「暴食」と「強欲」

「ばぁっ!」

「うわぁ!」


 突然目の前に出てきた見知らぬ少年に驚き、尻もちをつく。――が、すぐにそれが自分に向けられたものではないことを知った。

 それは目の前にいるシルクハットを被った青年に向けられたものだ。僕と違って彼は全然動じない。何なら見てない。肩で息をしながらずっと遠くの方を見ている。


 あれは……誰だ?


「もうー、マモンは相変わらずムスッとしてんなぁ! ほら、行こうよ! 今日の特訓は終わり! 夕陽が綺麗だよ」


 ――マモン?


 あれがマモン?

 うわぁ、今より大分髪が短い、肩までしかない。チャームポイントだと思っていたベルベッドのスーツもモノクルもしていない。

 何より見た目が若い。

 かなり新鮮。

 そんな若かりし日のマモンさんだが、機嫌がよろしくないご様子でゴロンと野原の上でふて寝をし始めた。そういう所、今のマモンとそっくり。

「どうせ私は無能なんです。死んだ方がマシなんです」

「ルシファーの言う事なんざ気にするな! あの子は元々戦闘を得意とする天使だった。でも君には、あの子とは違った良さがあるじゃないか! 君だけの!」

「でも……まだ上手く使えない」

「……」


「きっと、優しすぎるからなんです。悪魔に似合わないやつ引き当てたってやつですよ……もう駄目だ、死ぬしかない。蚕の繭にくるまって一億年位冬眠していたい」

「マモンー、そんな事言わないでさー」

「地獄の業火に焼かれても死なない体になったんなら、ハテ一体何に焼かれたら死ぬんでしょうか」

「マモンー、長命の悪魔が希死念慮ぶちかまさないでー」


 ガッツリ思春期みたいなすね方して傍に居る少年を困らせるマモン。

 どう声がけをしてやれば良いのか分からず、少年は暫く頭をカリカリ。

 それからふと思いついたように少年はア、と素っ頓狂な声を出した。


「何ですか」

「お腹空いた!」

「――!!」


 焦ったようにガバッと起き上がるマモン。しかし遅い。その背後に少年はいつの間にか移動していた。

 表情が一気に変わり、ペロリと舌舐めずりなんかしていてゾゾッとする。

 逃げようとするマモンにガバッと後ろから抱き着き、綺麗な髪の毛を舌で絡め取っては、数束咥えた。

「う、うわ! 気持ち悪い!」

「ねーねーお腹空いたァ。いつもみたいにさァ! 髪の毛だけで良いからさァ! ちょっと頂戴よォ」

「人食いー! 人殺しー!」

「人じゃないし」

「じゃあ悪魔殺しー! お助けぇー!」

「そんな悪魔殺しだなんてェ。髪の毛食べるだけジャァン!」

「とか言っておきながら前、肩の辺りに歯型付けたじゃないですか!」

 力の強い豹変した少年を何とか押し返し、自分の下敷きにしたマモン。彼の鞄から麩菓子を二、三本出してジタバタ暴れる少年の口に豪快に突っ込んだ。


「むごっ!!」


「も、む」


「もむもむ」


「ごくん」


 ……。


 ……、……。


「やっぱり麩菓子は良いね!」

「……ベルゼブブ様、先程自分が何されてたか覚えておいでですか?」

「ねぇもっと頂戴!」

「……」

「食べちゃうよ?」

「私は怠惰でなくて、強欲なんですが……」

「既存の物なら出せるだろー、ほら早く!」

「……」

 観念して腹から追加の麩菓子を出したマモン。それをベルゼブブと呼ばれた少年は嬉しそうに頬張った。

「やっぱうまい! 最高だね!」

「それで、ベルゼブブ様。改めまして」

「もぐもぐ。あに?」

 ほっぺたにヒマワリの種突っ込めるだけ突っ込んだハムスターみたいなベルゼブブ様が首をこてんと傾げる。

「先程まで自分が何されてたか覚えておいでですか?」

「んむー? んー……マモンのそれ、何でか分かんないけどいつも難しいよな」

「かっち、こっち、かっち、こっち」

「んーと、んーと」

「残り五秒です」

「えーと、えーと」

「三、二……」

「あー! 分かったぁ! 夕陽を見に行くんだったー! ほら、マモン早く! 行こう行こう!」

 お腹を多少満たせたベルゼブブ様がぴょんこぴょんこ飛び跳ねながらマモンの腕をわっしと掴んだ。

 その子どもらしい様子にボソリ。


「……やっぱり覚えていないか」

「ん? 何だって?」

「何でもないです」


 * * *


「んー! 『友の丘』からの夕焼けはやっぱり綺麗だねぇー! あ、お弁当にチキン頂戴、マモン」

「何百匹目ですか。鶏が滅びますよ」

「良いじゃんかマモーン! 僕はお腹が空いてるの!」

「最近よく腹が減りますね」

「お弁当がすぐ傍にいるからかなっ! ハハッ!」

「……食糧貯蔵庫じゃないんですよ」

「何ー? 僕は一応、お前の直属の上司なんだぞぉっ! そら! 食いもん出せぇ! 僕に従えぇ!」

「……」

 不服ながら、従わないとさっきみたいなとんでもない事になると知ってるマモン。ここは素直に従った。

 がぶがぶかぶり付くベルゼブブ様の隣に改めて小さく座り直す。

 深く、深く息を吐いた。


「『強欲』。――を遠隔操作するこの能力。いつ、完璧に発現するのでしょうか」

「もむもむ」

「私のは……」


「仕方ないよ、むしゃむしゃ。お前は新入りだもの、もぐもぐ」

「……」

「それに、シヴァ様から頂いた能力を最初から使いこなすなんてのはいつだって難しいって! 僕だって、難儀しているのに、もぐもぐごっくん」

「え。ベルゼブブ様も難儀なさっているんですか?」

 初耳みたいな顔をしたのを見て、ベルゼブブ様が「しまった」と言わんばかりに固まった。

 しかし遅い。

 期待にきらきら輝く視線が痛い。

 これは、あれだ。憧れの先輩の武勇伝待ちの目だ。

「……えっと」

「わくわく!」

「あー……」

「うきうき!」

「……」

 こうなればもう無理だ。

 観念して語り始めた。


「有機物扱うのだってさ。大変なんだ。奴らには命があるから」


「命……?」

「そう。お前の胸の真ん中に隠れてる牡丹の花のことだよ」

「命」

 重みのある言葉をぽつりと呟く。

 彼の言葉を受け止めるように、確認するように、胸をそっと撫でた。

「最近、『陰』の侵蝕問題について上がゴタゴタやってるじゃんか」

「ディアブロ様が中心になって対応しているアレですか?」

「そ」


「……、……誰にも言わないで欲しいんだけど、僕……その、元凶なんじゃないかなって思い始めててさ」

「……!」


 ぶるりと体を震わせる。直ぐに立ち上がり、重い告白をした上司の手を勢いで取った。

「そっ、そんなことないですよ!! ベルゼブブ様は悪魔王の座に二番目に近いお方!! 次の『七つの大罪』のリリリ、リーダーとも言われているっ! 凄いひとっ!! そ、そんなっ、人望溢れてっ、力も強いお方がっ! 真逆、悪魔すら食い物にする『陰』の元凶だなんてェ!! ありえません!! 私が保証しますよっ!! 絶対! ぜぇーったい!」

「……、……ありがとう」

 足がくがくさせながら言い切ったマモンに微笑むベルゼブブ様。

「でも――」

 継がれた言葉は否定的。


「命を喰う時、あるだろ? 例えば反逆者の処刑の時とかさ」


「その時……命を、人生を喰う時、確かに何かが……こう、おかしくなってる気がするんだ。体の中で」


「変な物が溜まってるっていうかさ」


「腹のそこにドロドロ何かが溜まってる気がしてる……」


 言いながら腹をさするベルゼブブ様。直後、苦しそうな顔をして

「お腹が空いた」

とだけ、小さく言った。

 先程のチキンを渡すと、ガツガツと貪り始める。

 その様子が余りに必死に見えて、何だか変な気持ち。マモンもそれを心配そうに見ているようだった。


 ……。


「最近さ、僕、よく腹が減っているだろう?」

「そう、ですね。よく食べます」

「この腹のドロドロを抑えたくて、つい力を使ってしまうんだよ。だから直ぐにお腹が減るんだ」

「……」

「生きるのに疲れちゃうんだ」

「……」

 ぎゅ、と、聞きながら拳を握りしめる。

「それは命を喰う度に膨らんでいく。今じゃあ食を貪ることでしかソイツを制御できない」

「……」

「きっと罰が当たってるんだね。今更……」

「……」

「ひと殺しのさ」

「……」


「だからさ、止めときな、マモン。僕の『暴食』を真似て有機物に手を出そうとしちゃいけない。『意識の干渉しない全ての物を支配』しようなんて無茶だ。それが例え、君の理想であったとしても」


「君が命を一度ひとたび喰らえば……補正でも無い限り、君の体・意識の暴走は避けられない。君は君の能力を突き詰めていくべきなんだ」


「良い? 僕がいつも口うるさく言うのはこういうためなんだよ」


「分かってね」


 会話の終わり頃には、柔らかいにこやかな笑み。

 続いて触れられた優しい彼の手に頷くしかなかった。


「さぁて! そろそろ帰りますかな! 夕食早く作ってやんないと今日こそナイフ投げてくるぞ、アイツ……」

「あ、あ! ベルゼブブ様!」

「ん?」

 不思議そうに振り返った彼の瞳に、一生懸命何かしているマモンが映る。

 力を送っているらしい彼の両手の間に、少しずつ何かが作り上げられていく。

「がんばれがんばれー」

「グギギ……」

「強欲を上手く使うんだー」

「ふぬぬ……」

 そうしてやがて完成したのはダイヤが散りばめられた白銀のモノクル。

「おおー」

 ぱちぱちと拍手をしてマモンの健闘を称えたベルゼブブ様に、彼ははいっとそれを渡した。

「なっ、何?」

「あげます。それを、その……依り代にしてください。その、お腹のドロドロとか、他人の人生を背負う、時の」

「……へぇ。なるほど? そういう意図で?」

「そうです! そしたら、そしたら……お、お腹も減らないかなって」

「ふーん。よく出来てるね」

「きょ! 恐縮です」

 顔を真っ赤にさせながらカチコチ喋るマモンの目の前でベルゼブブ様は早速そのモノクルを付けた。

「ひやっ! よ、よろしいんですか!」

「何だよ、自分で付けろって言った癖に」

「で、でも! 本当に付けて貰えるとはっ! 思わず!」

「ははははっ! 僕はそういうの、大事にするタイプだって知らないのか?」

「い、いや……ディ、ディアブロ様とかサタンとかは……直ぐぶっ壊すので……びび、びっくり」

「ははははっ!! そりゃあ、あの二人に何かあげようって時点でおかしいさ! ……マモン、お前良い奴なんだな。ありがと」

「え、ええっ!? それ『侮辱』ですか? 『誉め言葉』ですか!?」

「んー? どっちだと思うー?」

「ぼかさないでください! 『富』と『名誉』を司る者としてそこら辺、はっきりさせておきたいです!」

「どうしよっかなぁー」

「ベルゼブブ様!」


 そこで少しずつフェイド・アウトしていく景色。

 辺りは帳が下りたかのように真っ黒になっていった。


 ……そういえばマモンがベルゼブブ様に与えていたあのモノクル。

……。


 ……。




 真逆、な。




『真逆、ではないと思います』




 今度は僕がぶるりと身震いした。

 振り返っても上を見ても下を見ても誰もいない。

 しかし、聞こえた。


 ――マモンの声だ。


『そうです。モノクルは結局、彼から再び私の手元へと戻ることになりました』

「どういう、こと?」

『それについて説明する為にはまず、私達「七つの大罪」と当時のことについて知っておかねばなりません』


『不思議には思いませんでしたか? 景色の違う「友の丘」。聞き覚えの無い悪魔王の名前「シヴァ」……』


『そう、全てはあの日、あの場所で狂いました』


『私の一番悔しく、一番痛い記憶』


『三界大戦争です』


(つづく)

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