決別
「運命の書」が選んだのは――こちら側。
* * *
「ア!!」
「あいつ!!」
エンジェルと共に舞い上がった大空。雲間から差す眩しい陽光を背に受けながら僕とエンジェルは天界からどんどん距離を取っていった。
下方、雲の上では急激な力の損失にぶっ倒れた悪魔王を庇うかのように何人かの天使が駆け寄っている。
それを優雅に旋回飛行しながら見れば、いつの間に元の姿に戻ったエンジェルが手を引いてきた。
「行こう。もうここに用はないよ」
「……」
勿論ここに残る意味はなかったし、ここを離れるなら今しかないとは思っていたけれど、ちょっと後ろ髪を引かれる思いがして雲の上をちらりと見やった。
あんなにイヤイヤ言ってたのに王が倒れた瞬間、父は真っ先に駆け付けていた。
ぐったり倒れた彼を抱き起しながらその胸に手を当てている。
運命の書にも何か書いていた。ああいう時、大体あのひとは救命活動をしている。
どんなに仲が悪くても、心の底から嫌っていても「仕事仲間」というのだけは絶対に崩さない。
その顔は本当に心配そうだった。
このまま逃げ去ってしまいそうな僕には目もくれないで。
……、……。
……ぐ。
何故だか突然、ぐっと、苦しくなった。心のある辺りが息苦しい。
何、だろうね。
何だろ。
「どうしたの」
「……ううん、何でもない。行こう」
吹っ切れたかのような速度でへそを向こうに向け、一路、隅谷の宿まで飛んで行く。
太陽の放つ聖光が余りに眩しくて、ちょっと涙が出た。
* * *
王が倒されるなど、前代未聞。前古未曽有。破天荒。
何したって生きていそうな奴なのに、今回ばかりは泡吹いてぶっ倒れた。
本当のことを言えばいつもしねしね思ってる相手ではあるのだが、矢張り目の前であんなぶっ倒れ方されると心配になる。
やる予定の無い延命処置をしてしまった。
葬式代はコツコツ貯めているのに……悪役にとことん向いていないな、と改めて思っては苦笑い。
気付けばベネノは居なかった。
まあ、あれだけの人数と力で捻じ伏せても止まらず、更には補正と「運命の決定権」までぶんどっていったヤツなのだ。
今更追いかけた所で勝ち目はあるまい。
成長したものだ。
「アイツの今の気持ち。何というか、分かんなくはないよ」
「……いつの間に来てたのかい」
「まあ、何となく、ね」
気付けば天界の端っこに煙草をふかす男が足をぶらぶらさせながら座っている。傍にスナイパーライフルが丁寧に置かれていた。よくよくメンテナンスがしてあって、ぴかぴか。その上に煙草の灰がぱらりと落ちる。
「撃たなかったのか」
「傷心してる若者達を撃つことは出来なかったんだよ。おっちゃんの、この、指が痺れちゃってね」
「……指が痺れてるのに煙草は持てるんだ」
「……もっと教養を持てよ、楽しめよ」
……。
……、……。
髭の伸びかかった顎をざらりと撫でる。
そのエメラルドは遠くの何を見つめているのだろうか。
「なあ」
「ん」
隣に座って自分も足をぶらぶらさせる。
「傷心って?」
「……」
また、煙草を深く飲んだ。
胸の底から息を吐いて、煙を風に乗せる。
「明るい奴がさ、ある日ころっと死ぬみたいなの。よく言うじゃん」
「……」
「強い光の影はさ、すっごく暗くてすっごく濃くって、すっごく黒いんだよね。――照らす光が強ければ強い程影は濃くなるなんて。よく言えてると思わん?」
「何の話?」
「まあ、聞けって」
「ひとが善人になるには理由があって、ひとが悪人になるにも理由がある。なりたくてなった訳じゃないものと、ならなくちゃいけなくてなったものと、憧れの末に叶えたものと。他にも様々でさ」
「でもその事情の裏に隠れてる、ひとの本当の『こころ』っていうのは案外分かんないもんなんだ」
「……俺が育ててる奴もさ。ある日突然いなくなったりするんだよ、本当に前触れもなく」
大体三階のもう一つの自室に籠ってるんだけどね、なんて言って笑顔を浮かべる。
だから毎回見つけてやるんだそうだ。
その日の夕飯は決まって味噌チーズラーメンと塩ミルクラーメンになる。
そうして最後はご飯を突っ込んでスープまで飲み干して、歯を磨いてちょっと一緒に遊んだら同じベッドに潜り込み、寝るのだ。
「な、杉田。可愛いだけで、子どもを見てはいないかい」
初めてこちら側を見やった。
光の少ないエメラルドが朧気な空気を纏ってこちらを覗く。
「死にたい死にたい! ってさ。大きな声で叫んでる奴は案外死なないんだよ。だって大体の場合、それを言えるだけの『信頼できる相手』がそこにいるんだもん」
「……」
「でも、強い力を持つ明るいひとはそんなの、絶対に言わないだろ?」
「何でだと思う? 杉田」
「……、……」
何でか、答えることができなかった。
「分かんないなら、考えてみた方が良いかもしれないね。今夜ばかりは」
「……」
「そうして思いを馳せてみると良い。……神に物言いできるような地位じゃないけどさ、俺なんかは」
今も完璧でいれないことがちょいちょいあるから、と一言きっちり添えつつ、少し前の喧嘩で付いた傷を見せた。
「でも、杉田。子どもは恋人じゃないよ。会いたくなったから会いに行くんじゃないんだ、子どもってのはさ」
「親は最高の恋人じゃなくて、最後の砦、隠れ家であるべきだと思う」
「じゃなきゃ、簡単に死ぬよ」
「寂しいと死んでしまう、兎みたいに」
……。
……、……。
恥ずかしながら、そう、としか言えなかった。
自分では全員をこよなく愛しているつもりだっただけに彼の言葉をどう受け止めれば良いのか、判断に困った。
俺は愛してやっている! と怒れば良かったか。
確かにそうだ、と反省すれば良かったか。
そんなの無理だ、お前の抱える子どもの数と俺の抱える子どもの数と、まず母数から違うのだと反論すれば良かったか。
それと、結局ベネノは傷心していたのか、どうか。
答えを聞く前に彼は行ってしまった。
空を見上げれば無数の星々。
自分が「運命の書」で殺したひとの数々だ。
* * *
「何ですか、何ですか! ひとの足にタコみたいに絡まって!」
「ううー!」
ようやく元気になったマモンの足にひっつくベネノ。エンジェルは気付いた時には居なかった。それにベネノが気付いた途端このありさまである。
うっとうしい! と烏になって飛び回り出したマモンを直ぐに跳躍で捕まえた。こんな風に育てたのはマモンである。
「カーッ! カアアアアッ!!」
「ううー!」
ばさばさ暴れて羽がぱっぱぱっぱ舞っている。
「……」
「うー」
何というか、自業自得である。
雨がしとしとと窓ガラスを打っていた。
今日はやけに下界が蒸し暑い。
「暑いー……暑いー……邪魔ですよぉー……」
「ううー!」
「もう、一体全体どうしたんですか、主」
烏の体だとひっついてくる少年の体温に蒸されて死ぬので、元の姿に戻った。何だかいつもより小さく見える。
腰辺りに巻き付く彼の前髪を払って顔を露わにした。その時の何かを我慢してるらしい横顔が何故だか妙に胸をどきっとさせた。目は焦点が合っておらず、ぼんやりと霞を帯びているかのようだった。
何が彼の中で起きているかはずっと分からないままだったが、ぎゅうと抱き締め、背中を叩いてやると体が突然震え始める。
胸元が、湿り気を帯びた。
「どうしました、主」
「……」
「……困っちゃいましたか?」
胸元に深く顔を埋める。
「そう……困っちゃいましたか」
仔犬みたいな声がした。嗚咽の声と分かるまでにそう時間はかからなかった。
「よしよし」
今はただ、寄り添ってやるのみ。
「悪魔って、辛くないの」
「悪魔は悪者じゃありませんよ。理性を司る者達です」
「頭が良いの?」
「頭が良いかどうかは……分からないですね。何しろ、馬鹿が居ますから。トップに」
「……ソイツ、今日倒したよ」
「知ってますよ。お見事でした」
「見てたの?」
「いえ、気配がします。補正に混じってアイツの気配がいたします」
「そう」
「ええ。そうです」
「……」
「……そうですかそうですか。今ようやく分かりましたよ、私が気絶している間に裁判から逃げ出してきたのですね。あんな数をよくさばいたじゃないですか」
「そう?」
「ええ勿論。特に死神と守護天使は強いです。聖光で満たされた天界を戦場としながら、よく戦い抜きました」
「……」
「誇って良いですよ」
頬を両手で挟んでやればむにむにと柔い。
塩味の頬をレースのハンカチでそっと拭いて、笑いかけた。
「主、ご心配なさりますな。私達は決して悪いことをしているんじゃありません。理想は直ぐそこ。あと一つの補正を手に入れれば――」
「マモン!」
ふと呼びかけられて言葉が止まる。
「はい」
「僕、僕はどこにも行かないからね!」
「……」
「だからマモンも……マモンも、その……ずっと傍にいてくれるよね!」
長い沈黙だった。
薄い唇が微かに開いて、何かを伝えようとしている。
それを目の辺りを真っ赤にした少年はじっと見つめていた。
その期待と不安が混じる眼差しは、マモンの心をぐ、と貫いていた。
「勿論ですよ。私達、バディじゃないですか」
「良かったぁ」
雨は未だ止まない。
二人はそっと布団に潜り込んだ。
(第五話 神殿裁判 Fine.)
(To Be Continued...)
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