モノクルとエンジェル
「黒幕は倒された!」
怒りで煮えくり返りそうな胸中を押さえ、向こうで朗々と演説するディアブロの声を聞く。
地獄の支配者の席がこのまま空き続ければいずれ乱れる。競合の他者が居なくなった今、自分はその任に就くこととなった、と。
彼の異変には気付いていた、だから注視していた、と。
ぺらぺらと語るその姿は何とも滑稽だった。
彼への不信感は益々募った。
『何より未来の悪魔王。……これがどういうことかは分かるな? マモン』
自分で言うか。ボロが出たってか。
目の前の紙に数多書き連ねられた彼との思い出、台詞、言葉、気持ち。風に吹き飛ばされ、崖下に溜まったヘドロのような「陰」に埋もれ、沈んでいく。
「彼のことが、大好きだから」
手の中に残る一枚の紙に書かれた言葉。いつもなら笑って受け止めるその言葉も、今は刃のように鋭く尖り、自分の胸をずぶずぶ突き刺した。
ちらりと見やったその集会。七つの大罪が大人しく周りを囲み、真ん中で小さな少年のような男がパフォーマーのように手を広げ、拍手を浴びる。
自分もその一部であったかと思うと反吐が出た。祝勝を祝う内の一人、傲慢のルシファーがこちらを見ながらニヤニヤ手招きする。それに応じるように手の中で紙がぐしゃりと潰された。
何というひとにつき従っていたのか。何というひとの下で働いていたのか。
これが――ここで倒されたのがディアブロの方で、中心に立ったのがベルゼブブ様だったなら、どうだったろう。
そうしたら、そうしたならば、絶対に……。こんなことにはならなかっただろう。
そうだ。アイツが悪い。
真の黒幕はアイツだ、ディアブロだ。
彼を嵌める為の罠だ、そうだ、絶対にそうだ!
ベルゼブブ様が遺したモノクルを勢いよく掴み、憎悪の思念をふつふつと膨らませる。
そうだ。
アイツがあんなことを言いだしさえしなければ、アイツのことを信用などしていなければ、こんな事態にはならなかった。
遅かれ早かれなっていたとしても、こんな屈辱的な最期にはならなかったはずだ。
自分と彼の二人だけだったならば、絶対に、絶対に良い結果を生み出せていたはずだ……全員でいじめるように寄ってたかって彼を殴って蹴って……!
何という集団だ! こんなもの!!
モノクルを握りつぶしそうな勢いで拳を固め、今だ尚歓声に沸き、次の侵攻を考え始める愚か者達への殺意を巡らせた。
怨恨は血を駆け巡った。
力が一気に目覚め、解き放たれていくのを体で感じる。
モノクルの破損が治った。
彼がそこに溜めていた少量の「陰」が零れ落ちる。
最期まで抵抗し続けた、怨恨、悔恨。
受け継ぐかのようにモノクルを装着し、その瞬間流れ込んだ絶大な力によろめいた。
「ウ……ッ!!」
心臓が破れるように痛み、自分の中に注ぎ込まれた新たな能力の息吹を感じる。
温かく、子どものように鼓動する、もう一つの命。
――「暴食」。
こうなれば自分がやるべきことは一つしかなかった。
『――そう、奴らへの復讐。私達を陥れ、大切なひとの命を奪った憎い奴らを残らず喰い尽くす……』
『それが……私の……私にできる……』
『彼への……最後の弔い……!』
頭に響いた彼のその言葉に、意図せずして涙が零れ落ちた。
目の前で自分が握りつぶした設定資料一枚を咀嚼し、飲み込むマモン。えずきながらも何とか飲み込み、黒い「陰」をしとど口から垂れ流す。
それが能力の増強を助けた。
黒い蛇の瞳が見つめるのは――「傲慢」の、
ずぶ。
「捕らえろ!」
胸を貫き、魂を掴んだ真っ赤な右手で口元を覆った。その瞬間、またも彼の中へ吸い込まれていく命、能力。
そこに叩きこまれた「憤怒」の爪による斬撃。それを新入りとは思えない跳躍で避け、腹から取り出した鎌で彼の胸板をも貫いた。
――「憤怒」
「怠惰」が放った鎖が足に巻き付き転ばされるが、逆に足を振り上げ、ぴんと張っていた鎖をこちら側に手繰り寄せ、遠隔操作していた大剣で彼の体を刻む。
――「怠惰」
その瞬間、背後に武器を大量に作り出したマモン。
瞳が残りの「色欲」と「嫉妬」に向いた。
手の一振りで眼前に一斉に襲いかかる武器。
「色欲」は避け切れず、腹をかっさばかれ、倒れた。
――「色欲」
「嫉妬」は中々しぶとい。反射を駆使して何とか攻撃を避ける。しかしブーメランの要領で飛んできた「鎌の刃」には対処できず、口から血糊を吐いた。
――「嫉妬」
こうして、「七つの大罪」はたった一人の怨恨によって解体さるることとなる。
次に瞳が向いたのは新しい悪魔王。
新たな能力を含め、能力と特性を七つ有したマモン。
恐れること等、最早何も無かった。
単身突っ込み、大剣を振るうマモン。
その間に割って入った影があった。
「ベゼッセン……ハイト!!」
闇を切り裂く剣と大剣とが何合も交わされ、火花を散らす。
「邪魔をするな、ひと殺しの偽善者めが!!」
「……」
大振りに入れた蹴りを防御の姿勢で受け流し、返すようにマモンの顔面至近距離に左掌を突き出した。
静止し、力を込めたその手に瞬間的に力が溜まる。気付き、直ぐに反射を展開。
彼の掌から出たのは――「陰」。
ようやく全てを悟ったらしいマモンの小鼻の辺りに皺が深く刻まれる。
次々襲いかかる「陰」の猛攻を潜り抜け、周囲に用意した大量の武器で時々視界を遮るそれらを切断する。
先程と違い、無表情でこちらを見つめる守護天使。その顔を滅茶苦茶にしてやりたい、その一心で駆け抜けた。
心を締め付けるベルゼブブ様の生前のお姿。
いつも笑って傍に居てくれた。――苦しい時も怒った時も、自分に見せないように背中を向けていたからかもしれない。
そう言えば彼の腹部を彩る服の模様を知らなかった。
『貴方との思い出、背中ばかりだった……』
『だから。だからこそ今度生まれ変わった時は、貴方の正面に堂々と立って』
『手を差し伸べられるひとに、そういうひとになりたい』
どこかで聞いたことのあるような彼の心の声が胸を締め付ける。
第二話にて、因縁の悪魔王とぶつかった時。
僕とジャックの対話を「友の丘」で待ちつつ遠くから眺めていた時。
僕を光だと叫んでくれたあの時。
彼は一体、その時その場所で何を思ってそこに居たのだろうか。
もういい、もういいんだと言いたくても伝わらない。
彼の孤独を埋めてあげられない自分の無力さ、儚さが辛くて見えない壁に縋って泣いた。
せめて、せめて彼の真正面に僕がいてあげられたなら……!
この場所に居れたなら!!
その世界に出来た新たな呪いを操ることができる守護天使。実力はマモンの予想以上で、七つの大罪全員分の能力を有しておきながら苦戦する。
鋭く飛んできた陰に頬を傷つけながら、よろめきながら、それでも体に鞭打ちながらひたすら「主」の為に走った。
いつでも背中を押してくれた、あの優しい、主の魂を慰めるため……!
「アアアアアアアア……!!」
ほぼ奇声を発しながら飛び込むマモン。
勢いに任せ、限界を既に突破した体で剣をこれでもかと振るう。
首筋に刃をかち当てられそうと思った矢先に「陰」で塗り固められた鋼鉄のような腕で防御をされると腹が立った。
鼻に拳をぶつけた方がよく吹っ飛んだ。
そうして少しずつ彼を押していくマモン。しかしそこにサーベルを構えたディアブロが参入する。
彼の戦闘している所は見たことが無かったが、彼も彼で中々強い……! 様々な魔法と霊魂召喚で迫って来る。
そんな中、怒髪衝天の勢いで王が声を荒げた。
「マモン!」
「何故七つの大罪に手をかけた。何故私の子ども達を殺す!!」
「分からないのか、お前は私の子どもだぞ!! 何故子どもが親に刃を向ける!! 兄弟達の命を奪う!!」
「私はお前を許さないぞ、マモン!! 死んで償え!!」
――は?
矛盾で滅茶苦茶の彼の言葉に流石に呆れ返ってしまった。
殺したのはお前の癖に。
お前が仕組んだ癖に。
ベルゼブブ様の未来も命も笑顔も優しさも……。
何もかも奪ったのはテメェの癖に!!
「煩い煩い!! お前が死ね!!」
喉を潰して叫んだ瞬間、自分の足下から大量の「陰」が放出。奴の
そして――
満を持して悪魔王の顔面に向けて刃を振るった所で
――刹那。
視界が暗転。
直後、見たことのない荒地にいた。
* * *
『あの時の記憶は実は確かではありません。怒りに身を任せ、本能の赴くまま、体の動くままに滅茶苦茶に暴れました』
『気付けばここに居る。……もう思い出したくないんだと思います。心が』
『あの時のことを思い出そうとすると、どうもパニックになってしまっていけません。「主」をこの手で殺して残った血痕は今も残っていると思います』
『手を
『罪の跡だと思っています……』
『嗚呼』
『お腹が空きました』
『今日も私は彼にしてあげたように、麩菓子を出しては貪ります』
『でも、いつでも足りません。いい加減疲れてきました。……しかしながら腹が減っているのを我慢して眠れば「主」が夢で恨めしそうに私を見るんです』
『だから私は食べるしかない』
『きっと、もう直ぐなんです。私も』
そこまで彼の声が言った時、目の前でぐったりと倒れ、雨に打たれていたマモンが起き上がった。
周りに居たはずの「七つの大罪」の遺体も、悪魔王の姿も、あの忌々しい守護天使の姿もない。
彼はたった一人、そこにいた。
ベゼッセンハイトに奪われたと思われていた――光済の杖。
〈セレナちゃん……セレナちゃん……どこ? 寂しいよ……〉
天使の扱う杖には意思があるというのは有名な話だ。この声もそれによるものだろう。
「ふふ……貴方も主を失ったのですか」
手に取ればまだ温かい。
これの主人の人柄の良さを肌で感じ、思わず頬ずりをした。
また思い出してしまい、涙が零れる。
「そうですか……貴方も、主を」
繰り返し呟いて、嗚咽を漏らした。
もう返らない日々。戻れない日常。崩壊したストリテラ。
ただ、寂しさを共有して胸に開いた穴を埋めようとする。
〈お願い、助けて……悪魔さん。セレナちゃんが迷子なの〉
「……」
〈でも私、ひとりでは動けない。このままだと風化していずれ意識も消えてしまうわ。……そしたら私、セレナちゃんに会えなくなっちゃう〉
「……」
〈そんなの嫌だよ〉
「……」
〈セレナちゃんに会いたい〉
「……」
〈お願い。私の願いを叶えて、悪魔さん。私を連れて行って〉
……嗚呼。せめて。
彼女の望みだけは、願いだけは叶えてあげたい。
思った時には「彼女」に口づけをしていた。
口元から光が零れ、自分の魂の一部が杖に流れ込んでいく。
――その時の光景。
僕は思わず息を呑んだ。
杖が光に包まれ、徐々に人型に変化していく。
やがて何度か白い羽を羽ばたかせ、それは完全な「天使」になった。
――エンジェル……。
この時気付く。
エンジェルが「強欲」を持つ意味。
マモンに特別な視線を注ぐ意味。
彼に思いを寄せ続ける意味。
――SFの終盤に、「彼女」が現れた意味も。
……。
裸で顕現した彼女にすぐさま布を被せるマモン。
その表情は柔らかく、まるで恋人に向けてしているかのようだった。
きっとその向こう側には自分が助けられなかった「主」の姿がある。
「さあ、『エンジェル』。お前に名前を授けましょう、エンジェル。もう大丈夫」
「貴方、お名前は……」
「私は強欲のマモン。『七つの大罪が一』。貴方に足と体を授けました。大切なひとはその足で探しに行くんです」
「え……。体、くれるの?」
「ふふ、勿論。その代わり、貴方の豊かな『感情』を頂きました。貴方の笑顔はこれで私だけのものです」
言いながらキザに頬なんか撫でやがる。
男に慣れているはずもない元杖のその天使は直ぐに頬を染め、身を引いた。
そして、そっと聞く。
「これからマモンさんは……どこに行くの?」
「私は……私はこのストリテラを破壊しに行きます」
「……!」
突然の物騒な物言いに無表情ながら直ぐ様反応するエンジェル。
「そ、そんなのダメ。住む所がなくなっちゃうと困るのは私達だけじゃない、貴方だよ」
「いいえ。もう泣いてなんか居られないんです。『主』を苦しめるこの不平等な世界を変えに行く。物語の根幹であり、この世の核でもある主人公補正は私が全て頂く。そうして新しい物語を作るのです」
「……」
「それがせめてもの私の償い。彼に出来る私の最期の仕事です」
「……そしたら、そしたらどうなるの? 私は。セレナちゃんは」
「……」
「ねえ。マモンさん」
「……大丈夫。きっと幸せ満ちる豊かな世界にしてみせますよ。その為には何でも使う、何でもやる」
「……」
「汚れ役を背負うのは私だけで構わない、それで幸せが満ちるなら喜んで引き受けましょう。皆の敵役を。だから貴方は私のこと等忘れて早くお逃げなさい」
「……」
「でも、泣いてはだめです」
「泣いたら紙が濡れてしまう。紙が濡れたら破けてしまう。だから貴方から私は涙を笑顔と共に奪った」
「ずっと、前を向いて。寄り添う人、ひとりひとりに先の言葉を伝えて。そうして人々を救う善き天使となってください」
「来世で会うまでの、約束」
差し出された小指と自分の手を交互に見て、彼女は指を絡めた。
ゆびきりげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。
ゆーび、きった。
(つづく)
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