記憶に残る歌
「マモン、マモン……お願い目を覚ましてよ……」
「マモン……!」
たまたま持っていたハンカチで傷口を一生懸命抑えるんだけど、直ぐに真っ赤になってしまって手がガタガタ震えた。頭が冷えて、変な汗いっぱいかいて。
後ろ、入口の方を見ると既に瓦礫の山がいくつか出来上がっている。アイツは着実にその入り口を壊し広げていた。
狂ったような笑い声あげながら。弱い人をその手でぐちゃぐちゃにする為だけに。
「ファートム、ファートム! お願い助けて! このままだとマモンが死んじゃうよ!! ファートム!!」
沈黙。
「ファートム……!」
沈黙。
「ファートム!!」
先程みたいに耳に手を当てて必死に叫ぶけど、依然応答なし。頭を振った際に、砕けて中身が剥き出しになった黒く小さな機械がカタン、と無機質に落ちたのを見たのはその後だ。
目の前のマモンの息はどんどん浅くなっていく。
どんどん、どんどん……。
「ファートム!!」
……。
……、……。
――反応の無いものに呼びかけたって。
反応の無いものに呼びかけて、何になる。
「そ、そうだ、『猛毒』を何とか応用できないか」
前言ってたアレ。第二話での「能力」の捉え方の話をした時の……。
『言葉や行動、儀式、憎む心等は時に呪いとして人の途を縛りますが、それは捉え方次第では優しさに転換することもある。――貴方の猛毒が良薬に変わることがあるように、私の強欲が豊かさに変わることがあるように』
実はこれがずっと頭の隅っこに残っていた。
「猛毒」と常に背中合わせの「良薬」。若しかしたら相手を毒するこの能力も、人を癒やす能力として応用することができるかもしれない。この瀕死の状態だって、或いは。
そう考えて、ごくりと唾を飲んだ。
血塗れの右手を穴が開いた彼の胸に向かって伸ばす。
――しかし直ぐにぎょろりと見開かれた目玉を思い出して、手が止まった。
震える。
『そういった転換を果たした者は一転、聖人となり「黒い蛇の瞳」が「白濁の瞳」に変わります。幼い天使の生え変わりの羽毛を一箇所に集めた時、真ん中に現れ出でる希少かつ小さな色、それが白濁ですね』
……そうだ、こうとも言っていたではないか。
今。
今、僕の。僕の瞳は今、何色だ?
嗚呼、どこかで聞いた。どこかの国の姫は誰かを助けたいという想いから魔法を完全開花させた、と。
どこかで聞いた。どこかの青年は少女を危機から守る為、傷を負いながらも単身で敵の前に躍り出た、と。
どこかで、どこかで。
どこかで……。
僕の頭を通り過ぎて行く様々な物語の奇跡達はみな都合の良いものばかりで、僕みたいに味方との連絡手段さえも全て断たれたキャラクタなんてどこにもいなくて。
血溜まりを覗き込めばいつものまま黒目に一本、縦に伸びた白い線。
途端に恐ろしくなってハッと自分の胸に手を押し当て、念じ、直ぐに苦しくなって眼を叩き潰した。
咳を二、三発吐き飛ばせば発作のように呪いの言葉が肺の奥から出てくる。
「駄目、じゃないか……!」
「駄目じゃないか!! 駄目じゃないか、こんなの!! 絶対に助からないじゃないか……! アアアアア!! アアアアア、ハア、ハア!! アアアアアア……!」
柄にもない。大声で泣き叫んで、悔しさに拳をももに何度も叩きつけた。
涙が滲んで滲んで、仕方がない。
過呼吸になりそうな程の咳を繰り返し、遂には血だらけの胸にその顔を埋めた。
ファートムは最小限の被害で全てを済ませるのが、ハッピーエンドを迎えるのがポリシーなんじゃなかったのか!
悪魔王に関しては自分の子だぞ……!
どうして、そんな世界でどうしてこんなことになった!
僕らはひたすら前を向きながら走り抜けてきた。
元々僕らは物語の決定権を強奪する為に主人公補正を集め始めた。
僕は親友の心を潰した作者に復讐する為に。
マモンは――何かの為に。
何か、何か……。
そこでまた、ハッとなった。
僕はどうしてマモンが主人公補正を集めているのか、その理由の根幹を知らない。
『お前は何が欲しい?』
『世界の頂点』
――それは本物か?
『じゃあ何でこれを集めて回っているの』
『勿論、世界の王になる為です。それ付けてると分かるでしょう、幾つも持っていたらどれだけ凄いことになるか』
『それを実力行使で奪って回って、人々の運命を捻じ曲げていく。つまり人生の支配権を強奪するのが我々の目的です、ベネノ』
そんな事言いながら……。
『綺麗な歌ですね、前の話で千草に習ったのですか?』
『……何故でしょうか。心に染み、とても懐かしく感じます』
『主……良かったです、死ななくて。本当に……』
様々な所で時折見せた寂しそうな瞳。
遠くを見つめて、暫く帰ってこない。
あの瞳は何を見つめていたの?
何を思い返していたの??
君が懐かしがっていたその「歌」は、どこから……?
そこまで思い返してふと、顔を持ち上げた。
もう頬や額は彼の血でぺたぺたしていて、とてもかゆかった。
……その癖お前は。顔だけはずっと綺麗じゃないか。
あの話以来、何だかんだでちょっとずつ練習している歌。
エンジェルが歌っていた歌をハミングでほんのちょっぴり口ずさんでみた。自信だけは無いから、誰にも聞こえないように。
でもマモンには聞こえるように。
この歌を歌えば、きっと起き上がってくれる。またあの時みたいに「何ですか?」なんて言ってくれる。きっとこの歌には魔法が備わっている、だから癒してくれる。そう、思って――否、嘘だ。殆どレクイエムだ。
どこかで分かっていた。
何の手当も出来ず、困惑するだけでは傷は治らない。
ほんの一秒二秒延命ができたらラッキー。でも地球が育んできた何億という時間の中では誤差だ。
――死の間際、最後まで残るのが聴覚。
そう言うのを聞いたことがあったから、最後のはなむけにと思っただけなのだ。
分かってる。嗚呼、分かってるさ。
でも最後まで都合の良い奇跡を信じたいじゃないか。
誰かが助けてくれるって期待したいじゃないか。
だから僕らはずっと神サマを信じてきたし、何か意味がありそうな歌を今こうして口ずさんでいる。
眠りについているだけなんだって、頭をごまかせる。
綺麗な白銀のモノクルを撫でて、水晶を彼の頬に落とした。
「マモン、大好きだよ」
届くか分からない言葉を最後に一つだけ投げかけて、モノクルを外そうとした。
――その時だった。
モノクルが淡く光っているのに気が付いたのは。
* * *
「……アコーディオン?」
遠くで鳴っている。
気付けば周りが白く柔く、仄明るい。何やら神秘的な光景だった。
暫く呆然となりながらそれをじっと見つめていると、か細くも優しい女性の声が聞こえてくる。
これは優しき七つの大罪が一 第五 強欲の物語
天と地を揺るがす大厄災の日に あの子の命を救いたり
あの子はずっと待っている あなたにご恩を報える日
私も待っている あなたを“真の意味”で救えるその時を
今こそ私の力を以てして あなたにご恩を一つ 返しましょう
それがあの子の望みそのものであり 私の望みそのものでもある
そうしていつか 苦難を乗り越えし時
あなたは 目覚めの時を 待つことになる
どうか どうかあなた
その哀れなひとをお救いください
そのひとを止められるのは
最早 あなただけ……
「……」
美しい、あのエンジェルの歌がアコーディオンの綺麗な和音に乗って、空間に響き渡る。目の前を蝶のような不思議な光が舞い過ぎて行きながら僕に何かを訴えかけていた。
「……貴方は」
『私は天使、あの子のお友達。貴方に一つ、私の力を授けましょう。それで苦難を打ち破り、この物語から生還を果たすのです』
「そ、そんな……貴方はどこに居るの、それは何の歌なの、貴方は一体何者なの、あの子って誰のことなの」
まくし立ててからハッと口を押さえた。
でも、色々を知りたくて仕方がない。
命を救ったって何。
真の意味で救うって何。
その人を止めるって、どういうこと。
「あなた」って結局は誰のこと。
『……急いては事を仕損じる。今はまだその時ではないだけ』
「で、でも、それ、エンジェルも歌ってて」
『彼女と私はお友達。彼女は彼がいつしか己の過去に向き合ってくれるその日を望んでいる。だからこの歌を口ずさんだ』
「……」
『ただそれだけ。だけどとても大事な事』
「……」
分からない。
『大丈夫。今は分からなくてもいずれ向き合わなければいけない日がくる。そしたらその時、この歌の名前を伝えます』
「……」
『私の名前も』
「……」
『さあ、今は時間がない。一方的ですまないけれど、どうか、これを受け取って』
そこまで言った時、周りの仄明るさが一層光り輝き、遥か宙の向こう、何かが煌めく。
直後、それは空を切りながら流星のように僕の目の前に勢いよく落ちてきた。
「ウワッ!」
眩く輝き、突き立つそれは一本の杖。
全ての光を蓄えたかのような金の杖に、天の羽衣のように繊細な装飾の数々。
床に突き刺さったそれを手に取り引き抜けば、どこか懐かしいような温かい感触が体中を駆け巡る。
『それは私の杖。聖光を放ち、闇を切り拓く杖。それをあなたに』
「え、でも」
『大丈夫。どうせ私にはもう扱えない。その子には新たな拠り所が必要』
「……」
『私はあなたが適任だと思う』
「僕、が」
『ええ』
改めて杖を見つめる。耳を近付ければ微かに呼吸している気がする。
『この物語も終わりが近い。しかしそれまでにあなたは哀しみを止めなければいけない。でなければ全てが崩壊してしまう』
「哀しみ? 哀しみって?」
『もうお喋りしている時間はない。さあ、早く行って!』
そう彼女が言った瞬間、仄明るさも眩さも少しずつその光を失していった。
目の前でちらつき続けていた不思議な蝶の光も同じように減衰していく。
「そんな、待って! この杖の使い方も知らないのに!」
『使い方はあなた自身で掴むの! 大丈夫、ずっとそうやってきたんだから』
「そんな無茶な!」
『きっとあなたなら救える。だって、あなたのおかげであの子も変わり始めた』
「だからあの子って誰!」
『あの子、あんな態度取ってるけど、きっとあなたのことが好きだよ。私、友達だから分かるの』
「……」
『私は変えてあげられなかった。でもあなたは成し遂げた。だからきっと、あなたには特別な何かが宿っている。ならばこの後待ち受ける総てもあなたなら何とかできる。私は信じてる』
「……」
『どうか。次会うその時まではどうか』
『息災で』
――それを最後に不思議な声は消えた。
変に魅力的なこの杖と無責任さを残して。
「これで、どうしろって……傷一つ癒やせない癖に」
悔しさに歯噛みする。
杖の柄には掠れた文字で「セ……ナ」と書いてあった。
「せ……な?」
どこかで聞き覚えがあるような……。
その時。
向こうの方でひと際大きな轟音が響き、大きな瓦礫が砲弾のようにこちらに向かって飛んできた。
「うわあ!!」
「ケヒャーヒャヒャヒャ!! 鬼、交代のお時間だよぉ!! しょうねェーん!!」
間違いない。
博士の乗ったクライシスマン・親だ!
くそー、名前はだせぇ癖に!! こんな時に限って!
「マモン、マモン目を覚まして!」
再び呼びかけたがまだ反応がない。
仕方ないのでもっと奥の方に彼を引きずって行った。しかし、もう既に奥の方まで逃げてきている。背中は直ぐに壁に当たった。
え、え、どうすれば……どうすれば!
「もう無駄だァ。やっぱり一番強いのは僕なんだァ!!」
分かったよ! ちょっと黙っとけよ!!
慌てて杖を見るけど追加の不思議な声がする訳でもないし、ずっと使い方は分からんままだし、もうパニックだ。
「そうら、特製のマシンガンを喰らいなよっ!! うひゃひゃひゃ!!」
大きなガトリングみたいな腕をこちらに向け、熱を帯びていく。回転を始めた。
ちょ、ちょ、これはやばいんじゃないかやばいんじゃないか!?
マモンを置いて逃げるなんて出来ないし、この杖は相変わらず使い方分からんままだし!!
試しに振ってみても光が出る訳じゃないし、適当な呪文っぽい言葉を叫んでみてもうんともすんとも言わないし。
クソー! マジあの不思議な声、何しに来たんだよ!!
「それじゃぁさようならァ!! 兄、姉、弟の仇討ち……」
銃身の回転に拍車がかかってきた。鉄が熱する赤が黒を染め上げていく。
「これで終幕だァ!!」
ああ駄目だ、もう愈々お終いだぁ!!
色々を覚悟し、真っ赤になった銃身を横目に頭を守った。
――その時。
「おまたせ!」
(つづく)
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