神殿裁判-4(釜中の魚よ、飛龍となれ)
* * *
釜中の魚
釜の中で煮られようとしている魚。死が迫っている者をいう。
類語に、
……。
* * *
「グア!!」
あの作戦とか何とか考えている内に懐に一気に攻め込まれた。
腹に蹴りをぶち込まれ、体は大きく吹っ飛んだ。神殿の柱に背中を強く打ち付け、息が上手くできない。頭も打ったか、ちょっとフラフラする。
そこにトドメを刺そうと振り上げられた剣の切っ先。その脅威から逃げるように、自分の体に鞭打って転がり、何とか立ち上がって走った。
嗚呼、本当だ。
今の自分はさながら釜中の魚と言っても過言ではないだろう。
これでは作戦もくそも無い。
全て振り出しに戻った。
悔しくて悔しくて、歯肉から血が噴き出さんばかりの勢いで歯噛みする。
いや。いかんいかん。
一旦攻撃の手が止んだのを確認して、大きく深呼吸。
こういう戦闘に関する「負け癖」を払うように手を叩き、気合を入れた。
「よっし」
今の自分に一番必要なのは意識の変革と状況の整理だ。
口元の血を拭いながら改めて相手を見据える。
飛び込んできた魔導士の剣を再び受け止めながら相手の手元をよくよく観察。そうすると一定の流れがあることに気が付いた。
自分のとっておきと同じ。所謂即死コンボというやつだ。
一度そこに嵌めれば相手は成す術なく朽ちていく、そういうやつ。
説明しよう。
彼は剣だけでなく、自らにも魔法を微量ながら使用している。
足と腕に限界突破を施し、こちらに反撃の隙を与えない。そして自らのターンとするべく高速かつ、一番無駄のない動きでこちらを追い詰める。
そしてある程度疲弊させたら極大魔法でぶっ潰す。そういう筋書きで動いているのだ。――何とも単純な事だった。自分よりちょっと引き出しが多いというだけで。
だとすればこちらの為すべきことは相手の思う壺とならないこと。その一択。
どんな手を使ってでも彼の手中より逃げて、逆に相手を再起不能とする。
そして神殿の更に奥に居ると思われる主を迎えに行くのだ。
しかもなるべく早く、迅速に。
所々刃こぼれした剣を握り直し、前のめりになりながら飛び込んで行く。
ここで重要なのは相手に対し、真っ向から反抗しないことだ。
傷を付けても駄目、まともに受けても駄目、逃げても駄目。
なら後は何があるか。
受け流しながら色々試しながら相手して――
フードの前面にぎょろりと付いている黄色い硝子の目玉を手で覆った瞬間、相手の動きが鈍ったのに気付いた。
これだ!
瞬間思い返される第二話の「蛙の王」。きっと彼の王は悪魔王の創作物だ。目の前の魔導士だって「悪魔側」であるのだから然り。
そうかそうか。なるほど。
どちらも頭に付いた目玉が弱点だったということだ。
それさえ分かってしまえば話は早い。
即刻、目玉に向かってカルドのエネルギー弾を鋭く放った。
しかし相手もそこまで馬鹿ではない。狙われていると分かった瞬間、それの対策をし始めた。掌が弾を悉く握りつぶし、更には早くに仕留めようと攻撃の勢いが強くなる。
先程までの攻撃だけでも手一杯だったのに、魔導書のページを繰るんじゃない!
肺が既に苦しくふらふらだったが、涙を滲ませながら必死に走り、相手の攻撃準備を狙った。その隙に槍を鋭く放ってやろうという算段だが、矢張りそれさえも読まれている。彼の回避は確実だ。
さてどうする。本格的にどうする。
先程、超硬質である「天の欠片の剣」に自分の剣が押し負けた。
一番愛用していたヤツが真っ二つに折れたのだ。
慌てて他の武器を出そうと腹に手を置くが、引き抜こうとするだけで視界がグラッと傾く。
いかん……消耗し過ぎている!
体を半分に折り曲げて回復を待っている間にも相手は真っ直ぐ突っ込んできて、何の皮肉か、右ストレートを頬にぶつけてきた。
態勢を立て直す前に反対側からぶん殴られ、いよいよ頭がぐらぐらしてきた。
生死の掌握、圧倒的優勢。
瀕死。
周囲の時間が吐く程ゆっくりになって、愈々走馬灯の兆しを見せてきた。
立っていられなくなり、思わず倒れ込んだ床の上。
魔導士は逃すまいと馬乗りになり、首を左手で鷲掴んできた。喉仏を押し込むように握る握力に弱弱しい咳を吐き飛ばしながら抵抗するが、力が圧倒的に足りない。高く振り上げられた右掌に集う眩い光。
これは、これは――
これは
マズい!!
冷酷無比な白濁を睨みながら、自分の喉を締め上げる手に爪を立てた。
こんな時。嗚呼、こんな時――!
その時。
ぼやぼやする視界の隅。
確かに見えた……気がした。
少年のような横顔。今だ付けているあのモノクル。純真無垢をも孕んだ黒い蛇の瞳。一束にゆるくまとめたセミロング。
「ベル、ゼ……ブブ様」
* * *
神殿は時にまやかしを見せる。
それが吉に繋がるか、凶となるかは本人次第。
鯉が龍に化けるかどうかは本人次第。
鯉がそのまま鯉鍋になるかどうかも、本人次第。
『……、……』
何か言いながら彼は温みの残る掌でマモンの前髪をかき上げた。
『もう、疲れたろう』
確かに、疲れたけれど……このままだと、主が……。
伝えたくても、それに必要なだけの酸素が残っていない。頭も酸素の減少に伴って、消しゴムでもかけたみたいに真っ白になっていく。
唯々、苦しくて。苦しくて。力も入らなくなっていって。
自分の肉体を離れた精神体を彼がゆっくりと抱き上げた。
あ、死ぬ。
漠然と思った。
その場合は貴方の傍にだけは居られない、と。そうとも思った。
温かな陽光を背負うその胴に手を伸ばせばあの時の温かみ。ずっとずっと呪いながら、ずっとずっと欲しかったこの温かみ。
本来ならば悠久を貴方と共に生きると誓ったその
唐突に目の前の彼が恋しくなった。
その胸元にこの孤独を埋めたくて、その匂いを嗅ぎたくて。
直後、彼の体をきつく抱き締めていた。
嗚呼、こんな罪びとでも貴方のお傍に居られるのなら。
私のことを許してくださるのなら。
今一度、貴方のお傍で……。
涙の溢れそうな
安らぎの中にこの身を置いて、彼のお傍に再び控えて。
私は、今一度――
『――』
『――ン』
『マモン!』
『助けてェ!!』
――!
突然デヒムの喉にマモンの手が伸びた。
鬼気迫る瞳が彼を厳しく睨み、大きな口を開ける。
まるで獅子が唸るかのような威厳。唐突な変貌に驚いた魔導士の右手が彼を黙らせようと顔に聖光を突っ込ませた。
それを大きく開けた口で喰らい、聖光ごと飲み込む。
彼の右手が奴の口の中に消えた。
「……!!」
目の前の悪魔の危険な変貌を悟った魔導士が表情を一変させ、一気に距離を取る。傍で見ていたファートムと斧繡鬼は事態の急変に血相を変えてこちら目がけて飛び込んでくる。
しかし全てを覚悟したこの強欲に最早その攻撃は効かぬ。
彼は目の前の「悔恨」という名の瀑布を乗り越え、今、龍となった。
――「飛龍乗雲」。
英雄が時勢に乗じるたとえ。
今の彼には寧ろその言葉の方が相応しい。
「アアアアア!!」
絶叫を響かせ、「陰」を先とは比較にならない量・威力で取り出す。
その勢いひとつで神二人は軽く制圧できる。
謁見の間をおびただしく覆っていく大量のベトベトの下を駆け抜け、最後の戦いに挑んだ。
彼はもう昔への罪悪に囚われる訳にいかなかった。
どんな罵倒やどんな暴力、どんな権力が眼前に振りかざされようと、自分には助けなければいけない相手がいる。
もう潰れそうな肺、千切れそうな四肢、痺れ切った脳をフル回転させて目当ての相手に向かって猛突進。
弾幕のようにばら撒かれた魔導弾を全て避け、電撃も火炎も乗り越えた。
傷だらけになりながら。血を吐き出しながら。
今、潰えそうな新たな小さな命。その背中に向かって手を伸ばすように奴の肩に向けて右腕を精いっぱい伸ばす。
救えなかった主の代わりと言っては何だが。
彼だけでも。私が幸せにしてみせるのだ。
押し倒し、きつく抱きすくめた魔導士の口元。
血糊で口元を汚しながら彼の舌に牙を立て、噛み切った。
「――!」
何か声にならない悲鳴を上げながら無理に腕から逃れようとする。
しかし足りない。
栄養となれよ、血肉となれや。
新世界の糧となれ! どうせこの後また新しい体を貰う不死の癖に、この野郎!
はだけた服の隙間から首筋を探し出し、陶器のように白く冷たいそれにまた牙を立てる。
食って、食って、食って――
喰った。
また命を喰った。
また腹が減って来る。
もうここまでくれば愈々戻れない。
きっとこの先にあるのは我が破滅のみ。
しかしそれでも。
それでも幸せを彼に提供できるのならそれでも良かった。
それでも。
それでも。
* * *
「嫌だぁ、嫌だぁ!! マモン! お父さん!! 助けて、助けて!! ああああああああ!!」
「またお前は私を愛したくなる! この力を前にすれば!!」
顔中の穴という穴から液体を垂れ流しながら必死に抵抗するベネノ。そんな彼に新たな力を押し付けて支配せんと迫る王。
その乱れた関係に乱入するようにその男は飛び込んできた。
重々しい観音開きの扉に飛び蹴りで派手に突っ込み、床に押し付けられた少年を一瞥。新しく得たチカラを試すかのように彼は血塗れの両手を諸悪の根源に向かって伸ばした。
それを見た悪魔王。
メインディッシュを近くの柱に縛り付け、裏切者との対峙を決行。
サーベルを仕込んだ杖を虚空より取り出した。
あの時、ベルゼブブを一番最初に貫いた、銀のサーベル。
「しくじったな? あの野郎共」
言いながら不敵に笑んで霊魂を五つ召喚する。
マモンに命奪われ、訳も分からぬまま潰えた罪なき「七つの大罪」。そいつらは直ぐに自分が生前保っていた姿になり、マモンに真正面から対峙した。
「もう聞いただろう、奴らから! お前は勝手をやり過ぎた。何より私の創作物に数多手を出し、その多くを潰した。許す訳にはいかんのだ! 私の最高傑作達を殺めて……! この出来損ないが!!」
杖で一回床を叩けば五つの霊魂はこちらに向かってくる。
それに慌てず動じず相対したマモン。
一度振られた左手の軌道より新たな武器が現出。真っ直ぐ飛んで行き、霊魂を全て一撃で掻き消した。
威力の思いがけない向上にはっと息を呑む。
「……!! またお前、命を喰ったのか!」
しかし直ぐに平静を取り戻し、高火力の魔術を幾つも繰り出した。それを全て駆けつつ避けて悪魔王に一直線突っ込んでいく。
振るわれた剣を彼は杖で受け止め、木に刃が食い込んでいる内にサーベルを引き抜き、相手の眼球に向かって突こうとした。
しかしマモンは身を右に捻るだけでそれを躱し、代わりに彼の髪の毛を何本かむんずと束に掴んで引き抜いた。
「ギャ!!」
突然の激痛に顔を覆う王の目の前で髪をわしわしと食っていく。やがてごくんと飲み込んだマモン。人差し指が彼を指せば体が発光して持ち上がって行った。
「何――!? この野郎、越権の甘美に惑わされやがって!」
支配されて動かしづらい体を無理に動かし、「陰」を召喚しようとする。しかし相手に向かって放出する前に遠く投げ飛ばされた。
爆音響かせ、瓦礫の山が出来る。
「マモン!」
柱に繋がれ、身動きが取れない座敷童の元へ急行。
それを瓦礫から這い出してきた王が見つけた。
「寄るな、私の獲物だ!」
今度こそ放り出せた「陰」が津波のように襲いかかる。
「お前を殺してやる!!」
狂ったように叫びつつ、マモン目掛けて「陰」を向かわせていく。
それを確実に避けながら彼は愛しき主の方へと走って行った。
「マモン、マモン!」
体を動かしながら自分を縛る鎖を緩めようと必死。
そこに遂に使い魔が到着。固く縛られた鎖に手をかけた。
すぐ背後に大量の呪いが迫る。
柱をなぎ倒し、白い床を汚し、空間を埋めるように「陰」が迫る。タイムリミットを背中でひしひしと感じながらマモンがなけなしの魔力で「強欲」を無理に発動させる。
外れろ、外れろ、外れろ……!
「マモン……!」
「死ね!! マモン!!」
もう後数十センチというところでようやく手錠と鎖が外れた。
愛し合うように互いにきつく抱き締め合った所で――
「主」
「どうか私を許してください」
「陰」の津波がその場を埋め尽くした。
(つづく)
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