すれ違い-7(小沢怜)
「いいかい? 敢えて、改めて確認するけどベネノは運命神の子どもだ。決してお前のものではない。そしてあの子の命はあの子のものであって、お前に利用する権利など何もない。そこら辺は常識だ。分かるよな?」
「……」
「だがお前はどんなに警告を重ねても自分の過ちを認めようとはせず、唯ひたすら座敷童を自らの野望を果たすために利用し続けた。その存在を盾に矛にと扱って、しかし可哀想にこの子はそのことに気付いていない」
「……主を惑わす為のほらだ」
「そう思いたいなら思えば良い。最後に判断するのはこの子だから」
「だが、君の醜い姿、醜い野望を目にしたその時は――それでも君の味方でいてくれるかな?」
腰の辺りからナイフを取り出し、手の中で回した。
「今から引きずり出してやろう。その苦い
姿勢がゆっくりと前傾姿勢になり、直後、右足が地面を蹴った。
――来る!
* * *
一直線に飛び込んできた。
接近戦を挑むつもりらしい。
物凄い速さで振られる刃を先程貰った大剣で弾く。
「にゃろっ……!」
空中に出した片手剣を遠隔で操作し彼の腹目掛けて振るが咄嗟にバク転をかまされ、当たらない。
しかも直後に投げナイフを三本ぶち込んでくる。
「あぁっぶなっ!?」
自身の顔に突き刺さる直前で何とか弾き落としたが、一歩遅ければどうなっていただろうか。
というかコイツ、こんな戦い方をする奴だったか!?
「お生憎様、イングランドとレーヴでこってり叩き込まれたもんでね!」
「クソッ!」
そう言いながら相手はまたこちらの懐に飛び込んできた。
なるほど、大剣や片手剣の重さでは相手の俊敏性に負ける。だからわざわざ「大剣」をこちらに渡したのだ。
全ては主の心をずたずたに引き裂くために――。
感じる。契約を結んだ主の心が恐怖に戦く哀しみの色が。
この後何をされるか分からないこの恐怖に耐えるしかない苦痛の色が。
「体だけが無事で何になる……あんなに疲弊しているのに更に追い込むような真似をして!」
「『運命の書』は試練を必要としている。言われただろ、紙芝居屋に。最後の試練があるってさ」
「だからといって主を虐めるのか! そんな従順な犬みたいな安い理由で!」
一瞬、瞳がぐらっと揺らぎ、眉をひそめた。
「……『書』は絶対だ」
しかし絞り出されたのはそんなちっぽけな言葉だった。
「変わったな、お前も」
「……!」
「……そうだな」
顔に影を落としながら彼はそう静かに返した。
次にこちらを向いた時にはもう無表情に戻っている。
またナイフを振った。胸の辺りのシャツが裂けて赤い線が一本、入る。
氷でも触れたかのような鋭い冷たさの直ぐ後に炎のような熱が走る。
切り傷は、嫌いだ。
「グ……こなくそ!!」
激しい剣舞のような斬撃を何とか避け、相手の胸に小刀を突き立てた。
「……!!」
目をいっぱいに見開き、シャツに広がる赤茶を睨む怜。
千鳥足のようになり、後ろに倒れ込もうとして――彼はなんと自分の胸に突き立った小刀を引っこ抜き、こちらに向かって振るってきた。
「……!」
顔にも横線が入り鉄の濃い臭いが鼻をつく。温かな血液が鼻を滑るこの感じが堪らなく不快だった。
これが神公認のシナリオブレイカーか!!
「クソ……!」
ぴんぴんしやがって!
堪らなくなって距離を取ろうとすれば彼のリボルバー、「ナガン改」が火を噴いた。
全て律儀に足下を狙ってくる。こちらが照準を合わせられないようにと走り回ってもおかまいなしの射撃精度。
弾切れを起こしてもこちらが突っ込む前にリロードが終わる。
……若しかしてこちらの方が得意であることを隠す為にわざと突っ込んでいたのだろうか。
ふとそんな考えが頭をよぎり、汗がこめかみを流れた。
――と。
瞬間、ふくらはぎに鋭い痛みが走った。
彼の弾丸がモロ当たった!
「がハッ!! アアアアッ……!!」
とっくに限界は超えていた。それがこの一撃で雪崩のように崩れただけ。
しかしそれだけのことがこんなにも苦しい。
――マモン!!
遠くで主の声が聞こえる気がする。
しかしもう、もう今度こそ限界だった。ケイローンもこんな気持ちだったか。
過呼吸を起こしながら勢いよく転ぶ。ふくらはぎにもう一つ心臓でも出来たかのようにドクドク言っている。そこはまるで血の海だった。
それでもと思い、直ぐに自身の手から出した「陰」で傷の修復を試みるが、その隙に反対側の足もやられる。
「ギャアアアア!!」
激痛に体中が痺れた。もう立てない。
もう死ぬのだろうか、こんな、こんな道半ばで……。
「可哀想にな」
ぐ、と鉄の筒が後頭部に突き付けられた。
「死ねないってのは辛いもんだよ。いつまで経っても終わらないし、飽きてくるし。何だかんだ心も疲れてくるし」
「何様の、つもりで……」
「なにさま、お前と同じ不死の者ですから。気持ちだけは分かってるつもりだよ」
「……」
「長く生きていればそれだけ苦虫も噛み潰すし、計画が潰れることもあるし」
「……」
「大切にしてあげたい子を銃で撃ったり、汚れ役を買って出たり……何でも起こる。生きてりゃ良いこともあるけれど、それと同じぐらい悪いことだって起こるもんだ」
「……」
「なあ。お前の『光』はこちらで預かるから心配するなよ。ショックガンを使えば記憶を改変できる。そしたらその後の治療はこちらで責任もって行うさ」
「……」
「だから今は唯安らかに、大人しく死んでくれ」
「……嫌だと言ったら?」
「もうあの子を傷つけられたくないだろ?」
「また脅しか。……そんなんだから、死ぬわけにはいかな――」
「俺だって汚れ役はもうこりごりなんだ!」
殆ど被せるようにして彼は力強く言葉を発した。
少しく銃口が震える。
「……もう、殺したくない。もう人の一生分殺した。もういらない、お腹いっぱい。……皆に許して欲しい。傲慢では、あるけれど……」
「なら何故あんな神の言う事を聞く必要があるんですか」
「……」
「貴方にもシナリオブレイクの性質が備わっている。貴方程の人であれば運命なんていくらでも変えられる」
「だとしても『運命の書』は絶対だ!」
「だからって貴方の心まであんな奴らに囚われることはない!」
「……」
「何故貴方自身がそうやって不幸に喘いでいるのに、その最悪の道の片棒を担ごうとする……!」
「……」
「貴方だって、生きているのに! 何故――」
「そんなの簡単だ!」
震える声が凛と言う。
「あの書が担う運命が今更崩れれば」
「俺の子ども達が死ぬからだ」
「……」
「今があの子達にとって最上のものであるならば、俺の運命がどれほど最悪になったって構わない」
「……」
「それが、俺の考える『シナリオブレイク』だ」
「……」
「だから俺はお前を殺すんだ。お前は自分のためにしか動かないから」
「何を言うか!」
「だってそうだろ。自分を悲しい思いにさせた『運命の書』を打ち砕く。その反対はお前を良い思いにさせてくれる『運命の書』であれば大歓迎ってことになる」
「そんなことはない! 私はいつだって主の、ベルゼブブ様の為に……!」
「そんなものの清算はもう『七つの大罪』殺しでとっくに支払われたじゃねぇか!」
「……!」
初めて、声が出なくなった。
「なあ」
「それ以上何を求めている」
「それ以上求めて何になる。罪の意識を抱えた本人がずっと辛いまんま生き残って、勝手に憎悪を膨らませているだけだ。そんなもんに何の価値が残ってる?」
「な」
「もう、終わりにしようや」
「ここで死んだ方が色々楽だぜ?」
「何よりベネノへの負担も軽くなる」
「お前にベネノの補正の影響が出ているというのなら、ベネノにも今の話、何らかの形で伝わっているだろ」
「……使い魔がこれ以上ご主人を苦しめるな」
「な?」
そう言った彼の声は何だか優しかった。
どこかで聞いた話によれば彼の異名は「千年を生きた機械人形」というらしい。
不死の属性を同じく頂く者だからこその優しさなのかもしれない。
彼が「『死』は時に救いになる」と言う理由が分かる。
でも死ぬのは嫌だ、嫌だ。嫌だ……。
怖い……。
自分がベルゼブブ様の無念を晴らせずに終わってしまうことの方がよっぽど怖い。
ベネノをあんな奴らの元に渡して酷いことをされてしまうかもしれない、その可能性を残しておく方がよっぽど怖い。
彼は『七つの大罪』殺しで全て清算されたと言ったが、否、まだ終わっていない。
まだ恨みは残っている。黒幕が残っている。
しかも二人、だ。
奴らを余さず消すまで、彼を苦しめた不幸が残るこの世界が沈むまでは終われない。決して終わることは出来ない。
撃鉄を起こした音を聞き、慌ててその銃身に手をかけた。
「やめろ。これ以上抵抗をするな」
「やめない」
「これ以上抵抗を繰り返せばもっとヤバいことが起こる」
「でもやめない!」
「いや、マジで言ってんだこれは! じゃないと――」
――その瞬間だった。
轟。
突然自分達の足下の地面が盛り上がり、中から大量の「陰」が飛び出してきた。それは直ぐに「陰」を燃料として「黒い炎」を逆巻かせる。
「ぅわっ!!」
自分と彼の間にも亀裂が入り、その中から出てきた「陰」によって分断された。直後、「黒い炎」をまとった「陰」がこちらに向かって勢いよく伸びてくる。
「マズい……!」
もう贅沢なぞ言ってられない。手荒な方法にはなるが「陰」を自身のふくらはぎの傷に塗りたくり何とか立ち上がった。激痛に耐えながら急いで駆ければ前方も塞がれ、気付けば自分の周囲を「黒い炎」の高い壁が囲う。
触れた生き物の命を悉く奪う、即席の檻の完成だ。
飛翔にも地中にも干渉してくる、脱出不可能の監獄。
「一体何が……」
そう呟いて遥か頭上を見れば――そこには元凶がいた。
目を、見開く。
突如薄く曇った空。そこから邪の権化は降ってくる。
腕を大きく開き、まるで神の降臨のようにそいつは降ってくる。
黒い三つ編みを垂らし、白い服、ブーツの男。
その相貌は美しく、双眸に黒い蛇をたたえる男。
――ベゼッセンハイト。
彼はディアブロの大事な大事な愛し子だ。
* * *
「ほら。あの時受け入れていれば怖い思いなどしなかった。貴方の好きな人の幻想を見たままでいれたのに」
「ほら。言ったでしょう、後悔する、と」
「でも大丈夫。私は絶対に裏切ったりしない」
「だって、私は貴方の兄にあたるんですから!」
「――ね。どうしてお父さんの元から離れちゃったの?」
「嫌だ! 来ないでお願い!!」
「フヘハハハ……! 可愛い弟! 可愛いなぁ……絶対に欲しい……」
車の後部座席の隅で泣きじゃくる座敷童に構わず彼は車の中にまで侵入してきた。一応鍵はかけていたが、彼の「陰」にかかればこんなもの、屁でもない。
ベコベコに変形した車のドアが一層座敷童の恐怖を掻き立てた。
「ほら。おいで。呪いを分けてあげますからね」
「嫌だ! 嫌だ! 来ないで! 来ないで!!」
車のドアをガチャガチャ言わせるが全然開かない。
万事休す……!
と。
『ベネノ、逃げろ!!』
突然頭に怜の言葉が響き、今まで開かなかったドアが嘘のような勢いで開いた。
「ウワ――はぁ、はぁ! あああっ!!」
「待って、待って! どウして逃げるノォ? あナたのお兄チゃんナのニ!」
「違う! お前みたいな奴なんか知らないよ!」
持てる限りの全力を出し切って必死に逃げる座敷童。
「……酷い」
その足にふと、地面から飛び出した「陰」が絡みついた。
「あ!!」
勢いを殺しきれず盛大に転ぶベネノ。
そこにベゼッセンハイトが勢いよく飛び乗った。
「捕まえたァ!! 嗚呼、可愛い、可愛い弟……私の弟……」
「違うったらァ!!」
「それじゃあ、お口を開けましょうねぇ……今度は絶対に逃がさない」
仰向けに転がしてから四肢を「陰」で地面に縛り付け、自身はベネノの頬を両手で挟んだ。その口から黒い濁がだらだらと垂れ始める。
胸元にそれが付いた瞬間、パニックは最高潮に達した。
「嫌だあああああ! 誰か助けて!! 誰か!! 誰かあああああ!!」
「ベネノ!!」
そこに飛び込んできたのは怜だ。
炎の壁を強引に突破し、今にも呪いを植え付けられそうになっているベネノとそいつの顔の間に向けて弾丸を一発。器用にそれは黒魔術師の鼻先を掠めた。
「だ、ぁ、れ?」
きりきりと、壊れた人形のように彼の方を見るベゼッセンハイト。
そこに運命の書の切れ端で作った紙飛行機を極めつけでぶつけた。
「ギャアア!!」
聖光を纏ったその飛行機は当たった瞬間、太陽のように弾けて彼を退かせた。
その隙にベネノを縛る「陰」をむしり取り、解放された彼をきつく抱き締める。
「もう大丈夫だ、もう大丈夫。……ごめんな、本当にごめん……。こんなの、許されて良い話じゃないんだ、本来は……本当にごめん……」
過呼吸と涙が止まらない彼の背中を優しくさすり、何度も何度も謝った。まるでタガが外れたかのように並べられた吐露にその子はそっと怜の胴を抱き締める。――否、助けてくれた人を感じることで安心したいだけなのかもしれない。
兎に角、ずっと震えっぱなしのこの座敷童が自分の腕の中で少し落ち着いてくれたことが今は唯、嬉しかった。
これはもう許されることではないだろう。許してと懇願するなど、言語道断。
自分は汚れ役に落ちぶれたのだから。
でも、でも。
彼が言ったように。
あの書に囚われない別の方法を見出すことが出来るのであれば。
結局は囚われていたであろう自分のブレイクを更に突破できる何かがそこにあるのであれば。
今更ながら、縋りついてみたいようにも思う。
許されないことではあるけれど。
「ねェ、ドうして? どウシて皆でイジめるの?」
はっと気付けば黒魔術師が首をキリキリ傾げている。
またパニックになりそうな座敷童を庇うように抱き締め直し、彼に語り掛けた。
「ごめんな。お前のお父さんも言っただろ? この子を傷つけちゃいけないってさ。だから駄目。分かった?」
「……でも、その子は元々私とおんなじ『愛し子』だった」
「そうだな。でもこの子はもう違う。そうだな?」
「違う、ノ?」
「そう。違うんだ。ってか、もう何もかも違うんだよ、このお話は」
「そうなんですか?」
「そう。だから、あっちのシナリオブレイカーは食べても良い。あっちはとっても悪ーい奴だから」
「本当!」
「ああ。でも、この主人公サマだけは絶対に――」
そこまで言った時。
ベネノの目がまん丸く見開いた。
「え、何? どういうこと?」
「え!? れ、怜さん、どういうこと!? 僕が主人公って!」
瞬間、しまった! と言わんばかりの顔。
しかしバッチリ聞いてしまった以上、もう取り返しはつかない。
「あ、いや、それは」
「このお話の主人公は和樹、なんでしょ?」
「あ、まあ……えーと……」
「じゃあその、怜さんの言う『主人公』って、何? どういうことなの!?」
「そ、それは今は説明できなくって……」
「何で説明できないの!? ねえ、教えて! 怜さん!!」
「……」
「怜さん!!」
「……、……ごめん」
「怜さ――!」
ベネノが更なる質問を投げかけようとした所で、怜が和樹から預かっていた「山草の札」を彼の額にくっつけた。
「山草の札」は生き物の額にくっつくことでその中に相手を封じることができる。
「斧繡鬼!」
紙切れ一枚になった座敷童を呼びつけた死神に託し、一言。
「お前達はこの物語から脱出して、この子を神殿の父親の元へ」
「急いで!」
ことの緊急性に今回は素直に従った。
相棒を引き連れて物語の出入口まで飛んで行く。
「貴方って、何というか、ズルいんですね」
「今だけさ」
くすりと笑ったベゼッセンハイトにそれだけ返しておく。
「さて……」
黒魔術師自らの手で解き放たれた檻。
そこにはこの物語の「癌」がいた。
「ベゼッセンハイト。アイツが今回のお前の獲物だ」
「強者ですか?」
「バッチバチに強いぞ。なんせ死なねぇ」
「へぇ……私と同じなんですね」
そしてクスクス笑う。
「面白そう」
「……そうだな」
対して相手の瞳はベゼッセンハイトから片時も離されなかった。
そこにあるのは憎悪ばかり。
自身の手に握られた大剣に「陰」の黒が染みていく。
自身の負の怨念が、怨恨が、体の中の何かをかき混ぜていく。
(つづく)
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