すれ違い-5(鬼)


 ――刹那。


 これは青天の霹靂か。

 突如彼らの間に稲光が走った。

 戦いに割り込むように入ってきたそれは一本の大太刀。


 の血をその身に宿すあの男の持ち物。

 すらりと通った鼻筋に小さな金縁の鼻眼鏡、エメラルドグリーンの長髪に綺麗な黒い中折れ帽。黒い長襦袢の上に薄いクリーム色の長着を着流して、その上から黒いコートを羽織っている。

 糸目の下には黒の瞳孔を黄の虹彩が囲む「鷲の瞳」。

 その一族が有する特徴的な瞳。




「デヒム、ナナシとはらい者を連れて早く物語の外へ」


「確固たるシナリオのレールが軌道を外れた。事は急を要する。主人公のことは私に任せて早く」




 満身創痍の魔導士はそれに軽く礼をして向こう側へと走っていく。

 怒りに任せて追いかけようとする悪魔を太刀の一薙ぎだけで制した。

 その名は――。


「私の名前は剣俠鬼けんきょうき。黄泉様の使い、命紫めいじ様の用心棒」


「戦闘一族、死神はご存知ですよね? ゲス悪魔」


 切れ長の目、見開く。


 * * *




 ――死神。

 四神が一にして、ストリテラ全体の命の管理者。




 総大将である「黄泉様」を筆頭に、運命の書に従い動き「魂の命運」をその手で決する。その内実は「戦闘集団」であり、ごまんとある魂をあるべき時にあるべき姿として来世に送る為、時にはやむを得ない選択もする。


 それは時に狡猾。時に冷酷。


 自ら手を下したその数知れず。

 事故を意図的に起こしたこともあれば、殺人事件に偽装したこともあった。

 心理戦で落としたこともあれば、相棒のように振る舞いつつ徐々に追い詰めたこともあった。

 龍神と協力して起こした災害では――否、これ以上は最早言うまい。

 そう。

 彼らに狙われたが最期、そこから生還できる者は極めて少ない。

 彼らの正確な姿がストリテラ内にてよく知られていない、または存在・規模すら余り知れ渡っていないというのは有名だが、その理由は彼らが隠密に行動する以外に、伝える者が既に大勢死しているというのもあるだろう。


 しかして全員が全員強い訳ではない。戦闘集団といえどその力には個体差がどうしても生ずる。

 故に其の内部は超縦構造。雑用を任される超下級構成員に魂の管理を専門に行う中級構成員、数多の命を蹂躙しその上に立つ幹部構成員までその役職は様々。


 勿論、相手にだけは絶対にするなと恐れられる者もいる。しかも二人。

 幹部のツートップ。配下最強の二人。


 千人を一人で相手にするとされる剛腕、術を使い敵を翻弄する技術、どんな戦況にあっても必ず生きて帰ってくる強運、及び知力。

 それらはその界隈では余りに有名。信頼も厚かった為、彼らは黄泉様のたった一人の愛娘「天津藤上命紫姫神あまつふじのかみめいじひめ」――通称命紫めいじの用心棒も務め上げている。


 こんなに「人生の破壊者シナリオブレイカー」殺しに適任なキャラクタもいなかったろう。

 天使の隠し子がオオトリにぶち込んでくるのも納得がいく。


 それこそが狡猾の鬼――斧繡鬼ふしゅうきと、

 二番手たる冷酷の鬼――剣俠鬼けんきょうきだった。


 * * *


「いざ、尋常に勝負!」


 そう一言だけ放ち、相手は見るからに重そうな大太刀をこちらに向かって振ってきた。青白い太刀筋が弓が如く閃き、美しい川のような金髪の先がはらりと散る。

「……!」

 思わず目を見開き、一瞬で間合いを詰めてきた相手の技量を思い知った。

 一歩遅ければ自分の鼻が削ぎ落されていたに違いない。

 しかし相手は振るだけでも大変な筈のそれを尚も踏み込み踏み込み、斬りかかってくる。しかもその動作の一つ一つが速い。それこそ、そこだけ時間の流れが歪んでしまったかのような。


 これが、神速の龍か。

 思わず顔をしかめる。


「お前は、物語を壊し! 人びとを路頭に迷わせ! 自慰的自己満で様々な幸福を奪ってきた!」


 叫びながら太刀を頭上から振り下ろす。

 直後、黄金の電影が空を引き裂いた。肩を焦がす稲光に汗の玉が光る。

「……貴様には分かるまい。それにどれだけ姫様が御心を傷めたか、どれだけの負荷をお背負いになってしまわれたか!!」

「そんな身内話、知るもんですか!」

「何を言うか! 時と魂を――世界の一端を担い、司っておられるんだぞ!! この無知が、恥を知れ!」

「どうとでも言えば良い! 私は不幸が幸福を圧し潰すこの世界が大っ嫌いだ!」

「……」

「その不幸に私の主は一方的に貶められた、他にもその不幸に喘いだ者達がいる。作者の都合に振り回され、永らえたかった命を徒に溶かし、次々犠牲になってゆく! こんなもの、まるで私達は作者の……読者の奴隷みたいなものじゃないか!」

「何を言うか、分をわきまえろ! お前は読者の目によって生かされているんだぞ!? それがその年になっても分からぬか!!」

「いいえ。そんな常識分かってます。そんなこと重々承知ですよ。――だとしてもだ。だとしても矢張り世界は変わらねばならない。この不幸の連鎖を断ち切らねばならない。仕組みを根から変えねばならない。だからこそ私は禁忌を冒してでも明日の誰かの為に生きてゆく。それが例え命の糧を踏みにじる結果になったとしても!」

「……無知が世界を動かすとは、正義も地に落ちたものだな。ならばよかろう。お前を、お前の言う『不幸が幸福を圧し潰す世界』とやらから早う脱出させてやる」

 そう言いながら後方に飛び退き、片足を一歩踏み込んだ。

「痛みなく、一瞬で逝かせてやる!」

 爪先から氷結が剣山のように高速で拡がり、自分の喉元をつけ狙ってくる。身を反らして何とか躱しつつ、棘のような切っ先を大剣で断ち切った。

 そのまま向こうを見ると――転瞬、眼前に相手の豊かなエメラルドの長髪と見開かれた鷲の瞳とがくっきり鮮やかに映った。太刀の氷のような銀の煌めきと、死のにおいも、強く。


 頭を割られる――!


「アアアアアアアッ!!」

「強欲」の力を振り絞り重い大剣を勢い任せて何とか振り、刃を受けとめる。

 直後、全体重と重力と筋力とを乗せた太刀の重みがのしかかってきた。火花散る散る、眼光もほとばしる。

「クソッ!」

 弾き合ってまた直後、かち合う。時折かっ飛んできた風の刃に頬を裂かれた。

 しかし黙ってやられるわけにもいかない。彼の背後に大鎌を取り出し、更には陰をも駆使して応戦する。

 膜のように伸び拡がり、相手を包むように襲いかかる陰。しかして直後には真っ二つに上と下に分かれて飛び散っている。

 大鎌をいつもの如く投げてはみるけれど、翻弄がまず出来ていないので何の意味もなさない。刃の部分が出した瞬間真っ二つに折れた。

 炎も飛ばしてみた。――が、風圧が全て吹き飛ばした。対策が既にされている。

 代わりに、いつもそこには鷲の瞳の残した黄龍の残像があるばかり。

 ここまでくると、最早相手には何も効かぬものなのか。――否、ただ時間稼ぎにさえなってくれればそれで良い。もう、そうやって開き直る他はない。

 自分達さえ、生きていられれば。

 不安そうにポケットの中でもそもそ動くこの小動物の体温と拍動を感じながら決意を更に胸に宿した。

 自分も彼同様、更に踏み込む。

 切り結び、斬り、斬られ、時々体勢を崩しながらも懸命に相手に食らいついた。

 もう唇も切れているし、服も紳士とは思えぬ程破れてボロボロ。

 腹も酷く減っている。そろそろ麩菓子辺りを口に放り込みたい。

 ――相手は全くの無傷であるというのに。

 だがコンディションを立て直す暇さえ惜しかった。

 今ここで何かを諦めれば、数秒後には死ぬ。そんな予感とは違う、どこか確信めいた不安そのものが彼の体のに満ち満ちていた。


 そう、死ぬわけにはいかない。

 でなければ自分の目的どころか、この小動物の安住さえも叶わない。


 絶対にこの子を相手方に渡す訳にはいかない。


「貴様、いい加減現実を見たらどうなのだ!」

 剣俠鬼が何度目か分からない間合いの詰め方をしてきた。

 何度目か分からない受け止め方をして、何度目か分からぬ火花を派手に散らす。

「いいや、絶対に諦めたりしない! というかお前の方が諦めろ! こちとら四十万字だぞ!」

「知るか、そんな話! 世界観ぶち壊す発言するんじゃない!」

「今に始まったことじゃない癖に!」

 相手に消耗の色は見られないがどう考えても泥仕合だ。

 ……このまま会話で気を逸らして、どうにか相手の隙を突ければ。

 苦悶の表情を顔に貼り付けたまま少しずつ、一歩ずつ相手の間合いに飛び込もうと模索してみた。

 七つの大罪の能力が発揮できれば……。

 その時が来れば……!






 ――そう思い、運命にしがみつこうとした正にその時だった。






「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! 放して!!」






 脳にガツンと響く。


 * * *


「聞き分けの悪いガキだな、大人しくしろっつってんだろ」

「嫌だ!! 放して!! マモン助けてェ!!」

「相変わらずうるせぇなぁ……針鼠のまんまにしときゃ良かったかなぁ」

「痛い!!」


 聞き覚えのある少年の声が背後から聞こえた。

 気付けばポケットが空だ。あの子がいない!

 どっと汗が噴き出した。

 すぐにそちらを向けば地面に組み伏せられ、きつく縛られている最中の弱々し気な座敷童の姿がそこにある。

 ぎゃんぎゃん泣き喚いて、顔がぐちゃぐちゃ。

 道理で語り部が居ないと思ったら……どれだけ怖い思いをしただろう!

「主!!」

 気が急いた。

 それまで相手にしていた剣俠のことなど構わずに、一直線に彼らの元へと突っ込んでいく。

 しかしそれを放っておくような相手ではない。すぐさま眼前を眩い雷撃が覆った。

「グわっ!!」

 思わず急停止した所にいつもの如く太刀構えながらぶっ飛んでくる。

 直ぐに腹から大剣を取り出し、応戦。

「クソッ、邪魔するな!!」

 火事場の馬鹿力か何か知らないが、今回ばかりはやけに力が出た。

 相手の刃を折らんばかりの鋭い斬撃を食らわせ、ぐらついた所で腹に蹴りを思いきりぶち込んだ。――が、その時ようやく自身を大きな「黒い影」が覆っていることに気づく。

 粘液の方ではない、太陽の日光を遮ったさいに出来る、あれだ。

 上を見た。

 少しの間、動けなかった。






「マモン!!」






 大岩に潰された悪魔の姿に座敷童の悲痛たる絶叫がこだました。


 それを馬乗りになっている死神――斧繡鬼ふしゅうきがギャハハと笑い飛ばす。

「ハハハ!! つーぶれた、潰れた! アヒャヒャ! ――あーあ。あっという間だったねぇ。……これまでの奴は一体何やってたんだ、なあ? へーび」

「煩いですね、そういう毒しか吐けないんですか?」

 蛇と呼ばれたもう一人の死神――剣俠鬼が太刀をパチリと鞘にしまいながらこちらに歩み寄ってくる。

「おいさん、本当のこと言っただけだぷー」

「ハァ……何でこんな性格とクソ意地の悪い親父なんかと相棒なんですか」

「それ今更じゃね? ――あ、ってか俺ァあの遺骸の処理は御免だよ!? グロテスクは苦手なんだよぉ! 蛇、お前がやれよぉ! なっ!」

「ハァ? これでようやく姫様の御元へ帰れるというのに、わざわざ血糊や臓物塗れになれと? お断りです。自分の獲物は自分で持ち帰ってください」

「ええー、めんどうくちゃぁい」

「殺意」

「冗談じゃん」


 ……。


 ……ヤバイ。これはヤバい。


 完全お開きモードじゃないか!

 え、そんなの無理! マモンが死ぬだなんて、そんな!!


 慌てて身をよじらせ、どうにか縄ぬけしようと必死こくけど直ぐに斧繡鬼に阻止されてしまった。

「コラコラコラ! プレゼントが自らリボンを外そうとするな! お前がだぁーい好きな怜さんの元にこれからいけるんだぜ? 喜べよ」

「こんなのリボンじゃない!」

「まあ、麻縄だけどな」

「ほどけよ!」

「何でだよ。駄目に決まってんだろうが」

「ほーどーけ!! 傷が付いたらどうすんだ!」

「そんなのお前が藻掻かなけりゃ良いこったろ? ほら、いい加減大人しくしろ。今からあの威張り腐った情報屋ん所に連れて行ってやるから」

「えっ、ちょ! まっ!! わっ、止めろ! 下ろせ!!」

「だから何でだよ。ホラいくぞ! ――ったく、アイツの配下なんざ二度とやるもんか。気にくわねぇ」

 や、やばいやばいやばい。

 やばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 縄、全然緩まない。固すぎ!

 それに掌を覆うようにぐるぐる巻きにされてるので、猛毒も召喚も使えない。

 やっ、ヤバすぎる! これはヤバすぎるんだけど、どうしたら良いんだよ!!


 何よりマモンが!!


「……それじゃあそのわらべの世話は頼みました」

「おうよ。そっちの悪魔の魂は頼んだ」

「お任せを」

「嫌だ嫌だ! 放して! やめて!! マモン!!」

「元気だねェ。喉枯れたら喉痛くなるんだぞ?」

「だから何だ、このインケン腹黒親父!!」

「はいはい。どうとでも」

 そのまま抵抗空しくどんどん向こうの方へと連れ去られていく。

 悠々歩きやがってムカつくなぁ!

 しかしどんなに藻掻いても全然縄が緩まない。下手したら血が止まる程きつい。

 しかもマモンの元に剣俠鬼が歩いていった。もし虫の息程でも命が残っていたらばすぐにやられてしまうだろう。

 それだけは何としても阻止しないといけないのに……!

「マモン! マモン!!」

「無駄無駄。もうマモンなんかこの物語にはいねぇんだ」

「いる! いるもん!! マモン!!」

 ほぼ泣きそうな声で尚も叫び続けるけれど、既にかなり遠くまで来てしまった。

 斧繡鬼は遂に怜さんと連絡を取り合い始めたし、もう焦りばかりが募って募って仕方ない。

 こんなの、こんなの……台本にはない。

 僕らの理想とは余りにかけ離れていて、余りにあっけないじゃないか。


 そんなの駄目だ。駄目……!






 マモン!






 そう心で祈った、その時――。











「返せ」











 * * *


 斧繡鬼の目が見開いた。

 彼が振り向いたのに合わせてそちらの方を見やると血だらけのが剣俠鬼の喉元に剣の切っ先を突き付けている。

「返せ! 私の主を返せ!」

 力を振り絞って岩をどけ、彼は遂に全身を外に出した。

 その朱はまるで不死鳥のような……


 ……嗚呼、そうか。



 きっと僕の頭上にある「不死の補正」の力だ。



 そうだ、僕らにはまだがある!


 まだまだやれる!!

 まだまだ怜さんの物語に吞まれないだけの抵抗力がここにはある!!


 そう思った途端、眩い希望が突然胸の底から溢れ出してきてやまないんだから言葉って不思議だ。


「ほう、面白い。、ねぇ?」

 ふと斧繡鬼が口を出す。

「主をそれ以上痛めつけるな、傷つけるな。返せ!!」

「返せだァ? 死神相手に何を生ぬるいこと言ってんだ、坊ちゃん」

 小脇に抱えていた僕を強盗がやるみたいに首に右腕回して抱え込む斧繡鬼。

 その左手にはぎらついた短剣が握られていた。目の前の悪魔を挑発するかのように頬の辺りで短剣を揺らす。


「そのどぎつい殺意、見所がある」


「今まで以上の力を出してこい、




「こういう場合、殺して盗るんだよ」




(つづく)

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