罠
「だってキミ達が欲しイのって、コレだもンねぇー!!」
その時彼の顔面を覆っていたのは黒耀とは似ても似つかぬ狂気の笑み。
濁った黒真珠は僕らの方を挑発的に覗き、直ぐに足下から大量の「陰」を取り出した。
* * *
「キャーアハッハハハ!! イノチ! イノチ、イノチ!!」
な、ナナシが天使の隠し子……?
でも待て、いや違う。だって奴は脅迫状にて確かに自分の所まで来いと言った。そしてそれが「鬼火平原」であることも紙芝居屋から聞いて分かった。
まだここは森であって紙芝居屋が示した平原ではない。
でも……あれは間違いなく主人公補正に違いない。何なら僕の頭上の他の補正達が呼んでいる。
じゃあ、これは一体……。
「主! 危ない!」
そう言われた所でようやく目の前にナナシの拳が迫ってきているのに気が付いた。
マモンに腕を引かれ、すっ転んだ頭上を右ストレートが通り過ぎていく。
あぶっ。
「和樹、札構えろ!」
「ナナシはまずい。ナナシだけはまずい」
「何がまずいの? ってか知ってるナナシと何か違うんだけど」
「強欲の鎌」を首筋の紋様から取り出しつつ、彼の黒光りした拳を受けとめつつ和樹の話を聞く。僕の隣では和樹が手にした札で彼が取り出した「陰」を吸い取っていた。
「あの子はいつも気まぐれでさ、大人しい時もあればああやってガチャガチャ暴走する時もあってね……大体は戦いを前にするとハイになるみたいなんだけど」
へえ、そんな一面が。
「唯、もう一つばかし問題が」
そう言って何やらトッカが苦い顔をする。
ん。
何?
「アイツの今の目。見えるか?」
「黒い蛇の瞳」
「……!」
その言葉にゾクッとせざるを得ない。
「奴はこの中で一番ベゼッセンハイトの呪いを濃く受けている」
白く細い瞳孔がぎょろりとこちらを向き、にやりと笑む。
体液と陰の混合液を目から鼻から口から、しとど流しながら獣のように唸り、笑い、両手に黒い炎を宿す。
高揚してる。
あれが、ベゼッセンハイトの呪いを背負う者。
ナナシの、もう一つの姿。
『主、気を付けて』
久し振りに鎌の状態で話しかけてくるマモン。
「や、き、気を付けろと言われましても何に気を付ければ」
『蛇の瞳は強大な力を持つ証であると同時に悪魔王の眷属である証でもある。私や主のように彼の眷属たればまだ理性が残される。しかしベゼッセンハイトにも選んだ相手に呪いを押し付けることで無理矢理自身の配下にする能力があります。奴の眷属――そもそも眷属と呼称して良いのかも怪しい関係ではありますが――は時として理性を失う』
「本性だけになる、ってこと?」
『いえ、どちらかというと……乗っ取られたの方が正しいですね……』
「ええっ!?」
『ただし、あれは半分乗っ取られた状態で、微かに残った彼の意識が巨悪の根源と戦い続けている状態です』
「苦しんでるの?」
『どうでしょう。寧ろ利用して楽しんでいるようにも見えます』
「ええ……?」
『どっちであれ、気を抜かないことです。彼の呪いを受けた者は徐々に体と意識とを蝕まれていく代わりに強大な力を得る』
「……」
『それは時として彼の王の眷属が持つものを遥かに上回るのです』
つまり、一番「奴」の影響を受けている彼はそれだけ凄まじい力を持つ(かもしれない)ってこと?
思わず唾を飲みこんだ。
『……! 目標動きます!』
マモンが叫んだ時にはもう目の前の木は倒れ、黒い座敷童の姿が迫って来る。
後方に大きく跳躍しながら鎌を振るい、炎を薙ぎ払った。
* * *
「ベネノ!」
「何!?」
息つく暇も無い程の恐ろしい猛攻。そんな中和樹が僕の隣で叫んだ。
鎌を振るえば跳躍して避けられ、直後懐に突っ込んでくる。相手は武器が無いだけに手数が多過ぎる。それに加えてあの炎の量。木々は燃え、時たま吹っ飛ばされるトッカの姿が痛々しい。
「作戦!」
「作戦!? 何するの――おわわぁ!?」
叫んだ瞬間地面が盛り上がり、中から出てきた「陰」に仰天。
変身を解除したマモンが僕ら二人を抱えて跳躍。そこに雷神の太鼓が如きの魔法陣を背負ったナナシが突っ込んできた。
「……!!」
寸での所で彼の腕に宿る炎を和樹が札で吸い込む。そのまま柔らかい地面を滑りながら彼の下をすり抜けるようにして避けた。
「クソ! 継ぎ目が無いな!」
「ベネノ!」
「はい!」
「作戦!! 作戦なんだけど!」
「……何かさっきも聞いた気がする」
「そっ、それは良いんだよぉ!!」
手をばたばたさせながら慌てて言う和樹。顔赤くしちゃって、可愛い。
「さっきのはおいといて!」
「うん」
「ベネノ、あの状態になっちゃうとナナシはもう手が付けられない。奴の侵蝕の中でも今回のは特に酷い!」
「ええっ」
「だから一度奴との接続を切り離すためにナナシをこの札に収めちゃいたいんだ」
「な、なるほど」
「で、黒幕を無理矢理引きずり出す」
……。
待てよ? それって――。
「ベゼッセンハイト?」
「可能性は高いかな」
えええええええ!!
おいおい、突然ではないですか!?
そう驚いている間にもナナシが上空から突っ込んでくる。マモンとトッカが飛び上がって応戦した。
【流水穿敵!】
空を切る音が鋭い。
「でもやるっきゃないよ! じゃないとこっちが全滅してしまう!」
「まあ、そうだけど……」
ベゼッセンハイトっていうネームがちょっと……。
『主、よくよく考えてみてください。天使の隠し子とは即ち神公認のシナリオブレイカー。ここまで我々を誘導して人目の付かぬところで殺すなど、如何にもやりそうなことではありませんか』
――と、ここでマモンから通信。
「そう?」
『どこで物語を破綻させるかなど分からない。主人公の補正を奪った挙句殺害未遂。……以前我々がやったシナリオブレイクにどこか似ています。恐らく手口は殆ど同じでありましょう』
「ふうむ、なるほど?」
そう言われてみればそうかもしれない。
僕らも補正の強奪は一番最初にやっていた。そしてミステリでは一番最初に主人公が死んだのだ。
あれは主人公本人の意図的な行為(しかも死んだふり)ではあったけど、その前例を以てして考えてみれば物語を壊す為に主人公の存在を補正を奪った上で消すというのも十分あり得るかもしれない。
『相手は強敵ですがナナシをこちらに引き戻せればまだ勝ち目はある。その隙に奴から私達が補正を奪ってやるんです』
「そうだね……」
『やり遂げましょう』
「うん」
最後のは小声でやり取りし、通信終了。
丁度良いタイミングで和樹が懇願をしてきた。
「だからお願いだよベネノ。君達二人の力でナナシがこっちに来るように誘導をして欲しいんだ」
「分かった。誘導すれば良いんだね」
「ありがとう!」
純粋無垢。その四字が似合いそうなその笑顔にまた心がくっと鷲掴まれたような心地がした。
「俺はトッカと一緒にあの子の邪魔をしながらこっそり近付いていく」
「そしたら僕らが攻撃のメインをやれば良いんだ」
「そう。出来るだけこちらの手の内がばれないように」
「承知」
そこで二人分かれた。
「マモン!」
「いつでも!」
首筋の紋様から再びマモンを召喚。マモンの飛翔でナナシの元まで近付き、一気に切り込んだ。向こうでは和樹がトッカを札で呼び戻している。そのまま彼に向かって何か喋り始めた。きっと作戦の共有をしているんだ。
「アヒャァ! もっト遊んでヨォー……遊ンでええェェェエエ!!」
爆を地面に叩き込み、そのまま爆炎の二連撃が僕らの方に向かって襲いかかって来る。直ぐにバリアーを展開。裏からトッカがひょうたんに霊力を込めつつ殴りかかったが、一足遅かった。
ナナシは挑発でもするような顔しながら向こうの方へと跳んで行く。
「待て!!」
慌てて追い、トッカと一緒に左右から殴りかかるがやっぱり当たらない。その代わりに物凄い勢いの「黒い瀑」が上空から降って来る。
「どぅああっぶな!」
ローリングで躱し、ナナシの方を見るともっと遠くに行ってしまっている。
やばい、逃げられる!
「マモン!」
『分かってます! 追いましょう!』
「俺も行く!」
僕らの後に続いてトッカが走り込んできた。
それに和樹も続いていく。
「キャハハ! アハハハハ!!」
楽しそうに跳んで跳ねてどんどん森の奥へと入って行くナナシ。だんだん濃い霧が立ち込めてきた。
くそ、早く捕まえないと見失っちゃう!
「マモン、飛べる!?」
『前方を塞ぐってことですか』
「そう。このままだと埒開かないし、見失うと思って」
『いい考えだと思います。それではしっかり掴まって!』
そう言い、一二の三で跳躍!
ナナシの遥か上空を通り過ぎ、彼の前方へと降り立とうとした――
――その時だった。
「……! ベネノ戻って!」
え?
和樹の絶叫が聞こえたかと思った矢先、自分の腹を大胆に蹴り飛ばす人影を視認。
大柄の男で、手には大きな戦斧を持っている。その目はギラギラと光り、まるで獲物を狙う猛禽類のようだった。
さながら、鷲のような……。
「坊ちゃん、久しいな」
「斧繡鬼……!」
* * *
そのまま弾かれるように放り出された場所。
気持ち悪い程よく晴れた青空の下、緑の匂いが濃い草原。
遠くに山は見えるものの、そこに辿り着くまでがしんどそうな程その平原はだだっ広かった。
今までいた森が、無い。
ついでに言うと和樹もいない。
どういう、こと?
「ここは……」
「……」
いつの間に変身を解除していたマモンが意味ありげな吐息を鼻から漏らす。
どうやら僕とマモンとトッカだけが「鬼火平原」へと招待されたらしい。
まずい。
(つづく)
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