セレナと「やさしさの歌」

 * * *


 遠ざかる意識の中、歌が聞こえる。


 確かアレは、エンジェルが教えてくれた歌。


 ボロボロのマモンを前に歌った歌。


 彼の懐古を掻き立てる、歌……


 * * *


 ――ふと目覚めると不思議な場所に居た。


 長い間固い地面で寝ていたからか、体中がバキバキ。

 暫く頭が回らなくて、呆っと辺りを見ていた。

 ゆったりとしたスパンではあるけれど絶え間なく昼夜を繰り返し、夜には流星が降り注ぐ。

 落ちた流星は地で花火のように弾けてはくうに溶けてゆく。その光景はとても神秘的で、どこか寂しく、どこか楽になれる気がした。


 ……。


 ここ、どこだろう。


 立ち上がれば夜は深まって、流星がピークを迎える。


 どこか遠くでアコーディオンが聞こえた。

 誘われるようにその音のする方に向かって歩いて行く。


 * * *


「さん、はい」


 歩いていく内に夜は明けて、朝の空気に大分頭がシャキッとしてきた。

 よく見れば峠の様で野原、野原の様で海、海の様で空……どこか不安定な世界だと思った。

 上に上がっているつもりが下に下っていたり、右に曲がったつもりが左を向いていたり。そもそも基準がどこにあるのかが全く分からなかった。


 だから突然現れた目の前の天使がいつ、どこから現れたひとなのかを僕は知らない。気付けばそこに居た。大地を切り取ったかのような崖っぷちに座り、絶え間なくアコーディオンを弾き続けている。

 周りでは小さな天使の子ども達がきゃっきゃと遊び、彼女と戯れ、彼女のアコーディオンに合わせて歌を歌ったりしていた。

 知らない歌だけど、聞いててとても心地が良い。天使も集まる訳だ。


 ……ここの主かしら。

 話しかければ何か分かることがあるかもしれない。


「あ、あの」

「……」


 ……。


 あれ。


 反応がない。

 ずっとアコーディオンを弾き続けている。


「もしもし」

「……」

「あ、えと……ここって、どこでしょうか」

「……」

「あの、その……」

「……」


 ううう、気まずくなってきた。

 でもこのままここに居る訳にもいかないし、マモンも探さなきゃだし。

 でもあの子の周りの天使ちゃん達を怖がらせちゃうのもアレだし。


 えっと、ええと。


 ……。


 ……、……。


 ――よし。決めた。

 意を決して、肩ポンします! 座敷童!


 震える手でそっとアコーディオンの天使の肩に手を伸ばす。

 近付けば近付くほど彼女の神秘性は増して、セミロングの茶髪からはほんのり雲の匂いがした。


 ひ、ひぃぃ……。おんにゃにょこぉ……触っただけで壊れちゃうんでしょぉ……?


 でも。でもでも。

 や、やるしかねぇ。ここでうだうだしてても何も始まらねぇっ!


 行くぜ!! 行くぜ行くぜ、行くんだぜ!!


 お、お……


 うおおおおおっ!!


「もっ、モシモシィ!」

「わっ! びっくりした!」


 意を決し、目を瞑りながら彼女の肩をぽんぽん、と叩く。

 瞬間、蜘蛛の子を散らしたように周りの天使達が飛び去った。

 ああっ! ごめんごめんごめんごめんごめん!!

 直ぐに土下座して頭をゴン、と地面に打ち付ける。

 それを見た彼女がクスリ、笑った。


「何してるの?」

「あ!? あ! ああ、えっと、その……! お、おおお、お楽しみの時間中しちゅれいしましっ!! じ、じじじ実は、でしねっ! しょのぉ、ここはどこかを教えていちゃじゃきたくっ!」


 噛みながらも何とか言い切り、恐る恐る彼女を見上げると――


 目を見張った。


 ――


「え」


 * * *


「ここは現世うつしよと精神世界の境目、記憶の倉庫。名を『星屑峠』という。名を失し、居場所さえも失った記憶達が漂い、時に死んでいく峠」


「私の名前はセレナだよ、。久し振りだね」


 アコーディオンを演奏する手はやめず、彼女はそっと語り出した。

 セレナ? どこで聞いた名前だったっけ。


 それに


「どうして僕の名前を?」

「貴方をずっと、ずっと待っていたから」

「待って、いた?」

「宇宙船で出会った時、確かに言ったはずだよ。『次会うその時まで』って」

「……」

「息災だった?」

「げ、元気だけど……」

「良かったぁ。ここは時間が分からないから、いつ来るのか分からなくって。そわそわしていたの」

 ……そういえばあったな、そんなこと。

「――あ、そ、それより」

「ん?」


「どうして、あの……エンジェルと、同じ顔してるの?」


 いつまで待っても彼女から告白は無さそうなので、思い切って一番気になってる質問をぶつけてみる。

「エンジェル? ――ああ、のことだね?」

「……?」

 確認求められてるけど、そんなワード一瞬も聞いたことないぞ。

 どうしようもなかったので取り敢えず曖昧に頷き、答えとしておく。

「良かったぁ。じゃあ、私の友達だからって答えが一番正しい」

「……??」

 だ、駄目だ。余計混乱してきた。

 この話は一旦ここでストップとさせて頂く。


 彼女との会話はふわふわする。


 ――、――。


「私はね、この峠に住まわせてもらっているの。ここの管理人の座敷童に掬ってもらって、どうにかこうにかここに居る。時々人が遊びに来るから、面倒をみてやってくれって。それでお代はチャラだって。だからこうして得意のアコーディオンを持っているの」

「……」

「でも、ここっていつもふわふわしているでしょう? 時の終わりも始まりも曖昧だし、明確な基準点もどこにもない。だから私はずっとここの時間に居るの。ここが一番落ち着くから」

「……」

「ふふ。今放った言葉、まるでいかれ帽子屋のお茶会みたいだね。私もお茶を飲み始めたらずっとずっと、止まらないの。困ったな、お腹が爆発してしまうね」

「……」

「彼は排泄、どうしてるかな」

「……、……セレナ」

「何?」

「永遠って、怖くないの?」

「消滅するよりずっとマシ。もうどこにも行きたくないし、消えたくもない。だから、寧ろこれ位が丁度良い」

「じゃあ、どうしてここに居るの。きっかけは何だったの」

「そんなの、貴方と同じだよ。向き合わないといけなくなったから」

「向き、合う?」

「ここはね、現世と精神世界の境目、記憶の倉庫。忘れたい記憶が溜まる場所」

「……」

 忘れたい、記憶。


 ……ジャックの、こと。


「やだなぁ、貴方はそれにもう向き合ったでしょう? そして大きかったにも関わらず、飲み込んだ」

「え」

「ちょっと無理矢理だったしあの方法で向き合わせるというのは意地悪だったけど、貴方はそれより強かった。それに、飲み込みが早いから貴方はしっかりと受け止めることが出来た」

「……」

「今思い出してもお腹は痛いけど、前ほどではないでしょう?」

 ……よく、分かんない。

「でも、私は思い出せないの。思い出したくないから。――貴方が今回向き合わなくちゃいけないも思い出したくないって思ってる」

「分かるの?」

「そこは分かんないんだよ。星屑峠の旅は君自身の問題だから」

「……」


 要するに……自分で何とかしろって、こと?

「多分、そういうこと」

 ……。


「貴方は貴方の一番近くに居たあの人に向き合わなくちゃいけなくなって、ここに送られてきた」


「でも、それってとても苦しいから、大体の人はここで留まってしまうの。私とおんなじで」


「……」

「大体は辛いことだって分かってるから、思い出したくなくて蓋をしちゃうの。そうしてスパイラルみたいにどんどん体の調子を悪くしていく」

「……」

「だからここを抜ける時は、出来ればここの管理人である黒耀くんに相談をした方が良い」

「黒耀に?」

「彼が話を聞いてくれるんだよ」

「へぇ……」

「それで私達はようやく蓋を外すことが出来るの。体の調子も良くなっていく」


「――でも私はいつまでも出来ない。向き合おうとすると、どうしても泣いちゃって、出来ないの」


「きっとカルドは――私の大切な人は、私の声、忘れちゃうね」


「消えたく、ないなぁ……」


 震えた声にぐ、と胸が詰まりそうになった。

 何があったかは分からないけど、悲しいって気持ちだけは濃く、伝わってくる。


「話を戻すけど、貴方はここから遥か遠く、昔のお話で強欲に命を共有した。血塗れの、丸まった紙。アレを彼が食べたから」

「……」

「だから貴方は彼の記憶に、彼の代わりに向き合うことができる」


「彼の苦しいものを共有できる。過去を覗くことができる」


 ハッと、息を呑んだ。

 ――マモンの、過去。


 どうやらここ、星屑峠というのは苦い記憶に立ち向かうための場所らしい。トラウマ……とかいうやつだろう。黒耀から何度か聞いたことだけはあった。

 大体はここに送られてきて、黒耀と一緒に旅をしながらその記憶に立ち向かい、やがて勝利し、飲み込む。


 しかし、余りに重たくてそれを飲み込みきれないがいる。


 その内の二人が目の前のセレナと――マモンということらしい。


 ……。


 マモン。

 何があったの?


「ただ、これを見たら貴方は彼のこと、嫌いになるかもしれない」

「……え?」

「酷い。余りに酷いの」

「何が?」

「彼が」

「……」


 彼――マモン自身が。

 酷い。


「マモンが、とても酷いの。ストリテラの誰しもが嫌な気持ちをすることになると思う」


「余りに身勝手で」


「余りに悲しくて」


「だから皆、彼のこと、嫌いになったの」


 ……。

 マモンの、過去。

 そんなに酷いの?


「だから、こんな事言うのもあれだけど……私は見ることをオススメしていない。本人だって忌み嫌って、噛み砕けていないのに」

「……でも、そしたらここからずっと出られないんだよね?」

「楽しいよ。永遠ってことじゃないから。短い瞬間の中でいつでも新しくいられるってことだから」

「……」

「それに、ここから出たら最後、貴方は苦痛の中を進まなければならなくなる。貴方の心に痛みを残し続けるような、そんな茨の道の中を」

「……」

「だったらここに居た方が嬉しいでしょ?」

 ふんわり笑って、そう言うセレナ。

 さっきからずっとずっと、壊れたレコードみたいに同じ曲を繰り返し続ける。昼になれば天使達が集まって歌を歌い、夜は一人寂しくアコーディオンの音を夜空の星に聞かせている。

「だからベネノ。一緒に居ようよ、ここに」


「どうか一人で泣き続けるような所には行かないで」


「そしてずっと消えないでいよう、お互い」


「ストリテラのことは忘れて――」

「ごめん。それだけはやっぱ駄目だと思う」


 * * *


「……え?」


 話を聞きながら「あり得ない」の五文字だけが胸の内をぐるぐると巡っていた。


 あり得ない。

 ここを出ないで、永遠の中に留まり続けるなんて。

 外ではマモンがひとりぼっちだ。

 あり得ない。

 僕が茨の道を拒むなど。

 これまでも散々苦しかった。今更やめる訳がない。


 あり得ない。


 僕がマモンのこと、嫌いになるなんて。


 いつでも自然体で居てくれたマモン。

 その姿勢のどこにも嘘は無かった。僕はそう思っている。

 いつも楽しく、どこかおかしく。

 礼儀正しい時もあれば、残酷なこともあるけれど、それでも最終的には何だかんだ良い奴。


 彼は優しいひとだと思う。


「だから僕は彼のことを信じてるし、僕も自分のこと信じてる」

「……」

「今更、彼のことを嫌いになんか、ならない」

「……」

 強く、はっきりと、ゆっくりと言った言葉ひとつひとつを彼女は背中だけで受け止めた。

 絹のような茶髪が風に吹かれて、そよそよとなびいていた。


「だから教えて、セレナ。彼の過去を覗く為の道筋を」

「……」

「必要であるのなら、僕はどこにでも行くし、どんな物も耐えて見せる」

「……」

「だから見せて、セレナ。彼のこと、彼の苦しみ」


「彼の、トラウマ――」

「貴方は何にも分かっちゃいない!!」


 瞬間。

 先程までのふわふわした彼女からは到底想像できないような怒声が響く。

 それにびっくりして周りの天使達がさっきみたいに羽ばたいて行った。


「知らない。貴方は知らない。心が負う傷の深さ、哀しみ、苦しみを」


 言いながら立ち上がり、振り返った彼女の姿に思わずぎょっとした。


 体中折れてグチャグチャ。片目に陰りがあるということはきっと、そこには、空ど――。


 ……。


 ……、……。


 どうして立てているのかが不思議で、何だか分からない涙が目尻を湿らせた。


「『執着』の黒魔術師。知っているでしょう」

「存在だけは」

「名をベゼッセンハイトという。……昔は北の守護天使として活動していて、皆の憧れだった」

「……」

「私もその一人だった」


「でも彼を信じてついて行った私が馬鹿だったの!! その後、本当に怖い目に遭った! 苦しかった、苦しい、苦しい、苦しい……消えたくない、消えたくないの。カルドに会いたい……カルドお願い、助けて……私、ここに居るの……」

 余りに見ていられなくなって、折れ曲がった背中を撫でた。


「思い出したくない」


 いつの間にか元に戻った体。先程と違って揃った両目から雫がぽたぽたと流れた。


「分かる? トラウマって、本当に怖い。信頼していた友達がずかずか踏み込んできたと思ったら本で殴る。自分の言葉が原因で誰かが死んだかもしれない、夢を諦めたかもしれない。目の前の棺に入った潰れた顔のお爺ちゃん。泣き腫らしても泣き腫らしても誰も助けてくれない夜。――貴方が知らない所で流れた涙がいくつもある! そんな過去を捨て去りたくて出来た所なの、ここは。本来ならば!」

「……」

「向き合いたくない、怖い……ずっと誰かのせいにしていたいものもあるし、ずっと嘘にしておきたいものもある」

「それでも僕はマモンの為なら向き合うよ。ずっと顔を逸らさないで居続けるよ」

「無理だよ! 被害の記憶も辛いけど、加害の記憶はもっと辛いの!」

「……」

「分かる? 自分の手と心が痛くなる時の、あのこころ。誰も理解してくれない孤独、発散する場所さえ奪われて、勝手に皆が失望し、離れていく」

「……」

「皆幸せだから、分からない」

「……」

「痛いの、物凄く! 怖いの、物凄く……」

「……」

「視線が痛い……でも悪いことは悪いことと言い切って、誰も聞いてくれないの。この思い」

「なら僕も刺されるよ、その視線に、罰に」

「……何で」

「命を共有したし、僕らは主従の関係、そうだろう?」

「……」

「向き合わなくちゃいけないってことは、僕が知っておくべきこと。そして飲み込んでおかなくちゃいけないこと」

「……」

「その機会が折角与えられたのだから僕は立ち向かうよ」

「やめて……この後、もっと嫌なことに出会うんだよ! ずっとここに居ようよ!」

「でも、でもね?」

「……」

「こんなこと、言うのは変かもしれないけど……ちょっと分かる気がするんだ。皆が離れていく孤独、ぐらいなら」

「……そんなの、同じじゃないよ」

「そうかもね。でも僕はどうせ死ぬからって、誰も周りに居ないんだ」

「……」

「手を差し伸べてくれたの、片手で数える程しかいなくって」

「……」


「マモンもその一人だったんだ。僕のこと、光だって言ってくれたんだよ」


「とっても、とっても嬉しかった……! だから今でも覚えてる。今でも大切にしてる。僕の宝物のひとつ」


「……」

「ね。だから僕は返したいんだよ、セレナ」

「……」

「それに、今彼がひとりぼっちで戦ってる。僕は行かなくちゃならないんだ」


「お願い。彼の過去に辿り着く為の道筋を教えて」


 それから。

 返答には大分時間がかかった。

 返答するまでに何度か体が先程の「ぐちゃぐちゃ」に変わって、何度もその度に嗚咽を漏らし、何度もえずいた。

 その度背中をさすって、ずっと傍に居た。


 そして――




「やさしさの歌」




「貴方がここに来るまでに聞いてきた歌、エンジェルが貴方に教えたあの歌、『やさしさの歌』っていうの」


「マモンの記憶の欠片、彼の過去への道しるべ」


「痛み、苦みへの片道切符なの」


 * * *


 これを聞けば本当に戻れなくなる。


 人生も記憶も一本道。帰れなくなる。


 それでも良いのなら、そのままここに。


 ……。


 ……、……。


 分かった。良いでしょう。


 ――それでは聞いてください。






やさしさの歌マモンのこと






 トランスウォランス艦で初めて聞いた、あの妙に耳に残る、しかして綺麗な歌が星屑峠に響き渡る。


 景色がぐるぐるして、目が回って。


 気付いたら、見知らぬ場所に居た。


(つづく)

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