを免れる」
「でも……こんなの残酷だ。だからあの王と喧嘩してこんなのおかしいっつって、指示ガン無視するようになって……」
「だから、物語を壊しちゃったのかも、しれないって思うと申し訳なくなって……」
「どうしたら良いのか、もう、分からなくって」
そこで嗚咽を漏らした彼の肩をしっかり抱き、その時間をしっかり受け止めた。
「教えてくれ、俺は子ども達を殺してしまったのか? 怜を殺したのは俺か?」
「それは分からんよ。全ては運命のお導きだろ? 命に毒を流し込んだのは強欲だが、その物語の裁量権はお前が握っており、その場にいた俺らが確実に彼を刺激し、その毒を生成したのは座敷童で、強欲の元に突っ込んでいったのは情報屋本人だ。そこにあるのは唯の結果だ。全員で作った結果」
「……結果」
「今も尚、お前に操作されるために残されたその『運命の書』。それに全くの影響力が無いとは言えないんだろ? ソイツが決めた『あるべき結果』がどうしてお前だけのせいになる?」
「……」
「自分は悪くないと言って欲しいのかもしれないがな。それ以前の問題よ」
「お前は全部を一人でしょい過ぎだ」
「それで行く先を阻まれ一人泣き腫らすってのは俺は許せない」
「お前は先頭に立つべき天使としてあの時大神から勅命を受け、それを支える者として俺達は死神という組織の中に所属することになった」
「コイツだって、情報屋だって同じだろう? お前が誰かのためにと著した物語、その調整の為に一生懸命働いて、お前と一緒に歩んできた」
「そんな片腕が突然理不尽によって外されて、それでお前が動けなくなるってんなら、その片腕はさぞかし悲しむだろうな!」
「アイツはお前のせいで死んだって、アイツはアイツのせいで世界を滅ぼしたって……お前はそう思わせたいのか!?」
「お前の、親友に!」
すう、と目を見開く。
気付けば動悸が激しく、手の震えが止まらない。
その震える手で思わず両手を取った。
「お前の手を握れるのは情報屋だけじゃない、お前を助けてやれるのも情報屋だけじゃない!」
「お前の周りの奴らをもっと信じてくれよ! 俺らを物語の役者として選び、その物語を託した以上は!」
傍から見れば叱っているみたいなこの汚い言葉の数々を彼はしかと聞いてくれ、またその双眸から水晶のように溢れさせた。
「友と、思っても良いの、か」
「何を今更聞きやがる。俺達のこと、何だと思ってんだ」
「あ、いや……」
そう言いながら涙を拭き拭き、自身の胸に斧繡鬼の手を押し当て彼は今まで見たことのないような柔らかい表情を零した。
「さあ、指示をしてくれ運命神。俺達の準備はいつでも出来ている」
その言葉を待っていたかのような絶好のタイミングで剣俠鬼が部屋に入ってくる。
「先生。アンタはどうしたい」
――答えが出るまでにそこまで時間はかからなかった。
彼は傍に置いてあった「運命の書」に手をかけ、いつもの羽ペンではなく万年筆を取り出した。
酔った勢いで怜と二人、思い切って買ったお揃いの高い万年筆。
「天使の隠し子」として彼に新たな生を授けたその夜だった。
彼は愛用品として革の手帳と一緒に使ってくれていたが、自分はどうも勿体なくて使えないままでいた、それを。
「ベネノを助けに行く。心に深い傷を負ったかもしれないあの少年を」
「そしてこの物語に終止符を打とう。この、俺達の手で」
「御意」
彼の安らかとも取れるその寝顔を少しの間見て
初めて彼の傍から離れて研究室の外へと出て行った。
(つづく)
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