軋み
「ベルゼブブ様! ベルゼブブ様!」
「寄るなマモン!」
ディアブロに鋭く言われ、ハッと止まるマモン。その視線の先で血に塗れ、沢山の武器に刺し貫かれ、持ち上げられているベルゼブブ様。口から椿のような濁が垂れ、目から涙のように血が零れた。
「お前は話を聞いていなかったのか。危険だと言っている」
勢いよく引き抜いたサーベルをマモンの喉元に突き付け、威嚇。しかし疲労の見え隠れするその表情が見せるのは至って真剣なそれであった。
戦争の残酷さが胸にぐ、とつっかえる。
「で、でも」
自分の何千倍もの魔力を持つディアブロに睨まれガタガタ震え出すマモン。しかし勇気を振り絞り、彼の無実を一生懸命訴えた。
「ベルゼブブ様が、危険なはずは、ない……です!」
「何故」
「ずず、ずっと傍に居たけど! 彼はずっと、ずっと優しいままでした!」
「……」
「戦場を走り回り、攻撃の意志ある者や黒魔術を喰らっては支配し、皆を守りました。被害者に寄り添って、苦しくても耐え抜いて、笑顔を見せ続けて……私が無力なばっかりに……!」
「……」
「自分の能力も満足に使えていないのに、彼はそれでも私にできる仕事とやりがいと生きがいを与えてくれた! それでも十分すぎるほどなのに自らの不調を押してまで最前線で戦い続けていた!」
「……」
「私の傍から離れないでいてくださった……!」
「それでも言えますか! あんなに優しい、温かいひとが! 戦争の主犯者などと……! それでも主張し続けられるんですか!! あのひとが、悪い人だって! それでも……!!」
「たわけ! 甘ったるいことをぬけぬけと。何を言うか!」
ぴしゃん! と一喝。首をすくめて、口をつぐんでしまった。
「ショックで頭がいかれたか!? ――良いか。まず前提として慈愛の女神ヘーリオスはこの戦争が始まる前に失踪していた」
「……失踪!?」
「最近分かったことだが……何者かに体ごと奪われたと見える」
「……」
「そのまま彼女の『カラダ』はシヴァ様を聖光で焼き殺し、三界を巻き込む大戦争へと発展させた。黒幕は今やストリテラを構成する為に必要な存在に次々と手をかけ、命を吸っては膨れ上がり、支配の手を広げ続けている」
「……」
「そこで彼の現状を見てみろ。腹をさばいたら中から大量の『陰』がしとど溢れた!」
「ひとの命の美味を知る!」
「腹が減ると暴走する! その為に有機――即ち命を喰らおうとする」
「何より未来の悪魔王。……これがどういうことかは分かるな? マモン」
「分かりません……何も分かりません……何も! 何も!!」
「ええい、分かれ! 現状を見ろ、事実から逃げるな、戦場で夢を見るな!! 今の我々の急務は黒幕を見つけ出し、打ち倒すことなのだ!」
その時ふと、記憶の片隅にあった断片達が急に声を上げ始める。――否、これもマモンの記憶に影響されたものということなのだろうか。
そしてそれらは目の前に映像のようにフラッシュバックして僕の意識を覆った。
『お兄ちゃんが、お兄ちゃんが!』
『命を食べられたァ……!! うわああああ!!』
『黒いべちゃべちゃが……セレナを……セレナを……ぐちゃ、ぐちゃに……ウ!』
『「執着」の黒魔術師。知っているでしょう』
『名を「ベゼッセンハイト」という。……昔は北の守護天使として活動していて、皆の憧れだった』
『でも彼を信じてついて行った私が馬鹿だったの!! その後、本当に怖い目に遭った! 苦しかった、苦しい、苦しい、苦しい……消えたくない、消えたくないの。カルドに会いたい……カルドお願い、助けて……私、ここに居るの……』
――、――あ。
『他人の魂を食べれば、力を増幅させることが出来る。遥か古代、それにふと気付いた人間がいる』
『魔力は人間の持つ限界を遥かに超えて増長し、人が生まれながらにして持つ負の念を吸い込み、粘性を帯びて液状化。そうして外の世界に現出したのがこの黒魔術の全ての始まりだ』
『そんな負の念はいつしか人間の特性をそのまま名称とし、『陰』と呼ばれるようになる』
『『陰』は
『黒き炎』
ああ、あああ……。
『しかし四方位を守る筈の彼らは北の守護天使「ベゼッセンハイト」一人を残し全滅していました』
「ベゼッセンハイト」
「ベゼッセンハイト」
「ベゼッセンハイト」……。
『おい、えーと……太郎(仮)』
極めつけのように記憶の奥底からファートムが語り掛ける。
『加護を拒否した以上は叩きこんでおいてもらいたい基礎知識がある。その名も「執着の黒魔術師ベゼッセンハイト」だ』
『べ、ぜ……?』
『ベゼッセンハイト。執着という意味を持つその名を冠した黒魔術師は昔、北の守護天使だった。しかし彼はその地位を利用し、多くの神の体を乗っ取った。
先ずは自身の最愛「ヘーリオス」を魂ごと手中に収め、運命の書の二大執筆者「悪魔王」と「運命神」を次々殺害。遂には大神の体を手に入れ、指揮系統を破壊。昔の大戦争を更に混乱へと陥れた。更には当時現われたてほやほやだった新種の黒魔術「陰」と「黒い炎」を難なく使いこなし多くの罪なき子ども達を死に追いやる外道っぷり。
それでも自身は常に笑顔を絶やさぬ戦時の英雄として小さな天使の子ども達の憧れで居続けた。――その裏で何人もの少年少女達が彼の為に犠牲になっているとも知らず、子ども達は目を輝かせる』
『ひえ……』
『ソイツにとどめを刺したのは当時下級天使だった「テラリィ」という少年だ、今、北の守護天使をやっている、アイツ』
『アイツもベゼッセンハイトに憧れる一人だった……。だがアイツは現実を真っ直ぐ見つめ、憧れを捨て、彼を「闇を切り裂く剣」で刺し貫いた。そうして大戦争は幕を閉じたんだ。数多の犠牲を払って』
『……』
『だが話の流れからも分かるだろ。奴は一度倒れた、だが復活した。自分の中に宿る犠牲者の命を使い、輪廻から意図的に強制的に外ることによって』
『ええっ!?』
『だから太郎(仮)。よく覚えておけ。名前が最悪覚えられなかったとしても――』
『――この姿と、「執着の黒魔術師」という名称だけは』
その時見せられた黒い三つ編み、整った顔立ち。
七つの大罪と共に語らった守護天使に、余りにそっくりで――
……!!
余りの衝撃にぐらりとよろめく。
あああ……あああ!
そうだ、そういうことだ。そういうことなのだ!
どうして気付いてあげられなかったか、どうして誰も不思議に思わなかったか!
どうしてこんなことになってしまったか!!
そうだ、そうとも。
これらの記憶から導き出される答えはたった一つだけ。
気付いた瞬間、胸が苦しくなった。
目の前の状況と、人々の気持ちと、疲弊と、恐怖と、余りに似通い過ぎてしまった彼のことと……。
若しかしたら利用しているかもしれない、あの最悪の黒魔術師のことと。
そんな色々な偶然を呪いたくなった。
でなければあのひとがどうして、どうして死ぬ必要があっただろうか。
あっただろうか!
――そう。
ベルゼブブ様は主犯じゃない……!!
「だからこそこうやって! 黒幕を弱らせ、炙り出すのよッ!」
「やめろおおおおおおっ!!」
思わず大声を上げ、彼らの元へと向かおうとする。
しかしこれはただの記憶でしかない。見えない壁にドシン、と阻まれ鼻を思いきり強く打った。
それでも諦めきれず、直ぐに立ち上がり、壁を何度も叩いた。
「やめて、やめて! お願い!! やめてくれ!! それ以上彼を弱らせたら……!!」
「『陰』に呑み込まれちゃう!!」
顔中の穴という穴から液体をダダ流しながら、恥を覚悟で何度も訴える。
「やめて!」
「お願い……!」
「気づいて……」
だが分かってる。これは唯の記憶。もう変わらない、変えることのできない運命。
見るしかない。
見たくない。
目の前でより深く、より沢山の穴が開けられていく体。
他の七つの大罪に抑えられながらもベルゼブブ様に縋りたいマモン。
見ていられなかった。
* * *
――異変が起こったのは何百と刺し貫いた後のことだ。
ディアブロが突然攻撃をやめ、身を後ろに引いた。
ベルゼブブ様の体が小刻みに震えている。
「ベル、ゼ、ブブ様? ベルゼブブ様!」
「やめておけと言っている!」
レヴィアタンが駆け寄ろうとした青年悪魔の腕を掴む。
「嫌だ、嫌だ嫌だもう限界だ! お願い放せ、放してくれ!!」
「違う! いい加減目の前を見ろ! お前はベルゼブブをこれ以上罪びとにする気か!」
「……!」
そうこうしている内にも小さな少年の体は何者かに乗っ取られたかのような奇妙な立ち上がり方をし、そのまま近くの崖へふらふら。
それをディアブロがサーベル構えながら追いかける。
「フフフフ、ハハ、アハハハハ……」
白目を剥いた彼の口から狂ったようなとめどない笑い声が漏れ、目やら鼻やら口やら、その他、様々な穴という穴から陰が漏れ出てきた。そのままそれらは彼の体を覆い――
――崖の下へと転落していった。
「ベルゼブブ様……! ベルゼブブ様ァァァァアアアアア!!」
手を伸ばせど届かず。その直後、地響きと共に青年の視界を恐ろしい巨大な「陰」の化け物が覆った。
空をも隠す程の巨体、きつい臭い、あらゆる生き物を繋ぎ合わせたかのような毒々しい見た目、命を吸い過ぎて膨らみ切った醜態。
誰もが見て分かる、「悪の権現」の姿。
――そこに。
光り輝く矢が鋭く変異ベルゼブブの胸に突き立ち、彼の勢いを弱めた。
「皆さん! ご無事ですか!」
同時に奥の方から聞こえてくる誰かの声。
黒い三つ編みに整った顔立ちの黒衣の天使――ベゼッセンハイト。
「守護天使!」
「事情は言わずとも。見て分かります」
何を言うか! やっぱり狙ってたんだろう、お前は!!
叫んでやりたいけれど、それは伝わらない。
悔しさに歯噛みを繰り返した。
「矢張りベルゼブブが……黒幕でしたか」
「……」
「倒すしかないの?」
「そりゃそうだ。とうとう正体を現したのだから」
そうして悪魔と天使が彼の討伐計画を練っている間、マモンは呆っと光の矢の聖光に苦しむ自分の上司を見ていた。
――僕はベルゼブブ! よろしくね。
――僕らの能力の要は兎に角味を知る事……あれ、これは僕の能力のコツか。ええと……ちょっと待てよ。
――はは! マモンはおっちょこちょいだなぁ!
――マモン、お前だけでも生きるんだよ。
僕はどうなっても、構わないから。
「危ない! マモン!!」
「うわ!」
ベゼッセンハイトに助けられ、間一髪。
自分のいた場所にベルゼブブの巨大な前腕があった。
「戦闘準備だ、マモン!!」
「もうアイツはお前の上司じゃない」
「醜い化け物なんだ!!」
(つづく)
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